「――ここまで来れば大丈夫かな」
数十秒走った後、喧噪が無くなった事を確認して建物の陰に隠れた。
ベポが男性を下ろしその場に横たえらせ、状態を伺う。まだ息があるようだが、撃たれた左太腿から流れる血が止まらない。ライは咄嗟に自分のツナギの裾を引き千切り「ベポ、これ使って」と彼の怪力を借りてそれを縛る。何が起こったのかと女性は未だ混乱の最中強張った顔をしていたが、ハッとしたように男性の元へと駆け寄ってきた。
「ジャンさんっ…!!」
ポロポロと頬を流れる涙が、男性の頬へと伝う。それによって意識を取り戻したのか、男性は薄っすらと目を開け、そうして力なく腕を上げ、その手を女性の頬へと寄せた。
「良かった…っ!!」
泣き喚きながら抱きつく女性と、「ごめんな…守ってやれなくて」と悔しがる男性。見ているこっちが恥ずかしくなってしまうが、…その光景にふと、過ぎった過去の情景。
事情は違えど、同じような場面を何度も経験した。たくさん彼に助けられ、守ってもらった。その時はそれどころではなかったけれど、今となってはついつい顔がニヤけてしまう"思い出"となっている。
「……、」
…それでも、違うのは事情だけではないことも分かっている。彼等は愛し合っているから。愛し合っているからこそ、出せる空気と感情がここにはある。
けれども自分たちの間にそれが発生することは、ない。
――海賊に恋は、必要ないからね
「…ライ、邪魔しちゃ悪いから、いこっか」
「…、そうやな」
ベポがそんな気の利いた事を言うとは思わなかったが、確かにいつまでもここにいるわけにはいかない。これ以上我々が守る義務もなければ義理もない。今後あの男に見つかりさえしなければ事なきを得るだろう。
「気をつけて帰ってくださいね」と言葉を残しベポと共に去ろうとすれば、男性が「ありがとうございました」と先程していたように土下座をするので、ライは慌てて顔を上げさせた。そんなことをしたら太腿に負担がかかってしまうと言うのもあるが、御礼を言われる筋合いはない。御礼はいらない。だって自分たち、海賊だから。
「見つからないうちに、早く」そう言って彼等の背を押した。最後まで「ありがとうございました」という女性の笑顔は、最高に可愛かった。
「――ふぅ、スッキリした」
「あのオッサン、今頃怒っているだろうな」
恐らく自分がやった事は誰も気付いてはいないだろうが、その後は気になるけれども戻りたくは無い。犯人はよく罪を犯した現場に戻ってくるというが、そんな心理にはまってたまるものかと、そのままベポと反対方向に歩き出した。
「ベポ、さっきのこと船長には絶っっ対ナイショやで」
「うん、わかった」
言ったら確実に怒られ―いや、海に突き落とされるかもしれない。船長は善意を働く事を拒む。勿論その理由は自分達が海賊だからというのは分かっているが、…もし、あの場にいたら船長はどうしていただろうかと少し気になるところではある。
まぁしかし考えるだけ無駄かと、何事も無かったかのようにウィンドウショッピングを再開しようとした、――その時。
「――やるじゃねェか、おめェら」
「「!!」」
いつの間にそこにいたのか、そして何故ここに彼がいるのか。またと再会するなど思ってもいなくて、しかも船長のいない時に会うなんてこれまた災難。白い壁に良く映える赤、以前にも増して厳ついその体格。――ユースタス・キャプテン・キッドが目の前に立ちはだかっている。
今し方の彼の"褒め言葉"に、思い当たる節なんて直前の出来事しかなくて、ともすれば天竜人への"イタズラ"に気付いていたという事になる。…ベポがこの赤を見落とすはずが無い。一体どこから見ていたのだろう。
「天竜人に手を出すイカれたクルーが、まさかトラファルガーんトコにいたとはナァ…?」
「まぁ、お前等がやらなければ俺がやってたところだ」と言うキッドに返す言葉は見つからない。見たところ他の仲間はいないようで、それだけが救いかもしれない。
…いや、そんなことよりも、こんなところで彼と悠長に対峙している場合ではない。この展開は、かなりマズイ。
過去にキッド一味と出くわした時、彼は"一般人"の自分に興味を示していた。脳内がニワトリ以下でなければきっと顔を覚えている。手配書が彼の元にだけ渡っていないなんてことは有り得ない。きっと彼は驚いた筈だ。あの女に多額の懸賞金がかけられていると。
…そう、名前は知らずとも、彼はその女の所在を知っている唯一の存在。今一番会ってはいけない存在なのだ。
「そういや…――!?」
「"punktmuster"!!」
「――っ、な!?」
「逃げるでベポ!!」
「っまたぁ!?」
まさかいきなり攻撃してくるとは思わなかったのだろう。自分が能力者であることを知られていなかった事が功を奏し、油断していたキッドはすっぽりと"水球"に覆われくれた。能力者だから弱点の"水"の中ではどうしようも出来まい。
5秒の間に何としてでもとんずらしなければと、前回の時とは比べ物にならないくらいのスピードでマングローブの中をどんどん進んでいく。
「何処行くのライ!!」
「いいから走って!!」
そう、今はとにかく船長のところへ行って安心を手に入れたい。どうしてこうも自分はトラブルに巻き込まれるのだと、しかしまたもや幹の番号に目もくれぬまま、二人は全速力で走った。