名字は食堂へと向かわず、一人別の場所にいた。地図上に記載された"寄宿舎"と書かれた建物に入る。エントランスは吹き抜けになっており、二階と一階に部屋が分かれているようだった。
入口に背を向けて見た時、正面から左は女子。右は男子。部屋は男女別で固めているようだ。
名字がすぐにその法則を理解したのは部屋の上に理解したのは、扉の上にその部屋の主であろう人物のドット絵が貼り付けられていたからだ。
それを頼りにすれば名字の部屋を見つけるのも時間はかからなかった。名字のプレートは一階の正面中央奥の扉の前でかかっている。
……。
女子と男子の中間にある自分の部屋がある、ということに名字はモヤモヤする。
設計上の問題かもしれないが、この寄宿舎の建築士は相当ひねくれている。
名字は顔も知らない建築士に賛辞を送りながら、自室の扉を開いた。
部屋は基本的に黒と白の無彩色をベースカラーとし、モダンらしいコーディネートで統一していた。
意味の無いスクエア型の壁飾り、デスクチェアーに、一人がけソファー、それからローテーブルといった小物はアクセントカラーの赤色であしらわれている。
割と狭い。
自室への第一印象がそうなってしまった原因は、机やら棚が二つあったり、部屋にはクローゼットにシャワールームも完備しているからだと名字が結論付けたのは後の話である。
その原因が解明する前にローテーブルの上に何か置いてあることに気付いた。
ツリーのような置物で、枝の部分に鍵が引っかかっている。鍵を手に取ると重量があった。
「お邪魔するで!」
「邪魔するなら帰って」
「そんならお邪魔したわー。ってちゃう!オマエに用事があるんや!」
キレのあるノリツッコミをモノスケは繰り広げる。それに対して名字は、鍵本体が重いのではなく、才囚学園のエンブレムキーホルダーが重い。と鍵を握りしめながら別のことを考えていた。
「モノスケはどうして私の部屋に?ハブられた?」
「誰がハブられたんや!誰が!ワイはハブるほうや!ハブられるんは、モノダムかモノキッドやろ」
モノダムは分かるとして、モノキッドもなんだ。へぇ。他のモノクマーズに同じ質問を投げかけたら、違う答えが帰ってくるのだろうか。今度聞いてみようか。
考えるのも飽きた名字が、適当に質問したのだが、うっすらとモノスケの本心を垣間見てほんの少し興味が湧いた。
「それにな、ワイらはそない仲良くないで?ワイらはお父やんの跡継ぎ争いしとるんやからな。昼ドラ並のドロドロの身内大戦争なんやで」
「ふうん」
「むっちゃどうでもええって反応やな……。まぁ、今のはワイの冗談やからええんやけど」
どうでもいいのではなく、単純に返す言葉が見つからないだけ。
それをわざわざ口にしたところで何の意味も無いので、名字は唇を一の字に結んだままにする。
「そこに置いてあるんはこの部屋の鍵や!プライベートはちゃんと確保できるようにっていうお父ちゃんの心遣いや!感謝するんやで」
「わー。ありがとうー。モノクマに感謝しなきゃー」
「ひっどい棒読みやな!?」
「用事はそれだけ?」
モノクマに感謝する気持ちなんてこれっぽっちも沸かない名字は、モノスケをあしらう。しかしモノスケは帰るどころか、にやりと笑って名字を見た。
「お嬢さん、ええ儲け話があるねんけど聞きまっか?」
「結構です」
「あのな、殺すんやったらな?相手の部屋の鍵を奪って、部屋で殺したらええんや」
NOと言っているはずなのにモノスケは無視して話を続けた。そして大した内容でもなかったので名字は「はぁ」となんとも間抜けな返事しか出来ない。
「鍵はどう奪い取れと?」
「殺してでも奪い取る!」
「部屋で殺すために外で殺してたら意味が無い。いい加減にしろ」
「どうもありがとうございましたー!」
それだけ言い終わるとモノスケは逃げるように消え去った。モノスケがいなくなると、どっと疲れが湧いたのか名字はベッドへとダイブした。
今日一日で色んな事があった。16人の超高校級。モノクマーズ。学園長モノクマ。そしてコロシアイ。
本当に私達はコロシアイをしなければいけないんだろうか?
そんなことはない、と言えたらどんなによかっただろう。名字は分かっている。コロシアイをしなければおそらく死ぬことに。
天井に走る室内灯をぼんやりと眺めていると、ピンポーンと来訪者を告げる音がした。
わざわざ部屋に来るなんて。誰?モノクマ?
名字はベッドから起き上がると、用心しながら扉を開けた。
「やぁ、名字さん。ここにいたんすね。探したんすよ」
扉の前にいたのはモノクマではなく天海だった。どうやら名字に目的があって部屋まで訪れたらしい。しかし名字には心当たりがない。天海が笑顔を浮かべている様子からそんなに深刻な内容ではないことぐらいしか分からない。名字は素直に天海に「どうかした?」と質問した。
「名字さんの姿が見えなかったんで心配したんす。気分でも悪いんすか?食欲は?」
「体調はすこぶる良好だけど、お腹空いてない」
「ダメっすよ。あれだけ体動かしたのに、何か胃にいれないと体が持たないじゃないっすか」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないっす。ほら、東条さんがご飯作ってくれたっすから」
見せつけるように、取っ手が付いている木で編み込んだ箱を名字の目線の高さまで持ち上げる。
「私よりも赤松に渡してきたら?あの調子じゃ赤松は何も口に出来ない気がするし」
赤松が食堂に行ってないかどうか名字は知らなかったが、あんな様子でみんなと気まずい中喉が通るようななんてことはないと踏んでの発言だった。
「赤松さんには差し入れしてきたっすよ。でも今の赤松さんには無理に食べてもらうよりも、一人で落ち着く時間を作ってもらうほうがいいっすから」
天海の言う通り、今の赤松には食事をするよりも一人の時間のほうが大事だろう。それは分かる。
けれどこのままでは名字は食事を取らないといけない。
「私はダメ?」
「名字さんには食べるほうが重要っす」
「えー……」
「俺も一緒に食べますから、名字さんもちゃんと食べないとダメっすよ」
失敗。話を別方向に逸らそうとしたが残念な結果になった。そもそも逸らせていたかどうかーー。そんなことは言ってはいけない。
名字は天海に押し負けて、部屋に招き入れることにした。
「どれにするっす?」
天海がローテーブルの上に、木の箱から小さな箱を取り出してい置いていった。木の箱と違い、プラスチックで出来ており、触るとツルツルとした手触りがする。蓋を開けるとカットフルーツやサンドイッチが入っていた。果物の赤や黄色に緑、食パンの乳白色のが美しく詰め込まれ、まるで宝箱のようだった。
「これ、何」
その中で異色の存在があった。薄手のクッキングシートに包まれた、卵の黄身のような黄色で丸くて平べったい。
「それ、パンケーキっすよ」
「パンケーキ?」
「東条さんと初めて会ったときにリクエスト
したじゃないっすか。覚えてくれてたんすね」
「ふうん……」
パンケーキに少しだけ鼻を近付けるとバターの濃厚な匂いがした。どうやら東条は律儀にリクエストしたバターミルクで作ってくれたらしい。
パンケーキならバターミルクが一番だよ。と言われていたのを覚えているから、そう答えただけのものなのに。
「食べてもいい?」
「どうぞ。でもその前にちゃんと手を拭くんすよ」
天海が手渡しで湿ったハンドタオルのようなものを手渡す。これも東条が用意したらしい。
名字が手を拭いていると、天海はデスクチェアーをローテーブルの近くまで運んでいた。本気で一緒に食べるようだ。
運び終えると天海もチェアーに座り、木の箱から別の箱を膝元に置いた。盗み見すると中はパンケーキのようだったが、サンドイッチのように中に何か挟まれている。
天海もハンドタオルで手を拭き終えた後、手を合わせて「いただきます」と言っていた。
名字も天海の後で手を合わせた後、パンケーキを口に含む。
「おいしいっすね」
「小麦粉と砂糖の味がする」
感想を口にしたのは同時だった。天海が一瞬、名字を見て驚いた顔をしていたが、三秒ほどしてから眉間にシワを寄せた。
「……えーっと。他にはどんな味がしますか?」
「バターによる油分の味がする」
「名字さん、びっくりするくらい食レポに向いてないっすね」
何がおかしいのか天海は口元を覆った手から笑い声を零しつつ、目を細めている。
「じゃあ天海ならどんな風に言葉にする?」
「そうっすね……。今、俺が食べてるパンケーキなんすけど」
「うん」
「リコッタチーズ入りのパンケーキなんすよ。それにスモークサーモン、それからフリルレタスがサンドされてるんすけど」
横文字ばっかり……。
名字がそんなどうでもいいことを考えていると、天海がガブリと一口。豪快にパンケーキを頬張る。そして閉じたまま口元が規則的にゆっくり動いた。それを30回きっちり繰り返して、天海の喉仏が上下に揺れる。
天海が息継ぎのように軽く呼吸をした後、名字の目をじっと見た。
「パンケーキってこう、甘いじゃないっすか。というか甘すぎるときがあるんすけど、このパンケーキの生地が砂糖ちょっとしか入ってないんすよ。それがスモークサーモンの塩っ気とめちゃくちゃ相性が良くて……。しかも生地にリコッタチーズが入ってるから、チーズの風味でさらにマッチングするんすよね」
それに本当に生地がフワフワで、スポンジケーキ食べてみたいな感じなんすよね。でもしっかりお腹に溜まるから食べごたえはあるっす。
よく回る口だなあ。と思う反面、そこまで言われてみると食べてみたいという欲望が名字の中で沸き起こる。
「食べるっすか?」
それを予想してか天海は手に持っていたパンケーキサンドを、口のつけてないところを選んで一口サイズに千切った。
「ありがとう」
少し食べるかどうか名字は迷ったが、大丈夫だろうと判断してパンケーキを取ろうとして手を伸ばした。
しかし実際に掴んだのはパンケーキではなく空気で、パンケーキの欠片は天海の手元に未だある。
もう一度手を伸ばしたところで、名字はパンケーキを掴めない。掴もうとする前に天海の手が名字から逃げていくのだ。
「あげる気がないの?」
「違うっす。ちゃんとあげるっすよ」
じゃあ、さっさと渡してほしい。
名字はそんな思いを込めて天海をじっと見る。それに観念したのか天海の手が名字の前へと差し出される。
「はい、あーん」
謎の言葉と共に。
「あーん……?」
「ほら、あーんしてくださいよ。食べさせられないじゃないっすか」
「待って」
食べたいという意思表示はした。そこは認める。だけど食べさせてほしいなんて一言も言ってない!それに天海は私をなんだと思っている。雛鳥か?口を開けてピィピィ待つだけの雛鳥か?というか何故ナチュラルにあーんしようとしてるんだ、天海は。
ポンポンと言葉が浮かんでは消え、名字の頭の中を撹乱していく。
「嫌っすか?あーん」
名字は察した。こんなにしおらしくしているが、名字に食べさせるまで天海は帰らない。
名字は腹を括って、口を開いた。嬉しそうに天海の手が、名字の口元へとパンケーキを届ける。
「おいしいっす?」
「……天海の言った通りの味がする」
「おいしいんすね」
蕩けそうな顔をして天海が笑うものだから、名字は自分のパンケーキを口に頬張った。
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