あなたと出逢う物語
やさしさの配合

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 ――玉狛支部前に木崎が車を止めた。手を振ってから車に乗り込む修、遊真、千佳、宇佐美に陽太郎。ヒュースは何も言わずにその後をついていった。

 この未来を見たのは数日前のこと。一か月前から予定が組まれていた玉狛第二の合宿初日で、見なくても皆が知っている出来事だった。レベルアップを図るためのものではあるけど彼等が楽しみにしていたのは知っていたし、小南も次の日には見に行くからと意気込んでいた。烏丸はバイトで空いていないから見送りだけはすると言っていた。ちゃんとそうなるのが見えていたから特に身構えることなんてなかった。
 それが前日になって未来が崩れた。
 スマホが鳴る。糸が切れたように突然でどうしようもかった。身体中を駆けていくような悪寒に身震いした。理由なんて考えなくても分かる。
『今日の深夜、シフトに欠員が出たんだが』
 電話に出ると業務的な声が聞こえてくる。それに迅は頷いた。



(メガネくんたちはまだ出発していない)
 防衛任務をつつがなく終え、迅は時間に余裕があることを確認しどこかで暇を潰そうとしていた。
「迅、このあといい?」 
 声を掛けてきたのは同じシフトに入っていた桜花だ。ここで声を掛けられるのは知っていた迅は即答する。
「五回でいいなら」
「じゃ、それで。今日こそ負かすから」
 未来を追うように現実がちゃんとついてきて安堵する。宣戦布告されても微笑ましく思えるのは迅が未来予知できるからを言い訳にせずに突っかかってくるからだろう。どれだけ一緒に過ごしても変わることなく接してくれるのは気が楽だ。唸りながらもその実楽しんでいるのは内緒の話で、迅は至極真面目に答える。
「桜花が勝つ未来は見えてないけど?」
「結果は最後まで分からないでしょ!」
 そうは言われても言葉に「むかつく」「今にみてろ」「今日こそ勝ってやる」という想いが見え隠れして笑うしかなかった。それでもいいなら、迅としては大歓迎だった。

 キィン

 剣が交わる音が響く。再度剣に力を込めると弾かれたように二人は間合いを取った。
ランク戦を始めて予定通り事を進めようと迅は粘りながら戦っていた。桜花に追い詰められているというわけではない。意図して戦いを引き延ばしていると、勘のいい桜花が気付かないはずがない。回を重ねるごとに桜花の目つきが鋭くなく。勿論、自分が負けているからという理由も否めないが。いつもなら交わす軽口も全くなくなっていた。
(もうメガネくん達出発したかな)
 今、最終戦に入った。相手を射殺そうとする圧だけを送ってくる桜花に身体が震える。まるで余所見をするなと叱責されたような気がした。そんな余裕を見せられる相手ではないことはよく知っている。桜花は最終戦に異常までの集中力を見せ全力を注ぐタイプだ。いくら迅の勝ちが決まっているとしても手を抜くことはしない。
 
 ――桜花が地を蹴るのが見えた。剣を放とうとするモーションを見せながらグラスホッパーで加速し迅の背後に回って斬りつけるのが見えた。それから――。

 桜花が地を蹴る。剣を構え斬りつけるフェイントを挟んでグラスホッパー。背後に回ることが見えていた迅は対応して剣を受け止めた。それから切り返し再度剣を振ってくる。

 ――切り返しを数度行い、小さく分割されたトリオンキューブが現れるのが見えた。それから――。

 剣が交じり合う度に小さく分割されたトリオンキューブが目に入ってくる。

 ――それから、ところ変わって桜花が迅を抱きかかえるのが見えた。

「!?」
 声に出す間も与えられず目の前が真っ暗になった。一瞬生まれた隙をつかれたのだと悟った頃には迅はベイルアウトマットに生身を投げ出されていた。マットが弾んだ反動で身体が軋む。
「……」
 思考が停止する。脳にリンクして身体も重い。天井をぼーっと眺めていると扉が勢いよく開かれた。
「迅、反応くらいしなさいよ」
 まるでずっと待っていたと言わんばかりの口振りで迅はそんなに時間がっただろうかと考える。が、上手く思考が回らず痛みが訴えてくる。桜花が睨んできているはずなのに痛みのせいで反応が遅れてしまう。
「ちょっと迅!」
 駆け寄ってきた桜花の声には怒気が含まれているのは分かるのに、何故だろう。目を閉じると視界が黒一色に染まる。胸が切ない程締め付けられてじわじわと温かい何かに襲われた。
 意識して目を開いた時、目に入ってきたのはよく見る自分の部屋の天井だった。自分の感覚では瞬きするくらいの一瞬だったように思うのだが、どう考えても実時間は違うだろう。未だに身体は思う様に動かない。目線だけ動かして時計を探し時刻を読み取ろうとしたところで黒い影に遮られる。
「いつから体調悪かったの」
 ベッドの隣から覗き込まれ反応が遅れる。黒い影の正体、桜花は質問をしておきながら答えを求めていなかったらしい。迅が口を開くよりも先に次の言葉を投げつけた。
「換装解いたら身体に負荷が掛かるの知っているわよね。緊急時でもあるまいし防衛任務のシフト断れば良かったでしょ」
「……桜花、それ今言う?」
 正論に返す言葉もなく探しだした逃げ道は単純に風邪引いているから気遣って、だった。
「アンタ、元気な時に言っても軽く流すだけじゃない」
 それでも容赦ない言葉が返ってくるのは桜花らしいと言えばらしい。こちらが求める優しさを一欠けらも砕いて与えてはくれなかった。
「熱出てたし、医務室で市販の薬貰ってきたんだけど食欲は?」
「……ない」
「じゃあ、これ飲んでから薬」
 差し出されたペットボトルを手にするために上半身を起こそうとするが、手に力が入らず身体を支えることができない。頭が殴られているような痛みが起こり思考回路が機能しなくなる。ただ見つめるだけしかできない迅に桜花は溜息を吐く。
「無理した代償ね」
 断りもなく桜花の手によって上半身が起こされる。口元にあてがわれるペットボトルに迅はようやく手にして飲み込んだ。身体に冷たい液体が流れ込んできて少しだけ苦しさが緩和された気がした。
「桜花……優しい……」
「私、友達をないがしろにするほど薄情極めてないの」
 真面目に答える桜花に迅は「うん」と気もない返事をした。
「とりあえず薬飲んで寝て。寝たら帰るから」
(薬を飲まなかったら……おれが眠れなかったら傍にいてくれるみたいだ)
 熱に侵されてうつらうつらとしている中で言葉にする元気はない。それなのに桜花は無断で迅の口の中に錠剤を詰め込みペットボトルの口を押し付けてくる。容赦なく流し込まれる水。迅が選べる行動は水を飲み込むしかなかった。雑に扱われているのに瞼がどんどん重くなる。抗いたくて目を開けることに集中していたが自分の行動を否定するように上半身が静かに下される。
「寝なさいよ」
 その言葉を聞いた瞬間、まるで魔法にでもかけられたように迅は暗闇の中へと落ちていった。


 迅は夢を見た。
 布団の中に沈む自分。それを隣で心配そうに覗き込む女性。
『無理しちゃだめでしょう』
「おれだいじょうぶだよ」
 優しい声色に心配させたくなくて心の底から想い、出た言葉だった。女性の雰囲気は温かいままで迅の頭を愛おしそうに撫でる。酷く懐かしくて目元が熱くなってくる。
『悠一、淋しい時は傍にいて欲しいって言ってもいいのよ?』
 その言葉が嬉しくてあの時の迅は手を伸ばして、控えめに自分の願望を口にした。
「行かないで……」


 眠っている迅の横で桜花は大人しくしていた。部屋に聞こえるのは苦しそうな呼吸。聞いているだけで体調がどれほど悪化しているのか察することができる。病に侵されている時は誰しも心細くなる。医務室よりも玉狛支部の方が良いだろうと思って送ったが――ふと、リビングに置かれたホワイトボードに書かれていた少し丸っぽい文字を思い出す。
 『合宿 二泊三日』。その後に連なる参加者やそうでない者の予定が書きこまれていて、玉狛の面子のほとんどが支部にいないことが分かった。
 ホワイトボードに書かれた文字を見ているだけでも楽しみにしていたのが伝わってくるしそれが容易に想像できるくらい玉狛支部のアットホーム感は知っていた。
 桜花が迅の様子が変だと気づいたのはランク戦の時。まるで時間稼ぎをするような戦い方に違和感を覚え苛立っていた。理由が体調悪化した姿を玉狛支部のメンバーに見られたくないからだとするとなんとなく腑に落ちる気がした。
(変に気遣って……ばっかじゃないの)
 あのランク戦で桜花がとどめをさしているから今があるわけで。もしも桜花がランク戦に誘わなかったら……一体どうしていたのだろう。自分ひとり、生身で満足に動くことができないくせにと呟いた。
(食料ある。ジャケットは掛けたし、鍵はそこに置いた。さっき零れた水は拭いたし……他にできることないわよね)
 ペットボトルの蓋を閉めながら考える。
 とりあえず暫くは様子を見ようとは思っているものの考えれば考える程、誰かを看病する経験や専門知識があるわけでもない自分が傍にいても役に立たない気がする。下手に自分が動き回って心労を増やすよりは誰かに帰ってきてもらえるように連絡した方がいいだろう。では、誰がいいのかというところだが――本人の意を汲むなら迅が目覚めてからにしようと桜花は決めた。
 静寂の中で聞こえる息苦しそうな呼吸に耳を傾ける。集中して聞けば聞く程何もできないことを実感して目を閉じた。
 ガチャ。
 遠くから音が聞こえた。目を開いて立ち上がったのは反射的だった。音の正体を確認しようと一歩踏み出す。
「ないで……」
 袖が引っ張られて桜花は振り返る。無理矢理振り解こうかと思ったが離れない、先程まで自分の身体を支えられなかった人間の力とは思えず何かあるのかと迅の顔を様子見るが当人は夢の中だ。この行為に意味はないのだと分かると桜花はすぐさま上着を脱いだ。迅の手を解くよりもこちらの方が早いと判断したからだ。脱いだ衣服をそっとベッドの上に置く。そして息を殺し音を立てないようにして部屋を出た。
 暗闇の中を歩いているとリビングから光が漏れているのを見つける。念のために中を窺えば見知った人間だったため警戒心は一気に消えた。
「烏丸、バイトじゃなかったの?」
「荷物を取りに来たんですけど、明星さん……随分涼しそうな格好ですね」
 どうしてここにと聞くよりも先に服装の話をされて首を傾げる。まだ肌寒い季節とはいえ薄着でも何ら不思議はないはずだ。少し思考を巡らせてみれば、そういえば腕にある傷跡を見せないように長袖や七分袖のものを着ることが多いから珍しいのだと思い至った。別に説明する必要もないため「そうね」と返事をして早々に終わらせる。それよりも目の前に玉狛支部の人間がいるのだ。迅の代わりに保護者について聞いてもいいだろう。
「それより迅が倒れたから連れて帰ってきたんだけど」
「え」
「烏丸は家に帰るわよね? とりあえず保護者に連絡したいんだけど林藤さんも木崎さんも連絡先知らなくて」
 話を聞いても烏丸の表情は変わらない。心配していないわけではないだろうが読みにくいなと桜花は心の中で呟いた。
「俺が連絡を入れておきます。明星さんは?」
「看病する人間が戻ってきたら帰るわよ」
「……明星さんがずっと看病しててもいいんじゃないんですか?」
「冗談。自慢じゃないけど看病できる器用さは持っていないから」
「それは残念ですね」
「は、なんて?」
「自分で言ったんじゃないですか」
「私が言う分にはいいのよ」
「そうですか」
 一瞬見えた憐れむような目を向けられたが桜花はそれについて言及する気はない。とりあえずいつ他の玉狛支部の人間が戻ってきてもいいように帰り支度をすることにした。
「私物、迅の部屋にあるから持ってくるわ」
「明星さん、慌てなくてもゆっくりしてくれてもいいんですよ」
「ゆっくりしてるしてる」
「そうですか。じゃあ俺はレイジさんに連絡を入れますので」
「よろしく」
 言うと桜花は迅の部屋に向かう。部屋の中で今も握りしめて離さない自分の衣類を取り返すのにかなりの時間を費やすことになろうとはこの時の桜花は思いもしなかった。


「倒れるの、初めてだな」
 リビングで一人残された烏丸は呟く。
 勿論、迅が風邪を引いたことではない。あの迅、が誰かの手を煩わせる事態を避けなかったことに烏丸は驚いていた。
 迅は、後輩の面倒見が良くて周囲へ気配りを忘れない。助けを請われれば助言をするし、必要なことがあれば誰かに協力を頼むこともある。定めた未来のために動き回るかわりに誰かに寄りかかることはしないと思っていた。
「レイジさん、俺です。……はい、迅さんが体調崩して倒れました。今日は明星さんが看てくれるらしいので――」
 だからちょっとだけ、烏丸は嘘を吐いた。


20200426


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