米屋陽介
果実


「一口ちょうーだい」

 心臓が跳ね上がるのと同時に頭の中が真っ白になる。手にしている紙コップが少し変形したのが分かって慌てて力を緩めた。
 仲のいい友達同士にある気軽な一言。それに躊躇したのは私が慣れていないからなのだろう。
 私のクラスはコミュ力が高い人種の巣窟で皆、仲が良い。同性同士ならまだしも男女間でもこういうやり取りが行われている。距離が近いから付き合っているのかなと思えばそうじゃないと聞いて驚いたことは何度もある。だけど周りの反応は静かなもので別に意識する程おかしなものではないらしい。逆に私が気にしすぎるのだと知ったのは最近のことだった。
 お互いの好きなものを共有できるのは楽しいのは分かる。だから女子同士はいい。でも男子に対しては少し抵抗感があった。それでも自分がその対象になることはないと思っていたから意識はしないようにしていた。
 それがいきなり、予告なく目の前に現れた。しかも相手はコミュ力の権化、米屋陽介だ。私の心臓がばくばくと大きな音を立てて抗議していることなんて……きっと想像もしていない。
「なんで?」
「それ飲んだことないなーって思って」
 この行為に意味はない。彼の顔を見ても表情はいつも通りだから私の考えはあっているのだと思う。
 米屋にとっていつも通りなら私もいつも通りにしよう。多分、それが正しい友達の反応のはずだ。そう言い聞かせて心臓を宥める。
「へー、米屋は校内の飲み物全制覇しているかと思った」
「――んなわけないじゃん。それ系だといざという時走れないだろ?」
「走らないでよ。はい」
「サンキュ」
 差し出せば米屋は遠慮なく私の飲み物を手の中から攫って口づけた。
「ん、これりんご?」
「アップルオレ。なんだと思ったの」
「牛乳系。意外といけるなー」
 じゃあそれ、あげるよ。
 そう口にする前に目の前に紙コップが突き出されて思わず言葉が引っ込んだ。満足したからもういいよ、という意味は伝わってくる。視線を逸らしたくなるのをぐっと堪えて手を伸ばす。先程納まりかけた心臓がまた妙な音を立て始めた。
「米屋ーちょっといいか?」
「おー。じゃあな」
「うん」
 米屋は真っ直ぐ友達の方へ行ってしまう。それにほっとしたようなちょっと淋しいようなどっちつかずの感情が残る。そしてもう一つ、手の中にあるもの。
 私の、なのに……これに米屋が口にしたのだと意識したら急に顔が熱くなってきた。おまけに喉も渇いてきたけどなかなか口にする勇気が出なくて、暫く葛藤することになった。

<< 前 | |