2017/09/22 Fri
死んでも他人にはなれない





夜の神社は背筋がぞわぞわするので好きです。この半月のあいだに、後ろから車で追突されるし、家の鍵はずたずたにされて危うく不法侵入されそうだったし、そろそろお祓いに行った方が良さそう。





テレビは殆ど見ないが、客先の近くの定食屋でこの夏一度だけ高校野球を見た。一緒に食事をとっていた先輩と「自分の高校時代の部活の大会のことを思い出して目頭が熱くなる」「親の目線で見てしまう」などと話しながら、私はまったく別のことを考えていた。

この画面の向こうにいる彼らは、この先どうなるんだろう。一握りの人間は本当に野球選手になったりするけれど、試合で日の目を見なかった選手や、ベンチに座り続けていた補欠の選手や、ベンチにすら入れず必死に応援していた彼らはどうなるのだろう。

部活と同じくらい勉強などの他のことも頑張っていればどうにかなるけれど、そうではない子だってきっといる。彼らだって別に自分ひとりで選んでそこにいるわけではない。未成年だから。何者にもなれずに、どうしてそこにいるかもわからなくなって、将来を考える選択肢が少ない子もいるかもしれない。

自分が同じ立場だったらどう考えるのだろう。





会社で研修があった。やりがいについて考えなければならない瞬間があって、私の同期は考え込む子が多く、しかもこのタイミングで同期が会社を辞めることになり、大変な波乱を呼んでいる。

私がやりがいとしているのは、勉強して勉強して、解決できた瞬間のアハ体験みたいな感覚だ。去年はできなかったけど今年はできた、ずっと抱えていた課題があったが他の業務で学んだことで解決に繋げられた。私のやりがいには、あまり他人は関わってこない。他人に「あなたがいないと困るわ」なんて言われても、それを信じられるほど他人が好きではない。

自分にはこれが向いているとか、自分が存在するからどうにかなるとか、本当にそんな「なにか」は実在するのか?私はそんなものはないと思うし、そんなの誰だって持っていないものだから、悩む必要のないことだと思う。

悩んでいる子たちは皆、他者に認めてもらうとか必要とされるとか、そういうことをとても大切にしている。

それって、他者から認めてもらえたようなことばを与えられて、それを信じられるからできることだと思う。口では認めてるけれど、内心そうではないことなんて山ほどあるのにな。一度も嘘をついたことがない者だけが石を投げなさい、って感じだ。

確かに承認欲求を満たすことは大事だけど、それに従って他人に道を決めてもらうのは違うんじゃないかと思う。過去の経緯によってそう思っているなら、その過去の経緯を持たない自分はどう考えていただろう?そこで迷うなら、過去の経緯に関わった他者のことばに迷わされているのではなくて?何故その他者のことばを信仰できるのか?

ことばと内面は等しい、というひともいるし、それには差異がある、というひともいる。内面は見えないものだから、他者とのコミュニケーションにおいてはことばがすべてなのだ、というひともいる。すべて学生時代に読んだ本の受け売りです。

勉強して得たいくつもの視点から、自分に必要な視点をもって考えているなら別にいいけど、そうじゃないのなら本を読めよと思う。二十年しか生きていない人間が悩んでいるあれこれなんて、とっくの昔に誰かが悩んでくれている。

……辞めたい、と他人に漏らすとき、そのひとは引き止めてほしくて漏らすんだろうか。その逆なのだろうか。本当に辞めたいなら、私なら誰にも相談せずにさっさと辞めてるけど、どうなんだろうな。





以下拍手コメの返信です

2017.09.21 Thu 22:20の方
レス不要とありましたが嬉しかったので返信させてください、コメントありがとうございます。
くだらないことばかり呟いているので、少しでも楽しんでいただけて幸いです。普段会社でこんなに文字数多く語ることはできなくて、本当はこういうことを思っていたんだよ私は……と思い返しながら書いています。
同期が殆ど皆辞めたいとこぼしていて気が滅入りそうですが、楽しくお仕事頑張ります!


 


ALICE+