隠恋慕
隠れることにした


「影浦くんのことが好きです」

 窓から差し込む光で辺りがオレンジ色に染め上がる。教室の扉を開けようと手を伸ばしたところ聞こえてきた言葉に、星空きらりは咄嗟に手を引っ込めた。
 聞いたことのある声と言葉に、扉の小窓を覗き込まなくても何が起こっているのか嫌でも分かる。
 告白シーン。しかも自分の学級委員と影浦雅人の、だ。
 予想もしなかったことに頭が真っ白になって気を利かせて立ち去ることも興味を持って聞き耳を立てることもできなかった。
「悪ぃ」
 影浦の声がした。
 言われたのは自分じゃないのに息が詰まって苦しくなる。
「今、他のことに気ィ回すつもりはねぇんだ」
 何かに弾かれる様に足が動き出す。
 最後まで聞いてしまうのに気が引けた。気まずさのあまり素知らぬ顔で接するのが難しい。影浦のこと、好きな子が他にもいたんだ。今影浦は……。
 いろんな想いが膨れ上がって思考が定まらない。
 影浦は、恋愛に興味がないのだろうか。それとも断るための方便なのか。
(どうしよう)
 影浦に対して抱いているものの自覚はある。でもそれは友達として一緒にいられるだけで良かったもので……先のことは望んでいなかった。それは誰かが影浦の特別になって隣にいる。そういう光景を思い描いたことがなかったからだ。
 想像していなかったことがぐるぐると頭の中を暴れ回っていく。
 今回は大丈夫だったけど次も大丈夫だとは限らない。
(どうしよう、気になる)
 だからきっとその答えを知るにはきらりも彼女と同じことをしないといけないのだ。
『悪ぃ』
 影浦の声が脳裏で過る。
(私は、カゲのことが――)
 オレンジ色から赤みが失われていく。セピア色に染まるその日は高校二年生のころの話だ。



『トリオン体、活動限界。ベイルアウト』

 低くて鈍い音と共に身体がマットに沈む。同時に気分も沈んだ。
 きらりと影浦はランク戦をしていた。その結果がこれである。今回も影浦に一勝することができなかった。一戦に懸けた想いからつい音にしてしまう。
「結構いいところいったと思ったのに……!」
『お前の意識分かりやすいんだよ』
 空間いっぱいに影浦の声が広がった。
 ランク戦の待合室。自分がここにいるということは無論対戦相手も己の部屋にいるということだ。通信を繋げたままだったのか覚えがない。意図せず聞かれてしまい、心臓が思いっきり飛び跳ねた。それにびっくりして胸が痛くなり、反射的に胸を押さえつけ深呼吸する。そして何でもない風を装って言葉を続ける。
「単調だってこと? 結構工夫していると思うんだけど」
『それが全部伝わるんだって。俺に挑んでくる意味分かってんのか?』
「分かってるよ! だからいろいろ考えているのに」
『……知ってる』
 隠しているつもりの自分の意識や感情。しかし影浦が持つ感情受信体質のサイドエフェクトは気を利かせてくれることはないらしい。律儀にきらりの意識を拾っているようで気づかれなかった試しはなし。
 意識しないようにしようと思っても無心で戦うなんて芸当はきらりには無理だ。そもそも考えながら戦っているのにそれをなくすなんてことはできるのか。漫画の世界でもあるまいしい頭を空っぽにして戦うことなんて無理だというのがきらりが出した結論だ。
 であれば、自分の思考がある程度気づかれても抑えつける技術が必要になる。しかし今のきらりにはその技術が足りない。只今、絶賛腕磨き中であった。
 ランク戦のことを意識しながらあれだこれだと考えて一度思考をクリアにする。
 今は音声越し。きらりがどんな風に影浦のことを意識しても視認していない以上本人にそれが伝わることはない。
 こう考えると影浦のことが苦手なのではないかと思われそうだが苦手ではなく寧ろその逆。今はボーダーのことを意識するようにしているため淡い想いは隠せている、はずだ。不意にトクトク心音が主張することがあるが昨年に比べればそこまでではない……のだ。
 現にきらりは影浦に言及されたことがない。気づかないふりをしてくれているのかもしれない。そもそも影浦のサイドエフェクトがどんなものか知っていてもどういう風に伝わるのかきらりは全く理解できていない。もしかしたら影浦も同じで受信しても区別ができないものがあるのかもしれない。そうだったらいいなと少しばかり思う。
 影浦は素直だから。それが迷惑であれば言ってくる。もしかしたら距離を置くかもしれない。でも今のところそれがないということはきらりは一緒にいても大丈夫な人間だということだ。そこだけは何が何でも死守したいポジションだ。
(カゲに拒否されないように頑張る! まずは強くなって興味を引くんだ!)
 楽しそうにランク戦をしている影浦の顔を思い浮かべて拳を握る。そして口を開いた。皆と同じように声を掛けるだけなのに心臓がいつもよりも大きく音を立てて身体中を震わせる。自分の声が掻き消されてしまいそうだが負けてはいられなかった。
「もう一戦しよう!」
「そんなデケー声出さなくても聞こえてるって」
「う、ん」
 ちょっとでも意識を向けるとすぐこれだ。心臓の鼓動が加速する。折角、一試合付き合ってくれるのだから頭を切り替えていこうと深呼吸を繰り返して言い聞かせる。
「よし、お願いします!」
 言うとすぐに仮想マップに転送された。
 探すことよりもいつ攻撃されても対応できるように周囲を警戒することに注力する。
 稲妻のような光が走る。そして遅れて風を切るような音がした。正確な位置を把握するよりも早くシールドを発動する。
 ピシッ。
 ひび割れたシールドに構うことなく右手に持っている銃の引き金を引く。反射的に行われた攻撃だったが影浦には大したことではなかったようだ。難なく交わすのを目視し、きらりは地を蹴って左手を振りかぶり手から刃を伸ばした。
 剣と剣が音を立てながら交じりあう。次の瞬間、視界が黒に塗り潰された。
「!?」
 いきなりのことで視力が現実に追いつかない。淡い光の動きにどう対応しようかと迷いながらスコーピオンを放棄しながら後方へ跳ぶ。そしてシールドを二つに分割する。急所を避けるために頭と胸を守るための態勢。それを自分とは少し離れた場所に出現させる。
 距離がしっかりと取れていればまるでそこにいるかのように錯覚させることもできたのだろうが……相手は影浦。足掻くにしてもお粗末な感じが拭えない。だからあまり期待していないというのが本音だ。
 ちりっときらりの首元に静電気のようなものが発生した。
「……!」
 眼前で見える光の刃がきらりが出したシールドの方に伸びたかと思えば、きらりの死角で弧を描いて落ちてくる。
 咄嗟に首元にシールドを出して防ぐと今度はお腹の辺りに普段感じることのないような熱が刺さる。思わず引き金を引いて弾丸を数発発射させた。
 前触れもなくマップ内に明かりが灯る。
 影浦が迫ってきていた。
 弾が影浦の頬を掠める。口角を上げる影浦の顔を見た時にはきらりの腹部が斬られ、暗転。スイッチを押したようにすぐに鮮明になる視界に真っ先に飛び込んできたのは天井だった。
(今、なにか……)
 不思議なことが起こったような気がして、なんとなくお腹を擦る。痛みが走ったような気がしたが特に何もなく。けれども身体をすぐに動かすことはできず天井を見つめるしかできなかった。

『只今、ボーダー本部の防御システムに不具合が発生しました。状況を確認するため、訓練施設等の機能を停止します』

 初めて聞くアナウンスだ。
 個人ランク戦ブースも訓練施設に該当することから暫くは使えない。
 どうしたのだろうかという疑問は今、エンジニア側が調査している最中で知ることはできない。
 いつ回復するか分からない以上、ここにいる意味はないだろう。
(とりあえず影浦と合流する?)
 思い立ってようやく身体を動かした。きらりは部屋を出て階段を下りていく。
(カゲは――)
 考えている最中、誰かに右肩をつんと突かれた。確認しようと振り向いてみるが誰もいない。きらりは首を傾げながら視線を先の方へと延ばしていく。
「あ、カゲ」
 きらりが名前を呼んでも影浦は黙ってこちらを見ているだけだ。産毛が逆立つような刺激が顔に集中する。
 影浦の目が細められる。同時に針が刺さったような痛みがしたような気がして一瞬顔が引き攣った。
 次に右腕がつんつんと突かれるような感覚がして何かあるのだろうかと腕を上げる。同時に影浦の手が伸びてきて右腕が掴まれた。
 予想外の出来事に心臓が飛び跳ねて胸が痛くなる。
「か、カゲ!」
「――きらり。今、俺に意識向けているよな?」
 いつもに増して真面目な顔だ。ふざけていないことだけは分かり、平静でいるように努める。が、間近で見る顔に耐え切れなく心臓だけが好き勝手に主張してきて胸が痛い。顔もまるで日焼けをしたようなヒリヒリとした感じがした。
「いきなりどうしたの?」
「……突き刺さってこねぇ」
「え?」
 影浦のサイドエフェクトだ。
 自分の能力は便利ではないと、彼のサイドエフェクトを初めて知る人間や難癖つけてくる相手に向かって度々零していた言葉だ。
 物心ついた時には既に持っていた能力。共存するしか選択がなかったから慣れたときらりは聞いたことがある。そしてこのサイドエフェクトがあって良かったと前向きな意見は聞いたことがない。
 突き刺さらないということは影浦のサイドエフェクトが消えたということか。後天的に能力を得ることがあるのは知っているが逆にサイドエフェクトがなくなった人がいるという記憶はない。本当になくなったのであれば影浦にとってきっと嬉しい出来事のはずだ。しかし影浦の表情にその感情は浮かんでこない。
 深刻な顔色から胸に何か想い抱いているのだろう。行き場のない気持ちが視線に乗って突き刺さってくる。
「……っ」
 また、だ。
 きらりはまた顔を顰めた。それを見た影浦の目つきが鋭くなっていく。
 何か不快にさせることでもしただろうか。しかし思い当たることはなく影浦を見つめ返すが、どうしてだろう。胸の痛みとは別の痛みが身体に走る。
「そういえばランク戦の最後、お前俺の攻撃に反応していたよな」
「反応くらいするよ」
「いつもよりも良かった」
「強くなるためにやっているんだもん! それだけ成長しているってことでしょ?」
「鋼じゃねーのに、十分そこらでいきなり成長するか」
「ひ、酷い……」
 だが正論過ぎてそれ以上の言葉を吐くことはできずきらりは肩を落とす。
「さっきも」
 まだ何かあるのか。
 上目遣いで様子を窺うが影浦は気にすることなく呟いた。
「俺が手を掴む前に分かっていただろ。あれはそういう反応だ」
「え?」
「とぼけてる……つうよりは理解できてねーってか。鈍感にも程があるだろ」
「な、私のどこか鈍感なの!?」
 きらりの反応に影浦は溜息を吐いた。
「じゃあ聞くけど、さっきから顔を顰めてるのはなんでだ?」
 正面からぶつけられる視線が突き刺さる。それに何も感じないと言えば嘘になる。だからと言ってこれが影浦の言う通り、感情受信体質のサイドエフェクトだというのはにわかに信じ難い。
「っ」
 顔に、右腕に、背中に、頭に、各方面から何かが集まってきた。ぞわっと身体が震え上がる。その中でも左側から感じるものは少し違う気がしてきらりは振り向いた。
 そこには水上敏志がいた。
「お前らなにしてんねん」
「何って?」
「こっちは取り込んでんだよ」
「見れば分かるわ」
 テンポよく突っ込むと水上は興味深そうな目で影浦を見る。
「人がぎょうさんおるとこ好きじゃない言ってたから目立つようなことはせぇへんと思っとったわ」
 きょとんとしたのは影浦だ。
 珍しい反応に違和感を覚えつつも水上は指し示す。二人は指の先にあるものを注視する。
「星空になんかあるんやろうかって皆気になってる。カゲなら分かっとるやろ」
「……あぁ」
 影浦は掴んでいた腕を放す。
 一連の反応に違和感が大きくなったのか水上は周囲と同様、好奇な目を向ける。それに反応したのは影浦ではなくきらりの方だった。
 水上が口を開くよりも先に影浦が言葉を発する。
「今から寄るとこがあんだよ。きらり行くぞ」
「う、ん」
 短兵急に話を振られ、戸惑いながらもきらりは返事をすると影浦の後をついていく。自分の背後が気になるがそれよりも前から飛んでくるものの方が気になって仕方がなかった。

 言われるがままに後をついていき、辿り着いたのはエンジニアの聖域である研究室だ。
 たまたま居合わせた寺島雷蔵にランク戦をしてから影浦のサイドエフェクトが機能しなくなったこと。かわりにきらりに感情を受信する体質になったかもしれないという話をした。
 二人の話を聞いた寺島は実態を把握するためにメディカルチェックを行った。そして待つこと数十分。結果は申告通り影浦のサイドエフェクトは消え、きらりにサイドエフェクトが付随していることが分かった。
 寺島は淡々と告げ、平静な装いだが、今きらりには彼の意識が刺さってきている。初めてのことでこれがどの感情に部類されるかは分からない。身体がそわそわしてしまう。
「なくなったサイドエフェクトが他の人間に発現することなんてあるのか?」
「少なくてもボーダーでは今までそういう事案は起きていないけど、ありえないと断言するには俺達はまだ近界民技術を把握しきれていないからな――正直なんとも」
「どっちつかずな回答だな」
「ちょっとカゲ」
「影浦の言う通りだから気にしなくていいよ。これが本当なら研究チームが喜ぶだけだから」
 そう返されてようやく寺島が浮かれていることが分かる。
(この感じは気になるってこと、かな?)
 しかも嬉しいや楽しいというようなプラスの感情も交じっている。……ような気がした。
 些細なことでもボーダーに貢献できるのは嬉しい。が、妙な言い回しのせいで言葉が耳に残ってむずむずする。おかげで素直に喜ぶことはできなかった。
「本当なら? こうなった原因の目星でもついてるのか?」
 まるで自分の気持ちを代弁するように影浦が寺島に尋ねる。その瞬間、きらりに飛んできた視線の刺さり方が変わった。寺島は先程よりも落ち着いた雰囲気で話し始める。
「これは推測の域を出ないんだけど」
 そう前置きをしてから寺島は話し始める。
「二人ともランク戦していた時のこと覚えている?」
「はい」
「まだ調査段階なんだけど二人はきっと当事者だからな――……」
 口外するなと言われ二人は黙って頷いた。
 
 時刻は二人がランク戦をしていた頃。ボーダー本部は外部からネットワークを侵入されていた。それに気づいて対応した結果、起こったのが数分の停電だ。
 現在エンジニアの方で被害状況の確認とどこから攻撃されたのか確認している最中だ。しかしデータが盗まれたわけでも、攻撃を受けた跡も見当たらない。
 結果、ボーダーのネットワークに侵入されたという気味の悪い事実しか残っていなかった。
 そこにやってきたのがきらりと影浦だった。
 サイドエフェクトの消失と、発現。自然発生にしては違和感を覚えるが、それよりも何かしらの要因により二人の中身が、もっと言えば能力が入れ替わってしまった。そういわれると妙に納得してしまうデータ構造になっていた。
 こうなってしまったきっかけはネットワーク侵入。偶然にも二人がトリオン器官になにかしらの介入を受けた。当事者には申し訳ないが調査の糸口を得ることができたといってもいい。それが寺島の反応が妙な理由だ。
「現段階で二人の現象が一時的なものなのか永続的なものなのかは分からないけどトリオン体を解いても影響していることから覚悟して欲しい」

 それは元に戻ることができないかもしれないということだった。


20190916


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