「――"schaum"」
「っ!」
水が飛んでくるとばかり思っていたのだろう。男は泡に視界を遮られ一瞬その足を止めた。ライは先程よりも威力を高めた水圧攻撃を繰り返し、男の身体を一旦壁へと追い詰める。
しかしやはり、戦闘経験の浅すぎる自分と数々の戦場を乗り越えてきたであろう男との力量、経験の差は大きかった。
ダァン_!!
「っ、ぐ、…!」
「…チビが、調子こきやがって」
ドアに打ちつけられた自身の身体は、そのまま廊下に滑るように転がっていく。まるでおもちゃのようだった。骨がイッたなと、感覚的に分かる。痛みに慣れていないのが仇となったのか、すぐに身体を動かすことが出来ない。…これが、覇気の力。初心者レベルが上級者レベルに挑む無謀な戦いの末路。
痛い。アシカの声が聞こえる。でも、何て言っているのかは分からない。衝撃で意識がまともに保てない。
「終わりだ」
ゆっくりと近づいてきた男が、己の前でしゃがむ。ギラリと光ったナイフが、己の帽子のツバを引き上げた、
「ライ!!!」
「――ライ?」
「「!!?」」
その時。今までその固有名詞を口にすることを拒んできたのに思わずその名を呼んでしまったアシカの後。鸚鵡返しされたその声、耳から来たその刺激一つ、そのアシカの落度を無にするくらい、己の身体に酷く反応を寄越す。――ドクリ。今までとは異なる鼓動の荒れ様に、神経が痺れた。
それは、ツバを上げられしっかりと視線の交わった目の前の男の声ではなく、自分のすぐ後ろから降ってきたもの。だが、人が真後ろに立っていたことだけに驚いて鼓動が荒れたわけではない。
――その声を、自分は知っている
聞き覚えがありすぎるそれに、でも、その声がここにあるわけがないことは自分が一番良く分かっている筈なのに、
「…ライ、なのか?」
「…っ、そんな…!?」
目の前の男がそう言いながら信じられないといった顔で見下ろす。力の抜けた手からナイフが床に落ち、乾いた音が響いた。
男の行動は目に映っているも、脳が求めるものは目の前にあらず、真後ろにあり続ける。
ドクン、ドクンと自身の鼓動の音だけがこの広い空間に響いているような感覚。空気でさえも切り取られ、まるでその場に自分だけしかいないような錯覚。
手に力が入らない。震える足を軸に、痛む身体に鞭を入れ、振り返る。目に写り込んだ人物に瞳孔が開く。時が、止まる。
「…、なん、で、」
声にならなかった。どうしてここにいるのって、本物なのって、聞きたいことがどっと押し寄せては吹き抜ける風のようにどこかへ消えていく。
「――"ROOM"」
「「!!!」」
その声にハッとして気づいた時には己の肩に刺青だらけの手と、側に感じた人の温もり。今までにないくらい、それは一瞬の出来事だった。
キィーンッ_!
「…手荒い歓迎だな」
「うるせェよ。……今更何の用だ」
置いてけぼりの思考を必死で振るい、状況を飲み込もうとその温もりの主へと視線を投げたつもりだった。しかしそれはもう既に視線の先にはおらずライの真後ろに立っていた男性へと切りかかっていた。
展開が速すぎて何がなんだか理解が追い付かない。何故そうなっているのか、どうして船長は、
「――ライ!!」
「!」
後ろから多くの足音が聞こえ始める。クルー達が戻ってきたのだと悟るも、未だ混乱の中にある脳はそれでも自身の身体を危険な方へ動かすよう指令を送っていた。己の身体を休めている場合ではない。痛みに嘆いている場合ではない。そうしなければ、船長は、
「っ、船長…待って…!!」
必死で身体を立ち奮わせ振り絞った声に、しかし船長は振り向く事も反応すら寄越してはくれなかった。二人は今にも殺り合いそうな雰囲気を保ったまま。いや、どちらかと言えばそうしようとしているのは船長の方だけに見える。彼の怒りの先は見えない。しかし、
「――どういうつもりだ、ライ」
双方押し切られ、反動で二人の身体が距離を置いた隙にライはその間に割って入った。大きく両手を広げ、戦いへの制止を促す。先の戦いで上がり切り、加えて飲み込めない状況に上手く呼吸を合わせることが出来ず、全身で酸素を求めるように肩が酷く上下しているのが自分でも分かる。
「…この人を、殺さないで…ください、」
「……てめェ、また"善意"を働くつもりか?」
向き合い、視線の交わう船長の顔は、いつになく怖い。そしてその言われた意味は分からない。
それでも、今はそれが本望。この人を殺されたくはない。だって、この人は、
「この人は、…私の、父親です…!!」
「「!?!?」」