uneasiness«前編»

気がつけばいつも一緒にいて。
歩いて十歩の距離なのに、離してくれない。





「灯さん。今日の帰りっていつ?」


付き合いはじめてもう数ヶ月経つ彼氏は、あたしのことを未だにさん付けで話しかける。
同じマンションに住む彼は、あたしの職場の学生さん。意を決して想いを告げたら、なんとまぁ彼もあたしを好きと言ってくれたわけで。


「今夜は定時予定だから、六時には家にいられると思うよー!なんで?」
「いや、今日休講になったから。じゃあ僕が夕飯作っておくね」
「えっ?!周助君が作ってくれるの?」
「簡単な物になっちゃうけど。なにが食べたい?」


まぁ、あたしも未だに君付けが取れないでいるんだけど。
それに付き合ってからと言うものの、周助君はあたしの部屋に入り浸るようになってしまった。
本当、十歩の距離なのに帰らないの。


「パスタ食べたいかな。って、周助君。部屋に帰らないで大丈夫なの?」
「え?」
「いや、ほら。ずっとあたしの部屋から大学だって通ってるじゃない?」
「灯さんがいない時に帰ってるよ」
「……そう」


あ。なんかなに言っても無駄そう。これは。
仕方ないからあたしは朝の出勤支度を続け、焼いた食パンを頬張りながら玄関に向かった。
周助君も玄関まできて、壁にもたれながら腕を組んで少し呆れた顔してる。


「朝食はゆっくりとった方がいいと思うけど」
「あたしは食べるより寝ていたいの」
「僕がいなかったら食生活乱れたままだったよね。大人なのに……」
「周助君だって二十歳なんだから大人だよ」
「だから僕は朝早起きして、キチンと朝食とってるよ?」


くっ……口では勝てない……。なんでこんなに口達者なの、周助君は……。

玄関で靴を鳴らしてドアを開ける。一気に外の光が部屋の中に入り込み、眩しくて一瞬怯んでしまう。


「いってきまーす」
「いってらっしゃい。頑張ってね」
「ふふ、はぁーい!」


ドアが閉まる瞬間まで、周助君は微笑んで手を振ってくれる。本当はそれが嬉しくてたまらないんだ。

家から駅まで五分。電車で大学の最寄り駅まで三駅。考える時間はいっぱあって、入り浸る周助君が帰らない理由を巡らせる。
いや、居てくれるのはありがたい。本当に。防犯っていう意味もあるけど。すっごく安心する。
だいたい仕事から帰ってくれば周助君が出迎えてくれる。学生さんは結構自由だ。

しかも周助君、テニスで大成してる。卒業後はテニスしながら、どっかだかのスポーツ系の会社に入社も決まってるらしい。
え。プロじゃん。そんなの!と思ったんだけど、なんだかテニスのプロの世界は厳しいらしい。
それに、本当に試合になると数ヶ月は家を空けるみたいなんだよね。同級生にはすでにプロとして活躍してる子もいるんだって。すごい世界だ。

あれ?入り浸っても全然いいじゃん。なに贅沢思ってるのあたし。
いやでもね。でも。女の子にはさ、彼氏に綺麗な自分をいつも見せたいとこだよね。
ちょっと見せられないようなことだってある。
トイレとか無駄毛の処理とか。お風呂だって一緒に入ろうとするから、それだけは断固拒否ったんだけど。

肌を重ねるときだって、全部綺麗なあたしを見てもらいたい。だからこそ周助君がいない空間が大事なんです……って、やっぱり贅沢だな。
あんなカッコよくて優しくて、年下なのに甘えさせてくれる彼氏。

どっちが年上なのか、たまに分かんなくなるけど。


「はぁ〜……」


少し大きなため息をつくと、ちょうど最寄り駅に到着。電車のドアが開いて、一気に仕事モードに切り替えさせられる。
空は青く天高く。もう夏がそこまできてる。







夕方、五時半。ほぼほぼ時間通り。
すでに家の最寄り駅には着いてて、周助君に連絡をする。
なにか欲しいものある?って送ったんだけど、すぐさま『灯さんが欲しいな』って返ってきた。

……あたし弄ばれてんじゃない?これ。

仕方ないから、コンビニ寄ってプリンだけ買って帰った。インターホンを鳴らせば、すぐ笑顔で周助君が出迎えてくれる。


「おかえりなさい。お仕事お疲れ様」
「ただいま。ありがと」
「僕のいない学校はどうだった?」
「え?いつも通りだったけど……」


思わず口が滑った。……いけない、コレは言ってはいけないやつだ。
ヤバい。今、後ろにいる周助君を見れない。逆の立場だったら、可愛い女の子は泣いてる場面だ。


「へぇ。そう?」


いつもよりも低い、少し怒った感じがする声。
今まで喧嘩という喧嘩をしてこなかったあたし達。それは周助君がすごく優しいからだと思ってた。
あたしにも優しくて、ゼミや他の学部の女の子にも優しいこと……あたしは知ってる。
そんな優しい周助君。たまに見せる甘えた感じの優しさは、あたしだけの特権だと思ってた。
だから、誰にでも平等に優しい周助君にアレもコレもと嫉妬することはできなかった。

ぐいっと腕を引っ張られ、いつの間にか壁に追いやられる。
腕を掴まれたまま、その綺麗な顔があたしに迫ってきた。その隙間、十センチ。


「ちょ、周助君……いた……」
「ねぇ、灯さん。そんなに僕って必要ない?」
「え?」
「いつもだったらすぐ会えたんだよ?それが今日は日中会えないことに、なにも思わなかったの?」
「いや、あの。さっきのは言葉の綾というか……」
「ふーん?綾ね。でも普段から思ってたことが口から出たのは本当じゃない?」
「ちが……違う。そんなこと……」
「だったらなんで部屋に返そうとするのさ」


なにも言い返せない。と言うか……怖い。
初めて見る周助君の怒ったところに、あたしは言葉が喉にひっかかってなにも出てこない。
出そうとすればする程、きっとなにも届かない言葉になりそうで。
年上なのにしっかりしなきゃ、とか。余裕で返さなきゃ、とか。色々と考えは巡るけど、しっかりとした考えはまとまらなかった。

どうしよう。どうしたらいい?
少ない恋愛経験で、なんとか答えを導き出そうとするも、なにも浮かんでこない。

じっとあたしを見つめる周助君。
あたしはその目すら怖くて、ただ俯くことしかできないでいた――……。

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さいととっぷしょうせつとっぷ