――夢を、見た
ライフストリームの中で、一人ぼっちで佇む彼の後ろ姿。
手を伸ばしてもそれは届かなくて。
触れたくても、触れられなくて。
『クラウド――』
どんどん遠ざかっていく彼の後ろ姿に焦りを感じ始めるのと、それが見えるのは同時だった。
『っ…――』
彼の前には、黒髪の綺麗な女性が立っていた。
*
「…――」
目を開ければ、差し込む日差しが自分を迎えてくれた。それが眩しくてまた瞳を閉じる。…先ほどの夢の光景をも、忘れるように。
そして次に来たのは少しの頭痛。その原因に思い当たる節は容易に想像が付き、飲みすぎたなと少し反省すると同時、
「おはよ」
「!」
いきなりかかった声に驚いて振り返れば、そこにはレノがいた。そして瞬時に昨日の出来事を思い出してハッとする。何もかも覚えていないわけではない。何もかも忘れたわけではない。いや、ハッキリと全て覚えていた。嫌になるほど全て忘れる事なんてできなかった。
しかし恥ずかしさのあまり何も言う事が出来なくて、シンバはすぐさま彼に背を向け布団に潜り込んだ。見慣れた黒いスーツなど着ていない無防備な彼の体に、そして着た覚えなどないがシャツ一枚だけの自分の姿に。
「…こっち向けよ」
脳内で勝手に再生される昨日の情事。…全ては勢いだった。流れに乗ってしまった。穏やかな流れならそれに逆らえたかもしれない。けれど昨日のは嵐のような、激流だったから。飲み込まれそれに溺れてしまった。
…一言でいえば、最低。自分も神羅の女と何ら代わりない軽い女なのかもしれないと思ったら込み上げてくる罪悪感。それが何に対する罪悪感なのかは、わからない気もするけれど。
「シンバ」
その声色は昨夜何度も耳元で囁かれたそれと同じものだった。色気と欲望を含んだその声がまた脳内を痺れさせる。まるで、麻薬のように。背後からその腕で包み込まれ、ドクンと心臓が過敏に反応する。
ドキドキした。あんな事があった後だから余計に。そのドキドキが、自分の心全てを支配しようとする。…否、してしまえばいい。全てを塗り替える。いや、塗り替えた。昨日の夜に、一斉に。
「シンバ、」
彼の色に、染まった。
「…後悔してるか?」
率直にレノは聞いてきた。レノ自身も、勢いだったのだと思う。酒も入っていてましてや好きな女と部屋に二人きりで、この男が手を出さないはずがなかった。けれどもそうやって聞くのは彼なりの配慮なのだろうか。一応気にはしてくれているようだが、それはそれで彼らしくない気もした。
「…してる言うたら、どないするん?」
「……」
レノは何も言わなかった。代わりに腕に力が篭る。正直、後悔はしていない。…ハズ。勢いだったとしても、流れだったとしても、あの時間は全てがレノだった。レノの体に、レノの空気に包まれて。全身でレノを受け止めた。
「…したとしても、させねえよ」
どっちだよ。とつっこむ勇気はない。余りにもその声が真剣だったから。
「そんな事思わせねえくらい、愛してやる」
これからずっと。そういうレノの声が頭に、心に響き渡った。
「…、」
その意味を理解するのは簡単だった。…けれども、何故だろう。嬉しいという感情も、肯定の返事も。
「…ばか、」
シンバには、浮かんでこなくて。
「シンバ」
愛しむようにその名を呼んで、レノは強引にシンバを自身の方に振り向かせる。
「好きだ」
シンバ目の前が赤く染まって、唇に温かいモノが触れた。
***
「――みんな、すまなかった…」
バレット達の目の前に立つ、金髪の青年。居れ立ちも話し方も独特なその雰囲気も何もかも今までと変わらなくて、変わらないが故に、誰もが彼はまだ自分を取り戻してないのではないのかと懸念した。
「…クラウド」
しかし、彼の目に宿る意志の強さに気づいた時。彼は生まれ変わったのだと。いや、本当の自分を取り戻したのだと悟った。何度もすまないと謝る彼は、今までの彼からすれば想像だに出来ない姿だったけれど。それでも彼が戻ってきてくれたことに、誰もが喜びの顔と声を向けていた。
「もう幻想はいらない…俺は、俺の現実を生きる」
自分は弱い人間だった。自分の弱い意志とジェノバが作り出した人間こそ今までの自分で、自分は幻想の世界の住人だったのだとクラウドは言った。
「ひねくれ者のクラウド君に戻るのね!」
茶化すティファの目にも不安の色はなく、久しぶりのティファの笑顔にも、皆は心から安堵の息を漏らした。
…しかし。
「……あのよ、クラウド」
クラウドの事がひと段落した時、バレットがその重い口を開いた。話の最中でもクラウドの口からその言葉が出るのではないかと誰もがヒヤヒヤしていたのは、彼だけが知らない感情。
…彼はまだ何も知らないから。彼がいない間に起こった数々の問題を。
話している間にも、彼の視線がそれを探しているのに誰しもが気づいている。…きっと、既に彼も気づいているのだと思う。メンバーの一人が、欠けてしまっている事を。
「お前がいねえ間にいろいろあったんだ」
瞬時にその場の空気が淀んだものに変わった。レッドは思い出したようにまたしゅんとしてしまい、シドも気まずそうに視線を逸らす。クラウドの次に何も知らないティファも、バレットが言わんとしているその事実を思い出して顔を歪めた。
「…ティファも聞いてくれ。あの後またちょっとあってな」
面倒臭そうに語るバレット。きっとクラウドが起こす反応が嫌でも想像出来たからなのだろうと誰もが思うも、口には出せない。
「クラウド、約束してくれ」
バレットが決したように視線を向ける。
「俺が話し終わるまで、何もつっこむんじゃねえぞ」
「…?」
大袈裟だと思った。バレットじゃあるまいし、冷静沈着な自分がそんな事するはずなんてないと、彼自身が一番わかっているだろうに。…だから、なんて事ない態度でそれを受け入れる体制をとっていた。
まさかそんな後ろから鈍器で殴られるような衝撃を受けるなんて、思いもしていなかったから。
「シンバは旅を辞めた。…タークスに戻ったんだ」
「っ…――」
一瞬にしてクラウドの目の前が真っ白になった。
彼女への気持ちはあの頃と何もかわってなどいない。今まで自分が感じてきた事全て、本当の自分の心が感じてきたものと何も変わらなかった。ただ、心の中に巣食っていた弱い自分の部分がいなくなっただけなのだから。
だから、自身が目を覚ました時からずっと彼女の事を考えていた。彼女の姿が見えない事などクラウドはとうの昔に気づいていたが、しかしそれはただの一抹の不安だと。すぐにいつものようにひょっこり現れるのだと。乗り物酔いをする彼女の事だから、ユフィと一緒に項垂れているだけなんだって。そうやって言い聞かせて、気持ちを抑えていたのに。
予想だにしなかったカウンター攻撃に、クラウドの心は立ち上がる事は出来なかった。
「……」
バレットが淡々とした口調で北の大空洞からの成り行きを話す。クラウドはかろうじてその話を耳に入れ、脳まで行き届かせていた。
知らなかった新たな事実にティファは彼女が本当は裏切っていないのだと安堵の息を漏らした。やはりこの旅には戻ってこないのだと思ったら心がすごく寂しくなったが、ティファにとっては裏切られてなかった事、それだけが今は救いの種だった。
「……、」
バレットが全てを話終えてもクラウドはその口を開かなかった。彼にとってそれはメテオの襲来よりも衝撃だったのだろう。誰よりも彼女の側にいて、誰よりも一番に彼女を思ってきたのだから。
だから、返事をしないのは納得しているからだなんて誰も思ってはいない。そう簡単にこの頑固なチョコボが納得するはずがないからだ。
「…クラウド、」
けれども、何て声をかけたらいいのかもわからない。諦めろとか、きっとそんな簡単な問題ではない。また戻ってくるさなんて無責任な事も言えない。裏切られてないと取り繕って思い込んでいるだけで、真実はまだ誰もわかっていないのが現実で。
「……なんで、」
クラウドには信じられなかった。バレットの話はもちろんだが、皆がそれに納得したような態度をとってる事が。
目覚めた自分に何時ものように笑いかけて欲しかった。明るい声で、自分の名を呼んで欲しかった。弱い心を捨てた自身の姿を見て欲しかったのに。
こんなに簡単に別れが訪れるなんて思ってもいなかった。もう声も聞けない。その笑顔も見れない。その隣を歩く事も出来ない。いろんな思いが重なって、クラウドは事を大袈裟に捉えすぎ酷く焦っていて、
「…シンバが自分で決めた事だ」
「!」
クラウドはバレットに詰め寄ろうとしていたその足をピタリと止め、ヴィンセントに顔を向ける。それを悟ったから声をかけたであろうヴィンセントの顔色は、それでもいつもと変わらなかった。
「…知ってたのか」
忘れたわけではない。シンバがヴィンセントを慕っていたという事。だからヴィンセントがそれを言うということは、きっと彼女の何かを知っているからなんだと。
「…なんで、止めなかった」
「私が聞いていたのは旅を辞めるという事だけだ。まさかタークスに戻るなんて思ってはいなかった」
「っ!」
「クラウド!!」
淀んだ空気が一瞬にして緊迫したものにすり替えられた。クラウドの復帰を喜んだのもつかの間、当の本人がその喜びを自分で壊そうとしている。誰もがその行動は予想だにしていなかった。クラウドがヴィンセントの胸ぐらを掴み迫ったのだ。
クラウド自身、何故自分がそんなにイラついているのかわからなかった。皆がシンバが旅を辞める事に納得してしまっている事か。自分がいない間にヴィンセントとシンバが親密になっていたことか。それを淡々と語るヴィンセントが気に食わないのか。自分だけがその事実を知らなかった事か。…そんな事になる前に、自身が壊れてしまった事に対してか。
「…シンバは、」
「お前の為だ、クラウド」
「!?」
ヴィンセントは自身の手で、クラウドの手を解いた。
「星の為。クラウドの為。そう言っていた」
「…俺の、為?」
全く意味がわからない。何故自分の為に旅を辞める必要があるのか。自分には、シンバが必要だと彼女自身に告げていたのに。自分の為なら、彼女がいないと意味はないのに。
「その理由は私にもわからない。それに、」
誰も納得などしていない。そう言うヴィンセントの声はいつも以上に低く感じた。
「…俺たちが今一番にすべき事は何だ?クラウド」
黙っていたシドが煙を吐き出し終わった煙草を揉み消すと同時、その口を開いた。クラウドはシドに目を向けてから、その人の視線の先を追ってハイウインドの窓の外へと視線をずらす。
「…っ、」
遠くに見えるそれは、自分の過ちそのもの。
…本当はわかっていた気がした。メテオを呼ぶ事を止められなかったのも、シンバが旅を辞めるのを止められなかったのも、全ては自分が弱かったから。それは弱い自分が生み出した"責任"だという事を。
「ここにいなくても、シンバは違う場所で戦ってる」
俺たちはそうやって言い聞かせてる。シドはそれだけ言うと煙草にまた手をつけた。
「どこにいても、気持ちは一緒だと思うんだ」
レッドがクラウドに擦り寄る。おそらく自身とひけを取らないくらい彼女を思ってきたレッドのその言葉に、クラウドは冷静さを取り戻しつつあった。
「それでも納得がいかないって言うなら、直接本人に聞けよ」
ヒュージマテリアを求め次に向かうはジュノンの海底魔晄炉。そこにシンバがいるかはわからないし、寧ろ会えない確率の方が高いかもしれない。けれども全ては、クラウドの全てはまた、そこから始まる。もう二度と会えないわけではない。そうだ。そうじゃないか。…そう思ったら、自然とクラウドの心から焦りは消えていて、
「…お前だけじゃねえんだよ」
みなまで言わなくとも、全員が同じ気持ちなんだとクラウドはようやく悟った。本当は彼女にここにいて欲しいんだって。離れていてもタークスであろうとも、彼女は自分達の仲間なのだと。
「あぁ。…そうだな。そうだよな」
取り乱した自分が少し恥ずかしくなったが、今さらそれを撤回する気にはなれなかった。ティファが「クラウドも感情的になるのね」なんて拍車をかける。
…何時の間にか、冷め切っていた空気は温かいモノに変わっていた。
「…ほなさっそく旅の続き、始めましょか?」
クラウドの第二の旅が、始まった。