それは、とても急な出来事だった。

船長に呼ばれペンギンと共に船に戻ってきたのが数十分前。「どうして戻るんですか」と聞いてもその時は答えてもらえなくて、船長室に着いて2人きりになったところでようやく「服を脱げ」という何とも誤解を与えかねない発言を頂いた。その言葉が連想するものに別に期待など微塵も寄せてはいなかったのに自然と顔が火照ってしまった事が今となっては恥ずかしいが…語弊のある発言の裏の意味を知って一層その恥ずかしさが膨らむなど思いもよらない。


「……まァ、…悪くねェ」


心にも無い事を言う船長に、それでもライは何も言い返さなかった。
…酔いが冷めるとはまさにこの事。最早タンスの肥やしとなりかけていた"服"を、まさか今着るなんて。一体誰が思っていただろう。

そう、自分は今、この船に乗った当初に買って頂いた服―それもベポがチョイスした可愛い女子の服を着ている。…何故かって?その理由はまだ明かされていない。何の説明もなしにただ船長命令に従っている。…自分ってば列記としたハートの海賊団の一味じゃないかと褒め称えられてもこれっぽっちも嬉しくはないのだが。


「髪型は…そのままでいいか」


舐めるように全身を見た後のその発言に、余計にこの格好をさせられた意味が分からなくなった。ベポやセイウチがこれを着ている自分が見たいと言っただとか、コスプレ大会に急遽参加することになっただとか、思考回路はそんな馬鹿げたものしか思い浮かべてはくれない。…だって、おかしいだろう。あの酒場で、いつも通りにお酒をその身体に染み込ませていただけなのに、夜が深まってからこんな格好をさせるなんて、おかしいと思いませんか、ねぇ皆さん。


「…あのー…」

「なんだ」

「…これを着て私は、」


――コンコン、


せっかくの質問チャンスは控えめなノックの音に遮られ、そうしてローの「入れ」という声の後、扉から顔を覗かせたのはペンギン。彼は自分の姿を見るや否や固まって暫く動きを見せない。…そんなに変なのだろうかと、ライは恥ずかしさもあってゆっくりと彼から視線を外した。


「どうだ、ペンギン。これならコイツも普通の女に見えるだろ」

「…あ、あぁ」

「(普通の女…)」

「それを着てお前は、これから"おつかい"に行くんだ」

「…お、おつかい…?」


そうしてようやく一歩踏み出し部屋に入ってきたペンギンは、ライに一枚の紙を差し出した。

それに描かれていたのは、誰が見ても分かりやすい事細かな地図。それによれば、スタート地点はこの船ではなく、先程の酒場とはまた異なる酒場。そこに発注しておいた酒を取りに行き、林を抜けた所にある民家へ届ける、というもの。…いや、ちょっと、いや大分意味が分からない。


「言いたい事は山ほどあるだろうが、質問は一切受け付けねェ。これは"極秘任務"だ」


どうして自分が届けるのか、この民家には誰が住んでいるのか、どうしてこの格好にわざわざ着替えねばならなかったのか。全ての質問を見透かしていたかのように、けれども船長にそう言われてしまえばライはもう何も言えない。
島に上陸して故意に1人で長い時間行動したことは今まで無く、しかも夜に出歩くなんて恐怖でしかない。スッとまた蘇る悪夢をしかしライはぎゅうと頭の隅に押しやって、そうしてヘルプを求めるようにペンギンへ視線を送るが。


「……だ、」

「これは一種の度胸試しだ、ライ。夜道くらい1人で歩けるようになれ」


ペンギンに甘えるなとでも言うように。船長は彼からの助言さえ聞かせてはくれず、ペンギンもそれを悟ったのか発そうとしていた言葉を溜息に変えて吐き出している。


「…安心しろ。"何か"あったらすぐかけつけてやる」


コイツが。と指をさされ刹那力強く頷いてくれた彼と視線を交わす。それだけで安堵…は出来なかったが、いつまでも甘えているわけにはいかないことも重々承知。"この世界に慣れろ"と言われたこと、先の悪夢を己から消し去るためにはやはり色んな免疫が必要だと思えば、ライは「わかりました」とそう、しっかりと声に出して頷き返した。


「度胸試しだからな。万一、他のクルーに見つかったら終わりだ。その時はお前に罰を与える」

「、え?」

「誰にも気付かれず悟られず、任務を決行する。…"海賊"なら出来るだろ?」


何だろう。この前の彼の優しさはどこへやら。あれは幻だったのかと思うくらい、まるで親ライオンが子ライオンを突き放すような、そんな感覚。

…けれどもこの一連の流れの中、ライは何かしらの違和感を感じとっていた。
いきなりの"おつかい"、女の子らしい服装、夜道。よくよく考えてみれば海賊がおつかいを頼まれるなんてどういう状況だろうかと。あの酒場に居た時に誰かに頼まれたのか…いや、そんな雰囲気は感じなかったし、それに度胸試しをするのなら別に服装は何だっていい筈。なのにわざわざ着替えさせるということは、その民家の持ち主がとてつもなくお偉いさんで正装っぽい格好をせざるを得ないのか、ただの女好きか。…女好き?


「…………」

「…おい、余計な事を考えるな。行って帰ってこればいい、ただそれだけだ」

「……はい」


またもや見透かしたかのように言う船長に、ライは如何わしい思考を振りほどく。…まさかね、美人局まがいの事をさせるなど、この紳士なペンギンが許す筈が無い。うん、それはない。

これ以上の追及はこの場では無意味だ。何かあったら彼が駆けつけてくれるようだし、それだけが心の支え。
これは突然やってきた抜き打ち"第一試練"だと言い聞かせ、ライは一つ意気込んだ呼吸をし、2人に行って来ますと告げて船長室を後にした。



 ***



「――へい、らっしゃい!」


ペンギン地図に書かれていたスタート地点は然程遠くなく、他のクルーが二次会として移動してきていないかを確認しつつ、ライは初めて1人で酒場に足を踏み入れた。ガヤガヤと賑わうその場所はつい小一時間ほど前に自分がいた酒場となんら変わりなく、見渡す限りでは"野蛮"な輩は見当たらない。それに少し安堵しつつ、そそくさとカウンターの中にいるマスターに近づいていった。


「――おや、お譲ちゃん、お一人かい?」

「えーっと…頼んである、お酒をとりに来たのですが、」

「っ、あぁ!お酒ね!用意は出来ているよ、ちょっと待ってな!」


そういってカウンターの下をゴソゴソと漁るマスター。ライは"ちゃんと"準備されていたことに安心し一つ息を吐き、周りには目を向けずにじっと彼の行動を見ていた、


「よぉ〜、こんな時間に一人かい?おじちゃんと飲もうぜー?」


その最中、声をかけてきたのは直ぐ隣にいた1人の男性。
確かに、こんな時間に1人で女(しかも"一般女子")がのこのこと酒場にやってくる事などこの世界にあるのだろうか…いいや、無い気がする。だってここは海賊世界。元居た世界で言うBARや居酒屋とは微塵も違う、一歩間違えれば殺戮が始まってもおかしくない場所。
あまり気に留めないようにと努力していたが、チラリと周りに目を向ければ、数人の男と目が合ったり、合わなかったり。この場に相応しくない格好で異彩を放つ自分はいい見物だと思う。
だからそう、これが刺客か?と一瞬思った。船長が単におつかいだけを頼むとは思えなくて、船長室を出てからずっとそればかりを詮索している。

―—絶対に、何かある。
そう、女の勘が言っている。


「ほらよ、頼まれていた酒だ。これでいいか?」

「はい、ありがとうございます」

「よぉ〜、姉ちゃん、おじちゃんと飲もうぜー?」

「…すみません、急ぎの用があるので」


ライは執拗に絡んでくる酔っ払いを軽くあしらって、帰りもまたそそくさと歩いて出て行った。周りの目に反応してはいけない。目が合えばそれは威嚇の合図(動物か)。


「……」


…だから、執拗に自分を追う2つの視線があったことに。ライは、気づく事が出来なかった。



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