ペトルーシュカに花束を

50.



出会ってからは丸二年が経った。
あのときキャンバスに向かって筆を走らせていたきみが、僕をここまで変えてくれるなんて思いもしなかった。

でも。出会えたからこそ。
こうやって今では毎日に色が重なり続けて、僕という本当の自分を築き上げられてる。

人形でも玩具でもない、本当の僕を。
あの日と同じように、海風に髪を長く靡かせて……きみは瞳を歪ませるんだ。










砂浜におりたった雫は、これでもかとテンションがあがって波打ち際に向かって走り出していた。


「ほらほら!海ぃー!わー!風強いー!」
「雫。初夏とはいえまだ海冷たいんだから、あまり波打ち際行かないで」
「わかってるってー!」


本当にわかってるのかな、と疑問になるくらい波打ち際に近付く雫に、僕は思わずその手を取り引き寄せた。


「……大丈夫だもん」
「大丈夫じゃないから引き寄せたんだよ」
「もう、周助の心配性」
「雫にだけ、ね?」


あのときのように、その手を取ったまま砂浜を歩き出した。
まるであの夏の日の再現をしてるかのように。
雫も同じことを思ってるのか、なにも話さずにただ僕のあとを手を引かれたまま歩く。


「あ、岩場」
「え?」
「ほら。あのときは岩場登れなかったでしょ?今日は靴もスニーカーだし、パンツスタイルだし……登ってもいいんじゃない?」
「お、おぉ……!」
「ふ、なにその顔」
「感動してるの!」


僕が先に登って……なんて考えてるうちに、雫は軽々と岩場に登ってしまう。
ちょっと……女の子なんだからって言いかけたとき、雫は満面の笑みで僕に手を差し出した。


「早く早く!」
「ねぇ、逆じゃない?普通」
「ここは若いあたしに任せなさい」
「……四つしか変わらないよ」
「四つも変わるの。周助アラサーじゃん」
「……経験豊富って言ってほしいな」


本当、ずいぶん僕に対して遠慮がなくなったなぁ……。まぁ、悪いことではないけどね。

そんなことを考えながらも、花束を雫に託して僕も岩場に登る。
砂浜よりも高い目線。眼下に広がる海を見て思わず言葉を失った。
たった少し登っただけでこんなにも景色が変わるだなんて。

やっぱりカメラ持ってくればよかった。
記念日だからと雫も僕も商売道具持ってこなかったんだよね。


「なんかすごいね。人がいないのもあるけど、今見える海ぜーんぶ自分のモノみたい」
「……うん、そうだね」
「あたし……ここで周助に告白したんだなー。我ながらよくやったわ」
「うん……。嬉しかったよ、あのとき」
「……本当?」
「じゃなきゃ今、一緒にいないよ」
「あれ?こんなやりとり今朝しなかった?」
「ふふ、気のせいじゃない?」


海風を全身に浴びながら、花束を雫から返してもらった。
コレは僕が持たなくてはいけないもの。
雫にあげるものはコレじゃない。


「その花束、どうするの?」
「……雫。この海で雫がバレエの話したの……覚えてる?」
「…………あぁ!ペトルーシュカ?」
「そう。あのとき、僕は自分自身を愛を知らないペトルーシュカだって卑下したんだけど、雫が否定してくれたよね」
「そうそう!なんか懐かしい」
「僕の中でここ数年、あれ程の衝撃を受けたことなかった。藁人形なんかじゃない、ちゃんと人を愛することできるって言ってもらえたこと……僕の気持ちを否定しなくていいんだって、少し泣きそうになったんだ」
「周助……」
「きみのおかげで、僕は藁人形に……誰かの玩具にならずに済んだ。だから今日、海にこられたから。僕が変わるきっかけを作ってくれたペトルーシュカに、花束をあげたいって思ったんだ」


花束を包んでるビニールとリボンを取り外す。
バラバラになる花束を両手に収め、走馬灯のように巡る想いを胸に海へ向けて手を離した。

パラパラと海に落ちていく花束は、潮の流れにのってゆらゆらと水面を揺れている。
まるで花の道標が海にできたみたいに、僕の想いをのせて漂っていく。


「これでペトルーシュカともお別れだね」
「ふふ、なるほどね。芸術家的な表現だ」
「そーお?普通だよ?」
「そんな雫だから、僕はきみに惹かれたんだよ」


そこで僕は持っていた鞄に忍ばせておいた、この日のために用意した……ある小さい箱を取り出した。
小さくても存在感のあるその白い箱を、雫の目の前に差し出す。


「……周助?」
「出会って丸二年。きみに惹かれてからは、何度も何度も助けてもらってた」
「え、ちょ。え?」
「あの日あのとき、僕は雫に想いを告げられなかったけど……今なら自信もって告げることができるし、その準備もできたと思ってるよ」
「ま、まって!え、これ……」
「僕は雫だから好きになったんだと、今更ながら思うよ。僕を救いあげてくれた、本当の愛に気付かせてくれたきみだから。……――雫」
「……ッ、は、はい」


その小さな白い箱。
そっと蓋をあけた。
姿をみせる、小ぶりのダイヤが乗った婚約指輪。

その箱を指輪を見つめるきみの瞳は、潤んでキラキラと箱の中の宝石のように輝いている。


「結婚、しよう。僕と……一生一緒にいてくれませんか?」
「……しゅ……う、すけ……」
「僕の隣で……ずっと絵を描いてるきみを見ていたいんだ。愛しいきみをずっと、ね」
「……〜ッ、は、はいぃ〜!」


大粒の涙がその宝石のような瞳からポロポロとこぼれ落ちる。その涙を拭う仕草すら綺麗に見えてしまう僕は、雫の虜なんだろう。

そっと左手を持って、箱から出した指輪を薬指にはめた。すんなりと収まる指輪を、雫は涙で歪めたまま優しい、恋焦がれた顔で見つめてる。

嬉しいのに言葉にならない、というような表情で僕を見てくれたから。ゆっくりとその距離を縮めて、そっと抱き寄せた。

僕の腕の中で、雫は声にならない泣きの涙をみせる。
その光景に胸が締め付けられて、たまらず顔を上げさせその唇にキスを落とした。

海のさざなみが、ゆっくりと僕達を包み込んでいく。まるでこの光景の一つになっていくように。


「周助……ずっと、ずっとそばにいて。あたし、周助の隣でずっと夢を叶えていたい」
「うん。僕も雫の隣で、雫の夢を見ていたい……」






ずっと思っていた。
僕には人を愛することなんてできないと。
誰かが僕を必要としていればそれでいいと。

人を愛さず、誰かの人形として生きていれば楽だからと。

でも、きみと出会って変わったんだ。
こんなにも輝かしい世界があるなんて、知らなかったんだ。
それは真っ白なキャンバスに、きみという色が塗り重ねられていくように。

ただの藁人形だったペトルーシュカが愛を知るように……僕はきみを好きになった。



「僕を好きになってくれて……愛を教えてくれてありがとう」
「あたしも……あなたを好きになって愛することができて……そして救えてよかった……」



水面に漂うその花の道標に。

これからの未来、その彩りを重ねることを誓うよ。


ペトルーシュカに花束を












〜The END〜
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