荒船哲次
落ちてきた恋


「おいおいマジかよ」

 大画面で見たそれは映画ではなくログだった。ボーダーランク戦そのものができる前の戦闘記録。
あの太刀川慶をビルから突き落とし、その後を躊躇いなく飛び降りた。グラスホッパーはまだ存在しない時代のものだ。自由がきかない逃げ場のない空中戦。彼女はスラスターで接近しそのまま太刀川の身体を貫いた。そして彼女は綺麗に地上に着地して駆け出した。
 まるで映画のワンシーンのようだった。
 鋭い眼光で相手を追いつめ、戦いにくいフィールドに連れ込む頭の回転の良さ、そして技量と度胸を携えている。彼女は自分が好きなアクション映画と同じかっこよさを感じた。
 どうしてこんなに素晴らしいログを見つけてしまったのだろう。
 興奮を通り越して荒船哲次の心の中は火災が発生しているのではないかといわんばかりに傍から見ていても熱意が伝わってくる。これは放っておくと大火災になりかねない。二次災害になる前にと思ったのか穂刈篤が淡々とした口調で消火活動を始める。
「神威か、そのログに映っているの」
「穂刈知っているのか!?」
「同じクラスだ」
「同じクラス」
 矛先が穂刈に向いてしまったのが難点ではあるが無差別に行われるよりはマシだろう。常に冷静でいる荒船が少年のように目を輝かせているのを見ながら穂刈は冷静に対応していく。
「仲は良いのか?」
「悪くはないな」
「頼んだらサインくれるだろうか」
「サインは分からないが、芸能人じゃないぞ、神威は」
「分かっている、頼む!」
 いい返事がもらえるまでは頭を下げ続けるつもりだろう。荒船の行動が手に取るようにわかる穂刈は仕方がないと了承し、目の前でスマホを触り出す。穂刈のスマホからメールの着信音が鳴る。
「会うか、次の放課後」
「なっ!?」
 まさかの急展開。荒船の反応に穂刈は冷静にミーハーだなと思ったが言ってもきっと荒船の耳には届かないだろう。寧ろアキに荒船が彼女のファンであることをちゃんと伝えておかないと大変なことになりそうだとメールで送る。

 そして当日、学校帰り。
 待ち合わせしたカフェに予定より早めについてしまった荒船は先に席を確保して穂刈達が来るのを待っていた。
「待ったか」
 荒船を見つけた穂刈がテーブルに近づく。その隣にはログで見た彼女が立っていた。
「君が荒船くん? 初めまして神威アキです」
 そう言ったアキはログで見たような鋭い目つきでも太刀川と同等に斬り合うようなかっこよさのかの字もない普通の女の子だった。

「びっくりしたなー。まさか昔のログを見る人がいるなんて思わなかったから」

 想像と違ったせいか何と話せばいいのか悩んだ荒船に助け舟を出したのは意外にもアキ本人だった。
 どうして自分のログを見るのに至ったのかという素朴な疑問。今更ながら彼女に会うのが何の脈絡もなく急すぎたと知る。
 荒船の今のポジションは攻撃手でメイントリガーは孤月を使用している。攻撃手をマスターするために強者の戦い方を見て勉強しようとするのは皆同じだろう。現在の総合ランク、攻撃手ランク一位の太刀川に注目するのは必然だった。
 太刀川の剣を参考にするのは少々難しい。それは見ている人間が本能的に察する部分だ。それに戦闘好きの太刀川のログは山のようにあり、彼のログを全て見るという猛者は今までいなかった。しかし荒船は違った。最近のものだけでなく昔のログから逐一見て彼の強さだけではなく、成長する様も見ていたのだ。
 アキを見つけたのは彼の成長のログの一つだ。
「あの太刀川さんから一本取った瞬間、震えが止まらなくて……凄いなって感動して!」
「太刀川さんの試合全部見るなんて……入隊したばかりなのに勉強熱心だね」
 アキはふわりと笑う。それを見て自分の語りに熱が入りすぎたのに気付いて荒船は急にしおらしくなる。穂刈はドリンクを飲みながら同期の変わり様を黙って見ていた。援護する気は全くないらしい。
「荒船くんは私の順位知ってる?」
「いや……どうしてだ?」
「うん、穂刈くんから君が私のファンだって聞いたから。荒船くんならその後のログも見たと思うけど私が太刀川先輩から空中戦勝ち取ったのってその時くらいしかないの」
 それはまだ空中戦で使えそうなトリガーがなかったからだ。暫くしてからグラスホッパーが開発され、太刀川はすぐに空中戦に対応できるようにマスターしたのだ。
「唯一勝てそうなのが空中戦だったんだけど、グラスホッパーできてから先輩、空中戦も強くなっちゃってね。そこからは私、ほとんど負けてる」
 確かに最近のログにはアキが太刀川に勝ったものを見ていない。だからなんだろうかと荒船は首を傾げる。アキは少し悩みながらもゆっくりと言葉を吐き出した。
「私、荒船くんが言う程、凄くないんだよ」
 何を言っているのだろうか。荒船にはアキの言葉が理解できない。頭が考えるよりも先に言葉がぽろっと零れ出る。
「神威はスゲーよ。太刀川さんに勝つためにどこでどう戦うのか考えて成功させただろ? 戦法を真似するのは誰でも練習すればできるけど最初にやるのは勇気も練習量も相当いる。だからお前は凄い奴だよ」
 真剣な眼差しで当然のように言ってのける荒船にアキは目をぱちくりとさせる。
「そっか。ありがとう」
 たった一言だった。アキははにかみ顔で答えた。溢れるような感情に荒船は「おう」とぶっきらぼうに返事をする。
 その様子を穂刈はドリンクを飲みながら沈黙に徹していた。


◇◆◇


 B級に上がった荒船は正隊員同士のランク戦をしていた。他のトリガーも使えるようになって色々と組み合わせを試してみたいところだがその前に、荒船は一つやってみたいことがあった。
「あ――負けた!!」
「流石にB級になったばかりの人には負けられないよ」
 クスクス笑いながら近づいてきたのは先程剣を交えていたアキだった。
 荒船がどうしてもやってみたかったこと……勿論、空中戦である。グラスホッパーが開発されてから空中戦もできるようになったとはいえ、空中を制するような戦いができるのは未だ太刀川とアキだけだ。必然的に荒船は気心が知れた彼女にランク戦を申し込んだわけだが結果は惨敗だった。
「やっぱり神威は凄いな。あの高さから飛び降りるの怖ぇーよ」
「無理して飛び降りなくてもいいと思うけど?」
 害のない穏やかな雰囲気で言っているが、ランク戦中のアキは荒船の空中戦がやりたいという申し込み通りに彼を追いつめそしてビルの上から突き落とした。前に見たログのようなやり取りは叶うことなくアキは着地寸前で荒船に止めを刺したのだ。これが荒船とアキの実力の差だ。分かってはいても悔しいものは悔しいし、逆に尊敬は大きくなる。そして時折見せるアキの表情にご丁寧にも反応してしまう。はっきり言って調子が狂う。理由は何となく察してはいるがそれをアキに察せられるのはまだ困る。
 荒船は頭の中を整理して、理を固めてから言い返す。
「できた方が良いだろう。戦うだけじゃなくて攻撃よけるのにも必要だし。やられて分かったけど突き落とされる方が態勢崩れて次に繋がらねぇ」
「荒船くんはやっぱり熱心だね」
「……んなことねぇーよ」
 自分の顔を覗き込みながら感心の色を見せるアキに荒船は思わずキャップを被り直す。
「空中戦やりてぇって言ったのは俺なのに……かっこ悪ぃ」
「そうかな」
「そうだろ。あらためて思うよ、神威は強いし勇気がある」
「勇気とかじゃなくて必要だからやっているだけ」
「それが凄いんだよ。前から思ってたけど神威って自己評価低すぎだろ」
「結構、ちゃんと評価しているつもりだけど」
「絶対してねー」
「してるよ。だからまだ飛び越えていないもの」
「何だよそれ」
「気になる?」
 含みがあるような言い方をされるとそれは誰だって気になるだろう。一瞬ランク戦の時と同じ目で見られたような気がして荒船の心臓がぎゅっと締め付けられる。怯んでしまったのを悟られるのは嫌だと少し意固地になる。
「……気になる」
「どうやったら荒船くんが私のファンを止めてくれるかなって」
「は」
 実は嫌だったのかよ。
 言葉は音にならない。思考が停止する寸前の荒船にアキは止めの一撃を入れる。
「ファンじゃなくて、荒船くんに恋に落ちて欲しいんだ」
「……え」
「言っておくけど先に落としてきたのは荒船くんだからね」
「ちょ、え、いつ!?」
 珍しくパニック状態になっている荒船にアキはしてやったりと笑って見せる。
「荒船くんが落ちてきたら教えてあげるよ」
「だったら教えろよ」
「どうして?」
「だって俺も……あ――――!!!」
 頭を抱えしゃがみ込む荒船にあわせてアキもしゃがみ荒船の顔を覗き込む。「どうしたの?」と聞いてくる割に声色も漂う雰囲気も心配しているそれではなかった。「かっこ悪い」と呟く荒船にアキが「そんなことない」と律儀にも返してくる。余計に居た堪れない。
「荒船くん、返事聞いてもいいかな?」
 声に震えはない。しっかりとしている。彼女は間違いなく確信している。どこで勘づかれたのか分からない。荒船は自分のキャップをアキに深く被らせて顔を見られないようにする。
「ちょっと待て」
 ビルから飛び降りることもできていないのに告白の覚悟が決まっているわけもない。情けないことに心の準備はまだ完了していないのだ。
「荒船くーん」
「だから待てって」
 勇気とかじゃなくて必要だからやっている。
 アキの言葉が今脳内で再生される。必要という言葉を使われたら荒船は最初から彼女が必要だったということになる。
(そんなの恥ずかしくて今、言えるかよ)
 
 
「あれ、何してるの?」
 荒船は忘れているかもしれないがここはランク戦ブース。ボーダー隊員なら誰でも使える共有スペースである。そんなところでしゃがみ込んでいる同い年が二人。気にしないで済ませるのは無理だと犬飼澄晴は興味津々に呟いた。
「青春してる」
「あぁ、ついに。どっちから?」
「神威だなどう見ても」
「そっか――俺、荒船から言うの応援してたのにな〜」
 今をどうすればいいのか頭がいっぱいになっている荒船は知らない。本人どころか既に同期に自分の内に秘めたる想いが知られていることを。そしてこの後揶揄われながらお祝いされることも荒船は知らなかったのだ。


20181203


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