「好きだ」


…シンプルな、告白。それでも、己の鼓膜を盛大に揺らし、脳に多大な刺激をもたらすには十分すぎる言葉だった。
そうしてぶわりと溢れ出した思いが目の前を霞ませ、彼の手の甲を伝って落ちていく。

泣かないって決めていた筈なのに。笑顔でお別れするって、決めていた筈なのに。彼の言葉で全てが脆く崩れ去った。ニホンに帰りたいと願っていた寂寞の思いも、皆を騙してしまった罪悪感も、拾い集めて心に仕舞った皆との思い出も、密かに抱いていた彼への想いも。


「…っ、」


そっと指で涙を拭う動作も、じっと己から外さないその視線も、全てが優しくて、胸が高鳴って、涙が止まらない。嬉しい、悲しい、寂しい、苦しい。ぐちゃぐちゃに混ざり合って、溶けずに全身を駆け巡る。何を言えばいいのか分からなくて、応えられない想いに身体の震えが止まらなくて、そっと視線を外すことしかできなくて。


「ライ」


もう名を呼ぶ声も聞くことが出来ない。その腕で抱きしめてもらうことも出来ない。優しい気遣いも、配慮も、受けることが出来ない。その笑顔を見ることすらも叶わない。


――ライちゃんはペンギンのこと好き?


「……っ、」


覚悟するように、ライは再びペンギンと視線を絡める。
…だが、次の彼の行動は思いもしない方向へと動く。


「…?」


頬に添えられた右手、背に添えられたままの左手、彼の視線の先は変わらないのに、徐々に、ゆっくりと詰められ行く距離。ペンギンの背中が壁から離れ前のめりになっていくのと同時、ライは仰け反るように彼の肩を押した。


「っ、ちょ、待っ、」


迫るペンギンの顔に、この後の展開が容易に過る。しかしこんな事になるなんて思っていなくて、身体中の熱が沸騰して爆発しそうだ。そもそも心の準備が何も整っていない。そもそも彼は酔っている。シラフなら絶対にこんな事になっていない。そうだろう、だから、この展開はいけないと、


「!!!!」


思っても意思とは裏腹、そして男と女の力の差、呆気なく身体は押し倒されてしまい、ライは冷たい床へと背を落とす。火照った身体を冷ますには丁度いい、って違う、今はそんなこといっている場合ではない。
己を支えるように共に落ちてきたペンギンは肩に顔を埋めたまま、動かない。暫しの沈黙。猛烈に鼓動する心臓の音がダイレクトに彼に聞こえているのかと思うと恥ずかしくて気絶したい。…だが、何故動かない。彼も覚めたのだろうか。ジェントルマンペンギンがするような演出ではないと、気付いたのだろうか。


「…………?」


しかし、次第に己にのしかかる彼の重みに、まさか、と冷や汗が額を伝う。
耳に聞こえてくるは、規則正しい吐息。…確実に、寝息だ。


「…、嘘やろ…」


こんなドラマみたいなオチ、アリか。べ、別に期待していたとかそういうのではないが、何だろう。ものすごく虚しい気持ちに襲われたライは、ゆっくりとその身体の下から抜け出し、そっとキッチンを後にした。



***



「――……」


ノックも無しに空いた扉。いつも通りソファに座って読んでいた本からチラリとその方へ目を向ければ、黙りこくったライがスタスタと歩いていき、ベッドへと腰掛け膝を抱えその上に顔を埋め、そのまま動かなくなった。
…己がこの部屋に戻って数十分。その間に彼女に何があったのかは知らないが、自分から問質すべきかも迷う状況にローは多少なりと困惑を覚える。泣いているのか、怒っているのかも分からない。…とりあえず放って置くかと本に視線を戻して刹那。


「…………せんちょう」


どうやら自ら話してくれるようだ。ローは本を呆気なく閉じテーブルの上へと置いた。


「…海賊は、恋をしちゃいけないんですよね」

「は?」

「…海賊に、恋は必要ないですよね」

「…は?」


いきなり何を言い出すのだと、コイツこの数十分の間に酔い潰れたわけではあるまいなと、確認の為にローはズカズカとライに近づき、両手で頭を包み力任せに顔を上げさせる。驚いた顔をしたのも一瞬、すぐにその顔をぐちゃぐちゃにし始めた。…一体何があったんだと思って即、思い浮んだ一人の男の顔。


「……ペンギンか」

「!…何でわかるんですか、」

「分かり易いんだよお前ら。…いつからか…ずっとそうなんじゃねェかって思っていた」


船長の言葉に、もしかしたらセイウチもそう思っていたのかもしれないと悟る。だとしても結局彼がどうしたかったのかは分からない。本当に内に秘めてニヤニヤするつもりだったのか。…彼なりに、自分を引きとめようとした遠回しの策だったのか。


「……何だ。気持ちが揺らいだか」


ブンブンと、首を振る。


「…だったらウジウジするなよ。キモチワリィな」


セイウチに言った言葉がそのまま返ってきた。…分かっている。中学生の恋愛じゃあるまいし、ましてや己等は思春期でも何でもない、いっぱしの成人だ。
つい一日前、船長に言われたこと、忘れてはいけない。帰ると覚悟した、自分の決意に揺らぎはいらない。…でも、明日の朝、どんな顔して彼に会えばいいのかが分からない。


「…相当酔ってただろ。喜ぶべきか落ち込むべきかは知らねェが、そういう時のアイツの記憶は無いと踏んどいた方がいい」

「……」

「心配するな。アイツには俺がいい女を見繕っておいてやる」


サラリと一言。海賊に恋は必要ないと肯定しているのだろうか。諦めろと遠回しに言っているのだろうか。元気付けようと、笑わせようとしているのだろうか。


「……嫌だと思うなら、奪い返してみろよ」


…本当は船長も、


「海賊、だろ」


自分を、引きとめようとしているのではないだろうか。


「…丁度いい、飲み足りねェと思ってたとこだ」


一杯だけ付き合ってやる。そう言って船長は己の頭をグリグリと撫で、背を向けて歩き出す。


「……」


今し方の船長の言葉を、脳内に再生しながら。
ライは再び、膝に顔を埋めた。



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