嵐山准
初恋が終わらない


「自分のなりたいものを描いてみましょう」
 先生に言われてクレヨンを手に取った。アキが描いたのはお姫様、お嫁さん、お花屋さんと女の子に人気な夢の一つ。フリルとリボンとドレスを身に纏う自分だ。会心の出来栄えに目をキラキラさせた。
 隣から「できた」という声が聞こえてくる。気持ちそのまま振り向いたアキは隣の画用紙に描かれているものに目を見張った。
 描かれていた男の子と女の子。そしてナントカレンジャーのレッドだった。
 もうすぐ弟か妹ができると言っていた彼はよくかっこよくて強いお兄ちゃんになるのだと言っていたからその影響なのだろう。ある程度知性があれば分かることでも当時のアキには理解できないものだった。なんとなくつまらないという感情が支配していて「これなに?」と口を尖らせて呟いた。
 彼は気にすることなく「ヒーローになりたい」と答えた。先程アキがしていたようなきらきらな目をして。
「じゅんくんヒーローになるの?」
 テレビで見るヒーローはいつも危険な目に遭っている。叩かれて蹴られて可哀想だとアキは思っていたし爆発したところから出てくるのは怖かった。
「こわいしいたいのやだぁ」
 それよりもキラキラした優しい王子さまが似合うのだと、幼いながらも抱いていた想いにアキは無粋にも自分の願望を押し付けた。それでもヒーローを譲らなかった彼にアキは言った。
「あたし、じゅんくんすきー」
 人目を気にすることはない。誰に咎められることもない。素直に自分のこと気持ちを告げることが許された頃。アキが純粋に告げた気持ちに彼は口を開いた。

「   」



 押し入れの中を整理していたらでてきた懐かしい絵を見ただけで当時の自分が男の子をどれだけ好きでどれだけ自分のことを見て欲しかったのか直ぐに思い出せた。子供らしく純粋でまっすぐ。今のアキからみればおままごとみたいなものだが間違いなくあれが初恋だった。思わず笑みを浮かべる。この絵の女の子のお相手が嵐山准だなんて口が裂けても言えない。少なくても今は。そう考えて溜息を吐いた。
 昔馴染みで一緒に年を重ねてきたアキは嵐山がどんな成長をしていったのか間近で見てきた。
 優しくてスポーツ万能はかっこいいというのはどこにでもある方程式のようなもので、小学生の頃は認知度が高まる運動会などは同学年だけでなく先輩後輩の目を集めていた。他の男子がするような阿保みたいな行動もしない模範的生徒だった嵐山は先生からも人気だった。
 中学生になると急に伸びた身長と声変わりで男度が増して密かなファンクラブができた。それがボーダーに入隊してからの記者会見で隠れファンクラブが公式ファンクラブと変化しアイドル化が進んだ。
 高校に上がった頃には得体のしれないボーダーでの活躍をよく聞くようになり学校の生徒だけでなく先生、そして街の人から「ありがとう」と感謝されるヒーローだった。
 幼い頃描いた夢を実現していることにアキは流石だなとしか思えなくなっていた。
 それに比べて自分はどうだっただろうかと思い返すが一応それなりの成長はしていた。運動しても最下位走者を回避することしかできないし頭のつくりが良くないため結果を残すことはできていないが。外見も気を配っているが可愛いなんて一度も言われたことがない。何をしても平々凡々な人間だった。
 「嵐山くん」と誰かが呼んだ。無意識に彼のことを考える。
 皆が言う嵐山准は、アキもよく知る男の子だった。
 頭が良くてスポーツができる。責任感があって優しい。かっこいい爽やかな好青年。シスコンブラコンだったり嘘が苦手なとこもあるがそれも彼のいいところで彼に惹かれる者は多い。だからなのか誰が嵐山に告白したとか結果がどうだとかいう話を聞く機会も多かった。その度に安堵と後悔と絶望感をアキは何度も味わった。
 昔、素直に言えた好きという言葉は実は凄く難しいのだと知った。
 クラスの男子でかっこいいのは誰かと皆が作ってくれた流れで嵐山の名前を挙げることができるのに恋バナで自分の恋を咲かせるどころか種を蒔くこともできなかった。恋心を上手く形にすることが、できなかった……。

 嵐山くんは兄妹のことが好きなんだって。
 ――うん、知ってるよ。
 雑誌に嵐山くん載ってたよ。
 ――へぇ凄いね。
 嵐山くん好きな子がいるんだって。
 ――……そうなんだ。

 皆が聞かせてくれる嵐山准はいつの間にかアキの知らない男子になっていた。それを感じてようやく自分が今どこに立っているのかを受け止めた。
 アキは出てきた絵をもう一度眺める。
 ぐちゃぐちゃに丸めて捨ててしまうのがいいのかそれともこのまま残した方がいいのか。
(持ってい――のはないよね、置いていこう)
 アキは机に絵を置いた。部屋を見渡すと積み上げた段ボールが目に入ってもうすぐこの部屋とお別れするのだと実感する。
 ピロリ〜ン。
 スマホが鳴って画面を確認するとL〇NEがきていた。
『アキさん今家?』
『そうだけどどうしたの?』
『生駒っちからアキさんが京都G大行くって聞いたんだけど』
『そうしたら嵐山がそっちに向かった』
「え」
 どういう流れで嵐山が自分の家に来るのだろうか。
 口にしたままを送信すれば迅は分からないと表現したいのか微妙なスタンプを送ってきた。アキは特に考えることなく指を動かしてメッセージを送る。
『電話じゃ駄目なの?』
『直接話したいことでもあるんじゃないの?』
『なに?』
『自分で直接聞きなよ』
「――と言われても」
 嵐山が家にくるなんて中学生以来ではないだろうか。懐かしさと緊張とでじわりと汗がでてきそうだ。
「いやいやいや」
 緊張なんてする必要ないじゃないかと言い聞かせて。でもじっと待つのは変な気がしてくる。自分の部屋で待たなくても良いと思い至ると慌ててリビングへと向かった。
「アキ丁度いいところに。母さんちょっと買い物行ってくるから」
「え」
 返事を聞くことなく出かけて行った母に呆気にとられ外から聞こえてきた「准くん久しぶりじゃない!」という声に開いた口が塞がらなくなる。間もなく聞こえてきたチャイムの音にとりあえず口を閉じて顔を整える。そしてドアを開けた。
 目の前にいる嵐山は走ってきたのか肩が上下しているし吐き出す息が白かった。
 なんでだろう。という思いよりも先に言葉に出たのは家の中へ促すこと。とりあえず落ち着いてもらおうと「お茶持ってくる」と伝えたのに嵐山は待ってはくれなかった。
「三門を出るの本当なのか?」
「あれ言ってなかった?」
「……聞いてない」
 そうだっただろうかと首を傾げて見せる。伝えたような気がするのになぜだろうと考えて、生駒に伝えたから知っている、と。嵐山に伝わっていると思い込んだことに至る。
 直接明言するのを避けていた? 何故? ――とは考えなかった。
「迅くんから連絡きたけどL〇NEでも良かったのに」
「俺、聞いてなかったんだ」
「ごめん」
「だからアキは地元のとこに行くんだと思って」
「うん、ごめん」
 特にやりたいことが決まっていないなら地元か名前の知れたところを受けるのが一般的だろう。だから地元の大学へ行くのだと思われていた。そう考えるとなんだか悔しくなってきた。
 昔馴染みは自分のことを何も知らない。当然だ。恋心どころか何も、神威アキの要素を一つも話さなかったのだから。それを悔しいと思う自分にイラっとした。諦めたと思っていたのに無様にも手放せない想いに気づいて辟易する。だから最後くらいは自分のことを知ってもらおうと思い口を開いた。
「絵を描くのが好きなの」
「あぁ」
「だから他の風景を見てみたかったの」
 やりたいことがある。崇高な理由があればもっとすらすらと言えたのだろう。別に嘘をついているわけではないが全てを曝け出しているわけでもない。真剣に聞いてくれる嵐山に言おうかどうか悩んで。
「ねぇ嵐山は好きな人いる?」
「え?」
 不意な言葉に予想していなかったのだろう。崩れた嵐山の顔を見てアキは言葉を一気に吐き出した。
「噂なんだけど好きな人がいるといつも見る風景が違って見えるんだって。だから初めての場所でいろいろ挑戦してみようと思うの」
「……そ、れは……」
 嵐山が言葉を詰まらせる。それもそうだとアキは納得する。とってつけたような言い回し。何言っているんだと思うだろう。だけどこれがアキにとっての本心だ。
 恋がしたい。君ではない何かに。だから知らない場所へ行きたい。新しいものに出会って刺激を受けたい。幼い頃に描いた夢を手に入れた昔馴染みに焦がれるのではなく。今の自分で。見たもの感じたものを描ける大人になりたい。そう強く思った。だから一度自分の心をリセットしようと考えた。そうしないと前へ進めないような気がしたから。
 想いがどんどん駆けていく。だけど言葉出来たのはほんのわずかだった。納得していない昔馴染みの顔にアキは意地悪にも拗ねた顔をした。
「笑顔で応援してくれると思ったのに」
「応援、する。急だったから、ちょっと待ってくれ」
 雑な扱いになってしまったことを反省して目の前にいる嵐山の表情を読み取ろうとし……止めた。アキはあらたな自分の夢を手に入れるために幼い夢を手放したのだから。今は自分のことを考えようと思ったのだ。


20200209


<< 前 | |