「醜さを晒しても」
この世の中にはあたしの嫌いな女が二通りいる。
ひとつは涙を使う女。
もうひとつは、身体を使う女。
「ほんとさ、バカでしょ?」
その後者なのが、このワタシだなんて本当に眞白(ましろ)のいうとおり馬鹿な女でしかない。
「さっさと言えばいーじゃん。だって…」
カラン、とゆっくりと溶けた氷の音は騒がしいファミレスの店内に、いや、あたしの鼓膜の中だけで耳鳴りのように響いた。
「…苦しいんでしょ?」
鷲矢が好き、その気持ちはいつからか淡い物ではなく、ただ苦しいだけのものに変わっていた。
近所のお兄ちゃん。鷲矢くんが好き。
単純な憧れの淡い恋、そんな風に思っていたのはいつまでだったんだろう。
そう、きっと身体を繋ぐ、その時まで。
初めて彼の身体と触れあったのは、ただの慰めだった。雰囲気だった。流れ、だった。
お母さんが死んで、弟の面倒と、潰れかけた会社と、小さくなったお父さんの背中。そんなものに耐えられなくなって、つい鷲矢に手を伸ばした。
「しゅ、うや…お願、い」
拒まれる、と思った。ただの近所の年下の女の子。彼にとって私はそんな存在で。
だけど、違った。
「おいで、美琴」
そういって、優しい掌で私の背中に触ると、そのまま身体ごと包みこんで。そして柔らかなベットとまやかしの愛情に、どっぷりと溺れさせてくれた。
嬉しかった、そして悲しかった。
なにが、って。私は鷲矢にとって特別な女の子ではなく、鷲矢の周りに多々いる女となんら変わりはないことに気付いたからだ。
まだ拒まれた方がよかった。そしたら好きだったと伝えて、失恋して、新しい恋をまた何処かで始められたんだろう。
そのせいで、抱いてくれる限り、そう思ってしまう私の醜い心。
あの日以来、身体を使う変わりに涙を溢さない事を自分の中で決めた。
だって涙なんか、彼には面倒にしかならないでしょう。
好きでもない女の涙なんか。
「もう僕ら付き合って…や、付き合ったふりして4年でしょ」
眞白は私の気持ちを知っていて、4年という長い時間、そんなお遊戯に付き合ってくれていた。
もちろん眞白は他の子を抱くし、私は眞白に抱かれない。
私とは『恋人』という言葉だけの関係。
ただ妬いて欲しくて、そんな思いでの行為がもう4年。
「はは、もう…そんなに経ったんだ」
「偽装カップルどころか慣れすぎて熟年夫婦みたいだよ、僕ら。」
「ほんと、なんで、だろーね」
なんでこんな事したのかって。
そんなの自分が1番わかってる。
悔しかった。
悔しくて悔しくて、堪らなかった。本当に堪らなかった。お腹ん中のいちばん底から湧き上がってくるそれは、嫉妬、だった。
だって、私は彼の特別でいたかった。
ずっとずっと好きだった。小さい頃から今の今まで。ずっとずっと鷲矢だけを見てきた。
鷲矢の濡れたような黒髪も、瞳も、声も、優しさも、温もりも、指先が落とす影ですら。全部、どれかひとつでもいい。欲しくてたまらなかった。
その為なら、私の全てを捧げても良かった。
それなのに、鷲矢はそんな好きでもない女の子と付き合って、そんな子を抱いて。私が何よりも欲しかった"恋人”という文字をあげて。
悔しくって、もう、堪らなかった。
「ねえ、すごいよ?」
眉間の皺。そう言って私に男の癖に綺麗な指先を伸ばし、なでなでと優しく擦る眞白。
柔らかいブラウンの髪に、茶目っ気のあるアーモンドアイ。だけど、まるで宝石みたいに輝いていて。ラフに着込んだネイビーのジャケットにすら品を感じる。そう思わせるのは財閥産まれから来るものなのか。
そんな私の偽装彼氏。
そんな眞白を見ていたのか、隣の席でランチタイム中のOLが「みて!隣!王子様!」「キャ〜私もナデナデされたい〜」なんて甲高い声を上げる。
眞白もそれに気付いたのか、その2人にスゥイートなスマイルをプレゼント。すると今度は黄色の悲鳴が聞こえた。
「美人な美琴が恋人で、他の女の子にも手を出し放題。本当、こんな幸せって他ないよね」
まるで嫌味にも聞こえる、その言葉。
私の恋人のふりをしているせいで傍から見たら彼の女遊びは“浮気”になる。
確かに眞白は女の子が大好きで、幾多数多の女の子に手を出して来た。鷲矢とは違って彼に対して本気の子も何人か。お得意の甘い言葉を吐き、自分にとことん惚れさせてしまう。
そんな本気の子に「さっさと眞白くんと別れてよ!」と平手打ちを食らうこともしばしば。言っとくけど女の子の怒りマックス時の力って半端なく強い。勢いよく思いっきり、容赦なく。
パンパンに腫らした右頬を、なんの悪びれもなく面白そうに突く眞白。それはまるで、私に対しての罰だと言うように。
「でも、」
明るい綺麗なブラウンの髪を長い指先で払って。長い睫毛を揺らして、切なそうな笑みを見せると眞白は言った。
「そろそろ僕も、限界」
「…ごめん、眞白」
もしかしたら眞白に本気で好きな女の子が出来たのかもしれない。
今まで一度だって、そんなこと言わなかった眞白。きっと誤解されたくない相手が出来たんだ。だったら、いつまでもこんな事を続けてちゃいけない。
「早く兄貴にフラれてきてよ」
今までこんな効果のないことを続けてきた結果が、これ。確かに私が鷲矢へ気持ちを伝えたところでフラれるのは目に見えてるけど。
「まあ、フラれんのは僕の願いだけど、さ」
その言葉にゆっくりと顔をあげると、いつもは茶目っけたっぷりのアーモンドアイが切なそうに細められ、悲しそうな表情が瞳に映る。
「好きな女が恋人なのに、抱けないって結構辛いんだよ。」
私はそこまで鈍感じゃない。
その表情とその言葉で初めて眞白の気持ちに気付いた。「美琴が兄貴のこと真剣に好きなの知ってたから、俺は形だけでも彼女にしたかった。…けど、欲張りでごめんね。」
私の頬にゆっくりと指先を伸ばす。頬を撫でるその指先は酷く優しい。
「もう、我慢できそうにないんだ」
ああ、馬鹿な女。どうしょうもないくらい、私は馬鹿な女だ。
気づかない間に、こんなにも眞白を傷付けていたなんて。
「…ごめ」
「ごめんはもういーって。謝って欲しいわけじゃない。…ただ、」
眞白は悔しそうに髪を掻き上げて、また切なそうに笑った。
「もし、兄貴にフラれたら俺の本物の彼女になってよ。」
その言葉に首を振りたかった。
けど、振れなかった。
例え鷲矢にフラれても、眞白の元には行けない自分がいるのを知ってる。
だって本物になったって、今までときっと変わらない。
鷲矢が好き、のまま、眞白の彼女。
変わらない、変われないまま。
そうなったら完全に二人から距離を置くことが、きっと何よりもの正解なんだろう。
「今晩、…行って、くるね」
神様は、許してくれるだろうか。
ひとりを傷付けて、ひとりを乞うて。
こんな醜い願いを聞いてくれるだろうか。
だって、きっと最後だから。
これが最後だから。
だから許して欲しい。
想いを伝える その前に
もう一度だけ
彼の肌に触れることを。
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