72 haruharu



「――シンバさんっ!おかえりなさーーーい!!」


イリーナの変な乾杯の音頭によってタークスの飲み会が始まった。そこは八番街にある人気の居酒屋。目の前にイリーナ、斜め前にルード、そして隣にレノ。黒づくめな自分達は、さぞかし怪しい集団に見えるだろう。


「久しぶりの酒だな、と」

「…ウータイ以来だな」


ルードの言葉にピクっと反応を示したのは、シンバだけではない。


「そういやシンバは酒飲める奴なのかよ?」

「飲むで。めちゃめちゃ飲むで」


そういえば前にいた頃だってこんな機会はなかったな、と振り返る。仕事を終えた後でプライベートとしてこうやって会うことなど、かなり珍しい。
しかし、酒が入ったからといって話の内容は私用なモノではなく、仕事の事ばかりだった。シンバがいない間にあった出来事、ガハハと煩い上司の愚痴、ウェポンの事、メテオの事、今後の神羅が辿る道――。表向きにはなかった神羅やタークスの裏事情が聞けたのはかなり面白かった。特にイリーナがツォンの名前を出す瞬間なんて、わかりやすいったらありゃしない。本当に好きなんだなと思ったら、すごくからかいたい衝動に駆られた。


「そういやツォンさんは何で今日こられへんかったん?」

「何だったかなーー…忘れたっす」

「主任の事何でも知ってるんじゃなかったのかよ、と」

「うわっ、イリーナストーカー」

「違いますっ!!私は健全です!!」

「イリーナは積極的で堂々としとるからストーカーとは言わへんか」

「堂々とストーカーしてるって事だろ」

「っちょっと!!違いますってば!!」


激しく否定をかますイリーナはまるで、あのハイテンションな忍者娘を見ているよう。懐かしくて、何だか寂しくなって。…シンバはそれを紛らわすように酒を体に染み込ませていった。


「お〜飲むねぇ」

「そんな気分やねん」


今日はそのつもりできたのだ。飲んで飲んで、タークスに馴染んで。タークスを、染み込ませて。これが当たり前だって、言い聞かせる為に。


「そういうシンバさんはどうなんすか!?」


唐突にきたイリーナの質問。シンバは飲んでいたグラスを口につけたままピタリと固まった。


「あのツンツン――」

「ストップ!!イリーナストーーーップ!!」


シンバは勢いよくグラスをテーブルに置くとイリーナに向けて手をかざした。…そういやコイツ、知っていた。同じテンションを持つその忍者娘のアホがアイシクルロッジで告げ口したのを思い出した。


「なんだなんだ?」

「何もない!!」

「シンバさん実は――」

「イリーナそれ以上喋ると殺す!!」

「っな!!」

「あれはデマ!!あのアホの勘違い!!」

「そうなんすか?」

「そうです!!!」


それ以上その話を広げてほしくはなかった。語りたくもなかった。思い出したくも、なかった。…やっと、そのスタートラインに、自分の足で立てそうなのに。


「ああ、クラウドか?」

「!!!」


しかし、あっけなくそのラインは、他人によって引き伸ばされてしまった。
イリーナとルードの顔を見やると、イリーナはニヤニヤ笑っていたが、ルードは今初めて聞きましたといったような複雑が混じったような何とも言えない顔をしている。


「…何で、」

「クラウドの態度見てりゃわかるぞ、と」


たいして一緒にいなかったレノがそれに気づくなんて、クラウドはどれだけ態度に出していたんだろう。あんなに側に居た自分がまったく知らなかったというのに。レノもエスパーか。さすが恋愛エスパー。


「正直、どうなんだよ?」

「、何が」

「どう思ってんだよ?」


からかうような声でなく、少し低めの真剣な声。きっと疑っているんだろうと思った。自分がすんなりタークスに戻ってこなかったのも、アバランチに馴染んでいたのも、全部そのせいだって思っているのだと。

この際、ハッキリさせておいた方がいいだろう。彼らにそうしたように、…自分は向こうと何の関係もないと。


「…どうも思ってへんよ」

「え?そうなんですか?」

「何?なんかあって欲しかった?」


少し冷たく言い放った。


「何もない。マジで。全〜然っ、」

「…へえ」


乾いたレノの声にそちらを見やると、レノはグラスの中の氷に目を向けていて、心ここに在らずな感じを醸し出している。…くそ。コイツ絶対信じてない。シンバは多少イライラしていた。


「…クラウドには、ウチは合わへん」


どうしてこんな事、口に出して言わなければいけないのか。


「確かにツンツンさん、すごい固そう」

「…それってどういう意味?ウチが軽いって事?」

「え?そういう意味じゃないっすよ!!」


シンバは長く重い息を一つ吐き出す。


「…クラウドに必要なんは、ウチちゃうねん」


もう何度となく自分に言い聞かせてきた。…なのに、何故。どうしてまた噛み締めなければならないのか。どうしてまた覚悟をしなければならないのか。…その度に心が酷く痛むのは、何故か。


「それに敵同士くっつくとか、どこの映画の話やねん」

「女子はそういう禁断熱愛系好きだよな」

「ウチ勘弁。何かを犠牲にしてまでそんな事したない」


否、出来なかった。アッサリと自分はその身を引いた。ラブロマンスには向いてないらしい。…というより、引かねばならならざるを得なかった。相手は星の命。誰がそんな巨大なモノ敵に回せるというのだ。


「つーことで、この話終わり!!」


シンバは逃げるように立ち上がった。


「どした?」

「…トイレ!」


そそくさと歩いて行く彼女の後ろ姿から、その視線は外せなくて。


「……アイツ、わかりやすいよな」


カランと揺れるコップの中の氷。…正直、聞かなければよかったと思った。複雑な表情の彼女と、複雑な自分の心境を思えば。


「…お前もな」

「うるせえよ」


一言多い目の前のスキンヘッドと、その隣でニヤニヤ笑みを浮かべる金髪。レノはむしゃくしゃして手元にあったおしぼりをその金髪に投げつけてやった。




*




その後もたわいもない話をつまみに酒を酌み交わした四人。話は尽きる事なく何時間も費やし、店の閉店と共に楽しい楽しい飲み会はお開きとなった。


「イリーナ…しっかりしろ」


イリーナは完全に酔い潰れていた。完全に意識を失っているであろう彼女が口にする言葉は決まって尊敬してやまない上司の名前。どんなけ好きなんだよと思いつつ、一途に思える彼女を少し羨ましくも思った。

そうして歩く事もままならないイリーナは、ルードに担がれ家路へつく事となった。


「シンバ、送ってってやるよ」

「ええよ。ウチ結構正気やで?」

「夜中に女の子一人歩いてたら危ないだろ、と」

「…目の前の赤毛と一緒の方が危ないと思われる」

「…お前な、」

「はは!冗談!ほな帰ろーレノたん!」


…レノたん。初めて呼ばれた名前に不覚にも心が踊る。…というより彼女がそんな事言うなんてかなり酔っ払ってるんじゃないだろうか。レノは煙草に火を灯すと、覚束ない足取りでそそくさと先を歩くシンバを追った。


「あーーー飲んだっ。ひっさしぶりに飲んだっ」

「お前結構酒豪な」

「せやろ?まだまだいけますわよ」


ニコニコ笑うシンバ。酔っているせいなのか、いつもより餓鬼くさく見えるのは気のせいだろうか。


「煙草臭い」

「俺の匂いだ。いいじゃねえか」

「どっちかってとレノは香水くさい」

「それは俺のフェロモンだ」

「…ようそんな事言えるな」


静まり返った八番街に二人の声はやけに響いた。月明かりに照らされる二つの影。二人の間の距離がよくわかるほど、くっきりと地面に映し出されている。


「……」


ずっとそれを見つめていたレノは、急に動かなくなった小さいな影に気づいた。影の本体に目を向ければ、辛気臭そうな顔をした彼女が目に映って、


「? どうした?」

「…吐きそ」

「マジか!」


お腹を押さえ、しかし立ったまま微動だにしようとしないシンバ。きっと動いたら何かのスイッチが入りそうなのだろう。


「うーーー」


唸るように気持ち悪さを吹き飛ばそうとする。やけ酒のように飲んだのがマズかった。久しぶりの酒でテンションも上がっていたかもしれない。


「吐けよ。スッキリするぜ?」

「…いやだ」


しかもレノの前でなど死んでも嫌である。

そうしてしばらくジッとしているとそんな気分は飛んだのだが、どうしても歩く気が起きない。歩いたら胃の中まで揺れそうで。そしてその気分がカムバックしそうな勢いだった。
…そんな自分の状態を悟ったのか、自身の目の前にしゃがむレノ。


「ほら、乗れよ」


差し出される背中に、一瞬その赤が金色に変わる。…違う意味で気分が滅入った。ハッキリ言って、複雑な気分だった。
しかし断る事も出来ずに、シンバは少し遠慮がちにその背に掴まった。


「お前軽いな」

「…お世辞とか、いらん」

「いやマジで。乗ってないみてえ」

「…言い過ぎ!」


思っていたよりも大きな背中。その上で、煙草と香水の入り混じったレノの香りに包まれる。不覚にも、ドキドキしてしまった。
遠慮がちに肩に手を置くシンバと重なった大きなレノの影。二人の間にあった隙間はもう無い。大きな体に二つ頭がついているような影が、くっきりと地面に映し出されていた。


「…なぁ、」


ふいにレノが口を開く。


「…悪かったな、あんな事しちまって」

「?」

「ほら、ウータイでよ…」


今更その話題を掘り出すのか。本当に今更。というより悪気があった事の方にビックリした。


「…正直、嫌だったか?」


シンバはすぐに返事が出来なかった。別にレノの事は嫌いじゃない。どちらかといえば好きの類だ。だからとは言えないが、極端に嫌だったかと問われれば、そうでもない。あの時のキスに、そういう感情は持ち合わせていなかったから。


「…嫌か嫌じゃないかで言えば、嫌じゃなかった。……ただ、」


ただ、彼に見られるのが、嫌だった。
…そう思ったら、胸がまた締め付けられた。


「…ただ?」

「…なんでもない」


シンバはレノの肩に顔を埋めた。…ほら、また。彼がひょっこり顔を出す。押し込んだ心の中から、勝手に出てきてしまう。


「…お前、俺の事遊び人だと思ってるだろ」

「うん」


即答か。レノは少し悲しくなった。


「けど俺はそれを悪いとは思った事はねえ」

「…堂々やな」

「違う。そういう意味じゃない」

「?」

「そうやって割り切らなきゃ、やってけねえんだ」


タークスの仕事は表向きにも裏向きにも、決していいものとは言えない。善か悪かでいえば、悪だ。だからタークスは恨みを買いやすい。神羅の中でも一番と言っても過言ではない。
そんなタークスを根に持つモノが仕返しを考えた時。彼らは直接対峙はしてこず、姑息な手段を使う。直接行ったって敵わないのがわかっているからだ。彼らはまずその周りから攻める。家族、親しき友、そして恋人。いわば、弱いモノ。それが彼らの唯一の弱みだと、知っているから。


「…特別は、作っちゃいけねえんだ」


特別にしたら、確実に彼らの標的にされる。どんな手段を使ってでも彼らは情報を手に入れる。そして、奪おうとする。自分達が彼らのそれを、そうしたように。


「…なんか、あったん?」

「……」


その問いに答えはなかった。きっと過去にそれそのものがあったのだとすぐに悟った。


「…いや、ごめん。聞いたらアカンかったな」

「…昔の話だ」


レノの声色は、普通だった。


「……けど神羅の女はよ、それをよくわかってんだ」


タークスがどんな役職で、どんな人生を送っているのか。危険な彼らに近づけば、自分の身がどうなるのか。だから向こうもそう深くつけこんではこない。いわば向こうも軽く、本命がいるやつだって多い。ただ、抱いて欲しい時だけ自分に寄ってくる。正直、助かってるとレノは一つ笑ってそう言った。


「……」


…ある意味神羅ってすごい場所だ。そう思ったがシンバはあえてつっこまなかった。


「だから、ワンナイトがちょうどいいんだよ」


無駄に説得力のある話だった。軽いと言われようが遊び人と言われようが、相手の人生を狂わせるよりはだいぶマシだとレノは認識しているのだろう。


「なんか…ちょっと見直した、かも」

「惚れたか?」


レノはまた笑っていた。ヒトの恋模様は色とりどりだ。それが彼の色で、彼のやり方。
けれども、なんだか悲しくなった。…そう思ったら急に、レノの背中が寂しく見えて。


「…アホか」


言葉とは裏腹にレノの首に腕を回した。彼の色と、自分の色が似ている気がして。同じ色で混ざり合えば、少しはその背中の寂しさが消えると思った。

レノはその後でシンバをおぶり直した。
…重なった影に、二つの頭は見えなくなっていた。




*




何時の間にかシンバの住むマンションまで辿り着いていた。レノは部屋まで送ってくれるつもりなのか、普通にそのマンションに入り込んで行く。


「…話、戻るけどよ」

「ん?」

「……そんな俺が本気で恋したっつったらお前、どう思う?」

「…悩み相談ですか?」

「いや、もしだよ。もし」


エレベーターの扉が開く。


「ええんちゃう?けど辛いやろなぁ」


本気ならその葛藤も強くなるだろう。…今の自分が鏡のように思える。


「生憎一般人じゃねえんだ」

「…プロレスチャンピオンとか?」

「…お前どんな風に育ったらそういう思考にたどり着くんだよ?」


ほら鍵だせよ。それは会話の最中の自然な流れだった。シンバは言われた通りにポケットから出したそれをレノに渡す。


「…けど、相手はどう思うだろうな」

「ええんちゃう?あの遊び人やったレノが本気になった女。肩書きは悪くないで」


自然な流れでレノの背中から降りた。何時の間にか気持ち悪さは抜け、酔いもマシになっていて、


「…そうか、」

「それにレノに迫られて嫌ですなんて言う女、おれへんやろ?」


靴を抜いで部屋に上がろうとした、その時。


ガンッ――!!


「っ?!」


背中に衝撃が走った。いきなりのその状況に、一瞬にしてあの時の事がフラッシュバックする。掴まれた両手。後ろには壁。…目の前には、酒の匂い漂う男。


「言ったな?」


…何を。何か気の触る事言っただろうか。


「…お前だよ」

「え?」

「俺が本気なのは、お前だ」

「…!?」


目を見開いて、レノを見る。酷く動揺した。酒でもって熱かった体が余計に火照るのを感じる。信じられなくて、けどたまらなくなって視線は直ぐにそらした。それに気づいたレノは、あの時と同じようにその肩に顔を埋める。


「…やっぱ、俺じゃダメかよ」


――!


そういうレノの言葉の意味を悟る。彼はまだ、自分が好意を寄せているのがクラウドだと思っている。心が酷く反応を示した。
そうじゃない。…でも、そうじゃない。飲み会の最中でも帰り道でも思った、気づいた。自分はやっぱりまだ、クラウドを思っているという事。無理に忘れようとして、でも、忘れられなくて焦ってる。それを繰り返しているだけなんだと。
このままではいつまでも自分は彼から抜け出せないだろう。それを思ったら、もう自分ではどうする事も出来ない事にも気づかされた気がして。


「っ、」


無理矢理にでも、抜け出さなければいけない。自分が辛いだけだ。自分一人の力で無理ならば、誰かの力を借りてでも。…それが、どんな形となろうとも。


「アイツじゃなきゃ、ダメか?」


…ダメじゃない。ダメじゃ、ない。彼じゃなきゃダメなんて、そんなの、決まってない。
言い聞かせるように、シンバはフルフルと小さく首をふった。


「シンバ」


肩から重みが退いたと思った次の瞬間。ゆっくりと一つ、自身のそれに小さく唇を落とされた。重なるところから溢れる、熱。一瞬驚いてシンバはまた目を丸くしたが、その熱を離す事は出来なかった。


「っ…」


シンバは、そっと瞳を閉じた。…今までの心に、陰という扉を落とすように。

そしてあの時とは違って優しいそれを、あの時とは違う心で受け入れる。

自分ではもうどうしようもないから。彼への気持ちを弄ぶ心を。区切りをつけられない哀れな心を。
…どうか、あなたの手で。


「俺の、特別になってくれよ」


壊して。
ここで、粉々にして。

そして、あなたが。


「、」


新しい心に、刻まれればいい。


「シンバ」


唇が、重なる。求めるように伝わるその熱に、溶かされてしまえばいいと思った。…何もかも全て。全部。このまま。

溶けて、なくなってしまえ。


「…っ、――」


レノの腕が、シンバの背中に回された。



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