過去と現在
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桜花が目覚めて最初に飛び込んできたのは白だった。

真っ白な天井。
清潔感が漂っているが、自分とは縁がない空間に違和感を覚える。

頭がぼんやりとする。
身体を動かそうとして走った痛みに桜花の頭は覚醒した。
手を動かし必死に自分の武器を探す。

「トリガーはないぞ」

声がしてそちらに振り向こうとして止めた。
痛みで首を動かすのが億劫になり、仕方なく目線をやる。
自分が寝ているベッドの横にある椅子に腰かけて呑気に読書をしているのは麟児だった。
「……なんで」
「トリガーの件なら怪我人にトリガーを持たせるわけにはいかないということで没収だ。
俺がここにいる理由ならボーダー隊員は街の復興作業、捕虜の情報整理及び防衛任務で出払っているからな。
お前に割ける人材がいなかったということだ」
「あ、そう」
「因みにボーダーで重傷を負ったのは桜花だけらしい。おめでとう」
「ついでにいらない情報ありがとう」
どうでもいい情報と共に桜花が聞きたかったことを的確に答えた麟児に舌打ちをしたくなる気分だった。
状況を整理すると桜花を監視するにも隊員を割くことはできない。
だけど桜花は怪我して身軽に動き回れないからトリガーを没収しておけば非戦闘員でも務めは果たせるからいいよね。……ということだ。
(信用ないわねー……気持ちも分かるけど)
自分の命とボーダーを天秤にかけ、桜花は自分の命をを第一優先にした。
結果、ボーダーを裏切るような行為をしていたわけだ。
自分がボーダー側の立場ならそんな人間野放しにしない。
――となると気になるのは自分がどう処分されるかだ。
自分の素性はボーダーには知れている。
そんな中治療されているのだから殺されることはないだろう。
桜花は記憶を失う前のことを思い出す。
しかし何も思い出せなかった。
目覚めたばかりだからかもしれないが、
頭が上手く回らないし身体が重いしで今は無理をする気になれなかった。

疲れた――。

ただそれだけだった。
何も言ってこない桜花を不思議に思ったのか麟児は眉を潜めた。
「桜花が目覚めたことを伝えておくか」
言うと麟児は立ち上がった。
「……私を1人にしておいていいの?」
「今のお前なら短時間くらい1人にしても問題はないだろう」
「それってどういう……」
「考える時間はあるということだ。
自分が何をしたのかをしっかりと見た上でこれからを決めるといい」
言うと麟児は部屋にあったテレビをつける。
「気分転換にどうだ?
……まぁ、どれも取り上げられているのは先日の大規模侵攻のことだがな」
選択する意味はない。
嫌がらせをしたいのかなんなのか分からないが桜花は麟児に一言二言ぐらい文句を言ってやりたかったが、生憎体力が回復していない。
わざわざテレビをつけるくらいだ。
見て欲しいものは決まっているのだろうが今は大人しくさせて欲しい。
早く出て行けと言う代わりに桜花は目を閉じた。
こうなったら態度で示すしかない。
「言い忘れていた」
わざとらしく声を上げる麟児に桜花は思わず目を開いてしまった。
まだ何が自分に言いたいことでもあるのかと麟児を睨む。
「今回の件で俺はボーダーに救出されたことになるらしい」
「…………は?」
「こちら側に戻ってきたと世間に認識されたということだ」
「……良かったじゃない」
いきなり何を言いだすのか分からないが桜花は言葉を返すのがやっとだった。
少なくても麟児はこの世界に認められ自由を得たということだ。
実に喜ばしいことだろう。
「そこに食べ物も置いてあるからボーダーが来るまでに少しは体力回復しておくんだな」
ベッドサイドに置いてあるおにぎりに目がいく。
休ませる気はないとでも言いたいのだろうか。
桜花は頭が痛くなった。
食欲ないから持ち帰ってと言おうとしたが、麟児は自分の用事は済んだのだといわんばかりに部屋から出て行った。

『近界民の大規模侵攻が終わってから2日が経ちました――』

聞こえてきたニュースキャスターの声に桜花は耳を傾けた。
他にやることがないのだから仕方がない。
大規模侵攻は終了して……自分が最後まで戦っていた日から換算していいものかは分からないが、
少なくても桜花が意識を失って2日は眠ったままだということだ。
テレビには三門市の様子が映されていく。
壊された家が映る。大規模侵攻中にシェルターに避難していた民間人が「怖かった」「自分の家が壊されて住む場所がない」とコメントする。
そして今映し出されたのは街の復興を手伝うボーダー隊員。
彼らが中心になって町の人も皆協力し合っている姿だ。
侵攻してきた近界民、被害を0に抑えられなかったボーダーを責めるような言い方をする者もいれば、ボーダーが助けてくれたと感謝の言葉を発する者もいる。
何もしていない人間が好き勝手に言ってる。
桜花が認識したのはそれだけだった。
テレビは現状の三門市を映しながら今回の被害者数を述べる。

ボーダー隊員
重傷者1名
軽傷者46名

死者はいなかったようだ。
近界民も積極的に人を殺しに来たわけではない。
当然というか運が良かったと言うべきなのかもしれない。
民間人の方も怪我人は出ているが死亡者はいないらしい。
ボーダーの行方不明者の報告がないところからまだ数の確認ができていないのか、
それともニュクスによって捕らわれた隊員は全て救出できたかのどちらかということになる。
隠しても後々バレルことを考えると恐らく後者だと推測できるが……できれば後者の方が頑張った甲斐があるというものだ。
今もテレビに映っているのは町の復興作業を行っているボーダー隊員達だ。
中でも一際目立つのが赤色の隊服の嵐山隊だ。
次にC級隊員、ミリタリージャケットの大柄な隊員や黒コートの少年……A級隊員やB級隊員が映る。
(皆、元気ね)
桜花は思う。
総合的にみて今回の防衛戦は御の字といったところだろう。
ニュースは三門市の様子だけでなくボーダーの戦績について語る。
今回の防衛戦で大きかったのは以前近界民に攫われた人間を奪還したことらしい。
名前は公表していないが奪還した人数を3名と言っている。
そのうち1人は麟児だろう。
ならば今回奪還できたのは2人だけなのか。
それとも他にも助けられた人間はいるが身元を特定できた人間が2人で他は調査中。
または近界民だった。
一通り考えたがそこまでは桜花が関与することではないだろう。
前回、アフトクラトルが攻めてきた時のニュースで話題が出たのか、
ボーダーの長期プロジェクトの話が触れられる。
実際に戻ってきた人間がいることで救出した人間は心身共に問題はないか、生活に戻れるのか、家族のもとにいつ戻れるのか等、今後どうするのかというところまで議論されている。
(助けられた人間も大変ねー……)
メディアが騒ぐ限り彼等は普通の生活には戻れないだろう。
そもそも戦争を経験した人間がこちら側で言う戦争とは無縁の普通の生活に戻れるとは思えない。
……それは桜花の持論だが気にしても仕方がないと思い、気づく。
ここで出た死者のことについては誰も触れていない。
少なくても桜花は目の前で数人死んだことを確認している。
彼等は近界民なのかそれともこちら側の人間なのかは分からない。
非難を浴びないためには要らない情報は流さないことが必要なのは分かる。
ただ彼等の死、存在そのものがなかったことにされた。
生き残っていなければ自分がその立場になっていたかもしれない。

――嫌だ。

頭の中を何かが支配する。
何かに呑み込まれそうになるのを防ぐために、桜花は気持ちを切り替えるために息を吐いた。
勢いがあったのか肋骨に痛みが走る。
あらためて自分の身体の損傷具合を確認する。
全身重いが動かせないわけではないはずだと自分を奮い立たせる。
手は動かせることを確認した。
あとは力を入れられるかどうかだ。
足も動くかどうかを確認したい。
そう思った桜花は起き上がろうとする。
身体を捻ると激痛が走るので肋骨は罅が入っているか折れているのだろう。
腕だけの力で起き上がれるか試してみるが力が上手く入らない。
痛みから逃げていたら一生起き上がれない気がして、痛みを我慢しながら両腕で上半身を支えながら桜花は必死に起き上がった。
物凄く長い時間を費やした気がした。
額から汗が落ちる。
次にベッドから降りてみようと試みる。
地面に足をつける。
地に触れる感覚があったことに安心し、立ち上がろうと腕に力を入れた時だった。
勢いよく病室の扉が開かれる。
以前も同じことがあったのを桜花は思い出した。
あの時と違うのは目の前にいる男が冷たい目を向けていることではなかったことだ。
では何かといわれれば怒りに近いかもしれない。
怒りを向けられる理由が思いつく桜花にとって不思議なことではなかった。
ただ、やっぱりなという思いはあった。
「……風間さん、何の用?」
「雨取麟児から連絡があった。
……話に聞くよりは元気そうだな」
「これが元気に見えるの?風間さん疲れているなら休んだ方が良いんじゃない?」
「それだけしゃべる元気があるなら十分だ。
回復が早いのは明星のいいところだな」
「風間さん、私怪我してるんだけど!……っ」
大声を出した途端身体に激痛が走る。
そういえば肋骨をやっていたことを思い出す。
これは動くだけじゃなく大声を出すのも控えなくてはいけない。
面倒だなと桜花は思った。
「馬鹿か」
「風間さんのせいでしょ……」
桜花は小さく呟いた。
はっきり言い返せないことがこんなにもストレスが溜まるものなのか。
桜花はぐっと堪えた。
「行くぞ」
「は?」
いきなり何を言うのかと桜花は風間に目を向けるが、
逆に風間からお前は何を言っているんだという目で見られた。
自分の反応は正常なはずだ。
何故自分が悪いということになっているのか誰かに聞きたいが残念ながらここには他に誰もいなかった。
「私はゆっくり寝かせて欲しいんだけど」
「誰がお前を大人しく寝かせておくか。
そもそもじっとしていられる性分ではないだろう」
確かにベッドから降りようとしていたがそれと風間が言う規模は違うのではないかと思う。
「分かったわよ」
どの道自分がどこまで動けるのかは知りたかったところだ。
桜花は自分の力で立ち上がる。
身体が気だるいが立ってはいられる。
試しに歩いてみるが少し肋骨に響いて痛いが余計な衝撃さえ与えなければ大丈夫そうだ。
気を抜いたら倒れてしまいそうだが、そうなると更に痛い思いをしなくてはいけなくなる。
絶対に気を抜くものかと桜花は自分に言い聞かせる。
ふと視線を感じて桜花は風間の方を見る。
眉間に皺が寄っている……機嫌が悪いのだろうか。
風間の表情はいまいち読めない。
何か自分に思うところはあるのだろうか。
風間は公私混同せず任務を淡々とこなす人間だ。
桜花を迎えに来たのも任務で間違いないだろう。
それに私情を挟むのは珍しい。
「何よ」
「随分素直に従うな」
「拒否権はあったの?」
「ない」
「だったら別にいいじゃない。
あれだけ好き勝手に動いて治療してくれているわけだから殺す気はないでしょ?
どう処分されるかは分からないけどそれだけで充分よ」
「自分の行動に自覚はあるようだな」
「多少は」
桜花の言葉に風間は溜息をついた。
「もっと自覚しろ。振り回される方の身にもなれ」
「おかげでボーダー隊員救出できたんでしょ?」
桜花は先程のニュースを思い出す。
被害状況を聞く限り……憶測でしかないが攫われた人間はいないとみていいだろう。
彼等を救うためにより多くの隊員を危険に晒したが、
結果が良ければ過程は些細なことだと桜花は主張する。
しかし風間はその過程が気に入らないらしい。
寧ろその過程に巻き込まれた大半の者は桜花に振り回されたと可愛く言っても納得はしないだろう。
誰がどう見ても彼等は被害者だ。
あの場は桜花がとった行動が最善に部類されるとしてもその太々しさはいかがなものか。
怪我している中歩くのに必死な桜花は「少しくらいお前は反省しろ」と風間からお小言を頂戴するも話を全て右から左へ流している。
余計なところに神経を使う余裕はないので適当に相槌をうっている。
そんな桜花の態度に気づいている風間は最後に一言だけ告げる。
「明星に言いたいことがあるのは俺だけではない。
あとでたっぷり聞いてもらうぞ」
「え」
病院の扉が開く。
何か嬉しくない言葉を聞いた気がした。
風間相手でも大分神経を使うのにまだ誰かいるのかと桜花が言う前に風間が言葉を発した。
「ボーダー本部へ行くぞ」
エントランス前に止められている車を見て桜花は先程言おうとしたことを忘れ、全く関係ないことを口にする。
「……風間さんが運転するの?」
「文句があるのか」
「ないけど……」
風間は童顔でおまけに一般成人男性の平均よりも身長が低い。
未成年が運転していると思われて途中で捕まったりしないのだろうかと桜花は不安になった。
口には出ていないが何が言いたいのか分かった風間は冷静に答えた。
「顔は覚えられている。問題はない」
既に何度か補導されたと示唆され、桜花は黙って車に乗り込むしかなかった。


20170802


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