17事変
Outbreak

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おかしな話をしてもいいだろうか。

明星桜花は夢を見ていた。
夢ぐらい誰でも見る?――そうなのかもしれない。夢を見るのはどんな人間にも平等に与えられた権利のようなものだ。だから彼女が夢を見ることはおかしな話ではない。普通なら。
桜花の一番新しい記憶は戦場で敵と斬り合っていた。いつもの領地戦争。
自分は流れ着いたその土地で兵士として雇われ戦っていた。戦っていたはずなのだ。
なのに気づいたら桜花は見知らぬ部屋の中で横になっていた。

「ここは――……」

反響して自分の声が自身へ返ってくる。
頭に霧がかかったような……まるで見えないからと立ち竦むような感覚だ。頭が上手く働かない。
桜花はどうしてここにいるのか思い出そうとしたところで先程、戦場にいたことを思い出し……飛び起きる。
そうだ、自分は戦場のど真ん中。敵と対峙していたはずだ。
斬った覚えも斬られた覚えもない。
もっと言えば自分の陣へ戻った覚えもなければ相手の陣へ侵入した覚えもない。勿論捕まった覚えもないのである。
だがしかし、今自分は知らない部屋にいる。そして両手は身体の前で手枷をはめられている。
どう考えてもそういうことなのだろう。
確かめるように桜花は扉に駆け寄り開けようとするがびくりともしない。
唯一の武器を思い出し、自分が入れていたはずの場所へなんとか手を伸ばして探ってみるがやはりトリガーはなくなっている。
「……またか」
桜花は扉を蹴る。
勿論それで開くような脆い扉ではなかった。
蹴った衝撃が身体の芯を伝う。
痛むところはないので怪我はしていないのは不幸中の幸いだろう。今のところは、だが。
「気が付いたか」
急に目の前の扉が開いた。
突進して脱出しようかと一瞬考えたが開かれた扉から目視できた人影は2人。
1人ならなんとかなったかもしれない。しかし相手は複数人……無理だと判断し、反射的に飛び退いて距離を取る。
男、男。以上。
もう少し情報を付け加えるなら体格のいい髭面中年男とスポーツ刈りの自分と年が近い印象を受ける若い男だった。
見た目以上に情報を得るにはこれから行われるであろう尋問しかない。
敵に捕らわれたというだけで頭を抱えたくなる案件なのに……憂鬱だ。
何せ、桜花の選択でこれからが決まるのだ。
生きている限り迫られる選択肢。戦場でだって直接命にかかわるようなやり取りをしているから今更だ。
それでも自分で言葉を選び紡いでいく力は、自分の意志で決めて行動する力はエネルギーが必要でいつも緊張していた。
まだ慣れないそれをできることなら味わいたくなかったが、捕まってしまったのは自分のせいだ。
自分の責任は自分でしかとることができない。
近界に来てから桜花はそれを知った。
生きることに男も女も子供、大人、老人関係ない。
そしてここは自分がいた世界よりも容赦なく死の刃を目の前に突き刺してくるのだ。
唾が喉を通過する。
今できることは相手から目を逸らさないことだと自分自身を奮い立たせる。
「俺はこの遠征艇の責任者のガトリンだ。こちらはラタリコフだ。
まずはお前の名前を教えてもらおう」
相手から情報を聞き出す最初の取っ掛かり。桜花は少し間を開けて答える。
「……桜花」
「桜花か。お前は玄界のトリガー使いで間違いないか?」
「……玄界の、トリガー使い?」
最初は「はい」と「いいえ」でしか答えさせないような質問を投げるのが基本ではなかっただろうか。
いきなり……というよりは聞きなれない単語に桜花は眉間に皺が寄った。
隠しもしなかった反応に相手は何かを感じ取るだろうが仕方がない。その意味を知らないことには桜花はこれから何もできないのだ。
情報を得るのに必要なのは現状を知ることだ。そして打開策を考える。
成功か失敗かは結果が出ないと分からない。今は結果を出すことだけを考えろと桜花は2人の様子を見ていた。
ガトリンは自分の反応に合わせるように眉がぴくりと動いていた。
ラタリコフは無表情だったがどこか一線を引いた感じに見える。尋問の主導権を握っているのはガトリンの方で恐らくラタリコフは何も口を出さない予定なのだろう。彼は何かあった時の対処をする所謂保険だ。
無理に脱出をしようとすれば……仮にガトリンを上手くかわすことができてもラタリコフには捕まるということだ。
それにガトリンの口から出た遠征艇という言葉……ここを出ても逃げ場はないことを知る。
この場は先走らずに良かったのだと思うことにした。
「もう一度聞く。お前は玄界のトリガー使いか?」
「……」
「答えなかった場合、この部屋にずっといてもらう」
「……答えたら出してくれるの?」
「それは桜花次第だ」
(答えても当分は出してくれないくせに――……)
少なくてもどこかの国に着くまでは桜花に与えられる部屋はここになるはずだ。
希望を持たせて喋らせるつもりなのか、大分甘く見られているのかもしれない。
「トリガー使い、よ」
「所属は?」
「知らない」
「答えられないのか?」
「だって知らない」
「何故?」
「私、雇われただけだから」
「雇われた……玄界にか?」
「違う」
「ではどこだ?」
桜花は自分がいる国の名を告げる。それに驚いたのはガロプラ側だ。2人の反応は自分の知らない何かを考えている感じだ。
今のどこにそんな情報があったのかは桜花は知らない。
ただ相手がそれで何かを拾ったという事実だけが残る。
やはり自分はこの手のやり取りは向いていない。
「玄界と同盟ということか――なるほど。俺達が知らない間に玄界は随分こちら側と繋がりを持っているようだな」
また出てきた玄界という言葉。それに何か意味があるはずなのに桜花には分からない。
尋問中の雰囲気や桜花の言葉にきちんと反応するところをみるとガトリンは割と温厚的で捕虜に害を成すタイプの人間ではないことがうかがえる。
そう思わせるように振る舞っているのなら大分策士だ。
責任者というのだから確率的には後者の方が高いだろう。
しかし桜花が下手をうたなければ自分の命は保障できそうだ。最低ラインはなんとかなりそうだと、それだけで少し桜花の緊張は取れた。
「他に同盟を結んでいるか?」
「私、雇われただけだから知らない」
「では何時から玄界と組んでいる?」
「知らない」
「本当にそうか?玄界との連携を見る限り昨日今日でできるものではないだろう。
それだけ長期に訓練をしていたことを意味する。
いつから玄界は俺達に備えていた?」
(――何の話をしているの)
先程から玄界という言葉が出る度に話がちょっとずつずれているような気がする。
これはそのまま無視を続けていいものなのか……いや、いけない気がする。
こちらから言葉を投げかけるのをガトリンが良しとするか分からない。
だが、何も分からず勘違いをされたまま過ごすのは危険だ。
彼等が勘違いしている内容が分かればそれにあわせて立ち回ることも可能だが桜花にそれが分からない以上、何かあった時に対処できないという危険を冒すことになる。
「……アンタ……貴方達は私と戦っていたのよね?」
「そうだ、正確にはラタリコフがな」
「は――」
「あなたと剣を交えたのも連れてきたのも俺の判断です」
ここで初めてラタリコフが言葉を発する。
桜花はラタリコフを見るがそんな記憶は全くない。
いくらなんでも先程まで戦っていた相手の顔を忘れる程自分の記憶力は悪くないはずだ。
「嘘でしょ」
そんな覚えはないと桜花は言う。自分が戦っていたのは城下街を抜けたもっと先。荒野とも呼べる場所だ。
桜花が素直にそれを告げればラタリコフの顔が歪む。
「やはり……」
それはどういう意味なのだろうか。もっと分かりやすく話して欲しい。
大きな溜息が一つ、部屋に響いた。
流れを中断させるためのものだ。おかげで桜花の集中力は一度切れた。
何をするつもりなのかと溜息を吐いたガトリンを見る。
彼は先程の雰囲気とは違い少し機械的な何かを感じさせる。ここに人の温かみはない……温情というものは掛けるつもりはないのだろう。
「自分の現状をどこまで把握している?」
「何って――私は戦っている最中にガロプラに拉致られた」
いきなり妙な質問だ。戦っていた場所を聞かれて答えれば一言「そうか」と返された。
「もう一つ聞く。お前は玄界を知っているか?」
「知らない」
「本当にそうか?」
「何度聞かれても答えは変わらないわ」
「では、お前はどこの人間だ?」
「どこ?」
つまり出身地ということだろうか。
答えられる質問だがそれにどんな意味があるというのか。
久々に口にする故郷の名前に桜花の胸は締め付けられる。
「日本」
「分かった。今日はこれで終わろう」
「え」
尋問が終了するのは有難い話だか桜花は何も相手から掴めていない。そして相手が利になるような情報も話していない。
何故ここで終了するのか理解できなかった。
玄界という言葉が何かを掻き乱し桜花に違和感だけを残した。
状況を整理するどころか困惑させただけだ。
お願いだから自分にも分かる情報が欲しい――。
桜花はガトリンを見るが彼は彼女に背中を見せるだけでそれは何も情報を受け渡すつもりはないのだと物語っていた。
「私を出してくれるの!?」
相手を引き止めようと必死になって叫ぶ言葉。
この状況に相応しい言葉を咄嗟に言えた自分を褒めてあげたい。
できれば桜花が彼等を見る目が期待、悲愴、懇願。それらの類に見えてくれれば御の字だが流石にそれは上手くできているのか分からない。
情報を得られないならせめて彼等が自分にどういう風に扱うことを決めたのか……判断できる何かが欲しかった。
「ここは遠征艇だ。国に着くまではこの部屋で過ごしてもらう」
「え」
「食事は準備するが手枷はそのままにさせてもらう」
「え」
言うとガトリンとラタリコフは振り返ることなく部屋を出た。
扉は無慈悲にも締まり桜花は1人になった。

「はぁ――……」
桜花は息を吐いて吸う。
久し振りに呼吸をしたような感覚だ。
桜花は床に座り込んでそのままごろんと横になった。
(やっぱり出してくれないんじゃないの!でも食事を出してくれるならいいか)
急に彼等が部屋に入ってくる前のことを思い出す。
もしかしたらその時の行動が良くなかったのかもしれない。
(この部屋は監視されている?……というかされていないわけがないわよね)
とりあえず向こうは桜花に悪い感情は持っていないようだ。
(ガロプラ……どこの国だろう)
近界について桜花はいろんな国があることは知っているが全てを把握しているわけではない。
(最善は仲間になることか……)
ならばあとは我慢比べのようなものだ。
「近界でも近界民に捕まるなんて……もう帰れないのかな」
ぽろっと出た言葉が毒のように自分の身体を侵食していく。
桜花は舌打ちをして床に頭を打ち付け誤魔化した。



「ヨミ、どうだった?」

遠征艇コントロール室。
ここで残りの組員がガトリンと桜花のやり取りをモニター越しで見ていた。
彼女の行動を監視するために。彼女の言葉に嘘はないかを見るために。
同時に今回使用したトリオン兵の解析をするために。
彼女のことは女性のウェン・ソーやおかっぱ少年のレギンデッツ、最年少のヨミそして副隊長であるコスケロが最初から最後まで見ていた。
感情的で勝気。かと思えば状況を見て冷静に判断しようとする節が見られる。それが彼等が見た桜花の印象だ。
最初こそ彼女の言葉を鵜呑みにしようとは思ってはいなかったが、事の顛末そしてヨミが解析していたトリオン兵の結果のおかげで彼女の言葉を信じる方向で進めても問題はないと判断するしかなくなった。

桜花が最後に倒したトリオン兵はジュナイル。
ラドクルーンが寄越した試作品のトリオン兵だ。
トリガー使いのみを狙って攻撃、そして捕獲するトリオン兵でパワーよりもスピード重視という仕様を聞いていた。
実戦で使ったことがないから戦闘データをとってくれれば幾らでもトリオン兵を提供するということで使うことになったものだ。
「先方が言った通りの仕様だけどもう二つ機能があった。一つは相手を撹乱させるための煙幕。そしてもう一つが特殊な弾丸。一時的に意識を飛ばす作用……眠らせるという効果に近いね。それと付随して相手の身体を麻痺させる効能があるらしいけど」
「は?効果違うじゃねぇか!!アイツラ自分達が作ったトリオン兵のことも把握していないのかよ!」
レギンデッツの叫び。この場にいる者は皆同意した。
何せその攻撃を受けた桜花が結果としているわけなのだ。
意識を奪う……確かにそうだった。
身体の自由を奪う……確かにそうだった彼女を捕縛する時は――……。
しかし彼女の身体が少し縮んでいるのは一体どんな副作用でそうなるのか説明を求めたい。
「一時的に意識を奪うどころか記憶が飛んでいるようだけど」
「小さくなったことと関係あるのかね――……隊長、頭が痛くならなければいいね」
コスケロのマイペースなその言葉をきっかけに彼等は先程の戦闘を思い出していた。

それは数時間前、とある国でのことだった。


20180721


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