「えーっと…あっち…か……」
酒瓶の入った紙袋片手に、ペンギン地図とにらめっこすること数秒。酒場を出てすぐ右隣、目の前に広がる林が地図の指し示すものと特定するも、その場所は月明かりと外灯に照らされていてもなお暗い。その暗さに怖気づいてなかなか一歩踏み出せずに、辺りを大袈裟にキョロキョロと見渡して別の抜け道を探そうと無駄な動きを数分繰り返す。
あのペンギンが作成した地図のことだ、この道が選択肢として一番"安全"なのは分かるけれど、…でも、こんな鬱蒼としたいかにも何かありあそうな林だとは書いていないじゃないか、なんて。
「……怖いなぁ、」
ポツリと呟いてみても、その林に明かりが灯るとか、護衛しましょうかなんて言ってくれる人が現れる訳ではない。
こうしているうちにどのくらいの時間が過ぎて行っただろう。そう言えば『何時までに持って行け』という期限は言い渡されていないが、あまり遅くなっても罰を与えられそうで怖い。…いろんな恐怖の板ばさみ、なうである。
「......」
分かっている。いつまでもこんな所でもたついていてはいけない。この世界で生きていく為に、この世界の"恐怖"に慣れろ、そう、まずはこの暗闇から。ハードルは低い。…そうだ、ハードルはうんと低いではないか。
「…………よし!行くぞ」
何事も勢いが大事。ふっ、と一つ短めに意気込んで、さっ、と足早にその場から去った。
大丈夫。何もない。怖くない。
チラリと後ろを振り返ってみるも、人影は無い。それでも、どこかからペンギンが見守っていてくれるんだと信じながら、ライはようやく鬼門の暗闇の中に足を踏み入れた。
「暗…」
小道と言っても車一台分は入れそうな広さがあるが、中にも当然明かりなどは無い。時折吹く風が木々を揺らし、カサカサと落ち葉が靴底と擦れる音だけが響く空間が何とも薄気味悪い。
大丈夫。何もない。怖くない。
呪文のように脳に言い聞かせるように復唱し、可及的速やかに林を抜けようと脇目も振らず歩みを進める。
ザッ_
「っ、…!?」
その時。
自分とは違う、足音。誰かの、存在。
「…………、」
早々足を止めれば、その音もピタリと止まった。ペンギンかと思ったが、彼ならきっと足音など立てずに尾行するに決まっている。それにその音は一つではない、複数だ。
…最悪。一体いつからつけられていたのだろうかなんてこの際どうでもいい。ほら、夜道は女の子にとって危険そのもの。きっと船長もペンギンも分かっていて、敢えてこの道を選んだのではないかと今ならそう思える。何故、何の為。知らない。知らないけど、
取りあえず、逃げよう。
「っ!」
刹那、ライは全速力で走り出した。後ろにあった気配達は、尾行から猛追へと切り替えたのだろう。ライの耳にハッキリと届いた「追え!逃がすな!」の声に、呼び覚まされる過去の記憶。
持っている紙袋が些か…いや、かなり邪魔だった。こんな時でもこの"お土産"を大切に扱う自分、どうかしていると思う。このお酒、炭酸入りだったらどうしようなんてそれた思考を持てるのは、あの時と今とでは心の持ち様に天と地ほどの差があるからだろうが…やはり余裕はない。バックにハートの海賊団がいる事を思えばもっと堂々と敵対出来る筈なのに…やっぱり、まだ怖い。まだまだ自分、悪夢のとりこ。
「――おっと!ストーップ!」
「!!!」
お酒を庇っていたせいで、ライはすぐに周りを囲まれてしまった。
暗闇の中、目視で確認できる人数は4人。見える限り刀などは所持していないが、服装からして海賊、顔はいかにも悪顔…だと思う。
「…足が速いんだね〜。こんな暗〜い夜道を全速力でお散歩かい?」
「……」
「悪いんだが、ちょっと一緒にきてもらおうか」
「…………私に、なんの用ですか」
肩で息をしながら酒瓶を守るように胸の前で抱え込む。恐らく―いや、十中八九彼等の狙いがこの紙袋ではない事は分かっているつもりだが、今己を守ってくれる所持品はこれしかない。
いつでも逃げれるようにと、少し足に力を入れる。いざとなったら酒瓶で殴ろうかと、ゆっくりと手の位置をずらす。…ペンギンはまだかと、心が訴える。
「…お前が付けているその小指の指輪、どこで手に入れた?」
「…………指輪…?」
想像の範疇を越えた的外れな質問に、ライは声を発した男を凝視して固まってしまった。
指輪、指輪、小指の指輪。確かに指輪は小指にある。チラリとそれに目を向けるも、こんな暗闇の中でその存在は付けている自分でもハッキリと認識出来ない。…目の前の男達はどこでこの存在を知り得たのだろう。尾行してきたということは、…昼間の酒場か、先程の酒場か。
しかし、こんなちっぽけな装飾品が何になる。海賊は財宝が大好きだが、これが狙われるほどの貴金属に当たるなど考えたこともない。父親には失礼かもしれないが桁を数え間違えるほど高価な物にも見えない。狙うならばネックレスやもっと大きなダイヤのついた指輪だろうという認識は、自身のただの―二次元によって刷り込まれた思い込みに過ぎないのだろうか。
…ドクリ、ドクリと、恐怖とはまた違った鼓動を心臓が訴え始める。この指輪を盗まれるなんて思考を持ったことが無かった為か、走馬灯のように脳内を駆け巡りだす父親との記憶。何故父親はこの指輪を、何でもない日に突然、私に――
「――そこまでだ」
「「!!!」」
ぐるぐるぐるぐると混乱の最中。聞えてきた声は、今か今かと待ち望んでいた人の声だった。