silent
慎重な手つきで、植物の模様が施されたフレームに囲われた、丸い装飾部分の金具に触れる。機械仕掛けのボタンのように突出したその平らな円形は、五百円玉硬貨より一回り大きいくらいで、しかし押しても固い感触で蓋は開かない。円形の凸は横から押しても微かに揺れるだけだ。
「ボタンじゃないのか」
「押して駄目、では引いてみましょう」
円の縁は僅かに溝がある。そこに爪を引っ掛けるようにしてぐっと引くと、円は持ち上がってかつりと卓に音を立て、ころころと財布から逃げる硬貨のように転がって床下へ落ちてしまった。足元まで届いたそれを新美は拾い上げた。
「おお、外れた」
「鍵穴みたいだね」
円形の窪みに覗いたのは何かを差し入れられるような細く小さい穴。丸い飾りはこの鍵穴の蓋の役割だったのか、と手の内のそれを弄る。
田山が一度蓋に手を掛けた。が、開かない。
「うぐぐ、やっぱり閉まってんな。でも鍵なんてどこにあるんだ、司書が持っていったとか……?」
進退窮まったか、唸る田山の傍で鍵穴を覗いた島崎が首を傾げた。
「これ、変な感じするね」
「え、変って何が」
「合わない……というか、違和感がある。この鍵穴、せいぜい小指の爪の先くらいの長さしかないよ。匣の大きさや細工に見合っていない」
「ああ、ワタクシも違和を覚えていましたが、確かに。
一抱えほどもある宝箱ならば、それに相応しい揃いの装飾が施された鍵を連想しますが、この鍵穴ではまるで粗末な薄っぺらい鍵が思い浮かびます」
「あー、そうだな」 なるほど彼らの言い分もわからないことはないと相槌を打つが、田山にはそこまで気になるようにも思えなかった。「鍵穴が小さい方が開けられにくいとかじゃないか? 鍵師じゃないからわからねえけど」
「君、この匣開けられたりしないの。奇術とかで」
島崎から水を向けられたのは江戸川だ。
「エンターテイナーとしては不可能などないと豪語したいところではありますが、種や仕掛けがないとちょっと」
「夢も現もままならねえなあ」
ここぞとばかりの反撃を江戸川は新美の元に行ってかわす。ピッキングなど道具があるならいざ知らず、さすがに素手で開けられるような業もなければ力もない。無茶ぶりというものだ。
新美は蓋を弄っていた。単体で見れば蓋というより、メダルのように見える。
「そんなにしげしげと見て、どうかしましたか」
「あのね乱歩さん、これ、鍵穴を蓋していたときはただ平面だったでしょう」
「エエ、なので押ボタンかと思ったんですけれど、……おや」
言って新美が見せたメダルの表面は、乏しい光に影を浮かび上がらせている。彫り物がしてあったのだ。それは精巧だが味気なく簡素で、六角形のような図形だった。彫刻のなされた逆の面は先程見たように光沢を放って傷ひとつなく、刻印は蓋していた鍵穴に面していたのだろう。
「変哲のない装飾なら外側に飾りのある面を向けて嵌めそうなものですが」
「そうでしょう? それに、この六角形みたいな図。籠目とか麻の葉模様みたいにも見えるけど、この台座も同じものがあるし、なにか意味のあるんじゃないかなって思って」
新美は匣と手紙のおいてあった台座の側面を指差した。
六角柱は、濃淡の異なる石から成る規則正しいモザイク模様が一面に敷き詰められていた。その手の込んだ見目から、机というよりも台座や、祭壇と呼ぶに相応しく思えるのだ。中には新美が麻の葉と称した六角形も見えた。
「ふむ、何か意味の持つ記号であるなら、模様部分を内側にしていたことにも理由があると」
「そう考えても変じゃないよね。このメダル自体が鍵とか! 表で嵌めたら蓋開かないかな?」 江戸川の意見に後を押された形で新美は一瞬顔を輝かせたが、すぐに消沈する。「でも、鍵穴があるから違うかな」
「やってみようぜ、鍵穴の大きさを考慮したらブラフかも知れねえし」
「花袋、なんか遣る気になったね」
さっきは侵蝕者に怯んでいたのに、とか、そういえば花袋のいう美少女に彼も入るんじゃなかった、とか。そういう含みがあったかどうか、田山は全く気づくことはなかった。
「そりゃこのまま此処にいたって何にもなりやしない。開けなきゃならねーならオレが開けた方がいいだろ」
匣の中に侵蝕者が紛れているなら、精神の安定性と武器種弓の回避値を鑑みれば田山が適任である。新美から受け取ったメダルをそのまま金属の触れあう音をさせて、もとの位置に差し込もうとしたが。「あれ、……嵌まらない」
「開かない、じゃなくて?」
「おう、嵌まらん」 メダルはかちゃ、かちりとぶつかり合う音が鳴るだけで、穴に入る気配がない。不思議に思って、メダルを月明かりに透かすように翳してみると。「裏と表の面積がちがうのか」
厚さ3mmほどの側面が俄に台形を描いている。先ほどぴったりと隙間なく埋まっていた穴も同じ角度ですぼまっていて、阻まれてしまうのだ。
「じゃあ、マークは表裏を分かりやすくしてるだけかぁ」
新美は綺麗なメダルなのに、と残念そうに呟き、島崎はメダルを観察して言う。「なんで面積が違うんだろう」
「そういう作りなんじゃねえの。うーんしかし、どうしたもんか」
鍵穴といいメダルといい、形状に飽くなき疑問をぶつける島崎にメダルを渡して、田山は早々に正攻法で匣を開けることに見きりをつけた。
穏やかな開封など贅沢は言っていられないからといって、匣を壊してなかを見るにも、獲物はない。全空間には台座と匣と手紙が一つずつあるだけだし、前述の通りに己が武器は図書館で眠っているし。(あったとしても加減を間違えて中にあるかもしれない宝さえ壊しかねないし、本の外で武器に変えられるかも定かではなかったが。)
明かりなくして進めるかどうか、ためしに光の境界に近寄って向こう側に手を指し伸ばしても、もったりとした影が手や腕にまとわりつくばかりだ。かつて電燈に欠いていた時代にも見たことのない、光を遮断しているよりもむしろ、吸収しているような暗闇。
人の目に見える光景は、物体に当たって反射した光が眼球に達することで脳が認識できるのだという。物体の色が黒に近いほど多くの波長の光を吸収され、光量が少なければ反射光も減って、不明瞭な景色となる。
しかしこの闇よりも暗く昏い暗黒は、不明瞭を超えて全く洋墨の海で、人間がとらえることのできる光景のあちら側、映し出せない深淵の端がすぐそばにあるようで。進めば最後、剥き出しの皮膚や耳や爪の先や背筋から闇にざわざわと、どろどろと、うぞうぞと侵蝕されてしまうようで。恐ろしいのに、先など見えもしないのに、目を離しがたい闇が、そこに。
──フ。
おののいた意識は、鼓膜を震わせた幽かな音によって引き上げられた。今何か、笑い声が聞こえたような。
「フフフ、嗚呼、なるほどなるほど」 今度ははっきりと聞こえたその発信源、江戸川はさも愉快でたまらないという風に、芝居がかった動作で掌を島崎に差し出した。「……え、なに? ダンスの誘い?」
突拍子のないその行動に困惑したのは田山だけでなく、島崎も死んだ目を丸くして、江戸川の意図を探るように見る。江戸川はにやにやと悪戯っぽい笑みは崩さない。
「エー、そう! エスコートさせていただきたく。ですが、ダンスではございませんよ。それはワタクシの領分ではない」
「ということは乱歩さん」 彼の調子にパッと目を輝かせたのは、悪戯仲間の新美。「
「ハ、つまり──何だ、匣を開ける算段でも?」
「ええ、ええ」 應揚に頷く。さて、どんなトリックで匣を叩き割ってくれるのかと思えば。「
ことを了解した島崎が手のひらに乗せたメダルを、よくよく見えるように光のおちる中心へ広げてみせる。
「鍵穴が小さいことから、鍵は恐らく酷く小さい。錠の蓋に刻印がなされているのは表裏の判別のため、それもあるでしょう。しかし、ならば表に掘られていないのは何故? そして面積が異なるのは? きっと面がどちらか確認しなければならない、面積を変えなければならない、いえ、そうした方が良い理由があるのです。例えば、刻印のなされていない面を『表』ではなく『下』として、支えやすくするため。例えば、刻印の面を『裏』ではなく『上』として、逆さにしてしまわないため、……とか。
そもそも、鍵穴にメダル状の蓋がされていることも引っ掛かる。考えられるのは、小さい鍵穴が詰まるのを防ぐ目的や、防犯の都合やデザイン性の重視など。しかし、蓋が取り外せるのは何故か。よく開ける匣なら、つまり鍵を使用することが多いなら、螺で固定した開閉式の方が失う恐れもなく便利です。鍵穴を使用しないことを前提に施す封として後から取り付けたものなら別ですが、フレームの模様や細工からして初めからこういう作りだと見える。取り外せる方が都合が良い理由があると思いませんか。
エエ、これらはすべてワタクシの空想でございます。微に入り細を穿つような理由付け。ですが、“世の中で一番安全な隠し方は、隠さないで隠すこと”。この場合、鍵に鍵を紛れ込ませても隠せはしませんけれど。目の前に曝しておいて、気づかせなければ隠せるのですから。
ワタクシはこう想像しました。匣という森林に、匣を開けるための鍵という枯れ葉を隠した。すなわち、このメダルは、蓋であり、鍵であり、──ワタクシの
立てた不可思議な図形が浮かぶメダル、その縁まわりにあったのは、一本の筋。
あ、と誰かが漏らした声を聞き入れて、江戸川は両の三つ指でメダルをつまむ。そしてゆっくりと、“宝丹の容器を開ける様に、ネジを廻しながら、上下に開いた。”
果たして、その“
「鍵だ……」
──全長3cmほどに極小の、落とせば紛失してしまいそうな、しかし緻密に植物が彫られたウォード錠のキイ。鍵幅は小指の爪の先くらいの長さ。
正しく匣に相応しい装飾で、鍵穴に相応しいサイズの鍵であった。
:
然して見つかった鍵に、俄に沸き立つ仲間と。僅かに落胆する彼とがいた。彼のもとの『二錢銅貨』なら、“二銭銅貨そのものよりも、もっと挑発したところの、一枚の紙切がその中から出て来た”のだが。隠し場所に困る閉ざされた空間では致し方ないのかもしれない。
「今度こそ開けるぞ」 ままごと道具よりも小さな鍵を指先でつまんで、そうっと匣に差し入れると、確かな手応えがあった。かちりと通ったそれを右に捻れば、かちゃ、と解錠の音がした。
固い蓋を両手で持ち上げれば、匣はあっさりとその扉を開く。
重ね合わせの結果は、侵蝕者でもネコでもなく。
「“光”! ですよね」
「そうだね……」
「まぁ、“光”だな」
メダルに貼り付けられたものと揃いの生地がふかふかとクッションとなった匣の内側、宝飾品のように納められていたのは紛うことなく“光”であった、のだが。
「……道を照らすには、厳しいですね?」
現れたのは電球だった。おおよそ30cm四辺の中心にちょこんと据えられた、豆みたいなそれ。
「いやいや、どーすんだこれ。まさか“道を照らす光”とやら、豆電球じゃねえよな!?」
江戸川の推理から多大な期待をかけられて開かれたというのに。鍵ほどの大きさでは手元を照らすに精一杯で闇を払うには心許ないし、まずして、電流を流す術のないこの場では明かりを灯さぬ役立たずだ。
「つーか、こんなでっけー匣に仰々しく入ってるのがたったの豆電球ひとつ? 高さもあるのに? どう考えても過剰包装だろ!」 空間と高級感と観衆の期待に不相応だ、と田山が激する。さも30カラットの輝きを放つダイヤですとでも言いたげな顔して収まる精々3cmの豆電球は、宝箱に見合っているとは言えない。「実はすごーく貴重なもの、だったり?」
「だとしても今のオレたちには宝石も電球も、明かりがつかなきゃ無価値も同然だよ。まだ紙の方が抵抗なく燃やせるだけマシだ」
「燃やす道具もないけどね……、あれ」 仰々しく鎮座する豆電球を取り上げた島崎がなにかに気づく。「良かったね花袋、紙があるよ」
「おお良く燃やせそう、って、別に良かないわ」
それは、豆電球を退かした下から覗いた、小さな紙片だった。“薄葉らしい日本紙”ではなく、祭壇におかれた手紙と同じ材質でもなく。分厚い質感でざらついた、少しベージュがかった羊皮紙らしい紙切だ。
細々と折り畳まれた紙を開いた島崎に、田山が聞く。「それで、何かあったか」
「うん」 言って、島崎は紙を見やすいように押し伸ばして見せる。「……『静寂』が」
『silent』。
アルファベット六文字が、羊皮紙の中央に走り書きされていた。
暗号とするには短い単語。しかしわざわざ巻き付けてあったのだから、なにか意味があることは明白だ。
島崎の手にした紙の言葉も気になったが、それよりも重厚なジュエリーケースのような匣にただひとつ豆電球がおかれていることを疑問に思った江戸川は、豆電球とメモをカメオブローチのように包んでいたクッションに触る。
もし豆電球のためだけの宝箱であるならクッションは貼り付けられていただろうが、容易に持ち上がったその下には、金属のプレートがあった。
「どうやらこの匣、まだ秘密を隠しているようですよ」
「二重底みたいですねぇ」
匣の底板というには高過ぎる底面に、『C』『O』『R』『S』『E』とアルファベット一文字毎に区切られたプレートが五つ、並んでいた。
「“CORSE”、ってなんだ?」
「フランス語だったらコクがある、とか、濃い、とか味に関する意味だったかな。地中海の島でも確かあったと思うけど。関係あるかどうか」
「英語だと覚えがないなぁ。だけど」 それぞれ翻訳経験や渡航経験など、言語に精通しているものたちだが、あまり馴染みのない単語だった。「ダイヤル錠かな、これ。動かせそうだよ」
新美が一番左端のプレート『C』に触れてかちかちと回すたびに移り変わるアルファベット。左から二番目のプレートにも指をかけた新美は、しかし首をかしげる。「回らないや、『R』も固くてダメだ」
『O』と『R』は錆び付いているのか、全く回る気配はなかった。『C』と『S』、『E』の3つはきらきらと光沢を放っているのに、真ん中二つは霞んで指先に引っ掛かる。
「つまり、『O』『R』は長いこと動かしていなかった、と。『S』と『E』はどうです?」
江戸川に問われるままに右の二つを動かすと、こちらは容易に回った。C、E、G、H、K、L、O、P、R、S、T、Wと次々に姿をみせるアルファベットは曇りなく輝いている。
「大丈夫、並んでるアルファベットはどのプレートも同じみたいです」
「羊皮紙の言葉はパスワードかと思ったけど、プレートが五枚なら違うな……。このダイヤル錠は実質、三文字を当てはめることで開くってことか」
「ORがそのまま使われてるならね。“silent”はパスワードのヒントなのかな」 手にした羊皮紙を眺める島崎の横で、田山が言った。「流石に26字の中から五文字の単語を選ぶんじゃなくてよかったよ。ORは固定されているから、実質……12の三乗になるが……」 計算しようとしてげんなりする、千通り以上あることは確かだ。
だがその田山の杞憂を吹き飛ばすように、鍵の場所を突き止めた探偵は余裕綽々の態度だった。
「パスワードは何かしら意味を持たせるものです、数字よりも直接言葉になる分推察しやすい。中間二つが埋まっているなら尚のこと。それに、重要なアルファベットが大分限られている」
「嗚呼そっか。AやI、Nなどの使用頻度の高いものがない」
「ご明察です、南吉くん。
ローマ字を使用する言語のうちの殆どで、文字出現頻度が最も高いのはEです。ついでA、I、Oなど。Nもフランス語やドイツ語には多い。
次にパスワードが何語かということですが、同じ場所に閉じ込められていた羊皮紙に書かれた言葉が英語なのですから、英語と仮定しましょう」
またつらつらと江戸川が推理をするように情報を整理し始めたが、件の羊皮紙を眇めていた島崎がちょっといいかい、と口を挟んだ。
「羊皮紙についてだけど。誰か鉛筆を持ってないかな」
「鉛筆? 万年筆じゃ駄目か」 胸ポケットを漁る田山に、島崎は頭を振る。
「駄目だね。書いた痕跡がある、それを読みたいんだ」 メッセージの裏側、染みが浮かんだ皮紙に、僅かだが細かい粒子を刷毛で刷いたような跡がある。「さっき手紙をなぞったときのチョークが指先についててさ、それが移ってしまって拙いと思ったが、見たらなにか浮き出てる。ほら」
指した先に何やら窪みがあるように見えたが、チョークの粉は酷く薄く、暗い中では何が書いてあるのか判別がつかない。「ほう、読めたら良いのですが」
「ぼく、持ってるよ」 新美がリュックをごそごそと漁って筆箱を取り出し、鉛筆を差し出した。「ちょうど削りたてのぴかぴかの鉛筆です」
「ありがとう」 島崎は受け取った鉛筆を横に寝かせ、薄く全体に塗るように黒鉛を広げていけば、浮かび上がったのは短い英文だった。
『The indictment of this castle caused several ghosts.』
「……『この城の欠陥は幽霊たちを生み出した』? どういうことだ?」
「さあ。でも、何か重要な意味は持つんだろうね」 島崎はそう言って、台座上にある手紙をとって並べる。
「手紙があるってことは、便箋だかなんだか、文字を書くのに適した紙を持っていたってことでしょ。だけど態々羊皮紙を選んだ。羊皮紙は紙よりも高価で書くにも向いていないけれど、紙よりもよほど丈夫で、遺すのに向いている」
匣の外は空いた天井から風雨に曝されるのだから、台座上におかれた手紙は年月を経てば解けて読めなくなるだろう。しかし匣の中に宝の在りかを示す地図がごとく納められていたこの羊皮紙は、殆ど不滅というくらい長く保つはずである。それほどに何か遺すべきメッセージを纏っているのではないか、と言うのだ。
「ワタクシも同じ意見ですよ。羊皮紙は貴重ですから、文書の表面を削ることで再利用されますが、この紙片は痕跡が残るように、つまり誰かが発見できるように、わざと削らないでいたのではないかと」
ああ、と田山がひとつ心当たりをあげる。「本当に隠したいなら、司書に来た手紙みたいに錬金術できれいさっぱり消せるらしいからなあ」
ヴェラムに残された『silent』と、隠されていた抽象的で捉えがたい一文。意味するところは何か。
「……まあ、この二つでパスワードは英語だとほぼ確信できたことだし、試していけば割に早く開くんじゃないかな」
「それもそうだな。よし、頭文字Cからいくか」 うなずいた田山が勇んで匣のダイヤルに手を掛けようとしたその腕を、がしっと慌てたように引きとめる手があった。江戸川である。「ちょ、ちょっとお待ち下さい! エッそれじゃあつまらないではありませんか!?」
「いや、つまるつまらないじゃないよ」 あれそんなこと前に言われてなかったか、と田山は思ったが。「足や手を動かして一つ一つ可能性を潰していくのが仕事なんでしょ、探偵さん」
「ここまでヒントがあるなら推理してから挑むのが礼儀ですよ。一発で正解してこそ真に解読できたと言えるのですから」 なぜベストを尽くさないのか、とその行動が如何にナンセンスな所業であるかを説く江戸川に、自然主義二人はうろんな顔をする。「推理勝負も構わねえけど、あんまり時間かかってると追い付けるもんも間に合わなくなるだろ……進むか退くかは置いてもさ」
「じゃ、僕の物量戦と君の推理、どちらが速いか勝負ってことで」
返事を待たず、島崎が早速取りかかろうとした手を、また止める手があったが。「あの、ちょっと待ってください」 次に制止をかけたのは、新美だった。「ぼく、多分わかりました」
「ほう、是非その推理を聞かせてください」
先を越された形となったが、江戸川が促すと、新美は首肯し口を開く。「乱歩さんが想像するよりもきっととても簡単な、“silent”の並べ替えなんです」
「並べ替え? でも、“silent”は六字だろ」
「はい、だから“silent”がパスワードではないけど、ほぼ答えなんだ。
“silent”はきっと『静寂』じゃなくて、そのままサイレント・レター──『黙字』ってことじゃないかな」
続けて例の一文を読み上げる。
「“indictment”の『C』と“castle”の『T』、“ghost”の『H』は単語の中で発声しない文字だよ」
言いながら、新美はダイヤルを回していく。最初のプレートを『T』に合わせ、二つ飛ばして『C』。
「そして羊皮紙を隠していた豆電球。これって何に使うかな? この時代だと電流を学ぶ教材としてよく使用されているようだけど……ぼくには、懐中電灯の光源として馴染みがある。そして懐中電灯は“Torch”、すなわち松明で──遥か昔から続く、道を照らす“光”だ」
かち、と音がなる。最後のプレートを『H』に合わせれば、がちり、と硬く重い、歯車が合わさる音がする。
「──ほらね? ぼくの言うとおり!」
がご、と扉を開けるように展開した匣の底には、拳銃のように重い、電灯が一つ埋まっていた。
『二銭銅貨』江戸川 乱歩著
『黄金虫』エドガー・A・ポー著 佐々木直次郎訳