隠恋慕
まーだだよ。


 放課後、クラスメイトから呼び出された。
 断ることもできたが肌に刺さる真剣さに、特に用事もなかったから了承することを選んだ。
 彼女からいつも飛んでくるのは悪いものではなかった。はっきり言うと好意であり他の者が寄越してくる類の厚意と少しだけ違うことも知っていた。
 それは春の陽射しのような温かいものだった。その感情の正体を知ったのは言語化されたものを聞いた時だった。

「影浦くんのことが好きです」

 どう聞いても恋愛の意味だ。相変わらず突き刺さってくるものはいつも通りでいてちょっとの不安と期待が混じっていた。
 不快ではなかった。だけどそれがイコール心地良いとなるわけではない。
 実際、影浦が彼女と一緒にいる時間を共有したことは学校行事以外に存在しなかった。それよりも友人やボーダー隊員と馬鹿している時間の方が多く、居心地が良いことも多かったから彼等と絡んでいることの方が多い。
(そういえばあいつも同じだったな)
 思い浮かんだのは同じクラスでボーダーのきらり。
 もしかしてそういうことなのだろうか。
 窓から差し込む光が眩しくて影浦は思考を中断させるしかなかった。その時、廊下から一人分の意識が飛んでくる。この感覚に覚えがある。最近、自分にこれを向けてくるのは目の前の彼女ともう一人しかいないからだ。刺さり方が徐々に変わっていく。恐らく告白現場を見てしまって気まずいのだろう。彼女の性格を考えるとその類で間違いはないはずだ。
 飛び込んでくる光に耐え切れなくなって目を細める。そして目の前の人間を見て……考えずとも言葉は勝手に出てきた。
「悪ぃ。今、他のことに気ィ回すつもりはねぇんだ」
 少なくとも告白されても違う人間の顔が浮かぶくらいに、彼女は眼中になかった。
 廊下からきていた意識が遠ざかる。心が引っ張られた。でも、追わなかったのは目の前にまだ何かを言おうとしている意志が残っていたからだ。
「ボーダー? それとも他に好きな人いる?」
 意識せずに頭の中に彼女の姿が思い浮かぶがそこまで律儀に答える必要もないと言葉を濁す。
 遠ざかったきらりが気になって仕方がない。今、追いかけるのは少しおかしいだろうか。何もしなくても翌日になれば普通に教室で会える。ボーダー本部へ行けばいつも通りに会える。だからここで追いかける必要性はないと横着した。
 結果、次に会ったきらりはいつもと違うものを運んできた。刺さる感覚は悪いものではなかったが、彷徨うようなはっきりとしない意識に気持ち悪さを感じる。
 「言いたいことがあるなら言えよ」と口にしてもきらりは気まずそうに首を傾げるだけだった。「俺のこと、好きなのか」と聞いても良かったが向けてくるものが昨日までのものと違いすぎて言わなかった。
 女心も秋の空とはよく言ったもので、自分が向けられてくる感情に気づいたのと同時に彼女の中でも何か気づいたものがあったのだろう。
 初めてきらりと一緒にいることに居心地悪さを感じた。が、それも最初だけだった。
 きらりから飛んでくるのは実に賑やかだ。それは真夏の照り付けのようなもので、秋の空みたいに澄み切ったもので、冬の景色に似たもので、そして時折現れるのはあの春の陽射しだった。様々な刺さり方に、あぁこいつはごちゃごちゃと面倒なことを考えているのだと知った。
 だからきっと今ではない。慌てふためく姿を見るのもいいのだが、ちゃんと伝えるならきらりの中で気持ちに整理ができている時だ。
 そうこうしているうちに学年が一つ上がり高校三年生になった。
 影浦ときらりはクラスが別になりそして事故に遭う。影浦のサイドエフェクトがきらりに。そしてサイドエフェクトを持たないきらりの特性が影浦に。二人の能力が入れ替わるような形にとなったのだった。


「きらりちゃん、最近疲れ気味だなんだよね」
 それを聞いたのは影浦隊作戦室だった。
 特に何をするわけでもなく、作戦室で寛いでいる時に北添の口からぽろりと零された。言葉自体は長くもなく難しいことを言っているわけでもなかったので聞き逃さなかったが、いきなりすぎて反射的に言葉を返してしまった。
「あいつがなんだって?」
 北添が目を丸くして「珍しいね」と呟いた。
「あ?」
「カゲって話をきかないことはあっても聞き逃すことないでしょ」
 きちんと単語を使わなくても意図を汲んでくれたのは長年の付き合い故か、逆に気持ち悪いと表情に出しても北添は素知らぬ顔だ。
 もっと気の利いた言葉を使えば良かっただろうか。しかし相手が相手だ。何を言っても大差はないと考えると直ぐにどうでもよくなった。
「それできらりが疲れ気味って? 授業中に寝てたのかよ」
 別にそれくらい良くないかと強く言わなかったのは彼女の疲労の原因を知っているからだ。情報規制を鬱陶しく感じながら影浦は続きを促した。
「きらりちゃんはトーマくん達と違ってちゃんと授業受けているよ。なんていうか溜息が多くなったかな。普段見ないから目立つねってオージと話してて」
「あ――まぁそんなに気にしなくてもいいんじゃねぇの?」
 普段なら向けられる厚意に嬉しく思うきらりだが今は身体に負担を掛ける要因の一つでしかなく素直には受け取れる余裕はないだろう。
 だから気にするなと自分の口で言いながら一番気にしているのは自分であることにちぐはぐさを感じてすっきりしない。
どんな言葉を返しても中途半端になりそうで黙るしかない。
「……なんだよ」
 何か物言いたそうな顔をしている北添に思わず突っ込む。
「きらりちゃんと何かあった?」
「なんで」
「カゲがそう言うの珍しいよなって」
「んなことないだろ」
「そうかなー? ほらカゲときらりちゃん一時期様子がおかしい時あったでしょ? ちょっとそれを思い出してゾエさん的には心配」
「おめー俺のなんだってんだよ……いや、やっぱいーから言うなよ」
「え〜」
 こういうやり取りはいつも通りだ。影浦はソファに深く座るとスマホを触り始めた。

 サイドエフェクトが機能しない身体を初めて体験した。
 周囲のものを拾ってこないことがこんなにも無だというのは意識しないと気づけないことで、特に面と向かっても何も感じないのは妙というか違和感でしかなく、遅れてそういえば今は何も受信できないのだと思い出した。
 悪意とかそういうのを拾ってこないことを考えると確かに楽だなと思うが今まで共にあったものがなくなるのは身体の一部を無くすようなものだった。
 サイドエフェクトがなくなって一番良かったことといえばランク戦の時、誰と対戦しても相手が仕掛けてくるタイミングが分からないことだ。スリルを楽しむのにはいいがそれだけだった。
 サイドエフェクトが無くなっても基本は変わらない。
(分からねーな)
 足りないものがあるとしたら好きだったあの感覚を感じられないことだろうか。
 たまにこちらが恥ずかしくなるようなものを受信することがある。それでも向けられる感情に悪い気はしなかった。
 画面に表示される文字を見て息を吐くと、影浦は打ち込んだ文字を全て消した。

 こういう時、同じクラスでないのは面倒でしかなかった。授業中に起こることは限られてくるしこればかりは慣れるしかない。休憩時間にちょっと様子を見に行くという発想も少しばかり躊躇する。そのちょっとだけが意外に身体に残るのだ。
(ぐだぐだ考えるのめんどーだな)
 顔を窺うのも直で声を掛けるのも感じるのが一緒なら後者の方がお互いにとってすっきりするに違いない。
 影浦は教室を出ると分かりやすいところで王子と話しているきらりを見つけた。きらりの後ろ姿しか見えないから顔色は分からないが目の前にいるのは聡い王子だ。具合が悪そうな人間を無理やり連れまわすようなことはしないだろう。
(戻るか)
 立ち去る前にふと、王子が気付いて視線を向けているのに気付いた。目が合ってもこちらを呼ぶでもきらりに知らせるでもない。何も行動に移さない割に目だけは外さない。
(分かるか)
 何か伝えたいことでもあるのだろうか。だっだら直接言えと言いたくなる。見つめ返せば王子は微笑んでこちらに手を振ってきた。これはどう見てもこちらの反応待ち、だ。どう見ても碌なこと考えていない。少し目つきを鋭くすれば何を思ったのか王子はきらりの頭を撫でて笑っていた。
(いつもしねーだろ)
 自分でも分かるくらいに目つきがどんどん鋭くなっていくのが分かる。反対に撫でられたきらりは事態をよく理解していないのか呆然としている。後ろ姿を見ただけでその様子が分かってしまうのはそれだけきらりが分かりやすい人間であるということだ。……そう思いたい。
 影浦はきらりに近づく。気づいているだろうにこちらを一切振り向かないのはサイドエフェクトを意識しすぎて声を掛けられる前に反応しないように気を張っているのだろう。そんなことしていれば疲れやすくなるだけだ。
「気づくの遅ぇー」
「そんなこと言われても難しいんだよ」
「で、王子なんだって?」
「最近カゲと、エンジニアと一緒にいるよねって言われた」
「それだけかよ」
「うん、あとカゲは凄いって話をしてた」
「嘘だろ」
「本当だよ」
 あの顔で、か?
 王子が寄越した目線を正確に理解することはできなかったが経験上あれは王子なりの小さな親切。相手が大きなお世話だと思っても気にせずにやってしまうあの自由さに慣れているが、内容次第では反撃したいところだった。
「あいつ絶対ろくでもないこと考えてるぞ」
「分かるの?」
「あんなのサイドエフェクトなくても分かるだろ」
「見た目以上にいろいろ考えていることしか分からないよ」
「そだなー」
(それはお前もそうだろ)
 ただでさえ神経過敏になっているのだ。変なことを言って拗れるのは憚れる。だからと言ってきらりを見つめるしかなくなるのは――もうどうすることもできなかった。
(マジで俺のサイドエフェクト、クソめんどくせー)
「どうしたの?」
 きらりが尋ねるのも仕方がない。人のことを言えないくらい自分でもごちゃごちゃと考えていて……気の利いた言葉一つ見つからなかった。
「平気か?」
 無難な言葉一つが精一杯だった。きらりの顔を食い入るように見ればふにゃとした笑顔が返ってきた。
「カゲが壁役してくれているから大丈夫!」
「ならねーよ」
 何か一つに集中すると他がどうでもよくなる。そんな気は確かにする。意識が他に向かうのをできるだけ防ぐようにこちらを意識させるつもりではいたが本当にそうなっているのであれば……不謹慎にも舞い上がってしまいそうだ。
 別に興味のない人間の意識なんてどうでもいいが、そうではない人間の意識は純粋にどんなものでも嫌にはなれない。サイドエフェクトと共に過ごして数日のきらりがどこまでその感覚を持っているかは分からないが、限りなく近いものだといいのになと欲張ってしまう。
 今、きらりの表情を見る限りまだ余力はありそうだが倒れてからでは遅い。変に頑張らないようにと思い出した事例を挙げる。
「風間さんとこも慣れるのに訓練が必要だったろ。無理な時は誰もいないとこ行けよ」
「うん、ありがと」
 学校のチャイムが鳴る。
「辛くなったら休むよ」
 今は元気なのだと盛大にアピールしてくるきらりを見ると嫌な予感しかしない。
 その予感は見事的中することとなった。
 放課後、バスの停留所のベンチに座っているきらりがいた。姿勢と雰囲気、そして少し距離があるのに聞こえてきた溜息に疲れているのは目に見えた。
(受け入れようとしすぎだろ)
 今まで違う環境にストレスを感じるのは普通だ。望んで手に入れたものではない力。どうして自分がこんなめにと嘆いても誰も責めたりはしない。非難しないのであればせめて避難すれば少しは楽になれるのに……真面目なのはいいが、少しばかり自分を大切にしてもいいのではないか。頼ってくれたら――と思ったところでどうすることもできない。それを知っているのは自分だ。
(あーやめだやめ)
 身が持ちそうにない。そもそも柄にもなく待っているからやきもきするのだ。やりたいことをやる。そうと決めてしまえば行動は早かった。ただちょっと恥ずかしいとは思ったが。見られると行動に移すのを止めてしまいそうで、影浦は唯一貸せそうなジャージの上着をきらりの頭に掛け視界を奪う。
「え、何?!」
 何が起こったのか確認するためにジャージをずらしきらりは視界を確保するとそのまま影浦を見上げた。真っ直ぐに向けてくる目。表情がすぐに顔に出るのは分かりやすくていい。
「露出箇所少ない方が感じない気がする」
「それは着ていいってこと?」
「嫌なら返せよ」
「い、やじゃないよ!」
 ……。
 今までの感じからして嫌がられるとは思ってはいなかったがきらりの反応は想像していたものよりもずっと威力があった。安堵感なんてものは通り過ぎて逆に考えないようにしていたものが急に込みあがってきて落ち着かない。きらりが自分のジャージに袖を通したところを見たら余計にだ。
「るせー」
 そう反応するのが精一杯なんて、絶対に知られたくない。少しばかりおせっかいなアクションを起こして自分のペースを戻すことに努める。 
「無理する前に人がいねーところに行けって言っただろ」
「今、平気」
「嘘つけ」
「本当でーす」
 気を遣っているのだと分かる。でも先程よりは顔色が少しいい気がして本当にそうだったら……とも思う。
「ありがとね」
 何の脈絡もなく言われたお礼。別にいらないしそもそも何に対してのものだものろうか。言えばきらりは素直に返してくる。
「嬉しかったんだよ。カゲが私と友達でいてくれて」
 別に悪い意味ではなかった。なのに胸に引っかかった。ここにきてようやく冷静さが戻ってくる。
「……んだよ、それ」
 わざわざ口にするつもりはなかった。だけどきらりは上手く聞き取れなかったようで首を傾げて待っている。
 今は何も言わない。そう決めて見下ろしているのにきらりは空気を読まないどころかサイドエフェクトも上手く使えていないのか踏み込んで来ようとしていた。それを利用するかと考えなかったわけではない。
「カゲ?」
 自分の名前を呼ぶ彼女の声を聞いていると今は駄目だと直感が告げ、ぐっと我慢する。
「なんだよ」
 そう答えれば次に訪れたのは沈黙だ。余計なことは口にしないけどバスが来るまでの時間くらい一緒にいてもいいだろう。
 黙っていることを選択した影浦にきらりはマイペースにも声を掛けてくる。
 サイドエフェクトのことを知りたい。それは自分のことを知りたいと言われているような気がして、素直に耳を傾ける。
「分類的には行為だと思うんだけど、他のものと違う感じなのがあって」
 きらりは受信した意識の一つを言語化する。
「春の陽射しみたいなのってどんな感情に分類されるの」
 それは自分がよく知るものだった。去年まで彼女からよく向けられていたもの。心地良くて傍にあってもいいと思えるもの。受信したものがきっかけで影浦はきらりを意識するようになった。ある日を境に彼女の意識が届かなくなって余計に意識するようになった。それが最近になってふとした瞬間に差し込んでくるようになった。
 自分にとって大切なもの。それを受けた彼女も同じような想いを送り主に対して抱く可能性があるのではないだろうか。居ても立っても居られなくなる。
「……誰からそんなもん飛んできたんだよ」
「そ、れは、……内緒だよ」
 この反応はどういう意味だろうか。
 そういう意識を持つ人間のことが既に気になって仕方がないのだろうか。
 先程まで動くのは今ではないと思っていたが気が変わった。悠長に待っていれば二度ときらりは自分を意識してくれないかもしれない。もしかしたらもう意識していないかもしれない。
 いつもだったらサイドエフェクトが拾い上げてくるのに――。クソ能力だと思っていたのに今はそれを求めているなんて笑ってしまう。待っていても何も分からない。知りたいならやり方は一つだ。
 決心なんて大層なものをする前に身体がいち早く動く。自分が口を開くよりも先にきらりは目の前の自分ではない人間の名前を呟いた。
「水上くん?」
 視線は自分の後方に向けられている。後ろを振り返ってみると人の神経を逆撫でしそうな顔で水上が立っていた。
 流石に今の状況で言う程、影浦も無神経ではない。行き場を失った想いが彷徨い、邪魔者を睨みつけることになったのは攻撃的かつ平和的な結果だったともいえる。
(馬に蹴られても仕方がないやんか)
 水上も二人の、というよりは影浦のことを分かっている故にこの場をなんとかしたかったが自分が立ち去ること以外何もできることはない。では――と逃げるような形で去ろうとしたところで運がいいのか悪いのかバスがやってくる。
「あ、じゃあね」
「……ああ」
 無機質な扉の開閉音。騒ぎ立てるエンジン音は一瞬にしてこの場の空気を変える。そして何事もなく遠ざかっていく。
「カゲ、すまん」
「……これ以上何も言うんじゃねぇぞ」
 自分に向けられるものに関してはサイドエフェクトいち早く察してくるから雰囲気から察するなんて珍しい体験だった。しかもそれが自分が大切にしているものの一つで、これを言葉にするのもされるのも嫌だと感じた。


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