Shepherd Delight
黄色と青のラインが描かれた白い車体は、人々が待ち構える駅のホームへ滑るように入り込む。僅かな、車内で立ったままの人々の脚が少し踏ん張られる程度の揺れとともに停止すると、駅員による到着のアナウンスが流れた。その駅名を聞いて、つり革に掴まるようにして立っていた一人の男性が、目の前に座る連れに声を掛ける。
「おや、ここですな。着きましたよ」
「あら、本当? ずいぶん早いのねぇ」
座っていた女性は人好きする丸顔を少し輝かせ、感心したように声をあげた。それから手摺に捕まりながら、ふくよかな身体をよいせ、と浮かせて座席から立ち上がる。
「駅からもそう遠くありませんから。交通の弁は良さそうな場所ですよ。
ささ、段差があります。お足元に気を付けて」
男はスーツで覆われた丸い腹を抱えて、電車からホームへと降り立った。連れの女性が降りる際も、手を差しのべ、足元の段差に気を付けるように促す。
「ありがとう、テッド」
「いやぁ、これくらい。
ああ、階段は疲れますから、上の階までエレベーターでいきましょう。切符はお持ちですか?」
「ええ、ええ。ちゃんとここにね。こういうときは特に気を付けていますもの」
おどけてみせた女性に、テッドと呼ばれた男は、これは失敬と笑った。
地下鉄のホームは行き交う電車のアナウンスが反響している。平日の昼頃とはいえ、ロンドンシティの各所を繋ぐこの車線は、外回りの社会人や通学・帰宅途中の大学生などでそこそこの混雑だった。足早に目的地へと急ぐ人々が多い中、二人は散歩にちょうどよいくらいのペースでエレベーターのもとについた。
「やっぱり何度赴いても慣れないものですね。テッドが来てくれてとても心強いわ」
はぁ、と一息吐き出した女性に、テッドも安堵する。
「それはよかった。私も久々ですし、緊張していたのですが。
よく電車を使われるので?」
「それほどではないのよ。入学案内を担当するのは年に数回ですし、大体が郊外なの。途中までは姿現しすることが多いわ」
「ああ、ここいらに住むのはそう簡単ではないでしょうね」
男性は頷いて、着いた地上階を見渡す。高い天井は所々ガラス張りになっていて、覗く空は晴れやかだ。
「今日はいい天気ですね。最近じゃあ一番暖かいのでは?」
「そうねぇ、一日晴れるでしょうね。
私、今バラを育てているんだけれどね、その中にシェパーズディライトっていう品種があるのよ。その調子がよかったから、きっと今日にも咲くでしょう」
「なるほど……、夕焼けですか。
いやはや、気分がいいですな。いつもだったらこの時間はデスクにかじりついていたでしょうから」
テッドはこの用事のために、仕事を早めに切り上げてきていた。五月に入ったとはいえ、イギリスの天候はまだ安定せず、クローゼットにはニットとリネンシャツが並んでいる。近頃はまた曇りばかりで、時折吹く風は冷気を含み、道行く人々の足を急かしていたのだ。
常ならば業務は冬を遮断するのに一役買っていたのだが、このように柔らかな光が街を覆うなら悪くない。幸先がよさそうな日和に自然とテッドは綻びる。
「ええ、本当に。もうすぐ期末試験の頃にもなるし、いい息抜きになるわね」
「おや、もうそんな時期ですか。私は魔法薬学が苦手でして、いつもこんくらいの時期から対策していましたが……」
「あら、とても熱心だったのね」
「いや、それでも苦労したもんです。お恥ずかしいことに、E以上はとれませんでした。
ああでも、懐かしいですねぇ……」
頭を振って笑って見せたが、古くそびえ立つ学舎で過ごした記憶はそう苦いものばかりでもない。ひとつ思い出すと、紐を解いたようにするするとさまざまな思い出が甦り、そして己が随分と歳を取ったことにも気がついた。
「入学が決まったとき、夢のような気持ちだった。私はこの通りマグルの出でしたから、自分に手紙が来たとき一体何の悪戯かと疑っておりましたが……、同じように先生が来てくださいまして」
いぶかしむテッドと彼の両親の前で、訪れた客人は杖の先から花束を出してみせた。そして唖然と固まる少年に満開の花を差し出してこう言ったのだ──『ホグワーツ入学おめでとう!』と。
あのときの興奮はいつ思い出しても鮮明だ。魔法界への扉が、突然平凡な少年だった彼に開いたのだから。
「娘の入学が決まったとき、とても嬉しかった。送り出すときは少し寂しさもありましたが、この子もきっと掛け替えのない日々を手に入れるだろう、と思いました」
「彼女はとても優秀な生徒でしたよ。我が寮の誉れです。もちろん、テッドもご存じでしょう?」
「ええ、自慢の娘ですよ。恥ずかしがるので、あまり大きな声では言えませんが」
女性は、彼の娘の学生時代をよく知っていた。娘は顔立ちこそ彼に似ていないが、作り出す雰囲気は父親譲りだろう。にこにこと話すテッドとよく似ていた。
テッドは子を可愛がる父親の顔を一転、少し曇らせて言う。
「まあ娘の場合は、当然ながら手紙だけでしたけれどね。
ですから、今回のことは実は心待ちにしていました。私自身が案内する立場になるんですから。
ただやはり、少々心配な部分もあります」
「そうでしょうとも。なにぶん急な話でもありましたもの」
テッドを招いた経緯を思い出して、女性はおおきく頷いた。本来なら彼女だけで訪問する予定だったのだが、訪問先を調べるにあたって問題が生じてきたのだ。それは彼に深く関連していて、こうして二人で赴く運びとなった。
道はよく舗装されていて、自動車の通りが多い。駅の利用者数も多く、整備された街並みに雑踏が溶け込んでいる。子供の姿もちらほらと見受けられ、今がちょうどプライマリースクールの下校時間と重なることに気づく。
これから訪ねる相手も下校していることだろう。
「少し早かったかしら。まだ帰っていないかもしれないわ」
「そうですね……。あ、ここを右です」
駅から歩いてほどなくして辿り着いたのは、三日月に延びる道の両側に、2・3階建てのテラスド・ハウスが立ち並ぶ路地だった。どの家も白壁は等しいが、玄関の扉が各々に彩られており、ミニチュアのおもちゃのように可愛らしい通りだ。
「灰色のドアだったわね、ここだわ」
「ええと、表札は……ああ、あっていますね。
呼び鈴をならしてみましょうか」
毛並みのいいロシアンブルーのような色をした扉の横、機械仕掛けの呼び鈴をならす。暫くおいても家の中で響いたであろうブザーの音に対する返事は得られない。どうやら不在のようだった。
「まだ帰っていないみたいですね。どうしますか?」
「そうねぇ、ここで待つのも手だとは思うけれど」
「ううむ、不安にさせてしまうでしょうなぁ」
見知らぬ大人が玄関前で待ち伏せをしていると言うのはあまり穏やかな光景ではない。
「少し手間ですが、駅の方まで戻って暫く待ちましょうか。たしかカフェなどもありましたし」
そういって踵を返しかけたテッドに、覚えのない声がかかった。
「何かご用でしょうか」
「あら」
二人の来た道の真ん中、紙袋を抱えた子どもが一人、立っていた。
両手に抱えた袋からはフランスパンや野菜の葉っぱが見受けられ、学校帰りであろう空色のポロシャツや肩掛け鞄と比べて、随分と不釣り合いだった。
家の者の登場に面喰らって、動かない彼らに、相手は少し首をかしげて見せた。
「ごめんなさい。親は今外しております」
玄関前に立ちすくむ大人に物怖じせず、つらつらと述べる様子は手慣れたものだ。年端のいかない子どもの、利発そうな顔に、特に感情は見られなかった。
相手の言葉に、先に我に返った女性は、数歩離れた子どものもとへと歩み寄る。
「あなたは、スバル・シノノメさんですね?」
「ええ、そうですが……どちら様でしょうか」
「私はポモーナ・スプラウト。ホグワーツという学校で教師をしています。
そしてこちらは──」
名前をあてられ、困惑したように女性を見上げていた子どもは、彼を見てわずかに目を見開く。
テッドは子どもに近付き、視線が合うようにしゃがみこむ。
「初めまして、スバルさん。
私はテッド・トンクス、君の──親戚にあたるかな」