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「――いらっしゃい。…あら?」


ギィ、と古めかしい扉の音に反応し、中にいた2人の顔が一斉にこっちを向いた。カウンターで煙草を吹かす女と、その前でグラス片手に異彩を放つ男。まさか自分がこの場所に来るなんて微塵も思っていなかっただろう。「何かあったのか」と察したように言いレイリーはグラスをコトリと机の上に置いた。


「ライがドフラミンゴに攫われた」

「「…!」」


その件で、聞きたいことがある。言いながらローはポケットからあるものを取り出す。
それを見て、明らかに変わった空気。煙草を吹かしていた女の手も止まった。


「…やはり、アンタの入知恵か?」


シルバーのネックレスに通された、ピンクゴールドの小さな指輪。事の元凶―ライが直前までその首に付けていたもの。
いや、付けたまま、連れ去られた。誰もがそう思い、ハートの海賊団は絶望のどん底に突き落とされていた、元凶だ。


「…あの、これ」


別れの際、彼女がくれた茶色の小さな紙袋。その中に入っていたと、ペンギンが知らせに来た。
それを渡していたのは知っている。隣で見ていたから。「これのお礼」と言ってチラリと首元のネックレスを見せていたから、別に気にもとめなかった。

彼女が指輪を小指からネックレスの飾りとして付け替えた時。そのネックレスが、ペンギンがいつも身に着けていたものだということも分かっていた。…双方の気持ちに気づいていたからこそ何も言わなかったし、お礼というくらいだから同じような類のものを返したのだろうなと、何も思うところは無かった。


「昨日…買出しの帰り。アンタと会い『ライを預けてきた』とクルーから聞いている」


仮にドフラミンゴの奇襲が無かったとして。彼女が指輪をペンギンに渡した意味は果たして何だったのだろうかと、考えても考えても思い当たるものは己の中にはない。アサトの話の内容からして、母の形見でありこの世界の摂理に係る程の重要なものであるという認識、そしてそれをこの世界には置いておけないという了知の上で、それをニホンへ持ち帰ることは必然であり、彼女だって十分理解していた筈だった。


「…あぁ、そうだ。少しばかり話をしたくてね」


…しかし、ライはそうしなかった。アサトの話を聞いて翌日、宴をして、そして別れるまで、彼女の"意志"に変化をもたらすような会話は己自身していないと思っている。クルーは詳細を知らない。クルーと話す中で彼女がそんな大胆な決断をするとは到底思えない。


「その会話の内容が知りたい」


彼女に大きな変化をもたらす助言をするような人物。この数日で起こった数々の出来事を振り返れば、それはこの世界を制覇した男しかいないだろう。

少しの沈黙の後、レイリーは「まぁ座りなさい」と言い、グラスを持つ。促されたローは逆らうこともせず、一つ席を開けて腰掛けた。
女に「何か飲むものでも?」と言われたが、ローは断った。酒を酌み交わしながら悠長に会話する気にはならなかった。


「これを渡したかったんだ」


そう言ってレイリーがグラスを持つ手を変え、ポケットに忍ばせた方の手に握られた白く小さな紙。何も知らない者はただの紙切れだと思うだろうが、ローはその特殊な紙の存在を知っている。


「…!ビブルカード」


別名"命の紙"。材料(体の組織等)を提供した個人がどこにいるかを指し示す道標となり、カードを平らな場所に置くとその個人のいる方角へと動く、ログポースとはまた異なる、魔法のような紙だ。


「彼女のものは勝手ながら作らせてもらった。そして彼女には私のものを渡してある。この先の海の危険度を私は知っているからね。…君たちの強さを疑っているわけではない。何かあった時、いつでも私は駆けつけよう。そして何か困ったことがあったらいつでも頼りなさいと。そう言った意味を込めて渡した」


こんなにも早くその時が来るなんて思っていなかったが。レイリーはグラスに口をつける。


「彼女は喜んでくれたが、申し訳無さそうにそれは必要無くなってしまった、と言った。訳を聞けば、父親とその仲間2人が自分を連れ戻しにきた、と。詳細は話せないと言っていたが…指輪と共にニホンに帰ることになったと」

「あぁ」

「この世界とニホンをそう簡単に行き来出来るのか、と私は驚いた。父は特殊な能力を持ち、そして自分もその能力のせいでこっちの世界に飛ばされたらしいと言っていた。…指輪には"強大な力"が眠っているのかもしれんと私は推測していたが、正確には"強大な力"を呼び起こすカギであるとも教えてくれた」

「あぁ、そうだ」

「そして私は、その仲間2人のことを尋ねた」


「彼らに父と同じ能力はありません。その能力はある一族にしか備わっていないと父は言いました。父は元々こっちの世界の人間で…2人とは若い頃からの知り合いだそうです。でも、わたしは昨日まで彼らの存在を知りませんでした」

「父は幼い私を連れて、ニホンに飛びました。もうこの世界には関わるつもりはなかったようなのですが…2人に説得され、”強大な力”を探し続けていたようです。2人はこっちの世界にずっといたから、私は会うことも無かった」

「父は海外出張と言って1ヶ月程家を空けることも少なくありませんでした。その間こっちの世界に戻ってきて、2人とコンタクトを取っていたようです。…私は本当に、何も気づかなかった」

「私の知っている父と、彼らの慕う父は全く違う人間でした。…特殊能力を持つ父の事を崇拝しているのです。初めて会った私の事、お嬢様って呼んでいました。そんな柄でもないのに」



「…そう言って彼女は笑っていた。私は、その話を聞いて少し思うところがあったが…直接的な言葉は使わず、この世界でこれだけ事態が急展開したことだ。ニホンに帰っただけで全てが解決するとは思えない。もしニホンに帰って何か困ったことがあったら、いつでも戻って来なさい、と言った。ビブルカードがあれば、この世界のどこにいようともわたしの位置を指し示してくれるからと。私を指針にしてくれれば、ハートの海賊団の元にいつでも案内しよう、と」


…そこで、レイリーはグラスを置いた。



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