境界の先へ
その先の始まり

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 私の世界はとても小さなものだった。
 お父さんがいて、お母さんがいて、お姉ちゃんにお兄ちゃん。それに友達。学校に行けば先生やクラスメイトがいる。それだけで構成されている私の世界。ずっと続くものだと思っていた。
 異世界からの侵略者が現れるまでは――。
 何一つ欠けることはないと思っていた。お姉ちゃんがいなくなるまでは――。
 世界が軋みだす。最初に変わったものはなんだったのだろう。
 私の目に一番最初に飛び込んできたのはお兄ちゃんだったから。お兄ちゃんは私を見ていないことは分かっていたから。お姉ちゃんがいなくなった現実を受け入れ切れていなかった私は目の前で変わっていくお兄ちゃんが酷く恐ろしかった。
 もうお姉ちゃんには触れられない。お兄ちゃんにも触れられなかった。目の前にいるのに手を伸ばすのも躊躇って……。
 どうしてこうなったのかは覚えていない。
 気づいたら自分の将来の分かれ道に私は立っていた。今その一歩を踏み出せと白い紙を渡される。友達が「どうするー?」って声を掛けてくる。どうしようと悩む振りをして一番相談したい相手の顔を思い浮かべてそれが叶わないことに今更気づく。
 世界が軋む音が聞こえた。
 このままではいけないことだけは分かった。
 だからもう欠けてはいけない。欠けたら埋めないといけない。欠けそうになったら繋ぎ止めないといけない。新しいものは必要ないってそう思っていたから。
 自分なりに繋ぎ止めようとお兄ちゃんを追いかけていた。
 そうやって世界の均衡を保とうとして変化を望まなかった。
 あの時、あの場所で一つの陽だまりを見つけるまでは――。



「彩花〜〜」

 いつもの公園。いつもの場所で待っていた三輪彩花の元に駆け寄ってきた林藤陽太郎を抱き止めた。
「陽太郎君、久しぶり! 家族旅行は楽しかった?」
「うん! おれはうみのおとこになってきたぞ! どうだ、かっこいいか?」
「うん、かっこいいね」
 こんがりと小麦色に焼けた陽太郎を見て彩花は言う。自分の欲しかった言葉を貰えたことに満足したのか陽太郎は向日葵のような笑顔を向けるとくるりと振り返る。後ろから歩いてくる人物に向かって同じ笑顔を向けて大声を上げた。
「ヒュース、彩花がおれのことかっこいいといってくれたぞ〜」
「……」
 どう答えればいいのか悩んでいるのか黙ったままのヒュースはそのまま二人の元に行く。辿りついても無言を貫き通すような形になってしまったが目の前の二人は気にしていないようだ。いつもは陽太郎の歩調にあわせる雷神丸もこの時はヒュースの後について行くように歩調を合わせそしてぴたりと立ち止まった。
「ヒュース君も久しぶりだね。玉狛の合宿お疲れ様」
「あ、ああ」
 どこかぎこちないヒュースの返事に彩花は追及することはない。ただ一週間ぶりの顔に懐かしさを味わっているのか一人、微笑んでいた。
(嬉しいな)
 一週間だ。たったそれだけの日を会えなかったことに寂しさを感じ、久しぶりに会って顔を見て声を聞いただけでじんわりと温かくなるような気持ちが広がっていく。こんな風になるのは初めてのことだ。太陽がサンサンと照り付けている中、いつものベンチで寛ぐわけにもいかない。
「ファミレスに行こうか」
「ああ」
 悩むことなく陽太郎は彩花の手を取る。そして反対の手をヒュースの方へと伸ばした。
「ヒュースも行くぞ」
「ああ」
 必然的に自分の立ち位置が決まってしまい、ヒュースは渋々と差し伸ばされた手を取った。



 オレは自分のいる世界のことをよく知っている。
 戦いの中でしか生きることができなかったから、恩に報いることはできなかったから、自分の大切なものを守れるなら周囲にどう思われようとも構わなかった。素直にその現実を受け入れた。
 今までもこれからもそれらと共に生きていく。
 オレの世界を彩っていく色は決まっていた。
 国に、主に、忠義に仕えるオレは与えられたものを受け入れ決められたものでできる限りのことをしていくものだと信じて疑わなかった。
 始まりは玄界で捕虜になってから。目の前に提示される見知らぬ色の数々にオレが取ったのは今まで馴染んできた色だった。
 世界は鮮やかに彩っている。綺麗で見惚れてしまうものから残酷で目を伏せてしまいそうなものまで。それらが混ざり合って構成されているオレの世界。いつもの慣れ親しんだもの。そこに一つ見知らぬ色が現れた。
 初めて見る色だった。誰が塗ったのか分からない。見慣れない色に、馴染めない色にオレの色彩設計が崩壊する。別のものに塗り替えようといつもの色を選ぶにも変わらないその色は何時の間にか周囲に溶け込むようにオレの知らないところで馴染んで行く。
 戸惑っていたそれも受け入れてしまえば簡単にオレの世界を彩っていく一部になった。それが好きな色なのだと知ったのは最近のことだった。だからオレはこの世界をもっとその色で彩るにはどうすればいいのか……考えている。



 ファミレスに入って注文し終わると、ヒュースの隣に座っていた陽太郎が自分のリュックをがさごそと漁り始めた。
「お土産を持ってきたのだ!」
 陽太郎が言うお土産は林藤支部長、林藤ゆりと共に行った家族旅行のものだ。玄界の南側まで飛行機に乗って行ったと嬉々として話してくれた。ヒュースも行こうと誘われたが生憎その時期は玉狛第二の強化合宿。家族水入らずのところに邪魔をするわけにもいかないと迷うことなくヒュースは合宿をとったのだった。
「ありがとう! 開けてもいいかな?」
「あぁ!」
 陽太郎から手渡されて彩花は早速ビニール袋の口を開き包みを破らないように丁寧にテープをはがしていく。
「ヒュースにもあるぞ」
 そう言って陽太郎はヒュースにも渡す。思わず首を傾げた。
「タマコマで渡せばよかったのではないか?」
「これは彩花とヒュースだけ特別なのだ」
 内緒話をするような声量で、それでいて喜んで欲しいと期待に満ちた目で二人を見つめる。ヒュースも彩花に倣ってその場で開封することにした。
「わぁ、シーサーだ。可愛い」
 掌にすぽりと収まるサイズの置物をテーブルに置いて見せる彩花は陽太郎にもう一度お礼を言う。二人のやり取りを見ながらヒュースの包みから現れたものはテーブルの上にある置物と同じ。特別は所謂お揃いだったようだ。
「ヨータロー、ありがとう」
「うむ。これをしっているのはぼすとゆりちゃんだけだ。みんなにはないしょだぞ」
 にししと笑う陽太郎に彩花も笑みを返す。
「他の皆には良かったの?」
「コナミたちにはあ、あーだー……むこうのドーナツをあげたからだいじょうぶなのだ」
 その時の様子を一生懸命話す陽太郎の言葉に耳を傾けながら彩花は言葉を零す。
「玉狛支部の方に会ってみたいな」
「いいぞ」
「駄目だ」
 揃って返ってきた正反対の言葉に彩花は目を丸くした。皆も喜ぶぞと言っている陽太郎に同意するもヒュースの顔は若干険しい。
「友達が身内に会うのって恥ずかしいよね」
 申し訳なさそうにする彩花に思わずヒュースはそうではないと返してしまった。そうなると何故という疑問が浮かんでしまうのは当然だ。そして理由を聞かれてしまうのは仕方のない流れだったのかもしれない。
「……迅には会わせたくない」
 余程言いたくなかったのだろう。苦しそうに吐かれた言葉に彩花は不安に駆られてしまう。
 話を聞く限り、玉狛は家族のような関係で皆仲良しだと思っていたのだ。ヒュースが浮かべる表情とは反対に陽太郎は不思議そうな目を向けているところを見るとヒュースは迅という人間と仲は良くないことが覗える。
(ヒュース君、近界民だから難しいこともあるのかな)
 彩花は兄である秀次の姿を思う言浮かべる。最近になってようやく改善されてきたが、以前まで彩花も秀次とはあまり仲が良くなかったため人のことは言えない。それでも……と思ってしまうのは彩花がヒュースの人となりを知っていて少なからず好意があるからだ。
(ヒュース君真面目でいい人なのに)
 そう考えると居ても立っても居られない。しかし彩花ができることは限られているし、そもそも何をすればいいのか分からないのだ。
「私に何かできることがあったら言ってね」
 彩花の言葉に是非、これからも奴の視界に入らないでくれとヒュースは願いはしても口にはしなかった。


20190309


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