01. The beginning is always


(始まりはいつだって)


 理鶯さんと、恋人になった。
 先日迎えた誕生日。どんなに募っても言うつもりなんてなかった、胸に納めて大切に温め続けるつもりだった想い。余りにも幸福に満ち溢れた一日の最後、つい溢れてしまった本音をすくわれ、逃がさないとばかりに捉えられ。
 彼の体温を全身で感じて懇願する様に愛を囁かれた時、もういいと、思ってしまったのだ。彼の傍にいたいと叫ぶ心が、辛く切なくこの身を苛むから。これ以上、どうあっても自分の気持ちに嘘なんてつけなかった。……例え、再び失う日が来てしまったとしても。
(それでも、)
 今は。今だけは。願う様に胸に手を置く。サイドテーブルに置いてある写真立ての中の兄は、いつもと変わらない温かな笑顔のままで。
 朝目が覚める度抱いていた喪失感は、いつの間にか消えていた。
 
 ベッドから抜け出た後、ベランダに出て日差しを浴びる。爽やかな初夏の空気からジリジリと焼ける様な日差しに変わるまでのわずかな時間を、プランターで育てている植物と共に過ごすのが最近の日課だった。さて、今日は定休日だけれど、何をしようか。花の世話は昨晩しっかりしてきたし、平日は中々友人が捕まらずこれといって予定も無い。久々に映画でも観に行こうかとスマホを手に取ったところで、タイミングを測ったかの様にバイブレータが起動した。
 着信を告げる震えと共に画面に映し出されていたのは、起き抜けから思考を支配していた恋人の名で。取り落としそうになりつつ慌てて電話に出る。
「も、もしもし」
「おはよう、名前。今起きたところだろうか」
「ふふ、ええ。理鶯さんは相変わらず朝早いですね。今日はどうしました?」
 何かあっただろうかと尋ねれば、ふ、と微かに笑みが零れる気配がした。
「いや、特に用事があるわけでは無いのだが、先程ベースの近くで鈴蘭を見つけてな。ふと、貴女の声が聞きたくなった」
 甘く響く低音。花を見て、自身を思い出してくれたと言う事実が喜びに変わり身体中を駆け巡る。きゅう、と締め付けられる胸。嬉しいです、と素直に応えれば、また電話の向こうで笑う気配。
「今日は何か予定が?」
「残念ですが特には。丁度映画でも観に行こうかと調べようとしてたところです」
「そうか。……その予定にご一緒しても?」
 思ってもなかった提案にひっくり返った声で勿論です!と応える。ちょっと食い気味すぎただろうか。
「良かった。声を聞いたら、今度は会いたくなってしまったんだ」
 嬉しそうに告げる低音は、分かりやすい甘さを伴っていて。端末を当てている耳元から伝播するように頬に熱が集まるのが分かった。時間と待ち合わせ場所を決め、それじゃあと通話を切る。
 こうしちゃいられない、直ぐに支度をしなくちゃ。買ったまま卸す機会を逃していたワンピースと、揃いのサンダルも出してしまおう。踊り出したくなる気分もそこそこに、慌ただしく準備に取り掛かった。
 
 待ち合わせ場所に着くと、直ぐに彼は見つかった。いつもの迷彩服ではなく見たことのない私服姿だったが、190p以上ある男性はなかなかいない。赤毛となれば尚更だ。
 Vネックのサマーニットにセンタープレスのきいたテーパードパンツ、プレーントゥシューズといった出立ちの彼は、ともすればハリウッド俳優の様だった。サングラスを掛けているためMTCのメンバーだとは気付かれていないようだったが、モデルばりのルックスのせいで集めている視線の数は普段と変わりない。……寧ろ増えているのでは。自身の後ろの方から聞こえる、やばいあの人かっこいい、どうする声掛けちゃう?なんて囁き合う高い声の数々に余計に気後れしてしまう。
(非常に声掛けづらい……!)
 今まで雑念に囚われなかったのは、良くも悪くも彼しか見えていなかったのだと思い知った。そう、彼は完璧なまでにかっこいいのだ。比べて自分を見下ろす。纏っている上質なワンピースに見合うだけの中身など持ち合わせていないこの身体。ピカピカと陽の光を反射する真新しいサンダルが急に浮いて見える。モデルの様な長身なわけでも、出るべき箇所が出ているグラマラスな体型でもない平凡な自分。急に不安が襲い掛かり、その場から逃げ出したくなってしまった。
 つい踵を返した瞬間、何かにぶつかりバランスを崩す。地面に叩きつけられると覚悟したが、誰かに抱きとめられ思わずその腕にしがみついた。
「す、すみません!ありがとうございます……」
「いえ、こちらこそ。お怪我は?」
 ふわりと漂う煙草と上品な香水が入り混じった香り。聞き覚えのあるテノールに顔を上げれば、見知った顔で思わず顔が綻ぶ。
「銃兎さん……!」
「ふ、お久しぶりです。足を挫いたりはしていませんか?」
「何ともないです、銃兎さんこそ大丈夫でしたか?」
「ふふ、貴女にぶつかったくらいで怪我をするほどヤワな男ではないつもりですよ」
 現役警察官には愚問だったかも知れない。けれど良かったと胸を撫で下ろす心地だった。重ねて謝罪をしようとすれば、ずい、と顔の前に突き出された腕によって急に後ろに抱き寄せられる。驚きとともに見上げれば、不機嫌を隠そうともしない理鶯がいた。
「銃兎」
「おや、そんなに怖い顔をしないで下さい、理鶯。彼女を助けたまでですよ」
 地を這う様なバリトンで名を呼び、いつの間に外したのだろう、サングラスを胸元にかけ睨め付ける様な視線を銃兎に投げる彼に驚くが、一拍置いて気づく。側から見たら抱き合ってる様にしか見えなかったのだろう。
「そうです、私が不注意なばっかりにすみません。銃兎さんは助けて下さっただけです」
「幾ら銃兎と言えど彼女には手出し無用だ」
 両手を上げ、肩をすくめる銃兎に謝罪の意味を込めて見つめれば、意図を汲んでくれたらしい。
「念のため申し上げておきますが。たまたま見掛けたので声を掛けようとしただけで、本当に他意はありませんよ、理鶯。馬に蹴られるのは御免ですからね」
 やれやれと口角を上げた彼は、それではと踵を返して行った。回された腕を遠慮がちに突けば、不承不承といった体で解放される。見上げれば、先程までの剣呑な雰囲気は鳴りを潜めているものの、むすりとした表情でこちらを見つめる視線と交わった。向き直り、ゆるして、という気持ちを込めて彼を見つめれば、ややあって目を閉じため息をつかれた。
「銃兎にその気が無いのは分かっている。小官がもっと早く貴女に気づいて声を掛けるべきだった」
 う、と胸が痛む。声を掛けられなかったのは単に自分の責任だ。驚きで萎れていた不安の種が胸の内でにょきにょきと育つのが分かった。
「しかし」
 低く力強く響いた否定の声に、ぱちりと瞬く。瞼を上げ現れた蒼には、どこか切なさが滲んでいた。
「貴女が他の誰かの腕の中にいるというのは、許し難いな。今日だってこんなに可愛らしくしてくれたというのに」
 すり、と頬を撫でられ途端に熱が集まるのが分かり、思わず顔を逸らしそうになったが、添えられた手がそれを許さなかった。再び合わされた視線に依然滲む切なさにハッとする。恥ずかしがってる場合じゃない、と頬に添えられた彼の手に自分の手を重ね、指先に軽く力を込める。
「ごめんなさい、理鶯さん。……ゆるしてくれますか?」
「……ずるいな、名前」
 その言葉に首を傾げると、彼は長身を屈めて耳元で囁いた。そんなに可愛いことをされては、許す他無いだろう。顎先を擽られながら耳朶から直接響くバリトン。耳まで赤くした私を見てクスリと笑う彼は、漸く機嫌を直してくれたのだろう。行こうか、といつもの様に流れる動作でエスコートをしてくれた。
 
 
「面白かったですね!」
 うきうきとした気分で先を歩く。踊る様にターンをし後ろを振り向けば、理鶯は微笑みながらゆったりと後をついてきてくれる。
「あぁ。映画は久方振りに見たが、とても良い出来だったな」
 選んだのは最近上陸したばかりの海外ミュージカルだった。王道ストーリーではあるものの、切り口を変えた斬新な演出や名曲とも言えるだろう様々な楽曲に彩られた作品で、確実に今年の映画賞にノミネートされるだろうと確信する様な出来栄えだった。
 上映中、何度も流れたメインテーマを口ずさみながら歩道橋を渡る。確か映画でもこんなシーンがあったな、なんて思いながら橋の中央あたりで再び彼に振り向こうとした時、つま先が絡まってバランスを崩す。悲鳴が喉から出る前に抱きとめられた身体は、真正面から抱き締められる形となった。彼の高い体温を感じ、鼓動が走った後の様にドクドクと響いている。
「……銃兎の匂いがする」
 スン、と鼻を鳴らした彼にぶわりと汗が噴き出た。やだ、やめて下さい。恥ずかしさから腕を突っぱねようとしたが、鍛え上げられた胸元はびくともしなかった。
「さっき銃兎とはこうしていた」
「銃兎は良くて小官が許されないのは何故だ」
 貴女の恋人は、誰なんだ。
 真っ直ぐに見つめてくる視線から逃れる術なんて持ち合わせていない私は、応えろ、という無言の圧に勝てるわけもなく。距離を取ろうとしていた腕から力を抜き、胸元に頬を寄せ、理鶯さんです、と小さく呟いた。途端、回された腕に力が込められる。
 名前、と名を呼ばれ、ついと顎を掬い上げられる。
 映画館を出る時に日差しがキツいから、と掛けられていたサングラスを外すのが見えた。そのまま、スローモーションの様に彼の端正な顔が近づいてくるのが分かった。
 こんな往来で、誰が来るかも分からないのに。けれど気がつけば、押し寄せる蒼に飲み込まれないよう瞳を閉じ、彼の唇を受け入れている自分がいた。
(あぁ、私)
 彼の恋人になったんだ。唇を離した視線の先で、レモンイエローに染まった指先が、祝福するかの様に光っていた。




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