Sabo route 08


 闇も深まり、ほとんどのメンバーが寝静まった夜。部屋で今回の任務の資料を読み込んでいたサボにも、ついに眠気が訪れる。水でも飲んで今日はもう寝ようかと部屋を出たサボの足は、そのまま食堂に向かっていた。
 ぎしぎしと軋む廊下の窓から見える空には、朧気な三日月が浮かんでいる。そのままふと甲板に視線をやれば、見張り用の篝火の下で、何やら見知った顔が月を眺めている姿を見つけた。
 引き寄せられるように甲板に出て背後から名を呼べば、ほんのりと頬を染めたエルマーが機嫌良さそうにこちらに振り返った。


『おお、サボ。いいところに来た』
『まだ起きてたんですか。明日の朝早いんですからもう寝ないと』
『そっくりそのまま返すよ。どうだい、君も一杯』


 エルマーは大きい徳利を軽く掲げ、からからと愉快そうに笑った。見るからに高そうな酒が入っていそうで、中身は一体どんな味がするのだろうかと大いに興味がそそられる。
 睡眠と酒を天秤にかけてみたところ、すぐに酒に軍杯が上がったため、サボは『お言葉に甘えて』と声を弾ませると、酒が並々と注がれた杯を受け取った。
 エルマーの横に並び、月を見上げながらくっと酒を喉に流し込む。キレのあるすっきりとした味わいが口内に広がり、サボは思わずほぅっと息をついた。


『うまい。さすがエルマーさんはいい酒持ってますね。毎日こんなのを飲んでるなんて羨ましい』
『ははっ、これは特別な時に飲むとっておきのやつだよ。いつもそこらの安酒さ』
『へぇ・・・何かいい事でもあったんですか?』


 サボがそう尋ねれば、エルマーは杯を口に付け、少し寂しげに目を細めて言葉を漏らした。


『娘が、誕生日に男からネックレスをもらったらしい』
『・・・ブッ!!』
『いつか自分の元から巣立って行くとは覚悟していたが・・・いざその日が近くとなると寂しいものだな』


 突然ぶち込まれた爆弾に、サボは盛大に酒を吹き出した。慌てて口元を拭うサボを尻目に、エルマーは楽しげな笑みを浮かべるだけだ。
 これは明らかに確信犯である。サボは咳払いをすると、覚悟を決めて空になった杯をエルマーの方に突き出す。潔いサボの様子を見て、彼は再び口の端を上げると、目の前の杯になみなみと酒をついだ。


『高そうなブルーサファイアのネックレスだったから、相手はかなり本気だとみたんだが・・・。どうだろう?次期参謀総長と名高い君の推測は』
『・・・間違いなく本気ですね。その男、ナマエが初恋の相手らしく、長年想いを拗らせてここまで来ちまったから、満を持して勝負に出たそうですよ』
『なるほど、相手の男の一途さは君のお墨付きなんだな』


 目尻に皺を寄せるエルマーを横目に、サボは緊張を誤魔化すようにして注がれた酒を再び一気に飲み干した。
 この反応は好感触なのか、それとも感情を隠すためにわざと笑顔を取り繕っているのか。いつもと変わらずにこやかに笑うエルマーの考えが、緊張からすでに酒が周り始めていたサボにはまったくもって読めなかった。
 頭に様々なパターンを思い描きシュミレーションしていれば、いつの間にか空になった杯を食い入るように見つめていたらしい。突然壊れた機械のようにフリーズしたサボを見て、エルマーはくくっと笑い声を漏らすと、杯の中にまた酒を注ぐ。そして流れるようにサボの背中を軽く小突いた。


『そんなに緊張しないでくれ。別にとやかく詰問しようというつもりはないんだよ。ただ、一言伝えたいことがあってね』
『・・・伝えたいこと?』
『ナマエには、幼い頃から随分寂しい思いをさせてきた。しかしそんな状況下にも関わらず、親の贔屓目かも知れないが、優しく素敵な子に育ってくれたと思うよ。だから─・・・』


 エルマーの声が止まり、サボの背に添えられていた大きな掌に、ぐっと力が加わった。


『二人が手を取り合う未来が来た時は・・・あの子を幸せにしてやってくれ』


 優しく温かで、それでいて強い思いを含んだ言葉。サボはしゃきりと背筋を伸ばすとエルマーの方に向き直り、そのまましっかりとした口調で『もちろんです』と力強く頷いた。
 空に浮かぶ三日月のように、エルマーの目が弧を描く。それと同時、目の前に突き出された白い杯。サボが己の手の中の杯をそれに近づけ軽くぶつければ、重なった二つの杯はかちりと小気味よい音を奏でた。
 篝火が揺らめく光の下。男同士の密やかな契りを胸に、サボは再び美酒を飲み干した。



Sabo route 08



 「ナマエ、君の革命軍復帰を正式に認めよう」


 静まり返った部屋の中に、ドラゴンの澄み切った声が響き渡る。その声を聞いて、ナマエはようやく息がつけたような気がした。
 サボと再会と和解を果たしたあの日から数日後。ナマエは足早に身辺の整理を済ますと、サボたちと共に船に乗り、バルティゴに帰還することになった。
 事前に電伝虫でサボが事の経緯を説明してくれていたとはいえ、こうも復帰がすぐに認められるとは、あまりにもあっさりしすぎていていささか不安になる。そんなナマエの想いを感じ取ったのか、ドラゴンは椅子に深く座り直すとナマエの方に向き直った。


「心配ない。これはサボや私だけでなく、幹部全員の総意だ。皆、ナマエの帰りを認めている。革命軍にとって、必要な人間が戻ってきてくれることは大変喜ばしいことだ」
「・・・っありがとうございます」
「懸念があるとすれば・・・君が抜けていた期間、激務を強いられていたマコモ爺からの小言の嵐と、その八つ当たりを受けていた医療班からの恨みつらみくらいだろう」


 淡々と告げられた内容に、ナマエは苦笑いを浮かべるしかなかった。生真面目なドラゴンが場を和ませる冗談など言うはずもない。きっと自分のいない間、傍から見ても医療班は凄まじい日々を送っていたのだろう。
 メンバーへの謝罪行脚はもちろん、マコモからこき使われることを覚悟しなければとナマエが覚悟を決めていれば、コンコンと扉がノックする音が聞こえ、部屋に伝令部のメンバーが顔を覗かせた。



「ドラゴンさん、お話し中すみません。東支部から急ぎの電伝虫がかかってきてまして・・・」
「分かった。すぐに出よう」


 一先ず席を外した方が良さそうだ。会釈をし部屋を後にしようとすると、ふいに「ナマエ」と凛とした声で名を呼ばれる。振り向けば、伝令部の女性から電伝虫を受け取りながら、真っ直ぐにこちらを見つめるドラゴンの姿があった。


「エルマーのように、君にもたくさんの人を救うことができる力を持っている」
「・・・っ」
「これからも存分にその力を発揮してくれることを期待しているぞ」


 贈られたドラゴンからの言葉に、ナマエの目元はじんわりと熱を帯びた。
 ずっと自分は無力だと思っていた。一人で立てない意気地無しだと、あの一件以来己を責め続けていた。しかし蓋を開けてみれば、たくさんの人達が自分のことを認めてくれていて、そして手を差し伸べていてくれたのだ。
 かつての自分では、そのことに気が付くことはできなかっただろう。けれど今は違う。外の世界で感じた様々な事が、出会ったたくさんの人達が、大切なことを思い出させてくれたから──。
 涙が零れ落ちないよう咄嗟に雫を拭うと、ナマエはドラゴンに向かって深々とお辞儀をし、執務室を後にした。

 部屋を出たナマエはそのまま螺旋階段を降り、サボの待つ一階の渡り廊下へと足を進めた。船が港に到着した時には真上にあった太陽は、すでに少し西に傾き始めている。遠くの方から訓練に勤しむ兵士たちの野太い声がうっすらとこだましてきており、幼い頃から慣れ親しんだなんとも言えない空気感は、ナマエの心をほんのりと軽くした。
 ようやく待ち合わせ場所にたどり着いたものの、あいにくサボの姿が見えない。多忙な彼のことだから、もしや誰かに捕まってしまったのだろうか。きょろきょろと視線を泳がせていれば、ふと廊下の真上に枝がかかり、うまい具合に雨避けのようになって生えている大木が目に入る。幼い頃はもちろん、面倒な書類仕事から逃れるためにサボがよくその木によじ登り、隠れて休息していたことを思い出す。
 もしやと思い太い木の幹に近づいて上を見上げれば、予想通り生い茂る葉の合間に青色がチラついて見える。「サボ」と声をかけてみたものの反応がない。足をかけて数メートルほど上に登って彼の元にたどり着けば、幹と太い枝の合間に上手く収まって目を瞑るサボの姿がそこにはあった。
 長旅の疲労で、待っている間に寝てしまったのだろうか。顔を覗き込んでみれば、なぜか彼の目尻は濡れており、頬にはうっすらと涙が流れた跡があった。柔らかい金髪を撫でながら再び名を呼べば、その大きな目がゆっくりと開かれる。


「あれ・・・おれ、寝ちまってた?」
「うん、待たせちゃってごめんね。それよりサボ・・・大丈夫?」
「え?なにが?」
「その、泣いてたみたいだったから・・・」


 ナマエからの指摘に、サボは一瞬きょとんと目を丸めたあと、すぐに目尻に手をやった。そして何かを思い出すように、グローブについた雫をじっと眺めて数秒後。サボは噛み締めるようにして、柔らかな笑顔を浮かべた。


「・・・エルマーさんの夢を見たんだ」
「お父さんの・・・?」
「あぁ。昔二人で話をした内容のことだったから、夢というより記憶って感じだけど。・・・多分、天国のエルマーさんからのメッセージだと思う。今度こそしっかり頼むぞっていうな」


 そう小さくぽつりと呟いた後、サボはようやく寝ぼけ眼からスイッチが入ったのか、勢いよく身体を起こしてナマエに向き直った。


「それより、ドラゴンさんとちゃんと話せたか?」
「あっ、うん。正式に復帰を認めてもらえたよ」
「よかった・・・。これでもう残す関門はマコモの爺さんだけだな」
「それドラゴンさんにも言われちゃった。あとで気合い入れて行かないと・・・」


 ナマエの返答を聞いて喜んでいたサボは、マコモのことを聞くや否や、すぐにからからと愉快そうに声をあげて笑った。
 しんみりとした空気は何処へやら。ひとしきり笑った後、サボはナマエの手を取ると、ぐっと自分の胸に引き寄せそのまま横抱きにする。そして幹から渡り廊下へ一直線に飛び降りると、軽やかに駆け出した。


「ちょ、っサボ!私歩けるのに・・・っ!」
「こっちの方が早いだろ?墓参り済ませたらマコモ爺さんのとこ行って、そのあともやることがてんこ盛りなんだから」


 効率はもちろん、正論を言われてしまえばぐうの音も出ない。ナマエが大人しくサボの胸にしがみつくことを選べば、彼は満足そうに口の端をあげ、ナマエを抱きしめる力を強めるとそのまま歩を進めた。
 案の定ナマエの足では三十分はかかったであろう道のりは、サボの全速力によって五分もかからずに到着する。小高い丘に等間隔で並ぶ墓石の中で、エルマーの名が刻まれたものの前にたどり着くと、サボはゆっくりとナマエを地面に下ろした。
 そよそよと柔らかな風が頬を撫で、暖かな太陽の光が身体を包み込む。 まるで父の存在が目の前にあるような感覚に、ナマエはゆるゆると己の涙腺が緩み出したのを感じた。
 涙を飲み込みながらサボが用意してくれていた白い百合の花束を受け取ると、ナマエは地面に膝を着いて供える。「ただいま」と小さく零せば、ふわりと吹いた風が白い花弁を揺らし、甘く上品な香りが辺りに漂った。


「『おかえり』って言ってくれてるな」
「うん・・・。きっと、すごく心配かけたよね」
「そうだな。おれも島にいる時は毎日ここに来て『ナマエの居場所を教えてください』ってエルマーさんに拝み倒してたから、ようやく寄り付かなくなるって安心してるかも」


 横に並んで同じく手を合わせるサボの言葉に、ナマエはふとコアラの口から出た台詞を思い出す。サボとローの間で一体どんなやり取りがあったのか、結局詳しく聞けずじまいであったため、「そういえば、どういう経緯でローさんから私のビブルカードをもらったの?」と尋ねれば、サボは一瞬にして苦虫を噛み潰したようにしかめっ面を浮かべた。


「・・・聞いちゃ駄目だった?」
「・・・いや。ドレスローザでの戦いが終わった後、ルフィに会いに行った時にたまたま話す機会があってな・・・。そしたら開口一番に喧嘩を売られた」
「け、喧嘩?」
「『お前が意気地無しじゃねェなら、ナマエのビブルカードをやるから今すぐに会いにいけ。行かないならおれが貰う』って」
「え・・・!?」
「一応聞くけど、あいつとは別に何も無いよな?」
「う、うん。本当にただ偶然知り合って、しばらくお世話になっただけで・・・」


 サボの不貞腐れたような表情と弱々しい声色に、ナマエは慌てて首を縦に振った。ローとはけしてやましい関係ではなかったが、サボの様子を見るに、船員に誘われたことやひょんなことからローに膝枕をしてしまった事は黙っていた方が良さそうだろう。
 ナマエの返答を聞くと、彼はすぐさま安堵のため息をついた。


「よかったぁ・・・。もしトラファルガー・ローと何かあったとか言われたら、おれ本気でへこんでた」
「・・・何か、意外かも」
「ん?」
「その・・・サボがそんな反応するなんて、ちょっと予想外で」


 嫉妬のような、独占欲のような。かつての関係性からは想像もつかなかったサボの様子に、ナマエが思わずぽろりと本音を漏らせば、サボは「あー」「うん」と何やら唸り声をあげたあと、両手で口元を覆いながらちろりとこちらに視線を寄越した。


「お前がおれのことを恋愛対象として意識しだしたのって十五、六くらいの時だろ?おれはそれよりももっと早くてさ。革命軍にきてお前と仲良くなってすぐだったから・・・多分十一くらいの時かな」
「・・・っそんな前から?」
「あぁ。人生の半分ほどを一緒に過ごしてきた大切な人を、突然ぽっと出てきた奴に横からかっさらわれちまったら、さすがにたまんねェよ。・・・まぁナマエを助けてくれた事やビブルカードをくれた事は感謝してるけど」


 ほんのりと頬を染めながら唇を尖らせるサボが何だかとても可愛らしくて、ナマエはふふっと小さく笑い声を漏らす。釣られるようにして、サボもくしゃりと目尻に皺を寄せた。その表情は父・エルマーの姿にそっくりで──。
 小さく息を飲むナマエに気づいていないサボは、ズボンのポケットをまさぐり、何かをおもむろに取り出した。出てきたのは、小さく折りたたまれた滑らかな質感のハンカチ。蕾が花開くようにサボの指がハンカチをゆっくりと解いていけば、中から出てきたのはブルーサファイアのネックレスであった。
 カナリアに取り上げられてしまってから行方知らずになっていたものが、今目の前にある。驚きのあまりナマエが目を丸めてサボを見れば、彼は眩い光を放つ青い石をそっと優しく撫でた。


「これ、っどこにあったの・・・?」
「カナリアのポケットから出てきたらしい。コアラが見つけてくれたんだ。でも石座から石が外れちまってたから、メンテナンス部のやつに修理してもらってた」
「っ良かった・・・。瓦礫に埋もれて、もう二度と戻って来ないと思ってたから・・・」

 
 十八の誕生日にサボからもらった大切なネックレス。革命軍を離れても肌身離さず付けていた深い海のような青いブルーサファイアは、曇ることなど知らずに、相も変わらず美しく輝いている。
 嬉しさのあまり、ナマエがぽろぽろと流れ出た涙を拭えば、「泣くなよ」とサボは少し困ったような顔ではにかんだ。


「ごめっ本当に、嬉しくて・・・」
「・・・うん」
「サボにもらった、っ大切なものだったから・・・」
「・・・うん」


 優しい声とともに、サボの手がナマエの頬を包み込む。ゆるりと、壊れ物に触れるかのような指先の感触に、弾かれるように面をあげれば、サボの大きな目がじっとこちらを見つめていた。


「あの時は意気地無しだったから、お前にはっきりと伝えれなかったけど・・・今ならちゃんと言葉にできる」
「・・・っサボ」
「世界で一番ナマエを愛してる。もう一度、受け取ってくれるか?」


 柔らかい太陽の光を背に微笑むサボの瞳は、幼い頃からずっと変わらない。答えはとうの昔から決まっていたのに、二人揃って随分と遠回りをしてきてしまったようだ。けれどたくさん回り道をした分、今なら素直に伝えられる気がする。
 差し出されたネックレスを大切に受け取ると、百合の花の香りに包まれながら、ナマエは目の前の愛する男の胸に飛び込んだ。


「もちろん・・・!私も世界で一番愛してるよ、サボ」



 もういいかい まぁだだよ

 暗闇に零れた花は 流れゆき
 ただひとりでに蒼海を漂う

 みいつけた

 柔らかな青の光が包み込み
 一途な愛を取り戻した花は
 再び華麗に咲き誇る
 


  𝟮𝟬𝟮𝟯.𝟭𝟮.𝟮𝟯...𝙨𝙖𝙗𝙤 𝙧𝙤𝙪𝙩𝙚 𝙚𝙣𝙙