05



「――……」


自分が少し体を動かせばそれに伴い水面が揺れ、手でその一部を掬い上げれば形状のないそれは重力に従って跡形もなく落ちて行く。その音がやけにその場に反響し、静かだった自身の鼓膜を揺らす。
それを体に染み込ませるようにその瞳を閉じて、ライは一つ長い溜息をつき天を仰いだ。

おそらく丸3日ほど風呂に入っていなかった自分に、それを勧めたのは意外にもトラファルガー・ローだった。そうして言われて気づく自分も自分だが、そんな事にまで気が回っていなかったのも正直なところ。
だだっ広い浴場は自分1人に勿体無い気もしたが、かといって一緒に入れる性別の人はこの船にいない。どうやら昔は女性も数人乗っていたようだが、今はいないという言葉だけもらい、そこを深く掘り下げることはしなかった。


「ライ!湯加減はどう?」

「……気持ちいいよ!ありがとう!」


女が1人で風呂に入っていると知って変な気を起こすやつがいてもおかしくはないと、トラファルガー・ローは最も安全な人物―というかクマにその見張りをさせた。いくらなんでもとは思ったが、その気配りに口を出せるはずもなくて今に至る。


「……」


こうして落ち着いた環境に身を置く事がなかった為か、ライの頭の中で様々な事象が次々と浮かんでは消えて行った。

何故この世界に来た。何故彼らと出会った。何故自分はここにいる。何故自分は生かされている。何故、何故、何故――


「…………」


…けれども、そうして最後に思い残るのは、やはり現世の事。なんの痕跡もなく忽然と姿を消してしまった自分、今向こうではどうなってしまっているのだろうか。仕事場は確実混乱しているだろう。家族は変な気を起こしてしまっていないだろうか。友達にも無駄な心配をかけてしまっている。
自分は今ここでしっかりと生きているのに、だ。

だからってどうしようもない事くらいわかっている。ここでどんなにそれを思っても何の解決にもならない事も。
しかしそれでも考えてしまうのが人間の嵯峨。…ならば、もっとも根本的な部分を考える方が先決だ。

ニホンに、帰る方法を。


「…………」


しかし本当に帰れるのだろうかと、考えてはそれにつきまとう一抹の不安。…それを掻き消すようにライは即座にブンブンと頭を振った。
ネガティブになってはいけない。この世界に来る道があるということは帰り道だって必ず存在する。絶対帰れると自分が信じなければ、一体誰がそれを望むのだと。

とりあえずは、帰り道を見つけるまではここで生きていかなければならない。ここで死んだら何もかもが終わってしまうのだ。生きる。生きていく。自分は、この世界で生きていくのだ。


「……っし、」


長く深い息を出し、溜まっていた蟠りを全て吐き出した。体を纏っていたそれも、綺麗に洗い流してしまえばそれでいいと思った。

ひとまず現世の事は忘れてしまえばいい。そして自分に出来る事を探す。この船に置いてもらえるんだから、積極的に皆と関わろうと思った。…生きて行くために。自分の存在を、否定しないために。


「……ライー?生きてるー?」


物音一つ立てずに考え事をしていた為か、かかったベポの声。


「…っ大丈夫!」


明るい声でそう返す。悩むのはもう終わりだ。今の自分に必要なのは、前に進む勇気。
…全ての思いをそこに剥ぎ落とし、ライは一つ決心したように立ち上がった。



***



サッパリした体にまたオレンジを身に纏いライは風呂場を出た。するとそこには自分と同じ格好をしたモノが立っていて、大袈裟かもしれないが鏡を見ているのかと一瞬思ってしまった。


「……ベポさん、待っててくれたの?」

「あ、ライ!おかえりー!」

「長風呂しちゃった、ごめんなさい」

「全然いいぞ!…それにライ、ベポさんなんてやめてよ」

「え?」

「ベポでいいって!それに敬語も使わなくていいぞ!」

「……本当?……じゃ、遠慮なく」

「うんうん!その方が仲良くなれる!」


同じ格好をした自分をベポは兄妹ができたみたいだと言って喜んでくれた。大きくて威圧感満載な彼だけど、そんなところはやはり可愛げがある。自分も早く彼らと打ち解け合いたかった為、ベポのその言葉がとても嬉しかった。


「……そうだベポ。ウチ、今から何すればいいかな?」

「うーんそうだな……、あっ、おれ今日洗濯当番だった!」

「…じゃあ、ウチもそれ手伝う」

「本当?…よし、じゃあ洗濯しに行こう!」


そう言ってまたベポは嬉しそうな顔を向ける。そんなベポが可愛いくて、ライはニッコリ微笑み返した。



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