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すきのはなし

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 きょうもあいぼうといっしょにぼうけんにでた。
 あたらしいもの。はじめてのもの。みるとわくわくした。さわるとどきどきした。
 だからきょうもぼうけんにでた。
 きのうとおなじばしょでもわくわくとどきどきはかわらない。それがすきなんだってしってだいすきになった。
 
 すきなものができるとぼうけんにいけるところがふえた。
 いけるばしょがふえるとすきなものがもっとふえた。
 だからおれはあいぼうといっしょにぼうけんする。すきなひとといっしょにでかける。

 ここはおれのだいすきなところなんだ。



 陽太郎は今日も雷神丸の背中に乗って散歩をしていた。のんびりとした流れにもっと、もっとスピードを出してもいいのだと頼んだ。雷神丸は「うん」と返事をしたのにいつもと変わらないペースで歩いていく。
 陽太郎は早く早くと彼の背中の上で訴えていたが聞き入れてくれず、しゅんと落ち込んで見せた。それでも雷神丸の様子は変わらない。
(む。しかたない。おれのほうがおにいさんだからな。がまんするのだ!)
 それ以外の解決方法が見つからず陽太郎は催促を止めた。雷神丸の気が向くままに三門市を巡回すると決めた瞬間、どっしりと腕を組んで座り込んだ。
「!」
 ふと、雷神丸の鼻がひくひくし始める。
「どうしたんだ? かぜか?」
 返事はない。代わりに雷神丸は顔を上げると一点を目指して小走りする。
「おぉ!?」
 急なことだったので身体が一瞬だけ宙に浮く。慌てて陽太郎は雷神丸の背中にしがみついた。そこまで緊急性を要するものではないのか安全に走っているがいきなりは心臓に悪い。びっくりしたぞと伝えるよりも先に何故彼がいきなり動き出したのか気になってしまい伝えるのを忘れてしまう。
 彼の目線に合わせるように陽太郎は身体を屈めた。
「雷神丸、どうしたのだ? このさきになにがあるのだ?」
 陽太郎が話しかけても雷神丸が欲しい言葉を返すことはほとんどない。口で語るよりも行動で語る方が性に合っているらしい。彼の真意を知るのはいつも終わってからなのだ。
「陽太郎くん?」
「あ、彩花!!」
 陽太郎は勢いよく顔を上げた。あわせて雷神丸が減速して彩花の前でぴたりと止まった。
「どうしてここにいるんだ?」
「ここ学校だよ。ほら、前に陽太郎くん来てくれたよね?」
 言われてみて周りを見渡す。確かにここは一度来たことがある。校舎を眺めていると自分の知らない生徒が校門から出てくる。彼等はカピバラを、陽太郎を一見してから視線を外して通り過ぎていく。
 周囲から騒がしい音が聞こえる。彩花の目線が一瞬陽太郎から外れ再び戻ってきた。
「今日はヒュースくんいないの?」
「あぁ、ボーダーへいくっていってたからな」
「一人でおでかけは危ないよ?」
「雷神丸もいっしょだからだいじょうぶなのだ」
「そうだね。二人だけでも危ないから他のお友達も一緒の方がいいんじゃないかな?」
 一人で危ないと言ったのに二人でも危ないと言い直したのは何故なのだろうか。陽太郎は不思議に思ったが彩花が言うならそうなのだろうと返事をする。でも皆を待っていればなかなか外に出られなくなる。分かったと言いながらその後に「おれはおとこだからだいじょうだ」と伝えることを忘れなかった。
 自分の気持ちが上手く伝わらなかたのだろうか。彩花はうーんと何かを探すような仕草をしていた。
「カピバラがいるって……陽太郎、一人か?」
 意識の外から聞き慣れた声がした。陽太郎は見上げると烏丸京介がいつの間にか目の前にいた。
 一人で〜と言ってくる烏丸に陽太郎は不敵な笑みを浮かべる。ここには相棒の雷神丸と彩花もいる。一人ではないし二人だけでもないのだと胸を張って答える。
「彩花と雷神丸がいるぞ」
「そうか、おまえなんでここにいるんだ?」
 納得してくれたのかすぐに話の矛先が変わる。
 なんで?
 その意識は烏丸の疑問に答えるよりも先に自分の意思がそのまま言葉に出た。
「なんで? おれより、なんでとりまるがここにいるのだ!?」
「俺はここに通っているからな」
「かよって?」
 どういう意味なのだろうと首を傾げる陽太郎の横で彩花も首を傾げている。自分と同じことで悩んでいるのかと思わず陽太郎は彩花を見つめる。
 彼女の悩みはまだ解決しないらしい。ならば烏丸に尋ねればいいのに不思議なことに陽太郎の頭の中は彼に頼るという発想がでてこなかった。だから烏丸がどんな顔で自分のことを見ているのか気づかない――といっても完璧ポーカーフェイスから心情を読み取るのはかなり難易度が高いのだが。
「烏丸くん……とりまる? あぁ!」
 彩花が声を上げた。
 何かわかったのだろうかと陽太郎は期待を向ける。それに気づいた彩花は一瞬目を丸くするがすぐに顔を作り直す。所謂お姉さんの顔。同じ玉狛支部にいる林藤ゆりや雨取千佳に似ていた。
「私と同じこの学校の生徒ってことだよ」
「彩花とおなじなのかー! むぅとりまるずるいぞ」
 理不尽な言葉が烏丸に向けられる。
(そういえば三輪さんにお世話になっているって言ってたな)
 烏丸と彩花は同じクラスだが、常日頃から話す程の仲ではない。しかし陽太郎から頻繁に彼女の名前が出てくるので彼女の人柄はなんとなくだが知っていた。
(ヒュースとも仲が良いと聞いたな)
 言葉にせず顔にも出さず、いつもと変わらない態度で陽太郎の訴えを流しながら烏丸は別のことを考えていた。
「ヒュースは?」
「ボーダーだぞ」
「あぁ」
 状況を把握した烏丸は腕時計を確認する。ぴくりとも動かない表情筋に彼のことを何も知らない人間は読み取ることができないだろう。だって陽太郎にも何か考えているということにしか分からないのだ。
 合図でもあったのだろうか。烏丸と彩花の目が合うのを見た。彩花はちょっと言いにくそうにしながら言葉を口にしていた。それは初めて会った時に似ている気がする。
「烏丸くん、何か用事があるの?」
「これからバイトなんだ」
「私、陽太郎くんをお家まで送って行ってもいいかな?」
「いいのか?」
「うん」
 話がどんどん進んでいく。その速さについていくより、陽太郎は大事なことを思い出した。
「彩花はこうえんにはいかないのか?」
「今日と明日は行けないの。明後日は行くよ」
「あさってまであえない?」
 それは一大事ではないだろうか。
 自分だって彩花に会えないのは寂しいのに、雷神丸だって悲しむ。そしてヒュースも。身体の全てがリアクションをとった。
「ごめんね、そのかわりお菓子作って持っていくから」
「やった!!」
 お菓子。
 それだけですっかり気分が良くなった。思わず手が伸びるがこのままでは上手く届かないことに気づいて陽太郎は急いで雷神丸から降りる。そしてすかさず彩花の手を取った。
「三輪さんありがとう」
「どういたしまして」
「彩花いくのだ!」
 陽太郎が彩花を引っ張る。その力に乗るように歩幅をあわせながら彩花は歩いてくれた。今日は公園に行けないのにどきどきした。

「陽太郎くんって烏丸くんと知り合いだったんだね」
 以前、陽太郎の口から「とりまる」の話を聞いたことがあったがそれが自分の知っている人間だとは思わなかった彩花は今更ながら口にした。
「からすま?」
「とりまる、くん」
 しかし誰だそれはという反応をされたので彩花は慌てて訂正する。どういう経緯でそういう渾名になったのかは察している。陽太郎と共有するために烏丸の呼称をあわせるが、クラスメイトということもあり呼び捨てにするのは抵抗がある。とってつけたような呼び方になってしまったが陽太郎の気には止まらなかったようだ。
「ああ! とりまるはたまこまなんだぞ!」
「そうなんだ」
「このまえとりまるにたいやきをもらったんだ」
 陽太郎が次々に烏丸とこんなことがあった、こんなことをしてもらった、どんなことが嬉しかったのかと話し始めた。
 学校での烏丸はクールな印象が強い。頼まれたことに嫌な顔しないところがかっこいいのだと友人が言っていたのを思い出す。いい人なんだろうなというのが彩花の感想だ。まさか子供の面倒見もいいとは思わなかった。
 限られた交流では何も知り得ないということをあらためて学んだ瞬間だった。
「か、……とりまるくんは陽太郎くんのお兄ちゃんみたいだね」
「ちがうぞ。とりまるもおれのこうはいだ。それにとりまるにはおとうとといもうとがいる」
「そうなんだ……」
 下に兄弟がいると子供の面倒を見るのは慣れているだろう。下に兄弟がいない彩花には羨ましい限りだ。
「陽太郎くんはとりまるくんのこと好きなんだね」
「うん。ヒュースもとりまるのことすきだといってたぞ」
「そうなの?」
「うん!」
「烏丸くんはヒュースくんと仲がいいんだ。どうやって仲良くなったんだろう……」
「どうやって?」
 陽太郎は不思議そうな顔を向ける。
「いっしょにあそべばいいんじゃないのか?」
 彩花は自身の兄の顔を思い浮かべる。
 言っていることは尤もだろうがある程度成長すると何かきっかけがない限り難しいのではないだろうか。
 真剣に悩んでいる様子の彩花に陽太郎は特に考える素振りを見せず言葉を発した。
「おなじかまのめしをくうとなかがよくなるっていってたな」
「ご飯……」
(それも難しい)
 私生活での接点はないということは想像できる。他にあるとすればボーダー関係だが、ボーダー隊員ではない彩花はボーダーの実情が分からないので何もできない。思わず溜息が出る。
「彩花つかれたのか?」
 指摘されてはっと気づく。
 そもそも自分はどうして兄とヒュースの関係を心配しているのだろうか。
(ヒュースくんがいなかったら口論することなんてなかった)
 それがきっかけでちょっとずつ兄と話すようになったことを思うと兄妹仲が改善しようとしているのは分かる。だからなのだろうとは思う。だけどなんでかは分からない。
「彩花」
 心配そうな声色が聞こえてきて彩花は慌てて答えた。
「大丈夫」
「ほんとうか? 雷神丸のせなかにのらなくてもへいきか?」
「うん、陽太郎くんのお話聞いているから元気いっぱいだよ。それよりも陽太郎くんは疲れてないかな?」
「おれも彩花とはなしているからげんきだぞ!」
「ありがとう。じゃあもっとたくさんお話しよう?」
「いいぞ」
 言うと陽太郎は華が開いたような笑みを浮かべる。そして自分の大好きが詰まった話をして彩花の心を温かくした。


20191105


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