53.未来へ

 大袈裟な鐘の音が授業の終わりを知らせ鳴く。
 ホームルームが終わると同時にミルファは通学鞄に筆記用具をいそいそと詰め込んだ。

「ミルファ、もう帰るの? 今日は短縮授業だからお茶会に誘いたかったのだけど……」
「あ、ごめんね……今日はちょっとね、お友達と約束してるの」
「じゃあ、また今度しましょう! そのときはお勉強教えてちょうだいね」
「ええ、もちろん! じゃあ、またね」

 急いで席を立つと、クラスの子たちに挨拶をしながら急いで教室を後にする。人の波をかき分けながら、レグヌムの街中に向かう。
 ――創世力が世界に溶け込み天地がひとつになったあの日から、一年が経った。
 ミルファは今、王都レグヌムの貴族学校へ通っている。元々勉強が好きで人懐こい性格も相まってか、初めての学校生活や友人関係は良好だった。卒業を控えたミルファは既に看護学校への進学も決定済み。
 家族仲も、父親はともかく母親とは少しずつ会話も増えており、時々裁縫を教えてもらうこともあるほど。
 なんだか順調に事が運び過ぎて怖いなと思うほどだったが、全て彼女の努力の結果である。

「ミルファ、こっちだよ」

 城下町、住民地区にある小さな公園。そこに辿り着くや否や、銀髪の少年――ルカが腰掛けたベンチから小さく手を振った。少し背は伸びたが変わらない雰囲気を纏う彼を見ると、長く続いたあの旅を思い出して懐かしい気持ちになる。

「ごめんねルカくん、遅くなって……」
「ううん、大丈夫。僕もさっき来たところだから」

 ルカとは友人として、医療の道を歩む仲間として、ときどきこうして会っては本の貸し借りをしている。今日もそうだ。ミルファは鞄からごそごそと分厚い参考書を取り出すとルカに手渡した。
 医師になると決めたルカは両親に自分の夢を話し、背中を押して貰ったのだという。商家を継いで欲しかった父親は少し残念そうだったが、気の弱く人の言いなりだった息子が自分の望みを持ってくれたこと、それを話してくれたことが嬉しかったのだろう――学年で上位成績を収めるならば許すと言ってくれたとルカはミルファに語っていた。
 まずは学校に最後まで通って卒業しないとね、と笑い合うとふたりは隣り合って座りながら他愛ない話を交し合う。学校のこと、勉強のこと、それから、かつての旅で共にあった仲間たちのこと――。
 時間も忘れて語らっていたふたりを思い出から引き戻したのはルカの通う学校の鐘の音だった。午後三時に鳴る、下校を促すそれにルカはあっと声を上げて立ち上がる。

「ごめん、勉強があるからそろそろ帰らないと……。参考書、いっぱい使わせて貰うね!」
「うん! 気を付けて帰ってね、ルカくん」
「うん、ミルファも!」

 ルカは鞄を背負いながら小走りで家へ帰って行く。
 彼の背中を見送ると、ミルファは家を出るときにポストから持ち出してきた自分宛ての手紙たちを鞄から取り出した。間隔が開こうとも途絶えることなく続く文通に、まるであの頃のように仲間たちとの絆が在るのだと思えて心が弾む。

 ミルファ姉ちゃん、元気しとるか〜!?
 この間な、みんなで船乗ってガルポス行ったんやで。あのくだものおいしいとこ!
 こどもらも喜んでくれたし行ってよかったわ。
 あと、シアンに会ったんやで。ワンコらと暮らしとったけど、特になんもやることない〜ゆうてたから連れ出したったわ!
 ちゅーわけで、シアンも今いっしょやねんで! ともだちって言わせるって決めとったし、もくひょうたっせーしたらまた教えるわな!
 エルマーナ・ラルモ

 グリゴリの里には何もない。外の世界のことを教え込んではいるが、まだ興味を示さないのだ。
 話題提供も兼ねて奴らに話してみたいので、レグヌムの蒸気機関車が復旧したなど何か変わったことがあれば教えてくれ。
 フィオリーゼ、あまり無理はするなよ。
 では、またな。
 リカルド・ソルダート
 
 ミルファ、元気しているかしら?
 あのね、テノスとレグヌムを繋ぐ線路を塞ぐ遮蔽物の撤去作業が始まってるの。アルベールさんに教えてもらったことだから確かなことだけど、まだ市民には内緒なんですって。だから、わたしたちだけの秘密にしてちょうだいね。
 あ、あとね、テノスはやっぱりシチューが最高だわ。お酒もおいしいのよ。
 復興の資金も少しずつ集まっているの。また進展があったら手紙にするわね。
 あなたの卒業式、見に行けたらよかったのにな〜。
 また、たくさんお話聞かせてね。
 アンジュ・セレーナ

 ミルファ、元気? あたしは元気!
 サニア村さ、やっと落ち着いて生活送れるようになってきたのよ。コーダたちミュース族のせいでやっぱり食べ物関係はカツカツだけど。
 学校建てるための勉強やっと始められるの。勉強は嫌だけど、必要なことだから、がんばる。
 ルカに負けてられないしね。
 本格的に勉強始める前に、今度あんたに会いに行くから!
 王都のおいしいカフェにでも入っていっぱいしゃべりましょ!
 イリア・アニーミ

「……あれ?」

 ゆっくりと仲間たちからの手紙を開き読み進めていく。すると、残りの封筒がふたつあることに気付いたミルファは、差出人を確認する。ひとつはスパーダ。もうひとつは――ハルクスからだった。
 懐かしい名前に目を丸くさせて急いで封を切る。取り出した便箋を広げて目を通す――まるで活字のように整った字が並ぶ、かつての執事からの手紙に。

 ミルファお嬢様、お久しぶりです。
 突然手紙を送るご無礼をお許しください。
 私たちはあれから、教会全体の立て直しのため、奔走しております。
 枢密院の変わりとなりながらアルカ教団の教祖としても在り続けるマティウス様。
 マティウス様を支え、少しでも彼女の負担を減らそうと働くチトセ。
 そして、私も。微力ながら自分にできることに尽力しております。
 ふたりとも忙しいお陰か、余計なことを考える暇もないように思います。
 前へ進む彼女たちを見守ることが出来て、本当に幸福だと噛み締めています。
 お嬢様たちのお陰です。本当にありがとうございます。
 どうか、お幸せに。
 ハルクス・ルシア

「……よかった。三人とも、元気なんだ」

 どこに連絡をしたら良いのか分からず手紙を出せなかった相手からの手紙。きっと、もう会うこともないとは思うが、それでも。どうしているのだろうと気に掛かっていた彼らのことが知れて安堵する。
 吉報に笑みを携えたまま、手元に残ったスパーダからの手紙――“ミルファへ”と封筒に綴られた字に指を這わせてから封を開け、少し雑に折り畳まれた便箋をかさりと開いた。

 毎日毎日、訓練ばっか! やっと入隊できたってのに、実戦はまだかよ!
 って仲間たちとよく話してる。
 字書くのやっぱ慣れねえし、手紙より直接話したいなってよく思うんだよな。
 またそっちの近況も教えてくれよな。
 スパーダ・ベルフォルマ

「ふふ、スパーダってば相変わらずだなぁ」

 文字をあまり書きたくないながらに頑張って書いたことが分かる、少し崩れた字。この一年近く交換し合った手紙を見ていると、たくさん字の練習したんだと分かる。内容が短いのも手紙の返事自体が少ないのもスパーダらしいなと思い、ミルファはくすくすと笑みをこぼした。
 家に帰ってみんなに返事を書こう。レターセットはどれにしようかな、足りるかな、と考えながら貴族街にある屋敷を目指す。会いたいな。声が聞きたいな。そんなことを考えながら。
 目前に迫った家の近く――広めの階段と手摺があるそこで、なんとなく立ち止まる。昔から家を抜け出してスパーダと遊んだときは手摺に飛び乗っては平均台よろしくゆらゆらとバランスを取りながら伝い遊んでいた懐かしい思い出のひとつの場所だ。

「ミルファ」

 聞き慣れた声に名前を呼ばれて反射的に顔を上げる。思い出に心を馳せていたから幻聴かと思ったが、違った。ニッと歯を見せて笑うその顔を見間違えるはずがない。声が少し低くなっていても、聞き間違えたりしない。名前を呼ぶ暖かな声色も、綺麗な翡翠の髪も、何も変わってない。
 目の前に立つスパーダに、心のままに抱き着いたミルファは喜びの涙を浮かべながら微笑んだ。

「おかえりなさい、スパーダ!」
「ただいま。悪ィ、手紙で知らせようと思ったんだけど……びっくりさせたくてよ」
「ううん、ううん……! 大丈夫! お休みが出たの?」
「ん、まあ……船がこの辺通るから無理矢理ねじこんだってカンジだな」

 片腕でミルファを支えながら頭をガシガシとかくスパーダに首を傾げる。
 なんと、またすぐ――明日の朝にはまた戻らなければならないというのだ。なぜそんな急に休暇とも呼べないほどの時間でここに立ち寄ったのだろうと思ったミルファにスパーダは「顔が見たかったから」とぽそりと白状した。

「わ、わたしも……! 会いたかったよ、ずっと」

 嬉々としたミルファの様子にスパーダは救われたように軽く嬉しく弾む己の心の単純さに自嘲する思いだった。自分ばかり彼女に会いたいと思っていたらダサいな、虚しいな、などと子どもじみた考えばかりしていたことが恥ずかしくなる。

「……ンで、あともうひとつ」
「え?」

 コツ、と、踵が鳴る。きょとんとするミルファがスパーダを見上げると、彼は彼女の小さな手をそっと取った。まるでパーティーで男からダンスに誘うときのように。
 少し視線を彷徨わせたかと思うと、スパーダはまっすぐにミルファを見詰めた。

「思い立ったら居ても立っても居られなくて、よ」
「うん」
「で、さ。目標だった海軍に入れたし、これからは仕事もこなせる。だから、また新しい目標立てねェとなって」
「? それって……?」
「……まだ秘密」

 自分の心の中で立てた誓いを表すように、左手の薬指にキスをしてニッと笑ったかと思うと、スパーダは顎をくいと持ち上げて優しくミルファに口付ける。ちゅ、と触れた唇がすぐ離れたかと思うと、嬉しそうに目を細めるその表情に心がまた高鳴った。
 いつか教えてね、と言うと、スパーダは「近いうちにな」と笑う。そして、ミルファは未来を思いふわりと微笑んだ。橙が掛かろうとする空の下、愛しい彼の新たな目標が叶うことを願いながら。
 せっかくだから新しく出来たカフェで夕飯にしよう、と語らうふたりの影はレグヌムの街の中に溶け込んでいった。

hitsujitohana