リーブ・ザ・ネスト
いい天気だ。
椅子に腰掛け、外の景色を眺めながら紅茶を一口。壁外調査から二週間、次の遠征まで一ヶ月半という、忙しさから抜けひと時の平和な日常を味わえる期間に突入した。仕事はあるが、大した内容ではない。訓練や鍛錬も定期的に行うが、遠征前ほどみっちりやらない。この数週間は調査兵にとって貴重な休暇、心臓を捧げるまでの鋭気を養う期間となるのである。
「おはようリヴァイ」
「あぁ」
そんな期間にこの変人メガネをお目にかかりたくなかったところではあるが、この狭い調査兵団本部においてそれは不可避か。会えば碌な事を言わない、碌な事が起きない。悟られぬよう周りに歯止め役を探すも、どこにも見当たらない。
休みの日まで分隊長と副分隊長が共に行動する方が珍しいかと、リヴァイは半ば諦め気味に紅茶をまた一口喉に通す。
「あれ、あの子は?」
「アイツならエルヴィンのところだ。直に戻ってくるだろ」
そうかそうかと、許可も出していないのに机を挟んで目の前の椅子に座るハンジ。自分に用があるのか彼女に用があるのかは知らないが、自ら問質すことはしない。面倒くさい。
この期間に調査兵団内で事件が起こった事はこの数年、片手で数えられるほどしかない(リヴァイにとってはウォルカの件くらいだ)。それくらい調査兵にとってこの期間がいかに重要であるか皆熟知している為、面倒事を起こさないのは暗黙の了解の範疇である。
だからそう、いつも通りの日常が今日も過ぎていくのだと思っていた。ハンジと二人きりの空間もすぐに終わり、戻ってきた彼女とハンジの会話内容によって己の今後が決まるかなと、世間話(巨人の話)をノンストップで口にするハンジに適当に返事をしていた、
「――リヴァイさん、ハンジさん、おはようございます」
「おはよう」
その時。噂をすればなんとやら。彼女はひょっこり現れ、ペコリと軽く会釈をして後、その場に留まり、視線だけを投げてきた。いつもならすぐに己の隣に並ぼうと足を動かすのだが、今日はそうしない。
「……どうした」
「リヴァイさん、あの…街へ出てきてもいいでしょうか?」
「街?」
珍しい申し出だな、と思った。何かをしたいとか、何処へ行きたいとか、言わないタイプの女である彼女が自ら欲求するなんて。エルヴィンに何か言われたのだろうか。いや、エルヴィンに言われたのであればきっとそんな言い方はしてこないだろう。
…妙だな、と考える。実におかしい。リヴァイは変な胸騒ぎを感じ、三度目の紅茶は喉に通さず問う。
「急になんだ」
だが、何の変哲もない日常と休日にまさか彼女が地雷を落としてくるなんて思いもしていなかった。
「お付き合いを申し込まれました」
「…え?」「は?」
===
彼女の話によればこうだ。エルヴィンの部屋から出てここに向かう途中、見たことあるようなないような男性に呼び止められ「ちょっとお話いいですか」と声をかけられたと。そしていきなり「僕とお付き合いしてくれませんか」と。当然、そういった類の事を知らない彼女はその場で聞き返す。「お付き合いって何ですか」と。すると男は「一緒に出かけたり、ご飯を食べたりすることです」と答えたと。彼女はそれに「リヴァイさんの許可が必要なので聞いてきます」と。
…何か色々おかしいが、とりあえずリヴァイの答えは決まっていた。「ダメだ」と。きっとソイツは彼女の素性を知っていて"騙している"、お付き合いがそんな小学生染みたもので終わるわけがない。無知な女を―しかも己の忠犬を手篭めようとするのは誰であっても許されない。今後の活動に支障が出たらどうしてくれるんだと。
――しかし、
「いいじゃん!行っておいでよ!」
「は?何言ってやがるクソメガネ。ダメに決まってるだろ」
「どうして?私はいい社会勉強になると思うけど?」
「社会勉強だと?コイツにそんなもの――」
「必要ない?そんなことない。この子も立派な女性だよ?リヴァイ以外の男の人も知らないと、」
「……おいそれどういう意味だ」
何故かハンジはノリノリ、行け行けゴーゴーとその付き合いを"容認"しだす。「一度は他人に預けることを覚えたらどうだい」なんてまるで飼い犬みたいな言い方…いや、そもそもこいつは犬―いや犬と言っていいかは紙一重…って今はそんなことどうでもいい。
「…あの、」
しかし、リヴァイは面と向かって「ダメだ」とキッパリ言う事が出来なかった。次に見た彼女の表情にある困惑。ここで己が禁止すればきっと真面目な彼女の事だ、鍛錬や訓練に走り休日の楽しみ方を知らずに終わる。
だったら自分がその休日の楽しみ方を教えてやればいいだけのことではないのか。そう思っても実行できないのはきっと、どこかで彼女との間に一線を引いているからだと当の本人は気付いていないのだけれど。
「…別にさ、リヴァイ。昼間に街を歩くくらい…いいんじゃない?」
「……」
「エルヴィンなら快く送り出すと思うけどなあ」
休日の娯楽を味わう権利は人類の希望にだってある。己の監視下にあるといっても、彼女も一人の女であるということを忘れてはいけない。"女性としての道"を歩む事は兵であっても決して悪いことではない。そんな奴、巨万といる。巨人が恋人なのはハンジくらい…とでも言っておこう。
「うるせぇな……分かった、許可する。…だが、夕刻までには帰ってこい」
「分かりました。ありがとうございます」
来た時同様、ペコリと会釈をし、去る彼女。今まで自分やエルヴィンといった特定の人の隣しか歩いてこなかった彼女にとっての初めての出来事。その背中にあったのは楽しみという悦なのだろうか、はたまた女としての喜なのだろうか。
リーブ・ザ・ネスト
その日、リヴァイは思い出した。
彼女を支配し続けてきた自尊心を。
鳥かごの中を自ら手放す、屈辱を。
To be continued…
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