シン、と静まり返ったその場に、小さく笑う小柄な海賊の声だけが流れる。


「…なん、だと……?」


カイドウ、カイドウ、カイドウ。…それは自分の記憶にもある名だが、イマイチ思い出せない。自分が知っているという事は"有名"である事に相違はないのだろうが、先程まで昂然としていた船長の態度が一変したこと、そして自分の肩に乗せられたままのペンギンの手に力が篭ったことを思えば、きっとその海賊は、


「ククッ…俺ぁ知らねえぜ?……だが、もう遅い。手遅れだ」

「っ、どういう意味だ」

「お前らがこうしてその"指輪"を匿ってるってことは、そういうことだろ?この一件はすぐにカイドウにも知らされる」

「……これはただの"おもちゃ"だ。俺達はコイツが狙われるのを避けるためにこうして先手を打っているだけで、」

「どんなに言い訳しても無駄だ…もう"奴ら"は、動いている」

「!!?」


刹那ローは、倉庫の窓から外へと視線を流した。今の段階で、いや、こいつらをこの場に連れ込んでからもその前も、他に動きを見せた者の気配は無かった。絶対に。…ただの脅しか、死ぬ間際のただの悪足掻きか。分からない。何故目の前の海賊はこんな状況下でも、こんなに冷静なのか。
ギリリ、と自然と刀を持つ手に力がこもる。あからさまにローの怒りが増すのが分かり、隣にいる海賊たちがまた喚きだす。


「…ライ、行こう」


ペンギンはライの肩に乗せていた手をそっと下ろし、右手だけその背に添えて、歩き出すように促す。きっと船長はこの後、この海賊達を"腹いせ"の対象にするだろうから。

ライは小さく返事をして、その足を動かし始めた。チラリと横目で小柄な海賊を捉えても、相手の視線がこちらへ向く事は無かった。


*


少し速足で、林を抜ける2人。先の圧迫感から守るように、ペンギンは倉庫を出てきた時のまま、ライの背に手を当てながら歩みを進める。
チラリとその顔を見やれば、先程の強張りは解けているものの、何か考え込むようにしてその左手―主に小指辺り、覆い隠すように右手で握っていた。きっと言わずとも先の尋問でこのおつかいの目的を悟っているとは思うが、結果として彼女を不安にさせてしまったのは間違いなくて。


「…悪かった、騙すような真似をして」

「……ううん。…ウチの為に、してくれたんやろ?」


先程船長が言った事は、しっかりとライの胸に響いていた。不意に自身がこの島で1人になってしまった時に先の状態に陥っていたら、きっと取り乱していたに違いない。だから目の届くうちに、先手を打った。そうやって自分の事を気にかけていてくれるのが、とても嬉しかった。

…けれど、どこかそうして貰う事に申し訳なさを感じるようになった。自分が非力で弱いから、彼等が何倍も何倍も気を張って行動を起こしているという事実。彼等は海賊で、本当はたくさんの目的を抱えてこの偉大なる海を渡っているというのに。自分がひょっこりと現れたことによってその速度が落ちてしまっているのではないか。自分は足で纏いではなく、その目的を成し遂げる過程に邪魔なだけの存在なのではないか。

最初から、ずっと。自分は迷惑ばかりかけてきた。だからそう、いくら仲間になったからとはいっても、船の針路が自分中心で定められる事だけは受け入れられそうに無い。…無いけれど、きっとそれを言ったところで一蹴されるのも目に見えている気がした。気にするなって、危険な目には遭わさないからって、俺たちは仲間なんだって。…いつもと同じセリフを、いつもと同じ声色で、その顔に笑みを浮かべて。


「……ペンギン?」

「ん?」

「……"カイドウ"ってさ…誰、やっけ…?」


そうはいっても、先程の小柄な海賊が放った言葉一つであんなにも場の空気が凍りついたことを思えば、この一件は相当深刻な案件だと思える。自分の指輪は奪われずにここにあり、手に入れた場所も公言はしていないし、これがその指輪だという確証はどこにもないけれど。


「…そうか、知っていてもおかしくはねえよな。…カイドウは、四皇の一人だ」


偉大なる航路後半部、通称"新世界"にて皇帝のように君臨する4人の大海賊。王下七武海などとならんで世界を支配してると謳われているそれらの力は絶大とされていて、四皇の傘下に入る以外に生き残る術はないと言われるほど。そのくらい、新世界は厳しい航路となるとペンギンは言う。


「四皇…」

「船長もまさかここまで大事になるとは思っていなかっただろうな…正直、俺もまだ動揺している」

「……ペンギンは、ウチの指輪が狙われてる…って、思ってる?」

「…6割ってとこか。ただでさえライは他の人間とは異なるからな」

「…そう、やんな――」


ライは右手で摩っていた指輪に目を留めた。自分の指輪がターゲットであろうが無かろうが、こんなちっぽけな指輪を四皇ともあろうお方が何の為に必要としているのか、今となってはそっちの方が疑問に残る。狙った獲物は逃がさない、それが海賊ならば、カイドウはこの指輪をはめたいが為に狙っているのか。…カイドウの容姿は全く知らないが、絶対にその指にはまりそうにないな…なんて馬鹿げた思考、きっと船長に言ったら逆に叱られそうだから絶対に口には出さないけれど。


「…ライ、その指輪はもう…はめない方がいいだろう」

「…うん」


目の端でキラキラと輝くこの指輪が好きだった。この世界に来てからもそれは変わらないが、より一層この指輪に強い思いが反映されるようになったから。


「この世界に来てから、これ…お守りみたいなもんやったんやけどな…」


自分が日本にいた証として。自分の危険を知らせる証として。運命を導いてくれた証として。




――なぁライ、もし本当にこんな世界が存在したら、どう思う




「…………、」


…それはふと脳裏に過ぎった、日常の1コマ。この指輪をもらった後に、ある本に目を通していた時。
…あの時どうして父親は、そんな質問を、




「…これ、使うか?どこかに仕舞っておくより、身に着けておいたほうがいいだろ?」


その思考は月明かりと街灯で明るみになった周囲によって掻き消された。

隣のペンギンの姿もハッキリと見え始めた時、そうして差し出されたそれは…ペンギンがいつも身に着けていたネックレスだった。


「っ、え…いいの?」

「…あぁ。そんな安物でよけりゃ」


いつもつなぎを着ている為、ペンギンの首元を―他のクルーの首元だってライがお目にかかれるのはそう数多くない。たまにつなぎを脱いで腰辺りに留め、Tシャツ姿を露わにする時くらいだ。だからそれを、こんなにも間近で見た事は無かった。シルバーの、少し細めで何の飾りも無いネックレス。男性が好みそうなごくシンプルなデザインだった。

自身の指輪をはずしそれにくぐらせれば、シルバーの下でゆらゆらと揺れるピンクゴールド。悪くない、これはこれで可愛いし、…何よりペンギンが身に着けていたものを今度は自分が身に着けるなんて、あんなことがあった後なのにライの心は少なからず―いや大分躍っていた。


「ありがとう」


嬉しそうに笑っていうもんだから、渡してからペンギンは羞恥心に駆られだした。髪をかき分けそれを首に回し、器用に金具を止め「どお?」そう言って小さくそれを持ち上げれば揺れる指輪と…いつもより少し開いた胸元。
思わずペンギンは手を伸ばしそうになったが、誤魔化すようにその手を帽子に触れさせる。あからさまに視線を逸らし「悪くない」と言って、MAXになった羞恥心を悟られまいとペンギンは林を振り返った。


「…帰ってきたか」


途端、暗闇の中に現れたスラリとした長身の影。相変わらずかったるそうに刀を担ぐその様は、…それでもどこかいつもより、険しい。


「船へ戻るぞ」


船長は立ち止まることなく、ライとペンギンの間を通り過ぎる。…怖い顔をしているな、なんて。あの倉庫に居る時のような緊迫感に再度包まれながら、ライは林の奥を振り返らずにその後を追った。



back