2018/12/01 Sat
前世では何の徳もつまなかった




かなりお久しぶりです。私は生きています。
相変わらず同じ会社で働き続けているし、相変わらず松島さんと時々デートをして、繁忙期を乗り越えたりトラブルを乗り越えたりして、たまに本をよみ、酒を飲んで暮らしている。同期の佐藤は仕事を辞めて、時々飲みに行ったりする。会社の人ともよく飲みに行く。飲みに行く先で常連の人と仲良くなって遊びに行ったりもするし、店長と仲良くなって新メニューをただで食べさせてもらったりしている。真面目に普通に社会人をしている。



恋人の話をしようと思う。ちゃんと書いたことがなかった。
松島さんは三十以上も年上で、白髪でいかつい顔のおじいさんだ。酒も煙草も嗜むし、よく肉を食うし、料理がうまい。
時々家に遊びにいって、手料理をふるまってもらい、夜のスポーツに明け暮れて一緒に寝る。昼過ぎに起きて、遅い朝食をいただいて、テレビや映画を見て、また添い寝する。
ぼそぼそと仕事のことを話すと、管理職の視点で若干の助言をくれたりする。本はあまり読まないようだが、映画はよく見る。私のせいで最近B級アクション映画にはまりだした。

ヒモのような休日の過ごし方をしながら、父親がいたらこんなふうだっただろうかと考えることは稀にある。でも父親とは普通夜のスポーツに明け暮れたりはしないから、違うよなと思う。きっと、こういう父親のような男がずっと欲しかったんだろうなと思う。



仕事を辞めた元同期の佐藤は、心を病んだままなのか知らないが、連日長文のLINEを送ってくる。内容は佐藤の趣味の話がほとんどで、ほぼ無視している。人をサンドバッグか何かと勘違いしている。おまえのために興味関心のないことをわざわざぐぐってやるような優しい人間ではない。

仕事では興味のない話題にもお得意の相槌で返せるが、金貰ってるわけでもないのに頑張れるわけがない。あんたの母親じゃないんだけど、という言葉を何度も飲み下すのが疲れる。



ゼミの飲み会があって、久しぶりに教授に会った。卒業してから数年が経ったが、教授は相変わらず教授だった。
教授にかつて「相手の形式に合わせること」を助言され、それを鵜呑みにしてだいぶイメチェンしたし、大学の頃よりきちんと食事をしているのに痩せていく一方で、教授は「最初誰かわからなかった」と言った。
夜の店で働いてるときはバッサバサのまつげをつけて、ゼミでは同一人物とばれないように眼鏡をかけていたから、急にばっちり化粧するようになったなと思われたかもしれないが、私の中では足して2で割っただけだ。

今度またゼミ会をするそうで、しかも課題本まで提示されたので、仕事の合間に必死に読んでいる。大学の頃の思考回路は、社会で生きるには不便な部分もあって、だいぶ捨て去ってしまったが、当日までに必死に拾い集めたい。



 今自分たちに必要なのはじっと考えることと、耳を澄ませることだ。しかも考えるのは、いつになったら解放されるのかという未来じゃない。自分の中にしまわれている過去、未来がどうあろうと決して損なわれない過去だ。

小川洋子『人質の朗読会』




 


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