「プールだぁ?」
片眉を上げた左馬刻はともすれば威圧するかの様に此方を見やる。
「プールです」
臆せず畳みかけろ。名前は膝の上の拳を握り直し、左馬刻をじっと見つめる。ダメ押しで、こんな事頼めるの左馬刻さんしかいないんです、と請うように口にすれば、ややあって長くため息をついた左馬刻はタバコの火を押し消した。
「他の女どもは」
「佑ちゃんはナゴヤに長期休暇で帰ってますし、みきこちゃんはお店が繁忙期の様で……他の子にも軒並み振られました」
しょげ、と視線を落とせば腕を伸ばされわしわしと撫ぜられる頭。左馬刻さん絶対私のことペットか何かだと思ってる節あるよね?じとりと見つめれば、左馬刻は堪えきれなかったかの様にブハッと吹き出した。
「名前ちゃんはお友達がいなくて可哀想でちゅねぇ」
「むむ」
捕まらないのは図星なので何も言えなくなる。そのまま首を垂れれば、ガシガシと乱暴に撫ぜた後しゃーねーな、と左馬刻が低く呟く声が聞こえた。
「行ってやるわ、お前一人で行かせたら何があるか分かったもんじゃねぇしな」
「左馬刻さん大好き!」
「おー、お前理鶯にもそんぐらい素直になれよ」
「今理鶯さんは関係ないです!」
大アリだろ。低くボヤく左馬刻は次のタバコを取ろうとして、思い出したかの様に置き直した。別に吸ってても気にしないのにな。以前も左馬刻にそう伝えたのに、黙ってろと頭を撫でられたことを思い出す。まぁ彼なりの優しさなのだろうと素直に受け取ることにした。
話が落ち着いたタイミングで、礼儀正しく三回打ち鳴らされるドア。入れ、と左馬刻が声をかければ、失礼します、と言う言葉とともに舎弟が入ってきた。
「カシラ、銃兎さんがお見えです」
「通せ」
左馬刻が顎で指し示せば、邪魔するぞ、と銃兎が入ってきた。
「おや、名前さんもいらっしゃったんですね」
「こんにちは銃兎さん」
「銃兎、丁度良い時に来やがったな」
左馬刻の隣に座った銃兎は怪訝な視線を左馬刻に向ける。
「丁度良い時って何がだよ」
「名前」
視線で笑う左馬刻に促され、ここに来た時と同じように銃兎に向き直り口を開く。
「銃兎さん、私とプールに行きませんか?」
「は?」
ぽかんと此方を見つめる銃兎にダハハ!と声を上げて笑う左馬刻。銃兎さんの瞳も宝石みたいだよなぁと場違いな事を考えていた時名前は慌ててかぶりを振り畳みかける。
「実は泳ぎを教えて頂きたくてですね……」
「あぁ、なるほど。しかし教えるなら理鶯が適任なのでは?」
至極当然とも思える問いかけだが、名前はぶんぶんと首を振る。
「以前、体力をつけようかなって呟いた時に、理鶯さんが嬉々として初心者向けの筋トレメニューを組んでくれたんですが……軍隊の、新人向けのメニューだったんです」
「あぁ……それは……」
ウォーキングぐらいしか運動習慣のない一般女性には到底こなせないメニューだった。ただでさえ名前は華奢で筋肉量も通常以下なのだ。
遠い目をしたのを察したのか、沈痛な面持ちで労るように此方を見やる銃兎。
「なので、良かったら銃兎さんにも教えて頂けないかなと……」
「にもと言うことは、左馬刻も?」
オゥ、と返事をした左馬刻はソファに仰け反りながら頭の後ろで手を組んだ。
「こいつ一人でプールなんて行ってみろ、即ナンパ野郎の餌食になんだろ。かと言って俺様と二人きりじゃあ、理鶯に何されっか分かったもんじゃねェからな」
なるほど、と、眼鏡を上げ直す銃兎。
「そう言う事なら、仕方ありませんね。お供しますよ、私で良ければですがね」
「銃兎さん……!」
(ヤケに素直じゃんよ、ウサちゃん)
(バァカ。タダで乗るわけねぇだろ、理鶯に恩売っとくのも悪くねェと思ったんだよ)
顔を寄せ何事か耳打ちし合う二人には目もくれず、みずきは早速スケジュール帳を開く。
「銃兎さんはいつ頃空いてますか?」
「えぇ、そうですね……三日後、丁度非番ですのでそこは?」
「わ、定休日です!左馬刻さん、そこでいいですか?」
「オゥ、んなら朝拾いに行くから準備しとけや」
「はい!楽しみです……!」
新しい水着買わなきゃ、と呟けば、パッド詰めすぎんなよ、と笑いながら忠告してくる左馬刻。
余計なお世話です!と名前が胸元を押さえれば、噛み殺しきれなかったのだろう、銃兎は失礼な事を言うなと言いつつ可笑しそうに笑った。
迎えた当日。ブブ、と鳴ったスマホを手に取るのと同時にクラクションが階下から鳴らされるのが聞こえた。荷物を手に取り軽やかに階段を駆け降りる。
「お待たせしまし、た……」
浮き足立つ気持ちをそのまま乗せたような挨拶は、目の前に立つ人物を見た瞬間、尻すぼみに小さくなっていった。
「おはよう名前、今日も一段と輝いて見えるな」
何故彼が。
勢いよく運転席を見れば、すまなさそうに会釈する銃兎と、バツの悪そうな顔で助手席で手に持ったスマホを指差す左馬刻がいた。はっと手元のスマホを起動し画面をスワイプすれば、悪りぃ、見つかったという淡白な謝罪が表示されている。
ギギギ、と油切れを起こしたロボットのように名前は理鶯を振り返った。
「理鶯さん、何故いらっしゃるんですか」
「泳げる様になりたいそうだな。是非小官も助力したい」
問いには答えずにこやかにそう告げる理鶯に再び運転席を見やる。
「左馬刻さん……!?」
「俺様じゃねぇわ!」
「先に申し上げて置きますが、私でもありませんからね」
三人の訝しげな視線が一度に理鶯に集まる。当の本人は気にした風も無く名前の荷物を奪い、車のドアを開けている所だった。
「何をしている?さぁ中に」
「わ、ありがとうございます」
エスコート慣れした身体は条件反射の様に理鶯の手を取り車内に滑り込む。満足そうに頷いた理鶯は続いて隣に座り、ドアを閉めると当然のように名前の腰に手を回した。車内に何とも言えない静寂が満ちる。
「ここ連日暑いので行水でもしようと思っていたところでな、僥倖だった」
こちらが口を開くよりも先に言葉を発した理鶯は、一見いつも通りの様に思えた。
「まさか小官の愛する人が、小官よりも先に他の男とプールに行くとは」
告げられた二の句にピシリ、と理鶯以外の三人が固まる。声音はいつも通りの筈なのに、得体の知れない圧力に潰されそうな感覚を覚えた。
「あの、理鶯さん」
「待てよ理鶯、俺と銃兎がこんなちんちくりんに絆されるとでも思ってんのか」
「ちんちくりん……!?」
口論が始まる気配を察したのか、はいストップストップ!と銃兎からキレの良い待ったが掛けられる。眼鏡を上げ直した銃兎はミラー越しに理鶯を見つめた。
「黙っていたことは謝ります、理鶯。けれど左馬刻の言う通り、名前さんを貴方から奪おうなんてこれっぽっちも考えちゃいませんよ」
「無論だ。例え左馬刻と銃兎と言えど、彼女に手出しするようであれば容赦はしない」
僅かに殺気を滲ませた返答。思わずびくりと肩を震わす名前の頬を掬い、理鶯は瞳を眇めるように視線を合わせる。
「ただ、小官に教えてくれても良かったのではなかろうか?」
先程とは打って変わって降り注ぐ子犬の様な眼差しに、うっと名前は胸を押さえて呻いた。
「すみません、理鶯さん……泳げないことを知られるの、恥ずかしくて……」
「左馬刻と銃兎に知られるのは良いのか?」
「お二人は別に。というか、理鶯さん以外に知られることは構いません」
では何故?問いかけてくる眼差しから逃げそうになるが、堪えて見上げる。
「理鶯さん、今度海に行こうって誘ってくれましたよね」
「あぁ」
「私、フィンがないとカナヅチだったことを今更思い出して……だから、海に行く前に練習したかったんです」
なるべく好きな人の前では、格好悪いとこ見せたく無いじゃないですか。最後はまたしても尻窄みになってしまった言葉は、しっかりと届いていたらしい。名前、と嬉しそうに呼ばれる声音から察するに、どうやら機嫌は直してくれたようだ。
ゴホン!と態とらしい咳払いにハッと気づく。そうだここは車内で、前には左馬刻と銃兎がいるのだった。
「お熱いこって。ったく、ただでさえあちーんだからいちゃつくんなら他所でやれよ」
「兎に角渋滞に巻き込まれる前に向かいますよ、良いですね?理鶯」
「あぁ、よろしく頼む」
良く効いた空調は、じんわりと滲む汗を瞬く間に引かせて行く。呆れたように苦笑する銃兎は、流れるような手付きで車を発進させた。
銃兎の案内で連れてこられたのは有名な外資系高級ホテルのプールだった。名前は車内でてっきりレジャープールに行くかと思ったと告げれば、ニヤリと笑った左馬刻から揶揄う様に視線を投げかけられる。
「お前、筋モンが子連れの集まるようなとこで服脱げると思ってんのか」
あ、と名前は思わず声を上げた。なるほど左馬刻の背中には確か見事な龍が彫られていた筈だ。
「フフ、まぁそういうわけなんでね。外資系なら泊まる客も海外の人間が多いですし、タトゥーにも寛容と言うわけです」
名前が楽しげに左馬刻さんの龍見るの久しぶりです、なんてうっかり口を滑らせてしまったことで理鶯と一悶着あったものの(雨に降られた時偶々見てしまっただけだ)、無事目的地に到着した。
(変じゃない……よね?)
更衣室の鏡の前でくるりと回り全身を確認する。肩紐部分がフリルになっているビキニは、デザインに一目惚れして購入したものだ。ボトムのサイドにも同様にフリルがあしらわれており、歩くたびに揺れる様は花のようだった。
色は最後まで悩んだが、理鶯に似合うと言われたレモンイエローを選んだ。体型に自信がない分、少しでも華やかに見える様にと願った選択はどうやら間違いではなかったらしい。
視線はビキニから己の体型に移る。薄い腹に細い手足は同性からは羨ましがられることが多かったが、異性から見れば決して魅力的でないことは知っている。……胸は、無いわけではない。その証拠にパッドを仕込まずとも谷間は出来ている。薄らとだが。
(何食べたら皆あんなに育つんだろう……)
小さな手にちょうど良く収まるサイズは、恐らく理鶯には物足りないだろう。常日頃側にいる友人たちのバストサイズを思い浮かべて暗澹たる気持ちになるが、今日は泳ぎにきたのだからとかぶりを振る。
もうここまで来たら出るしかない。あんまり待たせるのも悪いだろうと貴重品を入れたポーチを手に取り、更衣室を後にした。
「わ、眩しい」
思わず目元に手を翳し、瞳を眇める。
焼けつくような日差しがプールサイドを燦々と照らしている。等間隔で並べられたパラソルとチェアは程々に埋まっており、混雑というほどでは無いものの、盛況していることは十二分に伝わってきた。
きょろり、と辺りを見回せば雑踏の中でも一際背の高いレッドジンジャーが目に入る。理鶯さん、と駆け寄り声を掛けようとしたが、間に入ってきた身体にぶつかってしまったことで阻まれた。
「すみません!あの、お怪我は」
「I’ll be damned. Did it hurt when you fell from heaven?」
「は、何、え……?」
手を取られ流れる様に甲にキスを落とされる。ぶつかってしまった相手はどうやら海外観光客の様で、オールバックにしたブロンドヘアーにグリーンの瞳が煌めく伊達男だった。突然の英語に目を白黒させている間にも、目の前の男は何事か口にしながら勝手に話を進めていっている。単語を拾う限り口説かれてるのは何となく分かったが、如何せん断り方が分からない。そうこうしている間に腕が回される気配がした。
「待って、ストップ、離して……!」
肩を抱かれる寸前、男の手首が大きな手によって掴まれる。男と同時に振り向いた先には、陽光を受け燃える様な色を宿した赤毛の愛しい恋人が立っていた。
「Alright,That is it.」
「What the hell, don't bother me!」
男を握る手にギリ、と力を込められたのが傍目で見ても分かった。常よりも暗く光る蒼が、獰猛な気配を隠そうともせずに刺す様に男に向けられている。
「An ultimatum. Now get off your dirty hands and leave this place.」
地を這う様に告げられたセリフがトドメとなったのだろう、男は名前の手を離すと、Shit!と捨て台詞を吐いてその場を去っていった。
ほっと息を吐き礼を告げようとするも、突然抱き竦められ鼓動が跳ねる。
「り、理鶯さん」
「肝が冷えた。油断も隙もあったものではないな」
「助けてくれて、ありがとうございました」
覆い被さってくる大きな体躯。ぽんぽんとあやす様に背を叩けば、眉根を寄せた彼の顔がこちらを向いてくれる。理鶯の羽織っているラッシュガードの前は開かれており、筋肉の隆起による凹凸が直に伝わってくる。触れ合った素肌が思ったより熱を持っていて、顔に熱が集まるのが分かってしまった。
「ったく、早速絡まれてんのかよ、名前」
「ここにいましたか、理鶯。名前さん、大丈夫でしたか?」
左馬刻と銃兎の声が耳に入る。慌てて胸板を押せば、思いの外あっさりと理鶯は解放してくれた。
心配そうに此方に向かってくる二人にも頭を下げる。
「すみません、理鶯さんが助けてくれたので大丈夫です」
「ですが怖かったでしょう。我々の誰かから決して離れない様にお願いしますね」
「ふふ、はい」
笑顔で答えれば、此方に向けられた左馬刻と銃兎の視線が全身を見るように上下するのが分かった。
「あの……変ですか?」
「まぁ胸は足んねぇが、思ったより悪くねェな」
「コラ左馬刻。ビキニ、とてもお似合いですよ」
二人が答えた途端、む!と唸った理鶯に何かをばさりと掛けられる。さらりとした生地のそれは、先ほどまで理鶯が着ていたラッシュガードの様だった。テキパキと腕を通され、目にも止まらぬ速さでジップを上げられる。
「に、似合ってませんでしたか……」
まさかの反応に泣きそうになりながら見上げれば、珍しく焦った様に肩を掴まれびくりと身体が強張った。
「断じて違う。寧ろその逆だ」
「逆」
「その……余りにも可愛らしすぎて。他人の目に触れさせたく無い」
これまた珍しく言い淀んだ理鶯は、よく見ると眦を朱に染めている。きょとりと見上げれば、子犬の様な目で此方を見つめてくる。ともすれば垂れた耳すらも見える様な有り様に、ブハッと背後で左馬刻が吹き出すのが分かった。
「名前ちゃんよぉ、今日は大人しく理鶯の言うこと聞いてやれや」
「でも……」
折角可愛い水着を買ったので、理鶯さんに見てほしかったです。着せられたラッシュガードの裾を摘みつつ零せば、ぐぅ……!と何かを堪える様な低い呻きが上から降ってくる。
「ですが、女性は日焼けも心配でしょう。今度二人で海に行った時に、思う存分見て頂いては?」
こほんと咳払いをした銃兎に言われ、それもそうかと名前は思い直した。
「銃兎さんがそう言うなら……わかりました。私、あっちで浮き輪借りてきますね!」
「待てコラ、離れんなっつったばっかだろうが!チッ、俺様も行ってくるわ」
ぱたぱたと軽快に駆け出した名前を追って左馬刻が離れていった。ホッと息を吐き理鶯は隣に立つ銃兎に軽く頭を下げる。
「銃兎、助かった。感謝する」
「このぐらいなんてことありませんよ。ただまぁ……」
そこで言葉を切った銃兎を不思議に思い見やれば、何やら思案顔で名前達の方を眺めている。
「どうかしたか?」
「いえ。まぁ、着せるべきだったかどうかは、理鶯が判断することですからね」
「?あぁ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「流石に暑いな」
言いつつプールから上がりパラソルの下に向かう。配置されたガーデンチェアで優雅に読書をする銃兎は、ちらりとこちらに視線を向けてきた。
「水分補給は適度にお願いしますよ、理鶯。左馬刻はともかく、彼女は大丈夫なのか?」
プールに視線を向けた銃兎は、心配とも呆れともとれる声音でそう続ける。視線の先を追えば、左馬刻の持った浮き輪に捕まり必死でバタ足を練習する名前が見える。泳げる様になりたいという意思は固いらしく、思いの外面倒見のいい左馬刻からスパルタ指導を受けていた。
「熱中している様だが、そうだな、確かにそろそろ休憩が必要だろう」
二人の名を大きく呼べば、此方に気が付いたらしい左馬刻が浮き輪を引っ張りながら向かってきた。されるがまま浮き輪にしがみついている名前のなんと愛らしいことか。
ザバリ、と音を立てて勢いよく左馬刻がプールサイドに上がる。先に上がった左馬刻に手を差し伸べられ名前も同じように上がるが、その姿に目を瞠った。
白く伸びる肢体には濡れたラッシュガードがぴったりと纏わり付き、ボディラインを艶かしく浮き立たせている。己にはジャストサイズだった丈は彼女の太ももの付け根ギリギリを攻めており、サイズ感のちぐはぐさが危うさを一層増していた。ゆるい肩口はずり下がり片方の薄く華奢な肩を日に晒している。ゴクリと喉が鳴るのが分かった。
ズンズンと名前に近づき持っていたバスタオルでその肢体を囲えば、驚いた様に見上げる彼女。彼女に向けられていた有象無象の視線が外される気配を感じ取り、内心で舌打ちをした。
「理鶯さん?ありがとうございます」
ふわふわだ、と喜ぶ彼女。日焼け防止を口実にすれば、羽織ったままでいますね、と嬉しそうにバスタオルの裾をはためかせた。
「ククッ」
「左馬刻。知っていたのだな」
それに、銃兎も。怨みがましく視線を投げれば、口角を上げた銃兎が此方を見上げてくる。
「だから、言ったでしょう?着せるべきだったかどうかは理鶯、貴方が決めることだって」
「しかしまぁ、あんだけ視線集めてよく気づかねェもんだな」
俺様一応庇ってたんだぜ、とアルコールを煽りながら呟かれた左馬刻の言葉に、理鶯は眉間を強く抑えてしまった。やはり彼女は、隙がありすぎる。
御手洗いに行ってきます、と席を外した名前はちゃんとバスタオルを被ったまま戻ってきてくれた。ふわふわのタオル生地が余程お気に召したらしく、理鶯は内心で胸を撫で下ろす。
「名前、これを」
「?、わぁ!美味しそう!」
トロピカルジュースを差し出せば、目を輝かせて名前は受け取った。
「しかし名前さん、この数時間で大分上達したんじゃないですか?」
「本当ですか!?」
「えぇ。今なら理鶯の指導を受けても問題ないかもしれませんね」
含蓄のある視線が銃兎から向けられる。心得たとばかりに頷けば、やった!と喜ぶ名前。
「おー、俺様は暫く休憩すっからお前ら二人で泳いでこいや」
「ふふ、ニコチン切れですか」
「るっせ。おら銃兎、てめぇも吸うだろ。いくぞ」
「あぁ。二人とも、呉々も水分補給と適度な休憩を挟む様にお願いしますね」
「任せておけ」
名前の前では煙草を吸わない様に心掛けている左馬刻に合わせて、銃兎も朝からロクに吸えてなかったのだろう。ありがたく見送り、隣でこくこくとジュースを飲む彼女を見下ろす。
「体力は大丈夫か?疲れてないだろうか」
「ふふ、今のところは平気です」
「それは良かった。だが、練習はフォームを修正する程度にして、折角来たのだからプールを楽しもうか」
にこりと嬉しそうに笑い、頷く名前。濡れた前髪を撫で、そのまま側頭部に手を差し込む。大きな瞳を殊更に丸くする彼女に唇を重ねれば、甘い花の香りと共にプールの香りが鼻腔を掠めた。
「いい気なもんだな、ウチのお姫様はよ」
バックミラー越しに投げかけられた視線は、すやすやと気持ちよさそうに眠る名前に向けられていた。左馬刻のそれは兄の様な優しさを含んでいて、同じ様に温かな眼差しを隣にいる彼女に向ける。
「彼女、案外飲み込みは早かったですもんね」
賛同する銃兎からも穏やかな雰囲気が漂っていた。
「左馬刻、銃兎、感謝する」
「この借りはどこかで返して貰わないとですね」
「オゥよ、でけぇぜこの借りは」
礼を言えば、至極楽しそうな笑い声と共に煽られる。勿論だ、と応えれば、冗談ですよと含み笑いが帰ってきた。
「そういやぁよ、理鶯、お前なんで今日俺らがプール行くって知ってたんだ?」
「それ、私も気になってました」
あぁ、と何の気無しに応える。
「彼女の部屋に仕掛けている盗聴器から聞こえてな」
途端、強く踏み込まれるブレーキ。咄嗟に隣で眠る名前を庇う。体力が尽きるまで遊んだためか、衝撃の中でも彼女が目を覚ますことはなかった。
「っぶねぇぞ銃兎!!」
「っすまない、いや、ちょっと待て。理鶯、今何と……??」
「彼女の部屋に仕掛けている盗聴器か「はい、ストップストップ。何でそんなもん仕掛けてるんですか」……護衛のためだ」
眉間に皺を寄せた銃兎はミラー越しに理鶯を睨むが、ややあって盛大な溜息を吐き出した。
「護衛、ねぇ……精々面倒なことにならない様にして下さいよ」
「それ、そいつは知ってんのかよ」
「今のところ気づかれてはいないな。しかし今日で彼女が如何に無防備であるかは良くわかった。今度防犯ブザーを持たせるとしよう」
過保護にも程があんだろ、と呆れ顔で左馬刻は零すが、理鶯は意に介さず隣で健やかに眠る彼女を見つめる。
この穏やかな寝顔を守る為なら、何だってしよう。
頬にキスを落とせば、ゆるりと花が綻ぶ様に微笑む彼女。きっと心地よい夢に包まれているのだろう。耳元で彼女にしか聞こえない声量で愛を囁く。
勝手に約束を取り付ける様、未だ夢の世界を漂う彼女の柔らかな耳朶に歯を立てた。次はきっと、二人だけで過ごそうと。