嵐山准
白結晶・後


「神威、この前の講義なんだが――」
 ボーダーで講義を抜けることのある嵐山くんはこんな風に声を掛けてくることが多くなった。
「ノート貸すよ」
「ありがとう! 今日、時間あるか?」
「うん大丈夫」
 この流れから喫茶店へ行って嵐山くんがノートを写して私はそれを待っているだけの時間になる。
 最初はコピーをとろうかと提案したんだけど分からないところは聞きたいからと言われて一緒に過ごすようになった。
 ノートを写すだけで終わる時もあれば本当に分からないところは質問してくる。その度に自分が理解していないのだと知り、逆に嵐山くんに教えられる形になったこともあって自分のポンコツ具合にがっかりした。
「私のノートじゃない方がいいんじゃない?」
 そうお断りしようと勇気を出して言ったこともある。だけど嵐山くんはきょとんとした後に真顔で答えられた。
「神威の字が好きなんだ。文字が自然と入ってくる」
 好きという言葉に反応したのも束の間、真面目な彼らしいと言えなくもない言葉にほっとしたような残念なようなそんな気持ちになっている自分に気づいた。そこに付け込まれたのか結局このまま続行することになった。ノートも自分に分かる取り方から嵐山くんが見て分かるようにと意識するようになった。おかげで講義に対する集中度や理解度はかなり増した。
「最近熱心だな。この調子で頑張りなさい」
 講師の言う通りだけどきっかけが嵐山くんに見せられるノートだったのでどう反応すればいいのか分からない。なんとなく言われたから応えただけの行為がいつの間にか彼のために自発的に行うような形になっていたことに気づいて恥ずかしくなった。それでも慣れてきた習慣は手放せなくて止めることはしなかった。
 そんな感じで続けられた交流は時間が合えばご飯をするようになったし映画を観に行くようにもなった。大学や家族の話がメインなんだけど、嵐山くんの口からは兄妹の話や愛犬の話をよく聞くようになる。コロの散歩にも誘われた流れでいつも散歩に行く迅っていう仲の良い友達の話もしてくれた。
 どの話をする時も嵐山くんの顔は真っ直ぐて想いが伝わってくる本当に大切にしていることが伝わってくるし、いいなぁとも思うようになっていた。

「アキと嵐山くんって仲が良かったんだね。いつから?」

 食堂で友達とイコさんとお茶をしていた時にふと言われた。
 今まで知らなかったことが悔しいと口を尖らせる友達に私の頬は自然と緩んだ。いつからと聞かれると告白された時のことが思い浮かんでしまう。
 私の顔を見てニヤニヤ笑ってくる友達に「止めてよ」と抗議する。けど、言われてあらめて実感した。私の日常には嵐山くんはいる。そう考えると胸がぽかぽかしてくる。行き過ぎると身体が熱くなるから冷ますのに忙しくなる。
「なんや、神威ちゃん嵐山といい感じなん? イケメン羨ましー」
「それ達人の台詞じゃないからね」
 目の前で繰り広げられるやり取りに自然と笑いが零れる。
 幸せそうでよかったなぁ。
 他の感情が何一つ混ざらずにそう思える自分は今どんな人間なのだろうか。少しは前に進めているのだろうか。そうだったら嬉しい。
「で、神威ちゃん実際どうなん? 嵐山いい男やん」
「どうって……」
 本人に言っていないのにここで自分の気持ちを吐露する? それはなんというか――口をもごもごさせていると二人が目の前でにまにましてくる。付き合うとここまで表情が似るものなのか。感心すればいいのか呆れればいいのかと溜息を吐いて、嵐山くんに想い馳せる。
「嵐山くんのこと――」
「俺がどうかしたのか?」
「あぁ、惜しい!」
 背後から噂の本人が現れて心臓が飛びあがった。先程の二人の表情から察するに嵐山くんが近づいているのを分かっていて話を振ったのだろう。なにそれ、この二人は自分達が幸せだからって少し自重して欲しい。
「何って、ねぇ?」
「嵐山を売り込み中や」
「そうか。どんどん売り込んでくれ」
「わ〜」
「く、余裕かいな」
「そうでもないぞ?」
 嵐山くんの言葉の一つ一つが胸にくる。止めようと口を開く前に何を察したのか、友達とイコさんがお互いを見合わせているのを目視した。
「嵐山くんアキいる?」
「ん? 次は神威ちゃんの売り込みしとくか?」
「もう知っているから大丈夫だ。どちらかと言うと貰われて欲しい」
「え」
「神威、行こう」
 嵐山くんが私の手を取り引き寄せる。そのままついていくのは恥ずかしすぎて二人の目の前にいられなかったからだと思いたい。
「え、マジで答えるイケメン違和感なさ過ぎて逆に怖いわ」
 聞こえてきた言葉に同意する。でも別に不快感はなかった。それが何故なのかは大分前から分かっている。ただもう一踏ん張りの勇気が出ないだけで――あの時の言葉の通り今も私は嵐山くんに甘えている。
 引っ張られる力に従って歩いていたけど意を決して嵐山くんの手を握り返す。自分の意思で歩けば嵐山くんの歩く速さがゆっくりになった。
 どこへ向かうと決めたわけでもないのに私達は前に向かって歩いていく。それに迷いはなかった。
「嵐山くん、あのね」
 緊張しているのが伝わったのか嵐山くんの手に力が籠る。不思議とそれに勇気づけられた気がして……涙が出てきそうだ。
「私、二人が付き合うことになった時、嬉しかったけどどうすればいいのか分からなかったの。多分、いつも通りに二人と過ごすことできなかったと思う。でもあの時嵐山くんが私を見つけてくれて好きだって言ってくれていつも一緒にいてくれたからさ、二人と一緒にいても平気だったし……嵐山くんのおかげなんだ、ありがとう」
 私の言葉を黙って待ってくれる。嵐山くんはずっとずっと待っていてくれた。だから胸が高鳴っても頭がいっぱいになってもゆっくり自分の気持ちを形にしようと思えた。
「そうか」
「うん。二人のこと、前よりもっと好きになったよ。それから嵐山くんのことも。今まで待っていてくれてありがとう」
 ここまで言うのに凄く頑張った。でもまだちゃんと伝えられていない。大丈夫、分かっている。私は息を吸い込んだ。
「嵐山くん、私、嵐山くんのことが好き。これからも一緒にいてくれる?」
「……」
 返ってこない言葉。私は待たせすぎたのかと不安になって隣を見上げる。
 嵐山くんは空いている方の手で口元を覆っていた。
「今、神威を抱きしめたい」
「っ! こ、こは皆いるから駄目、です」
「じゃあ早く二人っきりになろう」
「わっ!」
 急に足早に歩き出した嵐山くんに慌てる。目に映った嵐山くんの耳が紅く染まっているのに気付いたら胸がじんわり温かくなる。
「あまり見ないでくれ。恥ずかしい……」
どの口が言うんだと思うけど、そう言われると私はもっと恥ずかしくなるから止めて欲しい。だけど浮つく心はそれ以上に嬉しいと叫んでいた。

「アキ、好きだ。今までもこれからもずっと好きだ」
「うん!!」


20191231


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