地獄

 酷く眠れない日がいつから続いているのかなんてもう覚えてない。きっと、あの事故の前から俺は地獄にいたんだろう。外から自主練に励む者達の声が聞こえてくる、いつからだろうか希望の色をしたサッカーボールが、赤く見えるようになったのは。死んでしまいそうな程に喉が渇く。食堂に足を運ぶと忌々しいオレンジが視界の端に見えた。

「ゴールを守るこの手には、勿論仲間達との特訓の日々もあるけど、今まで戦ってきた奴らの血の滲む様な努力とか、悔しさとか、希望とかさ……色んな気持ちが篭ってたから頑張れたんだろうなって思う」

 円堂守はそう言って夜の食事の準備をするマネージャーに眩しい笑顔を向ける。ドアの隙間から見える3人はまるで青春ドラマのように爽やかなエフェクトがかかってる。



「片方が勝つって事はもう片方のチームが負けるということだものね、その負けた彼らの覚悟も一緒に背負わないといけない事を理解出来るチームになっていけばいいなぁ」

「大丈夫だって! アイツらだって成長していくんだ、1年前の俺達みたいにさ」

「そうだね 今は問題があったってきっと大丈夫、円堂君も秋ちゃんもいるし...それに皆なんだかんだ言ってサッカーが大好きなんだよね」



笑わせる。

遠目に見える〇の顔は希望で満ち溢れていた。



「...美味そうな匂いだな、俺腹減ってきた!」

「もー円堂君!まだご飯の時間まで1時間以上あるよ」

「デザートもあるわよ、大谷さん達に任せてあるんだけど何を作ってくれるのか楽しみね」



それなら、夕飯の時間まで特訓してくる!そう言って爽やかな風を纏い俺が立つ反対側のドアから円堂守は出ていった。

それに続くように木野秋も「円堂君きっと時間忘れちゃうわね...特訓付き合ってくるわ」と聖母のような笑みを浮かべながら、清潔そうな香りがしそうな彼女の髪が歩くたびに揺れた。

2人が出ていって残った〇は、寸胴鍋に蓋を乗せ 火を弱くしたようだ。暗い廊下から明るい食堂に足を踏み込めば 一瞬ぐらりと目眩が。
















「あれ?一星君、ご飯まだだよ」

「いえ..なにか飲み物が欲しくて」

「麦茶かお水どっちがいい?」

「どっちでもいいです...あの、円堂さん達は?」

「特訓に行ったよ、円堂君はサッカーの事で頭がいっぱいだから...ご飯の時間までに帰ってこれるかな」



「あっ、でも秋ちゃんが一緒だから大丈夫か」そう言って彼女は心底楽しそうに笑った。

正体に気付きながらも彼女は優しい笑顔を俺に向けた、自分が彼女の立場なら仲間を傷付ける人間を許しはしないが 何も言わずに大人の様な顔をする。



「勝者に必要なのは覚悟だと...三人で話していましたね」

「なんだ 聞いてたの?」

「聞こえてきたので、」

「さっき円堂君が話してた通り、負けたチームの分まで彼等は戦っていかないといけないの その覚悟を持つのは難しい事だろうけど...」



俺の中にある勝利を掴むための覚悟、これ以上の犠牲を払っても俺をヒーローだと思っている弟の為の正義を貫くと決めた。


彼女は俺から目を逸らさずに、眉だけを綺麗に顰めて「一星君、これ以上自分を悪魔にしてはいけないよ」と言った。

子供を叱る親のように 優しくそう言った彼女だが、その言葉の奥深くには厳しさが光る。



「...フッ、俺は天使も天国も知りませんから 貴女が俺に出来ることなんて何一つ無いですよ」

「一星君に何かあるなんてみんな分かってる、本当の事を知ればみんな貴方の事を守ってくれるよ」

「守る?何のために」

「大切な人生を穢れにさせない為に」

「そんなの俺は望んでいません、それでは」



ひらりと後ろを向けば彼女は俺の腕をすかさず掴んだ、熱い手のひらにじんわりと汗を滲ませながら「一星君!」と俺の名前を呼ぶ。



「...離してもらえますか」

「ダメ」

「離せよ」



自分でも恐ろしい程低い声が出た。



「一星君、本当は救われたいんじゃないの」

「お前が俺達を救えるのかよ」

「...俺達?」



壁に彼女を押し付けて俺は酷く顔を歪ませる、いつから俺はヒーローから悪魔になった?吐き気がするような目の前の善は「一星君私達に話してみてよ、全部」なんて真っ直ぐ俺を見る、嫌だな 本当に。



「光が修復できないものを、闇が蘇らせる」

「...え?」

「ロシアの詩人の言葉ですよ」



暫く俺と彼女は見つめ合う、最初に目を逸らしたのは彼女だった。遠くで 他のマネージャー達の声がしてきた、優しい優しい他人は俺を悲しい目で見る。

正義と正義で俺達は殴り合う、お前達の正義が俺の正義を上回るなら 止めて見せろ。






20190115
光が修復できないものを、闇が蘇らせる/ロシアの詩人 ヨシフ・ブロツキー