東春秋
二度目の出会いもあなたでいっぱい


「とても大切なものなんだ」

 優しい声色だった。チェーンについた指輪を触れる指、愛おしそうな眼差しは好きな人がいる語っているようだった。事前に摩子から話を聞いていたから分かってはいたはずなのに、受け入れられないことを知ってどう反応すればいいのか分からなくなった。
(これ以上一緒にいると余計なことをしてしまいそう)
 私は急いでフルーツサンドを食べてコーヒーを飲み切って去ることを選んだ。大好きなものを食べていたはずなのに味が全く分からない。
「慌てなくていいよ」
「あ、いえ。私フルーツサンド食べたかっただけで……東さんのお邪魔をするわけには!」
「気にするな――というのは無理な話か。すまない、気を遣わせてしまったな」
「そんなことないです! 私こそありがとうございます」
 勢いに任せれば春秋さんは苦笑していた。変な子だと思われたかな? でも自分の気持ちが制御できないのだから、ここにいるよりはずっといいはず。
「お会計を」
 伝票を手にしようとした寸前、掴むはずだった紙が逃げていく。春秋さんが私よりも早くそれを手にした。
「ここは俺が出すよ」
「流石にそれは……」
「先輩の見栄さ」
 私がお邪魔しただけなのにと続く言葉は春秋さんの微笑みと言葉で掻き消された。見栄と言ってもそれは先程も聞いたとおり。気を遣わせて申し訳ないという意が込められていることは想像がついた。どう断っても春秋さんが顔を縦に振る姿が思い浮かばない。こちらが折れるしかないのだと思うとしょうがないなぁという想いが溢れて笑いが零れた。
「そうですか、じゃあお言葉に甘えて……ありがとうございます」
 ぺこりとお辞儀して立ち去った。後ろ姿くらいはちゃんと後輩の姿として映ったかな。そう考えて歩いていたはずなのに、一歩、また一歩と踏み出すたびに春秋さんのことで一杯になっていく。
 私の知っている春秋さん。
 私の知らない春秋さん。
 込み上げてくるのは嬉しさと懐かしさと淋しさとそして見知らぬ誰かへの羨望。吐き出せば少しは楽になるのかな。
「……好き」
 今にも消え入りそうな声なのに耳はしっかりと聞き取って深く深く胸に刻む。暫くはこのままだな、なんて思っていたら鼻がつんとした。

「アキさん!」

 家の近くで声を掛けてきたのは常幸くんだった。近所なのにここで会うのは珍しい。意識を集中して声を出す。
「どうしたの?」
「ちょっと話があって。今平気?」
 常幸くんの顔、声色で摩子のことだとすぐに分かった。
「いいけど。うちに上がる?」
「アキのおばさんに聞かれるのはちょっと……」
「だよね」
 常幸くんが摩子に気があるの知ってからのお母さんの視線はかなり生温かい。向けられる常幸くんは可哀想だけど、同時に私もあなたは誰か好きな人いないの? って遠回しに興味を示してくるから厄介。今までは別に大丈夫だったけど今は、今だけはちょっと耐えられる自信がない。
 先程、喫茶店に行ったばかりなのにファミレスに行くのは如何なものかと胃が訴えてきたような気がするけど、別に食べるわけじゃないから大丈夫、大丈夫。
 席に着くととりあえず飲み物を注文した。
「アキさんありがとう」
「久しぶりだし全然いいよ」
 緊張した空気が伝わってくる。「それで?」と本題に入りたいところだけど二の句を告げず目の前でそわそわしている常幸くんを見てぐっと堪える。心の中で応援しながら幼馴染のタイミングを待つこと数分。 
「摩子さんのことなんだけど」
 切り出した常幸くんに小さく拳を握る。
「今度、ホワイトデーあるだろ? それで摩子さんにお返ししたいんだけど……」
(常幸くん……!)
 恒例イベントも数度経験しているのにあまりの初々しさに涙が出そう。摩子の好きなもの知っているのにわざわざ私に確認する必要はないはずだ。そう考えると不思議でしかないけど摩子からまだ恋愛対象として見られていないことを考えると出るに出られない気持ちも分かる気がした。
(私も見られていないからな)
 寧ろ、春秋さんからしてみればこれから後輩になるほぼ初対面な子だ。そんな子に意識を向けてくるわけがないし、そもそも春秋さんには大切にしている人がいるみたいだし……。
「――さん、どう思う?」
 常幸くんの声を聞いてはっとする。
(違う、今は私じゃない!)
 自分の気持ちを頭から追いやって常幸くんを見る。
 お返しのプレゼント。長い付き合いなだけあって悪いわけがない。寧ろ、摩子は好きだよ。と、そのまま伝えようとしたところで、言葉を呑みこんだ。
 相手が恋愛対象として見ていないから一歩踏み出せない。でも踏み出さなかったらずっとこのままだ。恋愛経験がないに等しい私が意見するのもどうかと思うけど……見られる可能性があるなら行くべきではないかな?
「常幸くんはさ――摩子のこと好き?」
「わっ、アキさん! こんなところでいきなり!?」
「声大きいから落ち着いてね。それで好きだよね?」
「そりゃ――うん……そうだけど」
「それってどのくらい? 付き合いたいって思う程? だったら好きなものを贈るだけじゃなくてデートに誘ってみたらいいと思う」
 目を丸くする常幸くんにそんなおかしなことを言ったかなと首を傾げる。
「アキさんがそんな風に言うなんて思ってもいなくて。でもそうだよな、意識してもらうなら態度示さないといけないよな、あ〜〜」
 心のどこかでそう思っていたのか、言葉を噛み締める常幸くんの顔はだんだん赤くなってテーブルに顔を伏せた。
「アキさんに言われるとは思ってもいなかった……」
「それってどういう意味!?」
「だってアキさん恋愛に興味なかったでしょ? だから話し相手として安心感あったんだよ」
 どうやら幼馴染が私に求めていたのは相談相手ではなく話を聞いてくれる相手だったようでちょっと凹む。……本当、常幸くんは動くきっかけが、自信が欲しかっただけなのだと知ると年下なのにしっかりしているなと思う。
「うん、今年は……誘ってみる」
 ぼそりと呟かれた言葉を拾い上げて「うん」と「何かあったら言ってね」とできる範囲ではあるけど協力する旨を伝えると常幸くんは「ありがとう」と笑った。
「――でさ、アキさんが意見するってことは最近何か変わったことでもあった?」
「卒業したね」
「そういうのじゃなくて」
「う〜ん、大学生活に向けての心構えができつつあるのかな?」
「それでもなくて……いや、アキさんならあり得るのかな」
 押せ押せだったのがいきなり引かれて呆気にとられる。だけど追従は逃れられたのだと思えばこれで良かったのだ。ほっと胸を撫で下ろして運ばれてきた飲み物を口にする。ほんのり甘いカフェラテが口の中一杯に広がった。
「まさかアキさんに好きな人ができたなんてことないだろうし」
「ごほっ」
「アキさん!?」
「だ、いじょ……咽た」
 目の前から突き刺さる視線が痛い。
「まさか、本当に……え?」
 戸惑う常幸くん前で私は平常心を保つのに必死になっていた。


20200329


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