よっつ
秋田は湯浴みに送ってから、庭の端に出た。離れの裏、陰となっているそこには、物干し竿にかかった着物がある。世話をすることとなったセンと呼ぶ人の、助け出したときには川の水で重くなった衣服を乾かしていて、その様子を見るためだった。
「まだだめかぁ」
袴を少し触ってみても、完全に乾いているとは言いがたかった。秋田の肌を撫でる風は暖かいが、昼間の陽光は陰っている。この様子だと明日までかかるだろうと容易に想像できた。
夜になれば露で濡れるだろうし、どうせなら早めに室内に取り込んでしまって干そうか。センに聞いて、望むならセンのいる部屋で──そこまで考えたとき、着物を見る秋田の背に声がかかった。
「──そんなに気になるのかい」
「わぁっ! あ、青江さん……!」
やぁ、と気さくに返事したのは青江だった。全く気づかなかったのは、彼の隠蔽の高さゆえか。足音ひとつさせずに秋田のそばに歩み寄った青江は、同じように着物をみた。
「これ、例の人のものなんだろう?」
「そうです、センさんの」 秋田は頷いた。「やっぱりまだ乾いてないですけど、できれば早く渡してあげたいなって思ったんです」
秋田が拾い物をしてから、報告などで離れられなかったものの、仲間の何人かが拾った場所を調べにいっていた。しかし、特に変哲のない眼鏡が川岸に落ちていたくらいで、他に目ぼしいもの、例えば身元のわかるものなどはなく。部屋を覗いて起きていたその人は、枕元においていた眼鏡をかけていたから、センのもので間違いなかったのだろうが、結局それくらいしか収穫がなかったのだ。
何故か迷いこんで記憶も朧気なセンの、数少ない私物であろう着物。見れば何かを思い出せるかもしれないし、心が落ち着くかもしれないと思ったのだ。
「ずいぶん気にかけているんだね」 青江の言葉に秋田は少し顔を引き締めて言う。
「主君に任命された、お世話役ですから!」
「世話役ねぇ、そうだ」 思い付いたように青江は続けた。「お世話役の君から見た例のひと、センだっけ? どんな感じなんだい」
「どんな感じ……ですか?」 秋田はちょっと首をかしげた。「うーん、不思議な方です。穏やかそうですよ、悪いひとには見えないです」
「へぇ、君がいうならそうなのかもね」 そう言って、青江は干された着物──袴を見た。「どうやら、神官のようだし」
山で発見したとき、目立った着物。白い小袖と、川のなかで藍色に見えたそれ。大方の水が抜け、本来の色を取り戻しつつある袴は、浅葱色をしていた。
「いつの何処の方なんでしょう。何もわからないなんて不安だろうし、早く帰りたいですよね。はやくわかるといいなぁ」
「そうだねぇ」 センを案じる秋田の言葉に穏やかに頷いて、青江は袴の裏側を少しめくった。「詳しいことはこんのすけの領分だけど、いつぐらいからきたのかは推測できるよ。ここを見てごらん」
「これって……!」 青江の手袋でおおわれた指先が触れたのは、袴についていたタグだった。服の素材や洗濯の仕方、販売元などが細かく明記されている。「ぽりえすてるにれーよん……おやおや、刺激が強いのに、好き者かな」
「主君のお召し物を洗濯してるときにみたことあります!」 秋田が興奮ぎみに言う。「じゃあ、主君と同じくらいの年代の方ってことでしょうか……!?」
「まあ、この表示がどれ程の期間続くことなのかはわからないけれど」 青江は秋田の勢いを抑えるように補足した。「往々にして制度は常に塗り替えられていくものだ。可能性はあるんじゃないかな」
「そっかぁ……! なら、主君の時代の話、聞けるかな?」 青江の示唆に、秋田はさらに目を輝かせ、言葉を募らせる。「そうしたら、そういう話ができたら! 主君はもっと……!」
夢を見るような言葉は、どこかにつっかえて、続かなかった。「あ、記憶がないなら出来ないか……」
肩をおとした秋田をみて、青江は僅かに微笑む。含まれた感情はなんだったのだろう、秋田にはわからなかったが。「……そろそろ、湯浴みも終わるんじゃない?」
「あっ」 青江の指摘に落とした肩をあげて、秋田は慌てる。「本当だ、もういきますね」
「うん、気をつけて。……お客さまだから、大切にしなきゃ駄目だよ」
「はい!」
では、と礼儀正しく頭を下げて、浴場に向った秋田に、青江は手を振った。
秋田が浴場の戸の側について暫くして、センが風呂から上がった。髪は秋田が見つけたときと同じく湿っているが、漂う蒸気で温まり、顔も血色がよくなっている。秋田を見とめると、僅かに曇った眼鏡の向こうで目尻を下げた。
「お風呂、ありがとうございました。他の方にもお伝えしておいてもらえますか」
「わかりました」
「にしても、本当に広いなぁ、ここ」 秋田がセンをつれて元の部屋へと戻る途中、センが周りを見ながら呟いた。
浴場はセンのいた和室のある邸とは別の離れ座敷にあった。渡り廊下を抜けて、両側に襖が続く中を真っ直ぐ進み、三つ目の曲がり角。さらに真っ直ぐ進んで、今度は二つ目の角を曲がって、また廊下は続く。そうして何度か曲がって辿り着くのだ。
迷路のように入り組んだ屋敷に見えるのは襖や障子ばかりで、洋式の扉は見当たらない。渡り廊下の屋根から覗ける屋根は瓦が何段も重なっており、上階もある。庭は木々に覆われ、邸内からは周りを囲む塀も確認できない。
記憶機能に障害を抱えていそうな身元不明の人間が出歩けば、どこかでぽっくりのたれ死ぬ危険性がある。獅子王の忠告は過剰ではない。
しかしそれほどまでに広い屋敷は、あまりに音がなかった。秋田とセンが黙ってしまえば、廊下はしんと静まり返る。庭や山には自然があり、鳥や虫の声がたくさん聞こえてきそうなものだが、静寂の中で耳をすませなければならないほどだ。決して厚くは見えない襖が何層も重なって、消音機能を果たしているのかもしれない。
「ここ、どれくらい住んでるの?」 道すがら、センが秋田に訊ねる。
「僕はまだ日が浅いですけど、長い方だと
「……? あ、そうか」 センは少し不思議そうな顔をしたあと、質問を訂正した。「ごめん、『期間』じゃなくて、『人数』、でいいのかな? そっちを聞いたつもりでした」 少し紛らすように苦笑する。「どこもきれいで、掃除が行き届いているようだから」
「ああ! すみません」 センの質問を取り違えていたことに気づいて、秋田も答え直す。「おおよそ、
センと話したのは秋田と獅子王、こんのすけ。そして秋田の言う『主君』と呼ばれるひと。センからしてみれば四人ほどしかまだ確認できていないのだ。住んでいるのが四人であれば静かなのは当然だが、広大な敷地にたいして分不相応な人数であるし、視界の端々に写る室内や外は手入れが行き届いて清潔に見えるのは不可思議だったのだろう。
「はた……ああ、20か」 二十を表す言葉だと理解するのに時間を要したようだが。秋田の答えにセンはそうなんですね、と言って、それきり部屋につくまで言葉はなかった。
「センさんって神主だったんですか?」
「神主……?」
和室に辿り着いて、部屋から見える庭は暗く、日が落ち始めたとわかる。秋田はセンの着物のことを思い出した。
「お着物が……ってそうだ、はやく取り込まないと」 このままだとせっかく乾いたものがまた濡れてしまう。
「着物、ですか?」
「はい、センさんのものをいま乾かしていたんですが」 あまりぴんときていない様子のセンに、秋田は見せた方が早いだろうか、と提案することにした。「そろそろ室内干しにしようと思っていて。もしセンさんが見たければお持ちすることもできますよ」
もちろん、お客様の部屋におくのはどうかと思うので……、と断りつつセンの顔をうかがうが、センは気にしていないようだった。
「大丈夫ですよ、見たいです。何か思い出せるかもしれないので」
「わかりました!」 秋田は頷き、取りに行くことにした。
センの部屋から見える離れは、直線距離では近いものの、着物を干した裏に行くには遠回りしなければならない。秋の日の落ちははやく、取り込むのにそう時間はかからなかったが、屋敷に戻る頃にはすっかり暗くなってしまっていた。
まだ僅かにひやりとする着物を抱えて、秋田が廊下を渡っていると、「秋田」、と誰かが呼ぶ声がした。
「あれ、鯰尾兄さん」
「見張り役お疲れさん」 労うように言ったのは、秋田の兄だった。武装したままの姿で、何やら手に大きな竿のようなものを持っていた。
「見張り役って……違うよ、世話役です」
「そうだっけ? まぁ似たようなもんだろ」 秋田の主張を笑って流した鯰尾は、その竿のようなものを秋田に見せる。「ほら、忘れてるぞ」
それは
「あ、ありがとうございます!」 蝶番で畳んであるとはいえ、衣桁は秋田の背よりも大きく、横に抱えるにも着物を抱える子どもの身では難しい。袴を干すための軽い
「見てたの?」 ちょうど良いタイミングで用意されたことから考えるに、秋田が着物を取りに行くこと様子を知っていたととらえるのが妥当だった。
「まぁね、秋田はそそっかしいから」 秋田の横を歩く鯰尾は、弁解もせずに肯定する。その悪びれもしないさまに、秋田は思い至る。「……もしかして、他にも見てる?」
「まさか秋田、おまえだけだと思ってたの?」
「なっ、じゃあ、青江さんも……?」 言われてみれば、先程あった青江も、たまたま離れに来たとは考えづらい。秋田としては穏やかな談笑のつもりだったが、青江は観察にきていたのだろうか。驚いて鯰尾に聞いてみれば、鯰尾は言葉を濁した。「あー、いや、青江さんは……途中で抜けてたな」
「抜けた?」
「うん。最初は見張ってたみたいだけど、秋田が風呂に案内した後に」 つまり、秋田と会話したときだ。「もう疑ってないみたいだった」
「疑うなんて、あのひと、悪いひとじゃないですよ」 センと言葉を交わしたのは、仲間内では秋田が一番多い。見つけたのも秋田だ。世話役として、評価は直しておくべきだと秋田は思った。
「かもしれないけどさ、怪しさ満点じゃん。何かあってからじゃ遅いから」 秋田の反論に、鯰尾は苦笑する。その顔は随分と“兄”らしい。「何もないなら良いんだよ、それで」
秋田は鯰尾の表情に、つい、言葉をつぐんでしまう。手元の浅葱色の袴まで目をおとした秋田に、ぽん、と鯰尾が手を置いた。
「ま、こんのすけの検索だって、明日にはわかるだろ。それまでの辛抱だ」
秋田の胸をおおった不安を慰めるような声音だった。
「……明日? そうか、明日……」
「なんだよ、不満か?」
「ううん。不満じゃ、ないけど」 秋田は鯰尾の言葉を拾って言う。「未だ何も思い出せていないのに……」
「思い出せなくても」 秋田の呟きは鯰尾の落とした言葉に掻き消えた。“兄”の顔はとうに消えて、秋田も見ず、進む先を見据えている。「あるべきところにかえらなくちゃならない」
「あるべきところ……」
「ああ。それはここではない場所だ」
いつのまにか、秋田は足を止めていた。彼を振り返った鯰尾は。
「何止まってるんだよ、置いていくぞ」
いつもの顔で、しょうがないなぁというように笑うのだった。
主に自分で読んで音を間違えるところに振っています。今回は衣がつく単語が多くて……衣桁はいけたって打ってます