東春秋
二度目もあなたに恋してる


「これはちょっと恥ずかしいんじゃないか」
「そう? 可愛い可愛い」
「……アキは似合うだろうが俺にはちょっと」
「大丈夫だよ、ここはそういうところだし皆つけてるよ。はい」
 そう言って彼女は彼の頭に犬耳カチューシャをつけた。そして迷わずスマホで写真をパシャリと撮る。
「流石にそれは居た堪れない。お願いだ、消してくれ」
「え――折角の夢の国だよ? 記念写真ない方が哀しい」
「いや、そうだが」
 彼は犬耳姿の自分が気にいらないのか少し不満気で、だけど私は今日という日の宝物が欲しかったから写真の一枚くらいは欲しかった。でも相手に嫌がられたら意味はない。だから勇気を振り絞ってみる。
「そんなに言うなら……一緒に撮る?」
 声も絞らないと出なかったのか思ったよりも小さな声で赤面してしまう。彼は考える素振りを見せて「それなら」と渋々了承してくれた。顔が凄く優しかったからちょっとだけ調子に乗ろうと思った。
「私、自撮り下手くそなの」
 だからごめんねって言いながら私は彼の腕に自分の腕を絡めてぐいっと引っ張り寄せる。身長差で随分離れていた顔が近くにある。隣に意識が飛ぶ。それでもスマホに集中してなんとか撮ろうとボタンを押す。
「う……」
 ボタンを押した結果を見て私は泣きそうになる。彼を意識しすぎて私が見切れていた。残念なツーショットに落ち込んでいると彼が私の手からスマホを奪ってカメラをこちらに向けた。
「これでいいか?」
「うん、ありがとう」
 上手く収まって撮れたツーショットに満足して私は早速待ち受けにする。
「あとで送るね」
「ああ、ありがとう」

 飲み物を買いに行ってくると言った彼を待ちながらスマホを触っていた。忘れないようにと先程撮った写真を彼に送る。私が撮ったものはゴミ箱に入れてしまおうかと写真データを選択して画面いっぱいにアップされたものを見て私の指は止まる。
「顔赤い」
 先程は必死過ぎて気づかなかったけど大人っぽい彼にしては珍しい表情に胸をときめかせる。
「永久保存しよう」
 頬が緩んでしまうのを何とかしようと画面から目線を外せば自分の前に立っていた少年と目が合った。
 すっと人差し指が指されて私はその先を追って背後へと振り返った。
 がさがさと風もないのに茂みが動く。
「……!」
 中から飛び出してきた生物に私は悲鳴を上げるよりも先に彼の顔を思い出した。



「アキーいい加減に起きなよ」

 そう言って摩子は私から布団を奪った。寒い気温が私の身体を襲う。飛び起きて私は必死に抗議する。
「布団、返して……!」
「駄目。アキが言い出したのよ、ボーダーばかりで寂しいからたまにはお茶しようって」
「そうだった」
 私は勇気を出してベットから下りる。幼馴染の摩子にはパジャマ姿を見られることは慣れている。うーんと悩みながらクローゼットを開いてどれにしようかといつもなら悩むところなんだけど、今日は久しぶりにあの夢を見たからかな。気分はもう決まっていて私はその服を手に取った。
「アキってたまに大人っぽい服着るよね」
 まだ早いと言われているのは分かっている。確かに今の私にはフェミニンよりもガーリーな服の方が似合っている。でも今まで着ていた服はフェミニンの方だった。神威アキとして十八年生きた今でもその感覚は抜けきれなかった。
 ――私は前世の記憶を持っている。その事実を知っても混乱はしなかった。幸か不幸か前世も今も私の名前はアキだった。そして今の世界は前世の記憶に近かった。だからなのかな。私は一つの謎に気づいた。
 カレンダーの日付を見る。
 前世の私が死んだのは二十一歳の時、今から四年前、二〇一〇年だ。それで生まれ変わって今の私は今年で十八歳。今年で二〇一四年になる。そう、この世界では私が転生するまで四年しか時は流れていなかった。
 神威アキとしての記憶は最初からある。その時から私は前世の私の記憶も持っていた。何がどうなっているか分からない。そもそも前世の記憶を持って生まれ変わるという時点で何がどうなっているんだか……て感じなので深く考えないことにした。ただ一点を除いては。
「アキって本当高校卒業するまで浮いた話なかったわね」
「ん――そんなこと言われても」
「好きな人いないの?」
 いるけど。
 なんて口にしてもどうすればいいのか分からないから黙っていた。私は死んで生まれ変わっても彼のことが忘れられなかった。何度会いに行こうかと考えたか。でも私は現実を知る。今の私は前世の私と全く違う。年齢もそうだけど見た目が。顔の作りも声も違う。会っても彼は私を私だと気付いてくれない。気づいてくれなかったらショックなのは分かっていたから私は自分を守るために彼に会いに行くのを我慢した。
(それでも大学は前世で通っていたとこ選ぶんだから、やっぱり諦めきれないんだよな――……)
 恋愛話に花を咲かせないようにと私は摩子に話を振る。
「私は今、ボーダーで手いっぱいだから」
 狡いな――って思わずにはいられない。常幸くんもっと頑張ればいいのに。もう一人の幼馴染の顔を思い浮かべながら私達は喫茶店に入った。
 ここは前の私がよく通っていた場所だった。この世界では四年しか時間が経っていないとしても今の私にとっては十八年ぶり。どうしても懐かしさが先行してしまう。
「あ」
 声を上げた摩子は誰か知り合いでも見つけたらしい。相手もこちらを見つけてくれたのか声を掛けてくれた。
「人見か」
 その声を聞いてどきりと心臓が跳ね上がった。
 春秋さん――。
「こんにちは東さん」
 摩子が呼んだ名前。姿を確認すれば間違いなくその人は春秋さんだった。名前を呼ぼうと口が動くのを慌てて抑えつけた。
「友達か」
「はい。この子幼馴染の神威アキです。アキ、こちらがボーダーでお世話になっている東さん」
 自己紹介をされて私は慌てて会釈した。
「アキです。摩子がいつもお世話になっています」
「……はは、仲が良いな」
 微笑む春秋に釘付けになる。春秋のテーブルにはコーヒーと教本があったからレポートをまとめている最中なのかな。ずっと眺めて動かない私に痺れを切らしたのか摩子が手を引いてくれた。
「いつまでもボーッとしていないの」
「う、うん」
「それじゃあ失礼しますね」
 摩子に連れられて私は空いているテーブルの席に腰を下ろした。
「アキ、大丈夫?」
「……う、ん」
 心配を掛けないようにとなんとか言葉を返すけど頭の中は春秋さんで一杯だ。妙にそわそわしてしまう。
「アンタのそういうところ初めて見たわ」
 不意に摩子が何か呟いたのが聞こえた。
「アキって良い趣味してるよね」
「摩子が私を褒めている!」
 どれのことを褒めてくれたのか分からないけど春秋さんのこともあって顔に集まる熱が凄い。少し興奮気味で反応したら摩子は少し目を伏せて答えた。
「あ――……でも東さんは無理だと思うよ」
 その言葉は私が春秋さんに対して好意を持っていることに摩子が気づいたということだった。そして今の私の身の丈に合わないということでもあった。そんなの私がよく分かっているよ……なんて言えない私は自分の気持ちを呑み込んだ。でも摩子がこんな風に言うのは珍しいな……思わず首を傾げる。
 摩子は勘違いしたのか先程の言葉の続きを教えてくれた。
「東さん、好きな人いるから」
「え」
 それは朝、お布団を奪われた時よりも寒い。私の身体から急激に熱が逃げていった。
「どうして……」
「前にボーダーの女子会で東さんに恋人がいるかどうかって盛り上がったことがあったんだけど、それで直接聞いちゃった子がいるんだよね――その時に」
 好きな人がいる。
 別に可笑しなことではない。私が死んで四年も経っているのだ。優しくてハイスペックな春秋さんに好意を寄せる女の子はいるだろうし、春秋さんだって……。
 ……彼が好きだというんだ。きっと相手は素敵な人に違いない。
 やっぱり現実は辛かった。
 私はなんとか春秋さんの現状を呑み込もうとして頑張って考えないようにした。

 
***


 春秋さんと再会してから早数日。頑張って考えないようにしていたのに私の頭の出来が悪いせいか、彼のことで一杯だった。前世プラス十八年間の想いがあるんだもん。当然だ。でも、どうすることもできないんだってことも分かっている。分かっているはずだった。
 春秋さんのことを考えると胸が痛くて苦しくてしょうがない。同時に摩子から聞いた春秋さんの好きな人の存在が私の頭をぐるぐると駆け回り私の気持ちを余計に掻き乱す。
 気づけば私はあの喫茶店に足を運んでいた。
「申し訳ございません。只今満席でございます」
 店内に入って早々言われた言葉に私はがっくりと肩を落とした。店内に用意されている予約待ちスペースの椅子も既に埋まっていて、待つなら外になる。だからかな。店員さんがどうしますかと無言で私の返事を待っている。
「……待ちます」
 予約表に名前を記入するためにペンを持ったところだった。
「すみません、彼女は俺の連れです」
「は――」
 聞こえてきた声に反応して名前を呼んでしまいそうになるのをぐっと堪える。
「では、中へどうぞ」
 店員さんに通されて、前を歩く春秋さんの後を慌ててついて行く。
「あ、東さん」
「勝手にすまない。こんな寒い日に外で待つと風邪引くだろう? 迷惑だったら帰ってもらっても」
「全然、大丈夫です!」
「そうか」
「それより東さんの方こそ……その、お邪魔しちゃって」
「気にしなくて大丈夫だ」
「そうですか」
 春秋さん優しすぎる!!
 席に座ると、目が合う。ちょっと恥ずかしいかも。
「人見はいないんだな」
「はい、ボーダーの方で何かやることがあるみたいで……は、東さんはボーダーじゃないんですか?」
「そうだな人見とは同じチームだが今日はこっちの方をやろうと思ってな」
 そう言って示される教本に大学院の方だと気付く。
「今年から私も同じ学校に行くので、お願いします」
「そうか。神威さんは俺の後輩になるのか。こちらこそ」
「はいっ!」
 春秋さんと久しぶりの会話は緊張したけど嬉しくて、懐かしくてちょっと涙が込み上がりそうになった。
「頼まなくていいのか?」
「はっ!」
 見とれている場合じゃなかった。私は手を上げて店員さんにサインを送る。急ぎ足で近づいてきた店員さんに私は食べようとしていたものを告げる。
「フルーツサンドとブラックコーヒーお願いします」
 この喫茶店はフルーツサンドが格別に美味しいんだよね〜注文をし終えると春秋さんが不思議そうな顔で見ていた。
「どうかしたんですか?」
「あぁ、やっぱり女性は甘いものが好きなんだなと思ったんだが、ブラックコーヒーは渋いな」
「そうですか? 最高の組み合わせですよフルーツサンドとブラックコーヒー」
「確かに味の中和はできそうだ」
 中和? 何を言っているんだろう。そういえば春秋さんは甘いものがあまり得意ではなかったことを思い出す。それでもここのは食べやすいって昔言っていた気がするんだけど……気のせいかな?
 考えている私をよそに未だに春秋さんの視線はこちらを向いている。恥ずかしくなる一方だからできれば見ないでくれると有難いんだけど。
「お待たせいたしました〜フルーツサンド一点とブラックコーヒー一点でお間違いありませんか?」
「はい、大丈夫です」
「ごゆっくりどうぞ〜」
「ありがとうございます」
 届けられた品を確認してぺこりと会釈すると、私は目の前に置かれたフルーツサンドを眺める。先日食べた以来だ。私は冷めないうちにまずはコーヒーに角砂糖を三つ入れた。そしてスプーンでかき混ぜる。
 ここの喫茶店のフルーツサンドは何度食べても飽きないくらいに絶品で、今日も食べられることに至福を覚える。
「……」
 いざ食べようとまずはコーヒーを飲む。苦みをそんなに感じさせないほどよい甘さだ。カップを置いてフルーツサンドに手を伸ばそうとしたところで春秋さんと目が合った。目を丸くしてこっちを見ている。何か粗相でもしてしまったのかな。慌てて手を引っ込める。
「あの! どうかしましたか?」
「い、や……いろいろ驚きの連続というか……苦いものが苦手なのかな?」
 なんだ、そういうことか。よくあることなので私は軽く流す。
「そうですね、あまり得意じゃないです」
「ブラックじゃないものを頼んだ方が良かったんじゃないか?」
「ここのはブラックに砂糖三つ分が好みの味なんです。この後に食べるフルーツサンドの相性は凄まじいですよ。パンはふわふわしていてフルーツの味を尊重するようにクリームが甘さ控えめで美味しいんです。コーヒーもコクがあるから更にフルーツサンドの可愛らしい甘さを引き立ててくれて幸せになるくらい美味しいんです」
 力説していたら春秋さんが信じられないものを見るような顔をしていた。引かれてしまったのだろうか。私は思わず縮こまる。
「あの、いきなりすみません。甘いものに目がなくて……摩子にもよく言われて気をつけているんですけど、すみませんっ!」
「本当に好きなんだな」
「はい、大好きです」
 そう答えてはっとする。春秋さんの顔を見ながら言うとなんだか告白みたい。そう考えると顔が急に熱くなる。馬鹿だ私、ちょっと落ち着こう。頭を切り替えるために話題を変えようとするけど目が合う度に胸が高鳴る。物理的に何とかするしかないと思って少し視線を落とせば首にかけているネックレスに気が付いた。
(チェーンに指輪……確かに春秋さんってシンプルなものが好きだけど、これ持っていた?)
 突然沸き上がる疑問が私の体温を平常値まで下がる。
 私が何を見ているのか気づいた春秋さんは控えめに笑う。
「似合わないかな」
「そんなことない、と思います……誰かからのプレゼントですか?」
 摩子が言っていた。春秋さんには好きな人がいるって。もしかしてこれは――そういうことなのだろうか。背中にすうっと変な汗が流れる。
「とても大切なものなんだ」
 それは私の知らない顔だった。
(私はどうしてここにいるのだろう)
 締め付けられる胸を抑えつけて……私はどんな顔をしていたのか覚えていない。


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