影浦雅人
恋の味


「カゲくんには内緒です〜」

 帰り際にばったりと会った幼馴染とその友人に影浦は訝しげな眼差しを向けた。
 二月ももうすぐ折り返すというこの時期。毎年のように貰っているため彼女が買い物袋を提げている理由はすぐに思い当たった。なのに当人はバレていないと思っているのか、どきどきとわくわくでコーティングした気づかれてはいけない意識を送りつけてきている。それに呆れたように微笑んでいたのは彼女の友達だった。
 彼女は自分達が何をしようとしているのか、影浦が気付いていることを想像できたようだった。
「アキちゃん、私の家ここだから! あと、隣がカゲくんの家」
 初めて友人を自分の家に上げるらしい幼馴染は嬉しそうにそして雑に自分の家と影浦の家を紹介する。その様子に特に何も思うことはなかったが他人から見るとまた違ったらしい。アキの柔らかい雰囲気に少し驚く。
「仲いいんだね」
「どこが」
「そうだよ」
「お、息ぴったりだ」
「もう!」
 影浦が反応するよりも先に幼馴染が反論する。それよりも早くと急かして自分の家の中に誘う姿は幼く見えてお前ら本当に同じ年齢かと疑ってしまう。
 彼女達が家に入るのに少し遅れて影浦も自分の家、「かげうら」の裏口から家に入った。
「雅人ーちょっと手伝ってくれないかい?」
「へーい」
 親に店の手伝いを要請される。特に用があるわけでもないので軽く引き受けると洗い物に時々配膳を行いゴミ出しをするために厨房の扉から外に出た。
 外から香る甘い匂いに胸やけする。
「アキちゃんの彼氏ってどんな感じー?」
 壁を隔てた先から聞こえてくる幼馴染の恋バナにこれでバレンタインサプライズというやつを毎回企画し成功させようとしているから驚きだ。
(あー神威付き合っている奴いるのか)
 聞こえてきた言葉をなんとなく、胸の中で呟いた。
 壁の向こう側で飛び交うどういうところが好きなのかとかどうやって付き合うようになったのかと、遠慮ない幼馴染の言葉が飛んでいるのが聞こえて同情する。故意ではないとはいえ盗み聞きしている状態になっている自分に呆れ、早々に二人の会話から意識を手放した。幼馴染のサプライズがあるとしても影浦は基本的にイベントとは無縁だと思っている。明日、幼馴染から受け取ることになるのかと思っていた夜に「少し早いけど」と幼馴染の乱暴な訪問を受けることになるとは想像していなかった。
「見て〜アキちゃんと作ったの! 有難く受け取りなよ」
「うぜぇ」
「そんなこと言わないで! アキちゃんと綺麗に包んだんだから! ねぇ、感想聞かせてよ」
 リボンが解かれて小さな包みからひょっこりと出てきたクッキーに幼馴染は有無を言わさず差し出した。早く食べろと言いたいらしい。無理矢理食べさせられて有難みを感じるよりも呆れしか沸いてこなかったが習慣化してしまったこのイベントでは今更のように思えた。口にしたクッキーはサクサクしていて食べやすかった。
「美味ぇーよ。これで満足か?」
「なんか適当に聞こえるな。もう少し優しく。アキちゃんの彼氏見習いなよ」
「ふざけんな。っつうか誰だよ」
 知らない人間の真似なんてできるかと、する気もないのに反論すれば幼馴染の押してはいけないスイッチを押してしまったらしい。それから聞かされる世間話に付き合わされることになった。

 そして翌日の学校。
 影浦は周囲から放たれる感情を誤って受け取ることがないようにと人の通りが少ない場所や時間帯を狙って移動する。校内だから限りがあるしあまり効果はないが気持ち的に少し楽になれる気がした。
「俺、好きなやつできたからお前と別れるわ」
 ぼふっと重量のあるものが落ちた音、ガリッと嫌な音がした。続いて聞こえてきた足音に面倒なことに鉢合わせするのを察した。
 視線が一つ突き刺さる。影浦と面識のない男子生徒のものだ。彼が抱いた不快感が素直に伝わってきたが一瞬で終わる。たまたま意識が自分に向いただけだったようだ。小さな風を起こして遠くなっていく足音に時の進みを感じる。反対に目の前に滞在する光景にどうしたものかと考えてしまった。どう考えてもあの最後の言葉から想像できる展開は良いものではないからだ。
 どうせ赤の他人なのだからと、知らない振りをしようと考え直したのに自分の身体に絡みつく意識に反射的に反応してしまった。
 目と目が合う。

『アキちゃんの彼氏ってどんな感じー?』
『見て〜アキちゃんと作ったの!』
『なんか適当に聞こえるな。もう少し優しく。アキちゃんの彼氏見習いなよ』

 アキとは昨日顔をあわせたばかりでほとんど赤の他人だ。だが、脳内で勝手に再生される幼馴染の嬉しそうに話している姿に、立ち止まれと言われているような気がした。
「あ、ははは……変なとこ見られちゃったな」
 控えめに笑ってから作り出される表情は何も知らなければいつも通りに見える類のものだろう。
「なんとなくそうなるのかなって思ってたんだ。だから割と平気」
 こちらは何も聞いていないのに自ら語る言葉はこれ以上関わらないで欲しいという拒絶だった。別に拒絶されるのは構わない。人間誰しも触れられたくないことの一つや二つあるものだ。影浦だってそれくらい心得ている。言葉とは真逆の悲痛な想いが遠慮なく身体に刺さってきていたけど本人の主張を汲もうと一歩、距離をとる。
 影浦が立ち去ってくれるのが分かったのだろう。気が緩んだのかアキから感情が溢れ出した。真っ直ぐ浴びてしまった強い想いに影浦の身体がよろめいた。なんとか踏み止まりアキを、その足元に落ちているものに目線をやる。リボンが結んである小さな包み。自分が知っているものに比べて形が崩れているのを目にして一瞬で頭が熱くなってしまった。だから数歩だけ……。余計なお世話だと分かりながら影浦は彼女の領域に侵入することにした。力を入れすぎないようにと小さな包みを拾い上げる。
「ほらよ」
「……それ、もういらなくなっ」
 無理矢理アキの手に小さな包みを押しやった。
「他人に蔑ろにされたままにするなよ」
 想いを育てていく過程を知っている影浦は結果がどうであれ捨てるべきものではないと思っている。自分の意思で決めたのならともかくこんな風に真心を誠意なきもので踏み躙られていいものではない。
「いらねーならちゃんと自分で片づけろよ」
 一人で泣く予定だったのだ。それくらいできるだろう? と愚直に伝えられるものは甘くなくて厳しい。まだ影浦がいるのにも関わらずアキは人前で我慢することを止めたのか顔を歪めた。
「影浦くん。小腹すいてたりしない?」
「は?」
「……一人で食べるのきつくて」
 アキは自分の手の中にある包みからリボンを解いて遠慮がちに差し出した。ふんわりとした甘い香りが漂ってくる。そして先程よりもしっかりとした意思が影浦に向かって飛んできていた。
 発破をかけたのは自分だ。だからこれくらいであれば付き合う気だ。それにクッキーは先日食べているため味は知っている。遠慮する姿勢を見せずに影浦は砕けた欠片を手にして口の中に放り込んだ。
「甘いな」
「でも美味しいでしょ?」
 幼馴染とは違う味だが確かに美味しかった。さっきの男のために作ったのだと分かる味に影浦は答えた。
「あぁ、うめーよ」
 その言葉を聞いてアキは涙を流した。
 

20200224


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