隠恋慕
想い、探しています


 件の事件から数日。二人のことを知っているのは当事者である影浦ときらりにその報告を受けた寺島。他には彼等の事象に関連しそうな研究を行っているチームと開発室長と上層部の一部だ。
 他の隊員に周知しなかったのは内容が内容だからだ。
 影浦のサイドエフェクトがきらりに、そしてサイドエフェクトを持っていないきらりの体質が影浦に。二人は能力が入れ替わってしまっている。好奇な目が集まることは避けられない。
 長年付き合って能力に慣れた本人と違い、今までサイドエフェクトと無縁な生活をしていた人間は慣れるまでの間、身体に負荷が掛かる。
 これはとある隊でサイドエフェクトの共有化を行った際に、サイドエフェクトを持たぬ隊員に起こった現象だ。だから今回も起こりえると考えている。しかも感情受信体質であれば負荷は相当なものになる**これは考慮した結果だった。

「ふぅ……」
「きらり、落ち着きないね」
「そうかな?」
 移動教室からの戻り。教室へ向かっている最中に見られていることが分かっていたきらりはいつ声が掛けられるかそわそわしながら歩いていた。そして教室に辿り着く手前でようやく後方から意識を飛ばしてきていた人間が声を掛けてきたのだ。きらりは不自然にならないように返事をしたつもりだ。しかし耳に届く鼓動は忙しない。ちゃんといつも通りにできている自信はなかった。
「うん。最近、反応がいい」
 何の脈絡もなく掛けられた言葉にきらりは首を傾げる。
 なんのことだろう。
 言葉にする前に王子一彰が屈託のない顔を向けている。しかしそれは見た目通りの意味だけではないことをきらりは分かっていた。
 最近、エンジニア達から向けられる視線と同じ。王子が向けているものは好奇。何か楽しそうなものを見つけた子供みたいな感じだ。無邪気といえば聞こえはいいが関係者以外に情報を流すことを禁止されている身としては複雑だ。
 それでも声を掛けられたら無視するわけにはいかないと逃げることなくきらりは言葉を交わす。
「なんのこと?」
 負けずに顔面に平常心を張り付けて返す。が、王子の表情否、受信した感情にあった刹那の疑念。察するにきらりの対応は上手くいっていない。分かっていてもさらりと流してくれたのは恐らく王子の中で聞きたい内容の優先度によるものだ。
「人の気配に気づくっていえばいいのかな。今もそうだけどランク戦の時も。まぁ攻撃に反応している割に対応精度はお粗末なんだけど」
「う」
 痛い言葉が飛んでくる。それでもサイドエフェクトの刺さり具合を考えると彼の真意であり誠意であり善意でもあるのだろう。興味の感情が抜け切れていないのは王子らしいといえばらしい。
「前からカゲくんとよくランク戦していたけどようやくその成果がでてきたってことなのかな?」
「どうしてカゲなの? 私、他の人ともやっていると思うんだけど」
「そうだな、仕掛けられた時の反応がカゲくんを連想させるものがあったからね」
「へ!? 私、そんなに!? 初めて言われたよ」
「反応だけね。それができるならもう少し捌いたりできてもいいんだけど」
「はい……やっぱりカゲ、凄いんだなー」
 王子の言うことは最もで、きらりは影浦のサイドエフェクトに振り回されているだけで別に使いこなせているわけでない。寧ろ過剰に反応しすぎて大分疲労している。
 サイドエフェクトを体験してもきらりに分かることはほんの少し。感情を自動で受信してしまうから強制的に周囲を意識して気疲れしてしまう。楽しそうに話している中に含まれているもの、他愛のない会話に自分に向けられているもの。一つを気にしてしまえば全てが気になってしまう。億劫になりそうだ。
 恐らく影浦も同じことを体感しているはずだ。それでも皆と変わらずに接してくれる。そう考えるだけで胸にじんわりと温かいものが広がっていく。
(好きだなぁ)
 話せていることが、一緒にいることが、友人として当たり前のことだとしても物凄く特別なことのような気がして、ただただ嬉しい。
「うん、カゲは凄い」
「うんうん。それで僕考えたんだ。星空自身の動きはあまり変わらないのに気付くという点だけ急成長したのってカゲくんとエンジニア達と一緒にいることが関係しているのかなって」
「……っ」
 感動していたところに思わぬ不意打ち。今、どういう表情を作ったのか全く分からない。
 落ち着いて口を開けばよかったと後悔したのは自分の声を聞いた時で。
「な、なんで」
「風間隊が実践できくっちーのサイドエフェクトを共有化しているだろう? その分野の研究を促進しているのかと思ったんだけど、ふ――ん」
 王子の視線が突き刺さる。
 これはなんだろうか。
 先程と同じ興味の範囲ではあるのに何かが違う。疑惑にも似ているようでそれだと言い切るには感情がはっきりと形にならず朧気だ。
 今まで王子と話している時、どういう風だっただろうか。思い出していると王子の意識が緩くなる。
「さあ、なんでだろうね」
 含みのある笑みを浮かべると王子は手を振った。
「君が口にしない意味は分かったし」
 更に王子が発信する意識が弱まる。かわりにじわじわ掠るように刺さっていたもの。周囲にある意識のうちの一つが主張してきた。
「これ以上は怒られるから止めておくよ」
「なにが?」
「最近おかしいのは君だけじゃない、ってことさ」
(頭……!)
 王子がきらりの頭を撫でる。
 いつもはこんなことしないのに。そう思っていれば王子は笑い出す。
「君達の素直さは美徳だね。じゃあ僕、午後から公欠だから」
 誉め言葉だと思えない。そう思うのは王子が言う通り自分は素直ではないからではないだろうか。きらりは大きく息を吐いた。
(君達って……)
 不思議な言い回しに突っ込む元気はない。公欠ということはこれから防衛任務なのだろう。呼び止める程のものでもないしと、立ち去る王子を見送ることにした。
 ふぅとここで一息吐く。
 そして一つの視線が近づいてきた。これは先程きらりに主張してきたものだ。慌てて振り返るとそれは影浦だった。
「気づくの遅ぇー」
「そんなこと言われても難しいんだよ」
 どこから意識を向けられているのかは分かるといっても全てを気にする器用さはきらりは持っていない。日常では自分と対面している人間か中でも強い意識を飛ばしてくる方角だけを気にするようにしている。……それでも他のものを遮断できるわけなく感じ続けているので無視することも上手くできていないのが現状だ。
「で、王子なんだって?」
「最近カゲと、エンジニアと一緒にいるよねって言われた」
「それだけかよ」
「うん、あとカゲは凄いって話をしてた」
「嘘だろ」
「本当だよ」
「あいつ絶対ろくでもないこと考えてるぞ」
「分かるの?」
「あんなのサイドエフェクトなくても分かるだろ」
「見た目以上にいろいろ考えていることしか分からないよ」
「そだなー」
 言葉を交わしながら感じる意識にきらりは影浦の顔をじっと見つめる。
「どうしたの?」
 一瞬、影浦の目が見開かれる。そして何かに思い当たったのか「あ――」とどこに向かっているのか分からない声が出ていた。耳ではそう捉えていても自分の肌に感じるものは違う。
「平気か?」
 受信していたものが音に、形になる。それだけで胸が擽られる心地になるのは相手が影浦だからだ。
「カゲが壁役してくれているから大丈夫!」
「ならねーよ」
 今、きらりが持っているサイドエフェクトが自身のものであるため影浦はきらりの口から出てくる言葉が全て気休めだと思っているのだろう。呆れたような顔をしていても内から膨れ上がった感情に気づかないなんてことはできない。更に言えばその感情を一瞬にして殺し別のものを向けてきたことを感じ取っている。
(本当なんだけどなー)
 壁役と称するのも如何なものかと思わなくはなかったが他に言葉が出てこなかった。
 きらりが感情受信体質のサイドエフェクトと共に過ごして数日。いろんな意識や感情を受信して分かったのは誰といるのが心地良いか、誰といれば他のものが気にならないくらい平気でいられるかということだけ。影浦本人はどうかなのか分からないが、少なくてもきらりはそうだった。
「風間さんとこも慣れるのに訓練が必要だったろ。無理な時は誰もいないとこ行けよ」
 影浦の言葉が身体中に響く。
 大変ではないと言えば嘘になる。だけど直に感じる人の好さは言葉にできないものがある。
 違うクラスなのに心配してきてくれたのが嬉しい。気にしてくれているのが嬉しい。影浦にとって当たり前かもしれない行動の一つ一つできらりの胸は好きと幸せが手を取り合って一緒に鐘を鳴らしている。
 このままでいられれば――そう思うとちりっとするような痛みが走った気がした。
「うん、ありがと」
 学校のチャイムが鳴る。
「辛くなったら休むよ」
 今は元気なのだと盛大にアピールしてきらりは自分の教室に入っていった。
 

 放課後。
 授業が終わったきらりはボーダーへは向かわずバス停留所にいた。今日はそのまま家に帰ることにしたのだ。荷物が多い時でない限り備え付けのベンチに座らないのだが今だけは別だ。腰を下ろすと自然に背中は丸くなり視界が地面を映していた。
(調子に乗りすぎた)
 午後の二時間ぐらいなんとかなると思っていたがそうでもなかった。
(あの先生、あんなに考えて当ててるんだ)
 黒板に書かれた問に解答させるため、教師がどの生徒を指名しようかと思案している時間が地獄だった。何度も自分の身体に刺さっては逸らされるのは地獄だった。当てられるのかもしれないという緊張感は何度感じても居心地が悪い。どうせなら一思いに指名して欲しかった。
 その後の黒板に解答を記述している時も背中に複数の視線が刺さったのは言わずもがな。当分の間は指名されたくないなと思ってしまう。
 皆の意識が刺さるのには慣れてきた。それでもサイドエフェクトが使いこなしているわけではない。今の状態になって数日経つが気疲れしたままだ。
「ふぅー……あ」
 また、一つの視線がきらりの身体を突き刺す。それはふわっとして優しくあり同時にちくっとするようなものであった。それが今、頭の方に集中する。
「大丈夫、じゃねーみたいだな」
 責め立てるような声色が上から降ってきた。見上げようとすれば視界に映るのを拒むように何かが覆い被さってきた。そして嗅ぎ慣れない香りに包まれる。
「え、何?!」
 影浦だ。
 きらりは慌てて見上げると頭からずれ落ちたジャージの上着を掴むと何がどうしてこうなっているのだと目で訴える。
「露出箇所少ない方が感じない気がする」
 そっぽを向きながら答える影浦。
「それは着ていいってこと?」
「嫌なら返せよ」
「い、やじゃないよ!」
 ぶわっとした感情に包まれて思わず叫んでしまう。まさか声を荒げられると思っていなかったのか影浦は目を丸くしている。そしてぶっきらぼうに「るせー」と言葉が飛んできた。
 心変わりしないうちにきらりは袖を通す。見えていた腕半分が隠れて手の甲だけが露になる。着込んでサイドエフェクトの刺さり具合はよく分からないが恥ずかしさだけは増した気がした。
「無理する前に人がいねーところに行けって言っただろ」
「今、平気」
「嘘つけ」
「本当でーす」
 影浦から飛んでくるものと自分の中から生まれてくるものが混ざり合う。春の陽射しのように温かくて心地が良くて、ずっとあってもいいのになと願ってしまう。 
 それは影浦から飛んできているものでもあり自分の中から生まれてきたものでもある。
「ありがとね」
「何言ってんだ、お前は事故に巻き込まれただけじゃねぇーか」
 ふと、昔に見たオレンジ色に染まった教室を思い出す。好きだと告白した委員長。彼女は彼女が望む特別にはなれなかったかもしれないが、友達だって十分特別だ。少なくても今のきらりはそう思った。
「だからね、嬉しかったんだよ。カゲが私と友達でいてくれて」
「……んだよ、それ」
 言葉が零れ落ちる。小さくて聞き取れなかった。影浦の感情が顔に触れるように滑っていくから違和感を感じて首を傾げる。
「カゲ?」
「なんだよ」
 名前を呼べばいつもの影浦の意識が刺さってきた。
(今のは?)
「……」
 訪れる沈黙。しかし影浦は立ち去ろうとはしない。バスが来るまで付き合ってくれるのかもしれない。だから知りたいことを口にしてみた。
「分類的には行為だと思うんだけど、他のものと違う感じなのがあって」
 先程感じたもの。自分の感情が混じっているから全てが影浦のものではないのかもしれないけど。
「春の陽射しみたいなのってどんな感情に分類されるの」
「……誰からそんなもん飛んできたんだよ」
「そ、れは、……内緒だよ」
 流石に本人を目の前にして名前を口にすることはできない。いや、本人がいなくてもきらりは口にするつもりはないが。
 顔に飛び込んでくるものは鋭さを増してきた。影浦からこんな感じのものが飛んでくるのは初めてで、急に胸が縮こまる。
「――」
 影浦が口を開く。その先から物凄い勢いで飛んできた感情に思わず反応してきらりは影浦から目を逸らした。
「水上くん?」
 名前に反応して影浦は後ろを振り返った。
 そこには水上が物言いたげそうな顔をして二人を呆然と眺めていた。


20190916


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