過去と現在
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車に乗り込んだ桜花はボーダーへ向かうまでの間に、
風間から自分が意識を失っている間のことを聞かされることになった。
桜花が望んで聞いたのではない。
知っておかないとこの女迂闊なことをするに違いないという風間の親切心からだった。
今ボーダー本部はニュクスによって攫われた隊員達を元に戻し、異常がないかの確認。
最後まで戦い抜いた隊員達へのフォロー。
奪還した人間の身辺調査や体調管理。
マスコミを通した外部への対応。
そして桜花の処分と、とてつもなく忙しいことは想像ができた。
だから少しでも負担を減らせとかそういうことなのかなと思ったがそうではない。
全ては自分がとった行動の結果をしっかり知れということだった。
風間の口から始めに語られたのは桜花が意識を失った時。
時間を正確にいうならば彼女のスマホが鳴る時から始まる。
それがボーダーが大規模侵攻が終了したとの合図だった。
大規模侵攻戦終了後。
気を失った桜花を抱え、嵐山達は急いでボーダー本部のとある部屋を目指した。
途中、トリオンキューブを大事そうに抱えている何人もの隊員達を掻き分ける。
彼等が通されたのは研究室の一室でここでは捕虜の首輪の解除を行っていた。
丁度、少女の首輪を外すことに成功したらしい。
部屋の中にいた玉狛第二が安堵する姿が目に入った。
特に千佳は眠っている少女を力強く抱きしめていた。
「嵐山さんに明星さん!?」
先に声を掛けたのは修だった。
「三雲くん、その子は?」
「はい、外せました。もう大丈夫です」
「良かった……」
「それよりも桜花さんがいるってことは――」
「ああ、お願いしたい」
言うと嵐山は桜花を台に寝かせた。
打撲以外に目立った外傷は見当たらない。
今は命にかかわるような直截な傷はないことを確認し、エンジニア達はすぐに仕事を開始した。
まずは首輪が装着者のトリオンを通じ、作動しないように機能を止める必要がある。
桜花のポケットから首輪の機能を無効化するトリガーが見えた。
もしかして……というよりはやはりというべきか。
桜花は無効化トリガーを使っていない。
1つの可能性が浮上して彼等は桜花の首輪の機能が無効化されているかを知るために彼女をトリオン体に換装し、確認することにした。
ボーダーは特殊な機械で強制的に対象者のトリオンを使用し、トリオン体へ換装しようと試みる。
「あ、」
「どうしたんですか?」
「明星、トリオンが残っていないね」
通常なら換装できるようになるまで休ませるものだが、事態が事態なだけに悠長なことはできなかった。
自身のトリオンが足りないなら外から補うしかない。
「わたしが!」
寺島がどこからトリオンを調達するかと口に出すよりも先に名乗りを上げたのは千佳だった。
「わたしのトリオンを使ってください」
ボーダー本部にもトリオンの蓄えはある。
そこから使うのが道理ではあるが、近界民が撤退中の今最後の攻撃を本部にしてこないとも限らない。
何かあった時のためにを考えるのであればできるだけ本部のトリオンは使いたくないというのは本音だった。
寺島は千佳の申し出をすぐに受け、千佳のトリオンを使用し桜花を強制的にトリオン体へ換装させた。
「やっぱり明星使ってないね」
言うと寺島は機械と桜花につけられている首輪を直接繋ぎ無効化プログラムを起動した。
正常に動作していることを確認したら換装を解き、首輪を外す作業をすればいい。
ここからはエンジニアの領域だ。
防衛隊員達は見守ることしかできない。
「どうして明星さんは無効化トリガーを使わなかったのかしら」
ふと疑問を口にしたのは嵐山に同行していた木虎だった。
首輪は捕虜の位置情報や任務の管理、生死のコントロールをしている。
無効化トリガーを手にしているのにそれを使用しないのはおかしいと木虎は言う。
「でも桜花さんが無効化トリガーを使用していたら敵が桜花さんの首輪が正常に動作していないことに気づくだろ?
そうなったら今回の結果は得られなかったんじゃないか?」
「それは結果論でしょ。
私はこの人が自分の命を優先にしないでその行動をとったことが理解できないだけよ」
確かにいつもの桜花なら自分の命が大事。他は二の次、寧ろどうでもいいといった風だ。
そんな彼女が取った今回の行動は彼女の行動原理から外れている。
正直考えられないと木虎は言う。
「桜花にとってボーダーは自分の命と同等で大切にすべきものだったってことじゃないか?」
「嵐山さんは明星さんのこと買い被りすぎです」
「そうか?」
嵐山の言葉を聞いて木虎は溜息をつきたくなったが、
流石に年上、しかも尊敬する自分の隊の隊長相手にそんなことはできなかった。
「明星さんが目を覚ましたら聞いてみればいいんじゃないの?」
「佐鳥先輩の言う通り聞いてもこの人が素直に答えるとは思いませんけど」
佐鳥の言葉に木虎は辛辣な態度で応えた。
「それよりも重要なのはこれからじゃないかな?」
時枝の言葉に首を傾げたのは遊真だった。
「ときえだ先輩。それはどういうことなんだ?」
「明星さんの行動はほとんどのボーダー隊員が目撃している。
結果がどうあれ明星さんに不信感を抱く隊員は少なくはないということだよ。
本人の意思とは関係なく上層部は何かしらの処分を明星さんにしなくてはいけなくなる」
そしてそれは今回奪還した捕虜たちも同じだ。
ほとんどの隊員達は彼女達を近界民だと思っている。
近界民にやられた隊員達はそしてその仲間は彼女達の事情を知ったところですぐに許すことはできないだろう。
「それについてだけど上層部は翌日ボーダー全隊員を本部に集めて今回の戦争の説明と功績の発表をするらしいよ。……といっても何人かは通常通り防衛任務をすることにはなるんだけど」
「迅!!」
突然聞こえてきた声に皆一斉に振り返る。
皆の注目を浴びた迅は「お疲れ様」と労いの言葉を掛けた。
「明日とは急だな」
「こういうことは早く動かないと悪い方へ向かっていくからね」
確かに時間があればそれだけ話は広がる。特に悪い噂というのは異常なまでに早く、そこに1つ悪意でも混じればたちまち桜花や捕虜となった子達の印象は最悪になる。
放っておくよりは先に全てを話してしまった方がまだコントロールができるという上層部の判断は正しい。
「――ということは、救出した隊員達は……」
「そういうことになりますね。寺島さんお願いします」
「既に数人戻して、心身ともに無事だったのは確認済みだよ。
あとはそれに間に合うように動くだけだけど……エンジニアの踏ん張りどころだね」
「すみません」
「別に、ここからは俺達の戦いだからね。
あと明星は首輪を外したら然るべきところで診て貰うよ。
流石に本部に救護班はいるけど内部損傷していたらここで治療することは難しいからね」
「ありがとうございます」
深々とお礼を言う迅に寺島は「今日は徹夜だ」とわざとらしく声を上げた。
翌日。
迅が言う通り、ボーダー隊員は全員本部のラウンジに集められた。
集められた段階から隊員達の雰囲気から分かる。
不安や苛立ち。
特に苛立ちは前回のアフトクラトルが攻めてきた時にはなかった類のものだ。
しかし上層部は気づかないふりをして義務的にまずは今回の戦争、敵の目的はトリガー使いの捕縛及びトリオンの確保であることから話を始めた。
迅のサイドエフェクトを持ってしても敵がどのようにボーダー隊員を襲ってくるのは分からず後手に回ったこと。
その結果、隊員がニュクスに捕らわれ危険に晒してしまったと上層部は話した。
「けっ」
その説明に一番最初に悪態をついたのは影浦だった。
いつもならまたかよと彼のことを粗暴だと思っている隊員達もこの時ばかりは影浦を褒め称えた。
そんな感情が飛んできて影浦の機嫌がますます悪くなったのは本人しか知らない。
「危険に晒した?近界民だけじゃなくて他にもいるだろうがよ」
「他とは誰のことだね?」
「白々しい、名前なんて知るかよ」
上層部の企みを察知するが、彼等の思惑なんて影浦の知るところではない。
納得する説明をしてもらおうとは思っていないが、
影浦はとりあえずあのクソ女を殴らせろという主張する。
相変わらず暴力的だと呟いた根付に睨みを効かせ一瞬怯ませたのは余談である。
影浦の言葉に「自分も見た」「彼女のせいで仲間がニュクスに捕まった」「自分は彼女に攻撃された」と次から次へと声が上がる。
やはり彼等の目からすれば桜花はボーダーを裏切った敵でしかない。
騒ぎ立てる隊員達を一声で黙らせたのは本部長である総指揮官である忍田だった。
「明星隊員の行動については説明をする前に捕らわれた隊員達を救出方法について話す必要がある」
忍田の言葉を引き継ぎ、開発室室長である鬼怒田が話を始める。
「今回、彼等を救出する方法について話をする前に前提として2つ話さなくてはいけない。
1つは門を開くのに必要なトリオン量についてじゃ。
門を開くつまりこちら側とあちら側の世界を繋げるわけじゃが、
当たり前だがそれには莫大なトリオン量が必要になっている」
門を開くのは容易ではない。
隊員を捕縛したニュクスは性能的にも自身に積まれているトリオンでは門を開くことはできない。
そして捕縛した隊員のトリオンを使用するにしても捕縛した者は戦闘中にトリオンを消費している可能性があり、隊員のトリオンを使っても門を確実に開ける保障はない。
であれば、外部からのトリオンを使うしかない。
考えられるのは2つ。
1つはラッドのように周囲からトリオンを集め門を開くこと。
もう1つは遠征艇などの収容所に格納し門を開いて一気に搬送すること。
捕縛したトリガー使いを自国に持ち帰って兵として運用したいのであれば、奪還される可能性のある前者は考え難い。
門を開き隊員達を向こう側へ搬送するなら後者が妥当だった。
捕らわれた隊員達を救うには収容されている場所を探し出さなくてはいけない。
ボーダーが収容所を見つける前に近界民が撤退を選択すれば救出する可能性は時間は変わってくる。
その時間を確保するには近界民にできるだけ長くこの場に留まらせるように仕向けなくてはいけない。
その仕事をしたのが太刀川と迅だ。
近界民が不利になれば彼はすぐに撤退することを選ぶかもしれない。
太刀川と迅が要求されたことは戦闘に決着をつけるのではなくできるだけ戦闘を長引かせることだった。
彼等が戦闘をしている間、ボーダーはニュクスに捕らわれた隊員達がどこにいるかを探し出さなければいけない。
それに一役かったのが桜花だ。
「隊員を攻撃することがですか?ぼくにはただ隊員を危険に晒した風にしか見えません」
声を上げたのは何も知らない隊員達ではなく事情を知っている修だった。
彼女を非難するような形で発言しながらそうならざる得なかった状況を聞き出すためのもの……修の隣で遊真は飄々とした顔で、そして千佳は少し心配そうに事の成り行きを見守っていた。
修の言葉に同調するように他の隊員達も説明を求める声を上げる。
「前提に話さなければならないことが2つあると言ったじゃろ!」
鬼怒田が苛つきながら声を張り上げる。
妙な迫力に皆、押し黙る。
「明星隊員の行動を説明するにはこのトリガーの説明をしなくてはいけない」
そう言いながら忍田が取り出したのは首輪だった。
「これは捕虜そして明星隊員につけられていたものだ。
この首輪をつけられたものの位置情報を探知することができる。
加えて装着者に命令をし動かすこともできる。
そしてそれを逆らったら装着者を死に至らせる」
死という言葉に周囲がざわついた。
「明星隊員が命令されたことはボーダーを攻撃することだ」
自分の命を守るためには我々を攻撃するしか選択肢がなかったのだと告げられた。
「自分がよければそれでいいのかよ」と誰かが呟いた。
その言葉に誰も賛同も非難もしなかった。否、できなかった。
自分の考えや感情が追いつかない隊員達を待つことなく忍田は淡々と経緯を話す。
収容所を探し出すだめに桜花は機転を利かせ隊員達をスタアメーカーをつけて落とし、飛んでいった先……即ち集まった場所が隊員達が収容されている場所だと考えた。
場所を特定するためには一定以上の隊員達を落とす必要がある。
桜花は隊員を積極的に攻撃しベイルアウトさせていった。
彼女の意図を知るのに時間が掛かったのは彼女が本気でボーダーと交戦したからだ。
ボーダー隊員を錯乱させるのは近界民から見れば桜花が本気で自分たち側についたのだとしか思わないだろう。
その演出は必須だった。
内部通信で知らせねかったのは演出のためというのもあるが盗聴されて作戦がバレテしまうのを防ぐためだ。
打ち合わせなしの彼女の作戦にボーダーが気づくかどうかという賭けの要素が大きいがあの状況ではそれが最善策であった。
彼女の意図を誰も察することができなければ……と考えると恐ろしい結末しか見えない。
だけどそのことについて誰も触れなかったのは、桜花の裏切り行為がなければ捕縛された隊員達を救出することはできなかったという結果が残ったからだ。
辺りは沈黙に包まれる。
皆頭では理解した。
そこから先の説明はすんなりと彼等の頭は受け入れた。
マーカーが集中している場所が収容所と分かったボーダーは隊員達を救うために収容所の破壊及び、作戦が終了したことを伝えるために桜花本人を攻撃した。
それを持ってボーダー隊員救出作戦は終了である。
桜花に対して正直非難の声はあった。
仲間を危険に晒した非道な奴。自分の命が大事で仲間を見捨てた薄情な奴。
だがそれがなければ捕縛されていた者は助けられなかったと知ると責めたくても責められない。
彼女の功績を素直に称えることもできなければ、彼女の境遇を素直に同情することもできない。
行き場のない気持ちは発散されることはなく、後味の悪いものだけが残った。
風間は他にも世間で大騒ぎされている捕虜救出も事情を知っているボーダー隊員達からしてみればどう見ればいいのか分からない対象らしい。
侵攻してきた敵だと思っていた者が救出対象者であるという事実に彼等の感情はついていかない。
帰還を素直に喜べないことに苦悩する人間も出たらしい。
(お人好しな人間もいるものね)
桜花は思った。
こういうことに不慣れな玄界では仕方がないのかもしれない。
だけど今回のことで彼等は知ったはずだ。
これから攫われた人間を助け出すということの意味。
生死の問題だけではない。
自分の目の前に敵として現れる可能性。
それでも自分は戦えるのか。
それでも相手を助けたいと思えるのか。助けるために動けるのか。
相手を殺さずに救えるのか。
それは敵から仲間を守って戦うよりもずっと難しい。
ボーダー本部に着いた桜花はゆっくりと廊下を歩く。
怪我していつも通りに歩けない。
途中ですれ違うボーダー隊員の視線が自分の方に向けられているのが分かる。
小さな声だがひそひそ話しているのも分かる。
話している内容は間違いなく自分のことなのは明らか。
完全な悪意や敵意を向けられているわけではないことは風間から話を聞いていたおかげで何となく分かる。
気まずい。
どうすればいいのか分からない。
そういった中途半端な感情が漂う。
自分はよく思われていないということだ。
正直気持ち悪い。
桜花は歩くことだけに集中する。
痛いし身体は重いしで集中を切らせばバランスを崩し動けなくなりそうで、桜花は自分の目の前を歩いている風間の背中に集中し後を追うことだけを考える。
桜花の前を歩いている風間が桜花にあわせて歩行していることは考えず、ただ歩みを止めないことだけを考える。
ブーブー……
ふと風間のスマホが鳴る。
風間は自分のポケットから出すとディスプレイに表示されている名前を見て一瞬動きが止まった。
「少し外す。お前はここで待ってろ」
「え、こんなところで」
「そうだ」
自分は呼び出されたのではないのか。
こんなところで放置していいのかと言いたいことはあったが口を挟むのは許さないと言わんばかりに風間が即答した。
桜花は無言になるしかなった。
風間は桜花の態度を確認してから電話に出るためにこの場から一時的に離れた。
「今、離れるのはきついでしょ……」
言うと桜花は壁にもたれ掛かろうと壁際に寄る。
それだけでも一苦労だというのに……桜花の身体に誰かがぶつかる。
「やべェ」
故意なのかは分からない。少しばかり焦っているかのように聞こえた声に桜花は反応することができなかった。
自分の意志で思うように動かせない身体に苛立ちを感じながら、桜花は壁に倒れかかる予定だった。
ウィーン……と無機質な音がしたかと思うと壁が消える。
必然的に桜花は倒れるしかなかった。
「痛っ!」
思わず声を上げる。
背後でまたウィーンと無機質な音が聞こえた。
ガチャ。
閉まる音が聞こえた。
自分は何かの部屋に入ってしまったのだと気付く。
(ボーダー本部って一体どんな構造になっているのよ!)
桜花は地に手をつき、気合で起き上がろうと踏ん張る。
「あ」
聞こえてきた声に桜花は顔を上げる。
そこには少女がいた――。
20170810
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