04.幼馴染みの男


朝食を食べ終えた後は紫原くんと時間をずらして出勤。急いで玄関に向かう私に向かって「名前ちんなんでそんな急いでんのー?」と声を掛けてくる彼に若干の不安を抱きつつも聞こえなかったことにしてそのまま家を出た。みんなにはバレないようにしようねって約束したばかりなのにあいつほんとに大丈夫かなぁ。悪びれもなくふつーに誰かに話しそうで怖いわ…

「はよ」

紫原くんのことを心配しながら信号待ちしていると、気だるそうな声とともに後ろから大輝が人の頭に顎を乗っけてくる。

「大輝、おはよう」

大輝とは中学高校が別で大学からまた一緒になった。家が隣同士だったためよく遊びに行ったり来たりを繰り返してはいたのだけれど、高校生のある日、いつものように私のベッドに寝転がりながら「オレもお前と同じ大学行こうかな…」と大輝が呟いたので「無理だよ大輝の頭じゃ」と笑って流した。それがまさかスポーツ推薦で本当に合格するなんて、あの時は本当に驚いたな。大輝の隣は落ち着くし居心地がいいからいつも一緒に居たんだけど、そのせいでよく彼氏と間違われてたっけ。

「あーさみー」
「きゃっ!!」

後ろから両手でおっぱいを揉まれ思いきり殴った…はずが無駄に反射神経の良い彼に私の渾身の一撃はかすりもしなかった。

「お前のへなちょこパンチなんかオレが食らうかよ、ばーか」
「もう、大輝!!」

am7:30元気に追いかけっこから始まる朝。うん、今日も通常運転だ。


「テツくーん、この資料運ぶの手伝ってもらえる?」
「はい、桃井さんの半分貰いますね」
「ありがと〜!」

どうやらさつき達はもう仲直りしたらしい。心配して損したわ、と呆れつつも内心ほっとする。なんだかんだお似合いの2人だと思うから。視界に入った大輝もやれやれといった表情で呆れたため息をひとつつくとパソコンに視線を戻していた。やっぱ思うことは一緒だよね、と思わず笑みがこぼれる。

昼休みに入る前、キリのいいところまでやりたくて急いでパソコンを打ち続けているとどこかを間違えて打ってしまったのか、よくわからない画面が出てきてしまった。わー何これ全然わかんないよーヘタに色々いじったらデータ消えたり最悪パソコン壊しちゃうかもしれないし…でも赤司さんとか真ちゃんにバレたら怒られるかもしれないし早く何とかしないと…12時になりみんなが休憩に向かい出す中1人焦っていると「おい、飯いくぞ」と大輝が声を掛けてきた。

「ごめん、ちょっとやらかしたっぽくて…これ先何とかしないとお昼行けないや」

あーもうほんと機械って苦手。パソコン関係でテンパることは今までにもたくさんあってその度にOLになったことを後悔してしまう。職場の環境やみんなのことは好きだけど機械とだけはどうにも仲良くなれそうにない。

「何やってんだ…ちょっと貸せ」

大輝は私が座っている椅子の半分を奪い座るとマウスを取って何やらカチカチ動かし始める。すごい…大輝って実は頭良いんじゃない?と疑ってしまうほど彼の操作には迷いがない。仕事デキる男の人ってかっこいいなぁ。…てゆーか距離近いんですけど。大輝だからいいけど他の人だったら、例えば赤司さんとかだったらやばいな。赤司さんとイスシェアやばい…!

「終わった」
「え、もう!?」

赤司さんとの妄想が膨らみそうになったところで大輝の手が止まった。そうだった、今隣にいるのは憧れの赤司さんではなく幼馴染みの大輝だった。

「おー。すげーだろ」

私の脳内を知るよしもない大輝はにやりと口角をあげてドヤ顔をキメている。まあ、悔しいけど機械と仕事に関しては大輝に勝てる気がしない。

「うん、ありがとう」
「じゃあジュース奢れ。あと弁当な、オレのパンと交換」
「はぁ…しょうがないね」
「よしっ」

大輝は嬉しそうに笑う。この笑顔は子供の頃からずーっと変わらないんだよなぁ。普段は仏頂面でクールぶってるけど私といる時は結構こうやって笑ってくれるから嬉しい。なんか気を許してくれているような気がして。

「そーいえばさつきと黒子くん仲直りしたみたいでよかったね」
「まーな。テツもよく付き合えるよなーあんなめんどくせー女」
「あはは、否定はしない」

秋晴れの気持ちのいい空の下、屋上のベンチに並んで座って大輝と笑う。中学高校と2人と別の学校を選んだのは偶然ではない。さつきが物心ついたときから大輝を好きなのを知っていたからだ。そして私も、密かに大輝に想いを寄せていたから。幼稚園の頃、こんな風に晴れた日砂場でさつきと遊んでいたときだ。「ねえ、名前は好きな人いる?」さつきがいきなりそんなことを聞いてきたから、私は驚きと照れ隠しで咄嗟に「いないよ」と答えた。そしたらさつきは満面の笑みで「さつきはねーだいちゃんと結婚するの!」と言った。「だいちゃんに言ったら「いろけがねーからむり」って言われちゃったけど…さつきがんばるもん」と笑うさつきに何も言えなくなった。それから私は2人をそういう目で見るようになった。小学校にあがってからも、さつきを見れば大輝を好きなのがわかるし、大輝も泣き虫なさつきにいらつきながらも何だかんだ側にいて、いつか本当に結婚するんじゃないかと思った。大輝を取られたくない、けれども3人の仲が壊れるのはもっと嫌だ。そんな複雑な思いから、私は2人が並ぶのを見なくていい環境に行こうと思ったのだ。まあ、とはいえ家が近いためなんだかんだで会うことも少なくはなく、高校生の時さつきから黒子くんを彼氏として紹介されたときは驚いた。その頃には私の大輝への気持ちももうなくて、私は私で涼太と付き合っていたからお互い幸せになれてよかったなぁなんて思ったりしたっけ。大輝とまさかその後大学と職場が一緒になるなんて、あの頃は想像もしなかったけど。なんか、なんとなくだけど、もう大輝とは離れることないんじゃないかなって思うんだよね。一緒にいるのが当たり前すぎて。大輝がもし結婚したり移動でどっか遠くに行っちゃったらかなり寂しいと思う、私。もちろん幼馴染みとしてだけど。…て何で私急にこんなこと考えてんだろ。

「ねぇ」
「ん?」
「大輝は近いうちに結婚とかする予定ある?」
「ゴハッ!!いきなりなんだよ…」
「そんなむせなくても…はい、ハンカチ。だって私たちももう大人なんだし、いつしてもおかしくないでしょう?さつき達だって明日にでも結婚したっておかしくないんだから」
「にしたって急すぎんだろ…まあねーけど、んな予定。つーかそんなもんお前が一番知ってんだろ」
「ふふ、そっか」
「なんで嬉しそうなんだよ…」
「ん?だって、じゃあしばらくはまだこのまま大輝と一緒にいれるんだぁって思ったらなんか安心したから」
「……なにバカなこと言ってんだ、アホ」
「バカとアホ両方とかひどくないー?」
「うるせー、寝る」
「ちょっ…」

大輝は横になると人の太ももに頭を乗せてくる。彼氏でもないのに許可なく人の膝枕で昼寝しようとしてくるなんて、大輝ってほんと図々しいやつ。一応これでも年頃の女の子なんですけど。

「もう、私動けないじゃん」
「いいだろ、こーやって寝んのが好きなんだから。それにお前の太ももいい感じに高くて…て痛ってぇ!」
「次失礼なこと言ったら首の骨折るよ」
「おーこわ」
「まったく。あ、そういえばさっき直してもらったやつのやり方教えてほし…てもう寝てるし」

ほんと、子供の頃の私はこんなやつのどこが良くて好きになったのか。私が悩んでたことなんて知りもしないですやすや寝ちゃってさ。こんな安心しきった顔で寝られたら憎むもんも憎めなくて、なんか悔しい。ひとつため息をついてさっき叩いた頭を優しく撫でる。家族というのもなんか違くて、でも他の友達より距離が近くて、けど恋人じゃない。少し特別な幼馴染みという関係が私は好き。空は晴れて暖かいのに風は少し冷たく秋の空気に変わる。毎年この季節はなぜだか心を切なくさせて、大輝への初恋を思い出したのはそのせいなのかもしれないと思った。


家に帰る途中スーパーに寄る。紫原くんと同居することになったわけだし、色々食材を買い足しておかなければなるまい。とりあえず今週分の食材と、あとお菓子を大量に買った。ポテチとまいう棒好きって言ってたよねー…でも甘いものも欲しくなるよねそうなったら。あ、これ今日の晩酌用のおつまみにしよう!

何だかんだカゴに入れてたら袋2つがパンパンになるほど買い込んでしまった。あー、両腕取れそう。

「あ、名前ちんはっけーん」
「紫原くん!」

ひーこら言いながら歩いていると紫原くんと出くわした。か、神…!!

「それ、重そうだね」

うんうん、と首を縦に振り「めっちゃ重い」と助けてアピール。

「持ってあげてもいいけどーでもみんなにバレちゃうから一緒に帰っちゃダメなんだっけー」
「え」

「可哀想だけどしょうがないよねー」とにやりと笑って私の横を通過していく憎き巨人。ちょっと待てーい!これ、こんな大量の食材誰のために買ったと思ってんの?あんたのためでしょーが!…と言ってやりたいところだけどヘタに機嫌を損ねたらそれこそまずい。相手は子供っぽい紫原くん…上手く乗せてこっちの要望を叶えてもらわないと。

「あー重い。お菓子買いすぎたなー!!(少し声を張る)」
「………」
「ポテチにーまいう棒にーチョコレートでしょー?あー考えてたらお腹空いてきた…早くご飯食べたいけどこれじゃいつ家に着けるかわかんないよー(ちらり)」
「………」
「もう疲れたしビール飲んで寝ちゃおっかな。うんそーしようそーしよう…あれ、紫原くんどうしたの?」
「名前ちんさー持ってほしいなら素直にそう言いなよねーめんどくさい女ー」

いちいちなんかいらつくけどUターンして戻ってきてくれた紫原くんは袋を2つひょいと軽々持ち上げるとスタスタ歩いて行ってしまった。素直じゃないのはそっちもでしょ、と心の中で反撃したがとりあえず持ってってくれたので口には出さないでおくことにした。

「なに作ってんのー?」

ご飯の支度をしていると紫原くんがのそのそやってくる。食いしんぼうの紫原くんのことだ、相当お腹が空いているのだろう。

「肉じゃがだよ。紫原くん好き?」
「好きー。あとどんくらいでできる?オレ腹ペコなんだけどー」
「んー今始めたばっかだからなぁ…あ、紫原くん待ってる間暇でしょ?お風呂の掃除とお湯溜めといてくれない?」
「えーやだ。めんどくさいしー」

もう!わがままなんだからー…。「あっそ」と吐き捨てていらいらしながらジャガイモの皮を剥いていく。何がペットよ、ご主人様に少しは尽くそうとか思わないわけ?居候のくせに態度でかすぎ!あーもーいらいらするー…

「痛っ…」

焦立ちながらやっていたせいか包丁で指を切ってしまった。今日は厄日か何かでしょうか。

「名前ちん…?大丈夫?」

一応心配とかしてくれるんだ。まあ、ここでスルーしたら本物のクズだけれども。

「あ、うん。少し切っただけだから平気…」
「貸して」
「え?あ…」

私の手を取ると指をパクリと口に含んで舐められる。大型犬が一瞬男に見えて、顔に熱が集中していくのがわかる。

唇を離すと顔を覗き込んできて、「痛い?」と聞いてきた。

指を少し切っただけなのに本気で心配してくれているその表情にまたキュンとしてしまう。

「大丈夫、もう痛くないよ」と言うと安心した顔を見せた。その後ソファに戻ったのかと思ったらお菓子を抱えてまた戻ってきた彼。やっぱりお腹ペコペコなんだ、と思い少し急ぐと「ゆっくりでいいよ、名前ちん危なっかしいから」と言って料理を作り終えるまで見守っていてくれた。あ、もしかしたら味見待ちしてただけなのかもしれないけど。

結局お風呂の準備はしてくれなかったけど、これはこれで彼なりの優しさなのかと思うと少しほっこりしてしまった。紫原くんに振り回される生活が1ヶ月も続くと思うと先が思いやられるけど。