あの夏の、あなたへの想い。
あたしは決して忘れない。
あたしがこの手で、必ず救ってみせると誓ったあの日。
人形なんかじゃないって、気付いてくれたあの日。
あたしが……恋に落ちた日。
『ペトルーシュカに花束を』
「今日で一年だよ?」
あたしはテーブルの向こうで、朝の日課になってるコーヒーを飲む周助に話しかけた。
新聞片手にコーヒーカップが口元に運ばれたまま動きを止める。
顔は笑顔のままだけど、なにか悟られないようにする雰囲気がある。あれ?もしかして忘れられてたとか?
「……覚えてるんだね、雫。てっきり忘れてるかと思ってたよ」
「え?ちょっと!酷くない?」
「だってなにも言ってこないから。僕に興味ないのかと思ったくらい」
「そ、そんなことあるわけ……」
小さくカチン、とソーサーにコーヒーカップが乗る音がした。飲まずに置かれたコーヒーはゆらゆらと波紋を広げて、新聞は周助の手によって綺麗に畳まれていく。
あたしはここまで言いかけて、これが周助による術中によるものだと気付いた。
あたしからの気持ちを確認するかのように、こうやって誘導尋問するんだ。
「そんなことってどんなこと?」
「えっ!そ、れ、は……」
「ほら、言って?」
「う、うぐぐ……!」
「え?やっぱり興味ない?」
「ッ、だっ、だから!あたしが周助に興味ないなんて、絶対ないってば!じゃなきゃ一緒にいないでしょッ!」
「ふふ、よくできました」
あたしからの返答に満足した周助は、頭をぽんぽんと軽く撫でてきた。
そう。こうやってあたしの反応を楽しむんだ、この人は。
そして満更でもないあたしもいる。
だって笑顔の周助を見ると、やっぱり嬉しいんだもん。
「僕がコンテストでグランプリとって一年、かぁ……。早いね」
「おかげでお仕事順調だもんね」
「普段の仕事とプラスして、芸術写真家としても有難いことに仕事もらえてるし。本当、この一年は目まぐるしかったよ」
そう……。
あの『encounter』という一年前のコンテスト。
三週間ある展示期間の最終日は、公開プレゼンテーションに加えて一般のお客さんと審査員からの総投票数の発表がある。
最終日。
壇上にあがってプレゼンをする周助は、過去二回のプレゼンよりも更に輝きを増してたと思う。
(ちなみにあたしはプレゼンの日は全部行ったんだけど!)
あたしの贔屓目を引いても本当に凄かったし、会場にいたお客さんの拍手の大きさがそれを物語ってた。
なにより周助がプレゼンの最後……。
必ず言う言葉が、心に刺さったんだ。
『色んな愛がありますが、この作品の中の……一つのかけがえのない愛を見つけ出してほしいです。それは見てくださってる人達、一人一人違う見方があるのは承知ですが……愛という形は偽りがないものですから』
形ないものを見つける難しさを、あえて全面に出したプレゼンだった。
でも、周助が展示した作品達一つ一つに必ず愛を感じられて。何度か見にきてくれた親友の紬は、一番大きい展示作品に涙まで流してくれた。
最初は無機質な写真が、どんどん彩りを帯びて最大級に愛を感じられるストーリー。
まるで周助の今までを反芻するような作品は、来場したお客さんの投票数はもちろんトップだった。
そこにあたしがお手伝いできたことは、本当に嬉しいことだったし貴重な体験で。
こっそり見にきてたお父さんなんか、手紙よこしたくらいだもん。泣きながら書いてたって妹から連絡きたし。
グランプリ発表のときは、コメントもらうときに即座にあたしを呼んで、一緒に壇上に登っちゃったんだよね。
感極まって相当号泣してたあたしだけど、特設ページを見たら思いっきり写真に撮られてて、しばらく大学で噂されたくらい恥ずかしいことだった……。
「じゃあ、どうする?今日は。僕の予定、埋めてほしいんだけどな」
あたしが思い出に耽ってると、それを感じ取ったかのように周助がコーヒーを飲みながら机をトントンと指で叩いた。
「あ、あのね!海行きたい」
「海?」
「うん。先月までコンテストの個展やってて周助も忙しかったでしょ?行くなら仕事も落ち着いた今かなーって」
「入るにはまだ早くない?風邪引いちゃうよ?卒論を僕に泣きついて完成させて、大学卒業してせっかく画家として活動し始めたのに、体調崩しちゃったら……あぁ、僕に看病してほしいのかな」
「ねぇ、なんで海行くってとこからそこまで発想が展開されるの」
「写真家に発想力は必要だよ?」
全然、海に入る気なんてないの知っててこういうこと言うんだから……。
周助、って名前で呼ぶことにも慣れたからか、あたしも大分遠慮ない。それは周助もだけど。
それに呼び捨てで呼ばないと怒るんだもん。
そうやっていつもからかってばっかりで、その度にあたしの心臓は高鳴ってしまう。
だって、周助の笑顔が見れちゃうから。
「では、海へレッツゴーですよ。周助さん」
「あ、久々に言ったね?」
「ここは昔の気持ちを思い出して、あえての周助さんですよ」
「じゃあ僕も相葉さんって呼ぼうかな」
「じゃああたしは不二さんって呼ぶからね」
「本当、ちょっと前のことなのにすごい違和感がするなぁ」
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
「そういえば、陽菜乃が雫と遊びたいって言ってたらしいよ」
あのときの夏の日と同じ電車の中で、乗る前に花屋で買った花束を手に、周助が思いついたように呟いた。
そんな周助を横目で見る。あぁ……なんて花束が似合うんだろ。花束の中のヒマワリが、余計に周助を引き立たせてるみたい。
ボーッと見つめてたあたしを、周助が不思議そうに覗き込んできた。
いかんいかん。見蕩れてたなんて言ったら、なにされるかわかんない。
「どうしたの?疲れた?」
「違う違う!ごめんね!あ、あたしも陽菜乃ちゃんと遊びたい!あれ?どれくらい会ってないんだっけ……半年くらい?」
「……そうだね。最後に実家行ったのそれくらい前じゃない?裕太が嘆いてたよ。“雫ちゃん、いつくるの?明日?って毎日聞いてくる”って」
「やーん、可愛すぎ!明日にでも行きたいぐらい!」
「いつでも行けると思うと、なかなか行かないもんだよね」
周助は、元婚約者さんと付き合ってたときは年に一回帰ればいいほう、なんて言ってた。
あの事件のあと、なんとなく気まずい雰囲気で訪れた周助の実家。お母さんを始め、お姉さんも裕太さんも奥さんの若菜さんも、すっごく歓迎してくれたんだ。
そんな中、姪っ子の陽菜乃ちゃんは激カワだった。
挨拶もそこそこに、可愛い笑顔で「おねえちゃん、あそぼ?」って懐いてくれて。本当に嬉しかった。
元婚約者さんが挨拶で周助の実家に行ったときは、近寄りもしなかったんだって。
「まぁ、近いうちに行こうか。雫と一緒だと裕太も快く出迎えてくれるし。僕だけだと何故か睨んでくるんだよね」
「過剰な裕太さんへの愛が原因なのでは?」
「やだなぁ。弟に対して当たり前に抱く感情でしょ?」
この人は……。
この満面の笑み。裕太さんの気苦労が見えるようだよ……。
あたしは呆れて窓の外を覗き込んだ。車窓からはあの日の海が見え始める。あの日あのときの、変わらないままの海が。
「もうすぐ二年だね」
「うん?」
「あの夏の日から……」
「……そう、だね」- 66 -*prev | *next *Sitetop*or*Storytop*