嵐山准
白結晶・前


 朝の天気予報で「ところによっては雪が降るでしょう」と言っていたのは聞いていた。寒さ対策をーーという優しい言葉に耳を貸すよりも自分の体感を信じていつもの冬の装いで出掛けた。
 日中は校舎だから心配する必要はない。その後は友達に聞いて欲しいことがあると言われていたからカフェへ行く予定になっていた。
 夜の冷え込みは思った以上だったけれど屋内に入れば平気だと思ったし、駆け込むようにカフェへと足を運んだ。
「寒いから中に入っていれば良かったのに」
「今来たところだから」
 既に店前にいた友達に気づいて慌てる。
「入ろう」
「うん」
 空いている席に座ってパスタセットを頼む。程なくして出された飲み物に口をつけて身体が少し温まった。講義にサークル、バイトの話とスイッチを押したようにぽんぽんと変わっていく。内容を楽しんでいると一瞬、妙な間ができた。
「……アキあのね――」
 これが今日の本題なのだと悟った。友達の声色だけで咄嗟に身構えてしまったのは所謂女の勘が働いたからかもしれない。
「私、イコさんと付き合うことにしたんだ」
 その言葉に時が止まった気がした。
 私の目には友達の照れたような嬉しそうな顔が映る。それなのに伝わってくる雰囲気の中には不安や申し訳なさもあった。
 どうしてなのかとは考えなかった。それよりも友達がそういう顔をしているのは私なのだという想いの方が強かった。受け入れるよりも先に出てきたのはシンプルな言葉だった。
「おめでとう」
 温まったはずなのに、ひんやりとした空気が耳を刺激する。
「アキ」
「イコさんなら大事にしてくれそうだし安心したよ。沢山笑わせて貰ってね」
「ありがと」
 その時の友達の顔はあまり分からなかったけど声を聞く限りちゃんと祝福できたと思う。ほっと胸を撫で下ろすのと同時に熱が一気に膨れ上がった。
「お待たせいたしました」
 テーブルの上に注文の残りが置かれていく。目の前に置かれたパスタに視線を移した。
「ご注文は以上でございます」
 マニュアル通りの言葉を発して店員が去っていく。
「いただきまーす」
 フォークで麺を絡ませて口元に運ぶけどなかなか喉を通らない。なんとか飲み込んた。味は良く分からなかったのに「美味しいね」と呟いた私は急に寒気を感じた。
「そうだ、イコさんにL〇NE送っとこ」
 食べる以外のことをしたくて咄嗟にスマホに触った私はなんとく余計なことをしているような気がした。手が震えているのは寒いから、だよね? なかなか思い通りに動かない指を必死に動かしながらタップする。
『聞いたよ〜付き合うことになったんだって?』
 おめでとうとスタンプを押す。それから間もなく向こうからメッセージが飛んできた。
『おおきに』
『めっちゃ大事にするわ』
『本当だよ。私の大切な友達なんだから泣かせたら許さないからね』
『泣かさんわ、阿呆』
『毎日笑わせるわ』
『あ、笑わせすぎて逆に泣かれるかもしれん。そん時はごめんな』
 熱が上昇して目元に集中する。慌てて私が画面から視線を外した。
「いきなり惚気られた」
 スマホの画面を見せたら友達が小さく「もう」と反論した。でも声は弾んでいる。それに同調するように私はにやにやと笑って見せた。
「ほら仕返し」
 そう言って見せてくれた友達の画面にはイコさんからのメッセージがある。
『いきなりお前の友達に釘刺された(笑)大事にされとるな』
『俺も負けんよう大切にするわ』
「アキのこと誉めてる」
「どう見ても惚気られてるんだけど」
 そして二人顔を見合わせて笑い合う。
 二人でご飯していることを伝えたらイコさんが迎えに来てくれることになったらしい。ちゃんと彼氏やってるなーと感心しながらお邪魔にならないうちに私は早々帰ることにした。
 「またね」と言って別れて改札を通る。人混みの中に入り込んで後ろを振り向く。友達が彼を待っている姿を確認して私はそのまま人の流れに流されて反対側の改札口を出た。
 今は歩きたい気分だった。
 外の空気は冷たくて、向かってくる風は容赦なさすぎて寒い。それでも身体はぽかぽかしていたし、歩いていたら寒さなんて気にならなくなった。
「良かった」
 友達の顔を思い出す。今頃会っているだろう二人の姿を思い浮かべる。
「良かったなぁ」
 大好きな友達。大好きなイコさん。二人は私にとって大切な人だ。その二人がくっついて良かった。本当に……本当に良かった!
 声に出した言葉は吐き出された息に白く塗り潰される。それを見ていたらまた目元に熱が集中した。今度は、抑えられなかった。
「好き、」
 大好きな友達。大好きなイコさん。二人とも大好きなのに、二人を想えば想う程止まらなかった。感情が喉元まで押しあがってくる。考えられない頭に代わって足がどんどん人が少ないところを目指して歩いていく。
 冬の寒い夜。イベントシーズンでも光を着飾っていない寂れた公園に赴こうと考える人はいなかった。用意されているベンチにそのまま座り込んだ。
「うっ……好き、だよ……好きだったんだ……」
 止まらなかった。溢れ出す感情に呼応するように涙も、声も、全く止まらなかった。集まる熱を冷ましたかったのに身体はどんどん熱くなる。
 どれだけそこにいたのだろう。聞こえた足音が私のすぐ傍で止まったのが分かった。それでも顔を向ける気にはなれなかった。
「神威さん」
 聞いたことのある声が私の名前を呼ぶ。あ、私の知り合いなんだ。そう思ったら涙は引っ込んで、意識の途切れにちょっとだけ負荷が軽くなった気がした。
「嵐山くん、なんでここにいるの」
 私の顔を見て嵐山くんが言葉を詰まらせたのが分かった。すぐに差し出されたハンカチに今、私の顔は酷いことになっていることに気づかされた。それでも受け取れなくて自分の手で涙を拭えば無理矢理ハンカチが私の目元を触れていく。行動の割に優しい動きに私の思考は真っ白になった。
「さっきまで生駒達といたんだ。駅に行ったら――迅に教えてもらったんだ」
 イコさんといたってことは彼女ができたことも、誰と付き合うのかも、私達のやり取りも全て知っているのかもしれない。でも私の気持ちは知らないはずだ。私がここにいるは誰も分からないはずだ。私が今何をしているのかだって……嵐山くんはどうしているのだろうか。タイミングが悪すぎる。
「このままだと風邪引くぞ」
「大丈夫」
「――じゃないから言っているんだ。風邪引くと余計に辛くなるだろ?」
「別にそんなことないよ」
「俺がきたら泣くの止めたのにか?」
 家に帰ったら泣くのだろうと指摘されたような気がして思わず黙ってしまった。これじゃ肯定しているようなものだ。
「違うよ……」
 ハンカチから逃れて小さく反論するけど嵐山くんには伝わっていなかった。
「寒いし、嵐山くん先に帰りなよ」
「神威さんを一人にしておけない」
「でも……」
「だから、これ飲んだら帰ろう」
 今度は目の前に小さなペットボトルを差し出される。最近私がはまっているメーカーのミルクティーだ。先程のように受け取らなかったら……私が想像しないことをするのかな。そう思うと受け取らない方が怖い気がして私は素直に目の前のものに手を出した。
 温かいとは思わなかった。だけど触れているうちに指が微かな熱を感じ取った。思わず嵐山くんの方に顔を向けた。
「嵐や……」
「好きだよ」
「……く、ん……」
 それ以上の言葉は出てこなかった。
「俺は神威さんが好きだ」
 なんで?
 私が誰を好きなのか知って? 
 私が振られたのを知って?
 いろんな想いがごちゃごちゃと渦を巻く。余裕のない私は既に考えることを放棄しようとしていた。
「返事は今じゃなくていいんだ。神威さんが落ち着いた時でいいからその時に俺のことを考えて欲しい」
 そんなこと言われても……ちゃんと考えることができるのか想像できなくて私は立ち上がった。
「もういいのか?」
「喉渇いていないから……嵐山くんこれ以上付き合わせられないよ」
「そっか」
 嵐山くんは笑みを浮かべて私の手を取った。
「……!」
「冷えてるな。風邪引かないように今日は暖かくして寝るんだぞ」
「私、子どもじゃないから心配しなくても大丈夫だよ。それより」
 嵐山くんの手だって冷えているよ。
 あまりの冷たさにびっくりして思わず口にしようとして止めた。
「嵐山くんこそ風邪を引かないでよ」
「あぁ俺は大丈夫だ!」
 今は言葉通りに甘えて何も考えたくなかった。

 そして翌日、私は風邪を引いて寝込んでしまった。


20191231


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