Stray Sheep


 キッチンの方からカチャカチャと食器を用意する音がしている。テッドが座る椅子からは様子は見えず、彼はちらりと部屋に目をやった。

 ダイニングテーブルの上にはレース編みのセンタークロスが敷かれ、家の者が寛ぐであろうテレビ前には、二人掛けのソファーと小さなテーブルが置かれている。薄紫色をしたリネンのカバーやクロスは皺ひとつなく、卓上のリモコンは整然と並んでいて、椅子におかれた草臥れた肩掛け鞄だけが唯一人の温度を感じさせていた。随所に飾られるファブリックパネルやドライフラワーなどがかろうじて柔らかさを演出しているが、どれをとっても整理され、埃を被っていない様は、この部屋をホテルやモデルルームの一室であるかのように見せていた。
 街を照らしていたうららかな陽光はあまり入ってこないようで、どこか暗い印象の室内は、やはり生活感にかけている。

「お待たせしました」

 キッチンから出てきた家人は、木で出来た長方形のトレーを手にしていた。

「すみません、なにぶん来客がそう多くないものですから、あまり大したものがなくて。よろしければどうぞ」

 そう言って申し訳なさそうに、トレーから、ガラスのカップとティーコゼー、白い陶器のデザート皿二つが客人二人の前におかれる。

「いいや、こちらこそなんの連絡もせずにすまないね。ありがとう」
「素敵なお茶ね、いただくわ」

 透明なガラスカップに注がれた紅茶は、くすみのある色をしていた。ティーコゼーが外されたポットには、茶葉と紫の花びらが琥珀色の中を漂っている。匂い立つハーブの薫りは、ここに来てからざわめくテッドの心を緩やかに撫でた。

「これはラベンダーね。いい香りだわ」
「よくおばさんが淹れてくれたのを思い出すよ。君も育てているのかい?」
「そうですね、おばあさまが喜んでくださるので」

 綺麗に笑う少女に、ポモーナは驚いて目をやった。

「まぁ、このハーブティーはあなたが作ったの? 育てたって、花から?」
「ええと、はい。祖母が得意でして、教わりました」
「おばさん──ジョゼフィーンさんはそういうのがとても上手で、蚤の市で売っていたこともあるんですよ」

 穏やかに語るテッドは昔を懐かしむように目を細め、ポモーナは感嘆の声をあげた。

「それは素敵ね。このラベンダーも綺麗に咲いているし、あなたは植物を育てるのが上手なのね」

 机上に飾られていた花を指して褒められた彼女は困ったように眉を下げる。

「おばあさまに比べたらまだまだですが、ありがとうございます。
 ……それで、本日はどういったご用件でしょうか」

 表情からは戸惑いばかりで、訝るようすは見られない。突然親戚や教師を名乗る人間が二人も家に押し掛けていることに、危機感を覚えてはいないようだった。
 もしかしたら警察を呼ばれるのではないかとも考えていたテッドだったが、歳の割りに口調や態度は大人びていて、だからこそ警戒心が薄い少女に不安を覚えた。

 しかし都合がいいことは確かだった。今回の訪問はただでさえ複雑な事情があったため、これ以上ややこしいことになるのは避けたかったのだ。

「そうだね、何から話したものか……」
「まずはこちらを」

 逡巡するテッドを横に、ポモーナが差し出したのは封筒だった。
 ざらりとした手触りのそれは黄ばんでいて、どうやら羊皮紙であるらしかった。受け取ったスバルはそれをためつすがめつ、指を滑らせる。古風なことに紫色の蝋で封をされており、表には緑色のインクで宛名書きがされてある。


ロンドン ケンジントン
ピアベリークレセント 5番地
スバル・シノノメ様




 己の名前を見て、うかがうようにスバルはポモーナに口を開いた。

「……中を見てもよろしいですか?」
「どうぞ、ぜひ」

 獅子と蛇、鷲と穴熊が、アルファベットのHを囲むようにして描かれている蝋封を剥がし、中から一枚の羊皮紙を取り出す。中には、ホグワーツ魔法魔術学校の入学を許可すること、七月三十一日までの返信を求めると書いてあった。

「数日前にポストに入れられていた手紙と同じようですね。悪戯かと、思っていたのですが」

 文面のホグワーツ魔法魔術学校の文字をなぞるようにして、遠慮がちに呟いたのは、至極全うな反応といえよう。事実、テッド自身に案内が来たとき、彼はしばらく信じようとしていなかった。

「いいえ、悪戯ではありません。ホグワーツは千年以上続く由緒ある魔法学校であり、あなたの名前は生まれたときから我々の学校に入るように記されています」

 落ち着いた声で説明する女性の言葉に、スバルは開いていた手紙を折り畳み、仕舞う。

「あの、私はそちらで学ぶことが義務付けられているのでしょうか」

 渇いたような声で問う彼女に、テッドは驚いた。思っていたよりも、子どもが現状をすんなりと受け入れているように見えたからだ。
 ポモーナはほほえんで、いいえ、と首をふった。

「あなたにはホグワーツで魔法を学ぶ権利があります。
 あなたが来たくないというのなら誰も無理強いはしませんが、あなたが望むのであれば、我々はあなたに魔法の使い方や制御の仕方を教えましょう」
「そうですか……」

 ポモーナの言葉に、少女は煮えきらぬ返答を示す。それは、魔法やホグワーツを信じていないというよりか、別の懸念があるように見え、テッドは促した。

「なにか、理由でも?」
「……ご案内いただいて申し訳ありませんが、私はあまり裕福ではありません。実は、もう学校が決まっておりまして、そちらで奨学金制度を利用することが決定しているのです。
 大変嬉しいお誘いですが、金銭的に厳しいと思いますので……」
「その点については心配ありませんよ、スバル・シノノメさん。ホグワーツには教科書や制服を買うのに援助が必要な者の資金があります。学費についても、もちろん」

 つ、と伏せていた視線をあげた子どもは、決めかねているようだった。
 どちらも資金繰りに困らない以上、彼女の天秤は学べることや学校の環境によって揺れている。もうすでに進学先が決まっていて、奨学金制度も利用できると確約されているということは、特待生の入学試験をクリアしたのだろう。狭き門を潜り抜けたことを考えれば、迷うのも頷けた。

 しかし、それはマグルの世界においてのみである。子どもが特別な能力を有していることを思えば、天秤は傾く。テッドはスバルに向き直った。

「スバルさん、私はホグワーツの卒業生でね。妻や娘も通っていたんだが、私は元々マグル──非魔法族の生まれなんだ。だから、今日の君のように、私にもホグワーツの案内が来た。最初は半信半疑だったんだ、魔法なんて、それまでおとぎ話の中のものだった。
 けれど、訪ねてくださった先生がね、こうやって、」

 懐から杖を取り出すと、テッドは一振りした。すると杖先から天井に向かってきらきらと星のようなシャワーと花冠が表れ、ふわりとスバルの頭に舞い落ちた。

「──魔法を見せてくれた。それから、僕が稀に起こしていた、不思議な出来事も魔法だと、訓練すればコントロールできるのだと教えてくださった。
 スバルさん、君も特別な能力・・・・・があるだろう? もし君がホグワーツに──魔法界に来れば、我々大人は君をマグルから守ることができるし、マグルを守ることができる」

 どうだろうか、と続けたテッドを見て、まだきらきらとシャワーが落ちる中、子どもは頭に被さった花冠を手に取った。白や薄紫色の薔薇をメインに、瑞々しい花が彩られたそれは、とても美しかった。

「……は私に、いとこも不思議な力があったと言っていました。テッドさん、あなたのことだと思います。
 そうですね。確かに私はあなた方のおっしゃる通り、魔女なのでしょう。魔法が使えます」

 手にしていた花冠を一撫ですると、柔らかな質感だった花や葉は水分を失う。机の上におくとかさり、と乾いた音をたてるそれは、ドライフラワーとなったことを如実に表していた。

「質問があるのですが、よろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」

 年齢にそぐわぬ冷静さを保って、慇懃に尋ねる子どもに、ポモーナは應揚に笑んだ。入学の案内は毎年数度ほど担当しているが、すぐに了承する家庭は少なく、矢継ぎ早に質問を重ねられることも多々ある。まずして、魔法自体を認めるのに時間がかかることが多い。
 テッドの魔法を見てから、思うままに魔法を使っただろうスバルはかなり珍しく、そのまま入学を決めてしまいそうな様子は寧ろ心配になるくらいで、質問があると告げられたことに安心させた。

「先程、私の名前は生まれたときより記されているとおっしゃいましたね。これはどういった選出方法なのでしょうか」
「それは、魔法を使える者は自然と記されるようになっている、そういうものなのですが…………これがどうかしましたか?」
「いえ、もし血縁・親戚関係から繋がるのであれば、そちらは私の現状をご存じなのだろう、と思いまして」

 そう言って、一度横のテッドに目を向けた彼女は、言外に、親戚がこのタイミングでやって来たことを疑問に思っていると伝えていた。
 彼女の言う『現状』という言葉に、テッドは通った玄関を思い浮かべる。玄関におかれていた靴箱は小さく、傘立てには黒く骨の多い長傘が1つだけだった。
 横にある観葉植物はずいぶんと立派で、数本の白い幹が編み込まれた先に青々とした葉を生い茂らせたそれは、靴箱よりも背が高かったが、どこか物寂しさを帯びていた。

「残念だけど、そういったものは記されないわ。ただ、今回に案内するにあたってあなたのことは調べさせていただきました」
「そこではじめて、私が君の親戚にあたると知ったんだ。……いとこや、叔母のこともね」
「そうですか。でしたらよかった。
 ホグワーツのことですが、前向きに検討してみます。決まっていた学校の手続きなどありますので」

 スバルの発言を最後に、入学案内の話は終了となった。二人はアフタヌーンティーとなったスバルのお茶を楽しんでから、彼女の家を後にし、キングズ・クロス駅で別れた。
 スバルはじきに入学を決めるだろう、買い出しに出掛ける際にはまた会うことになる子どもを思いながら、テッドはくるりと踵を回し、ホームから姿をくらました。

 :

 バシッと空気のはぜる音をたて、テッドは自宅前に姿を現した。
 玄関扉横の郵便受けを覗いて、時々入っているチラシやダイレクトメールがないかを確認してから、鍵を開けた。

「ただいま」 家の奥にいるだろう妻に声をかけてから、壁のフックに鍵を掛けて、ふと、玄関に目をやる。靴箱はなく、傘立てには無骨なダークグリーンのものと、細身の花柄の傘と、鮮やかなイエローのものがひとつおいてある。
 息をついてから室内に上がり込めば、キッチンから妻が顔を覗かせていた。

「おかえりなさい。どうだった? 例の子は」
「ああ、とても礼儀正しい、誠実そうな子だったよ」
「よかったじゃない。何か飲む?」
「そうだね、コーヒーをお願いしようかな」

 ソファーに腰掛け、鞄から一枚の羊皮紙を取り出す。そこには先程訪ねた少女について纏められていた。

「はい、お待たせ」
「ああ、ありがとう」
「浮かない顔をしているわ。何かあった?」

 自覚はあった。受け取ったコーヒーを一口飲んで、その苦さに顔をしかめて、そのままおもむろに口にする。「とてもいい子だった」、例の子どもの話だ。妻は頷いた。

「私たちが彼女の家についたのは少し早くてね、まだいなかったんだ。それで、引き返そうとしたときにちょうど帰ってきた──」
「ええ」
「──ひとりで。学校のあと、買い物によったんだろう荷物を抱えて、子どもひとりで歩いて帰ってきたんだよ。まるで何でもないことみたいに」

 その姿を見て、テッドはしばらく衝撃につつまれた。マグル生まれの彼は、当然プライマリー・スクールに通っていて、彼の妻はもともと魔女だったから違うが、彼の娘もホグワーツにいくまではスクールに通わせていたから、どうして彼が驚いているのか妻にもわかってしまう。
 イギリスのプライマリー・スクールでは、登下校は保護者による送迎が必須となっている。迎えがなければ、そもそも帰宅を許されない筈だった。

「そんな、家族はどうしているの?」
「今はいない。後見人である叔母と共に暮らしていたが、彼女は二年ほど前からナーシング・ホームにいるそうだ」
「じゃあ、その間ずっと? ひとりで?」
「そういうことになる」

 はぁ、と重く溜め息が出る。ちょうど先日齢十一になったばかりの、細く白い少女は、ひどく大人びていた。そうならざるを得なかったのだろう。
 ショックを隠しきれない様子の妻は、彼に身を寄せて言う。

「ねぇ、次にその子に会うのはいつ?」
「どうだろうな。ホグワーツに入学が決まったら、学用品を買い揃えに行く際に案内する役目を負うだろうとは思うんだが」
「そのときに是非、うちに誘ってちょうだい」
「まだ早いとは思うけど……」
「大丈夫よ、きっと。入学までに何回か食事して親睦を深めましょう。
 今まで付き合いはなかったけど、親戚なんだもの。何もおかしいことなんてないわ。ね、そうでしょう」

 まだ知らぬ子どもの孤独に胸を痛ませて、寄り添おうとする妻に、テッドもほほえんだ。

「そうだね、やってみよう」


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