01.セピアから幕開け
窓辺から差し込む光が、寝台を白く照らす。それは傍らに在る椅子に座り、心配そうにこちらを見詰める彼にも届いていた。
暇が出来た際にはこうして自分の元へと訪れてくれるものの毎度陰りを落とした表情なのだから逆にこちらが心配になってしまうが、やはり普段姿を見に行くことの出来ない彼と会えることが嬉しくて仕方がないのか今日の自分の声色は春の花のように明るく弾んでいる。
「ねぇ、聞いて? 今日ね、蝶が私に会いに来てくれたのよ」
「そうか」
「その後には……小鳥が可愛い花を持ってきてくれたわ。これが、その花」
「……そうか」
「もう……ちゃんと聞いていらっしゃるの?」
「ああ。聞いている」
「本当に?」
「ああ。それよりも、あまり無茶をするなよ?お前は病弱なのだから」
「わかっております。相変わらず心配性ね、――」
◇
「……朝?」
窓から入り込んだ日差しが朝を教えてくれた。むくりと体を起こすと、長い長い紫の髪がさらりと揺れる。
今しがた目を覚ました少女──ミルファは、ぼんやりとした頭で微睡みの世界を思い出していた。
(また、あの夢だ)
鮮やかな色ではなくてセピア色に塗られているような夢。誰かと誰かが話していることははわかるのだが、顔が見えなくて、どんな人かすらもわからない。
そんな中でも見えるのは、ベッドの上で座る女性。その傍らに置いてある椅子に座っている男性。それだけで、他は何も見えない上に名前もわからない。いつも名前を呼ぶ前に目が覚めるからだ。
「……ただの夢だし、気にしててもしょうがないよね……」
ベッドから降り、クローゼットを開く。
今日は剣技と礼儀作法の稽古の日だ。けれど、ミルファは街へ出たい気分だった。そんなことは許されないだろうと分かりつつも一度そう思ってしまってはその思いを消すこともできない。
ハンガーにかかってあるリボン付きブラウスを手にし、ミモレ丈のスカート──ではなく、丈の短い赤のコルセットワンピースと黒のプリーツスカートに手を伸ばした。
服に袖を通し、髪を左右に結んで身支度を整えながら考える。
稽古であれなんであれ、そもそも簡単に家から出して貰えない。ならば仕方ない、と止む終えないときのための外出方法を実践しようとした矢先、規則正しい間隔でコンコンとノック音が部屋に響いた。
まずい。非常にまずい。
「失礼いたします。朝食の準備が──お、お嬢様、何をしていらっしゃるのですか!?」
ガチャリと静かに扉が開かれる。ミルファが今まさに部屋の窓を開け身を乗り出して外へ出ようとしているところを、この屋敷の── フィオリーゼ家の執事である青年、ハルクスに見つかってしまった。
どうしてこのタイミングで入ってくるんだろうか。あちゃー、とミルファは気まずそうに目線を泳がせる。彼に取っては間が良いのだろうが、彼女にとっては間が悪い。ミルファは場を誤魔化すように笑いながらそろりと外へ向けて脚を出してみていた。
このままでは説教コースだ。彼の説法は始まったら長い。逃げないと稽古も重なって今日一日が潰れてしまいかねないのは明白だった。
「え、と……えへへ。お、お出かけに行こうかなと思って……?」
「そんな所からお出かけする人はいませ……ってお嬢様!」
案の定始まりそうな説教に心の中で謝ってから、彼が紡ぐ言葉を途中で遮るように、軽やかに中庭へ飛び込んだ。普通なら庭師や道行く人に悲鳴を上げられるような光景。しかしこの時間帯は外に誰も居ないことをよく知っている。
ミルファの部屋は高く聳え立つ屋敷の五階に位置しており、そんな所から目の前で飛び降りられたものだから、ぎょっとした執事は慌てて主人である少女が先程まで居た窓口に走り寄り、下を覗き込む。
ハラハラしている執事を余所に、ふかふかとした芝生に無事着地するミルファ。いつも思うけれどよく無事でいられるなあ、わたし。と、能天気なことを考えている彼女は、くるりと振り返って窓口に居るハルクスを見上げた。
「ごめんね、ハルクス! 行ってきます!」
困り顔の彼に手を振り、門番に見つからない内にと急いで家の門を出る。
真面目な執事だが、いつも彼女が脱走したりしていても両親には告げないで居た。ミルファはそれをありがたいとは思うが、怒りもしないのでいつも不思議に思う。自分は執事なのだからと責務を全うする彼が、このときだけは押しが強くない。
そんなハルクスがいつも自分がいない間どうしてるのだろうとぼんやり考えてみるが、執事としての彼しか知らない為、何も浮かばない。今度聞いてみようかと思い立つが、執事のプライベートにまで干渉するのはどうなのだろうかとも思う。
「あんまり自分のこと話そうとしないし、聞かない方がいいのかな。でも……」
このまま主人と執事というだけの関係を続けていては彼が何か困っていても自分に頼って貰えないことでもあるのでは。そう思うとなんだか寂しい。ハルクスにはいつも助けて貰ったり、こうして屋敷の外を出歩いていることを両親に伏せて貰っているのだから、小さなことでも何か力になりたいと思う。しかし。
一人で押し問答しつつうんうんと考えながら歩いてると、いつの間にかレグヌムの街の市民街へ足を踏み入れていた。
貴族街と市民街に分ける必要はあるのだろうか、と路を通るたびに思う。けれど、ミルファのようなただの一貴族、しかも小娘が口出しすることではないのだろう。これがレグヌムという街のやり方であり、そもそもそういったことで住民間での闘争も起きていないからこれでいいということなのかもしれない。
「……」
……それはそうと、視線が痛い。
兵士がミルファのことをまじまじと見ている。この間締結された異能者捕縛適応法というもののせいだろうか。
異能者捕縛適応法というのは、一般人が持つことのない“異能の力”を持つ人を捕まえるという法のことだ。自分には関係のない法なのは間違いない。しかし、値踏みするような疑いの籠もった、纏わりつくようなジトリとした視線を異様に感じ、ミルファは居たたまれなくなった。早くその視線から逃れたくて、足早に兵士達の前を通り過ぎる。が、特に行く当てもない。どうしたものか。
──工業区のマンホール下にある地下道。その名の通り地下にある静かな所。地下水が通っているためあまり衛生的に宜しくはないが、何故か部屋も数個あるような不思議な場所。その存在を思い出した。
幼い頃から、幼馴染と一緒にいつもそこへ逃げ込んで遊んでいた。所謂ひみつきちというものと呼べるものだろう。
昔を思い出して一人でふふ、と笑いながらその地下道へ向かう。……誰も居ないようだ。ミルファのブーツのヒールが鳴らす、コツンコツンという音がやけに深く響く。
「誰か居てもびっくりするけど……誰も居ないのも、ちょっと寂しいかも」
ぽつりと残念そうに呟くと、つい先程自分が降りてきたマンホールの方から、乱雑な音が響いた。
ガガッ、ダンッ!
──梯子の途中から地面へと飛び降りる音。その音に反応し振り返って見ると、綺麗な翡翠色の髪とキャスケット帽を整える青年が立っていた。
その姿を見て、ミルファは目を輝かせてその青年へと駆け寄る。青年は右手を軽く上げてニッと笑い挨拶をした。
「よっ、ミルファ」
「スパーダ!」
「うお、っと!?」
ミルファが駆け寄った勢いそのままに思い切りスパーダに抱き付いたため彼の体と一緒に一瞬ぐらりと揺れたが、倒れずに踏ん張って支えた。
会うのはいつぶりだろうか。一ヶ月は顔を合わせていなかったので、こうして会うのはとても久しい。
「お前なァ……」
「えへへ、ごめんね」
「ま、いいけどよ」
スパーダの首に手を回してしがみついていた手をぱっ、と離して、トンと地面に足をつかせる。そんなミルファを見て彼は、お前はホントに昔からチビのままだな、と笑った。
昔馴染み。幼馴染。スパーダとミルファは幼い頃からの友達というやつだ。お互い貴族の生まれで、親同士に交流があったため、二人はよく同じ時間を過ごしていた。ミルファは屋敷から出ることは出来ないため、ほとんどはスパーダの家──王都の盾と称されるベルフォルマ家の方からフィオリーゼ家に赴いたときや、スパーダ自身が家まで来てくれたときくらいだったが。
そして、いつ頃からだったか、彼が家に帰らなくなってからはしばらく会えない日が続いたことがあった。ミルファがスパーダの心配をし、家から飛び出したのもこの時期のことだ。彼女が自分の意思で脱走を試みたのはこの時が初めてだった。
それからは度々無断で家を飛び出すようになってしまったので、関わる友人というのは相当な影響を与えるものなのだと、フィオリーゼ家の執事やメイドはいつも頭を抱えているようだ。
「んで、また屋敷から抜け出したのか?」
「うん……えへへ」
「毎度毎度よくやるもんだな……」
屋敷から抜け出すのは、屋敷の中に自由がないからだ。することと言ったら、剣や作法の稽古や、両親の付き合いで家に招いた方へ挨拶をするくらい。……それから、家の車庫にある本を読み漁ることだろうか。
そのせいか、家に居ると自分が何のために存在しているんだろうと思ってしまって止まない。何のためかなど、分かりきっているのだが。
そもそも未成年だが働いたこともないため、家を出て一人で暮らすことも出来ない。そんなことは許されない。時たま、帰らずにいられたらと思うことはある。しかし、ミルファは自分が家に居なかったら、ハルクスや他のメイド達に迷惑がかかると考えていた。
「あまりやらない方が良いのはわかってるんだけどね、もしかしたらハルクスがお説教されちゃうかもしれないし」
あはは、と自分の気持ちを隠すように笑うミルファを見て、スパーダは眉をぴくりと動かし不機嫌そうな顔をする。……彼は昔からハルクスが嫌いらしい。スパーダが言うには、初めて会ったときから自分を見るときの目付きが気に入らない……ということなのだが。
ミルファはハルクスと毎日顔を合わせるが、優しいところしか知らない。しかしそれは自分が彼の主の娘だからだろうか、とミルファは考える。二人には仲良くして欲しいと思っているようだが、彼等は恐らく馬が合わない、というやつなのだから無理だろう。
「……ハルクスはともかくよォ。お前、あんま無茶すんなよ? どんくせぇんだから」
「あ……」
スパーダの言葉を聞いて、ミルファは今朝の夢を思い出した。夢の中のあの男性も、同じような言葉を女性に言っていたのだ。
「スパーダ……。変な夢って、見たことある?」
突然の質問に、スパーダは目をぱちくりさせた。
意図せず呟いていたとはいえ、抽象的過ぎてスパーダを困らせてしまった気がして、ミルファはなんでもないと慌てて言葉を取り消す。
きっとあれは、意味のない、なんてことないただの夢なんだ。何度も見てしまうのは自分が気にしすぎているからだ。そう自分に言い聞かせ、不思議そうにこちらを見詰めているスパーダへと笑い返した。
◇
マンホールから地上へと出てみると、街が夕焼けに当てられて橙色に染まっていた。夕食の時間が近いのか、街中にあまり人は居ない。
こうして陽が沈むまで、色々な話をし、スパーダが学校を辞めたとか、沢山喧嘩に明け暮れていただとか、彼の近況を色々と聞けた。その時、よく顔を見てみると彼の頬が赤く腫れていたので、痛そうだなぁと思ってミルファがそっとそこに触れた。すると突然スパーダがすっくと立ち上がり、帰るぞと言ったので家路につくことになったのだ。
深く考えずに気安く触れてしまったので嫌だったのだろうか。そう思いミルファは謝ったが、そういう訳じゃないと言ったスパーダの頬が腫れとは違う赤みを見せていたことを彼女は気付いていない。
夕焼けの街中を二人で歩く。スパーダの後ろにミルファがついていくような形で。他愛ない話を交わしながら市民街を抜けて貴族街へと入ると、広くて長い階段が目に入る。
「ね、スパーダ」
「あ?」
「今日も最後までいくから見ててっ」
そう言い、ミルファは幅が広めの階段の手すりにぴょんっと飛び乗った。二人の家は隣同士で、この階段を降りれば家はすぐ近くだ。
昔から外で遊べた日には、帰るときにここでさらに遊んで帰っていた。ミルファはここを通る度にそれを懐かしく思うのだ。
やり始めた頃は難しくて落ちたり滑ったりしてばかりでスパーダに助けられていたけれど、鈍臭いが体幹はしっかりしているのか、コツを掴むのが上手いのか。最近は慣れたもので、ふらつきはするものの落ちることはなくなっていた。
そんな彼女を見て、スパーダはやれやれといった声色で危ないぞと諭すように言う。
「ばっかお前どんくせーんだからやめとけって」
「む。そんなことないもん。絶対成功するもん。──よっ、とと……はいっ、ゴール!」
「まだふらふらしてる癖によ。ま、できたことは褒めてやる!」
「ひゃっ……!」
階段下まで到達したミルファの頭を、スパーダがわしゃわしゃと撫で回した。基本的に彼の行動は粗野であるため、毎度彼女の整えられた髪は乱れに乱れてしまう。
髪の毛がぐしゃぐしゃになっちゃうよ、と言うとスパーダは悪いなと笑いながら手をぱっと放した。
実を言うと、嫌な訳ではない。ミルファは乱暴でもなんでも、スパーダに褒めて貰ったり撫でられると心が暖かくなって嬉しくなるようだ。
なんて、そんなやりとりをしている内にあっという間に家の前に着いていた。
家の前まで着いて来てくれるのは嬉しいのだが、スパーダは自分の家には帰らない。この後どこかへ行くのだろうか。また、しばらくは会えない。そう頻繁に屋敷から抜け出す訳にもいかないのだ。月に数度しか、親が遠征している最中しか。
会えない、と思うと寂しくて泣いてしまいそうになる。それを察したのか、スパーダはミルファの額にデコピンを喰らわし──近い内にまた会える、そう笑った。
その言葉に胸の中のモヤモヤが少しずつ晴れて、ミルファは頷き、パァッと笑顔を返す。
「それじゃ……またね、スパーダ!」
「おう。またな、ミルファ」
ひらひらと、スパーダの姿が見えなくなるまで彼の背中に手を振り続けた。会う度にこうして別れるのはいつものことなのに、また会えると約束も交わしたというのに、今日はなんだかいつも以上に寂しく、なぜか不安すら感じていることに気付く。
どうしてだろうと考えながら、家に入ろうと踵を返し門に手を掛けたときだった。
「ミルファ・フィオリーゼ……ここの娘だな?」
後ろから男性に声をかけられる。突然のことに驚いて振り返ると、四人ほど武装した兵士が居た。そして、警戒するようにこちらを見ながらもじりじりと距離を詰めて来ている。
ただならぬ空気が、嫌な予感が、辺りを覆う。兵士を家に呼んだのだろうか。否、それにしては、様子が穏やかではなさ過ぎる。何故。
──何故、“ わたし”を敵視しているのか。
「そう、ですけど……?」
「異能者捕縛適応法により、お前を連行する。大人しくついてきてもらおう」
「……え……っ」
兵士の一人がずいっと近付き、ミルファの華奢な腕を強く捕む。
この人達は今何と言ったのだろう、── 異能者捕縛適応法? わたしが異能者だと言った?
状況が全くわからない、なにがなんだかわからない。反論も何も出来ないまま、ミルファはガチャリと手に拘束具を付けられ兵士たちに捕まり、グイとそれを掴み引かれ、日常から引き出されてしまった。