13.お側にいられるだけでいいはずでした


翌朝、アラームの音で目を覚ます。結局昨日は眠れないまま、浅くもようやく眠りにつけたところで起きる時間になってしまった。泣いたから目も腫れてるし、余計に眠い。

学校、行きたくないな…

あの後、黄瀬が家まで送ってくれてバイバイするとき「明日もオレが一緒にいるから、安心して」って言ってくれたんだよね。

黄瀬にこれ以上心配させるのも悪いし、学校にはちゃんと行こう。逃げるな、私。…よし。

意を決して顔を洗いに洗面所へ向かうと、「名前ー、今日は朝ご飯食べていくのー?」といつものようにお母さんに声を掛けられる。

「お腹空いてないから大丈夫ー」
「ちゃんと朝ご飯食べないとダメっスよー!」

………は?

洗面所に行きかけていた足を巻き戻しリビングを覗くと、なぜかうちの家族に混ざって朝食を食べている黄瀬。

ゴシゴシゴシゴシ…

何度目をこすっても黄瀬は消えず夢じゃない現実を受け止めなければいけないことを理解する。

「…あんた、何してんの?」
「迎えにきたっス!早く着きすぎちゃって外で待ってたらママっちが声掛けてくれて、今に至るというか」

そんな約束した覚えはないけど昨日の私の記憶はあてにならないからもしかしたら約束していたのかもしれない。たぶん絶対黄瀬が勝手に来たんだろうとは思うけど。てかママっちてなんやねん。

「もう、黄瀬くんったら〜名前で呼んでって言ってるのにぃ〜」
「それはさすがにパパっちに悪いっスよ〜」
「あのちょっと…色々キツいからやめてもらっていいっすか」
「ほら早く食べないとご飯冷めちゃうっスよ」
「あーもーはいはいはい!!!」

目が腫れた寝起きどすっぴんで黄瀬と両親とご飯を食べているなんともカオスな状況に昨日のことを一瞬忘れそうになる。

「名前ったらこんなにかっこいいお友達がいるのに何で今まで黙ってたのよぉ」
「別にいいでしょ…」
「てっきりオレの話してくれてるかと思ってたのに悲しいっスよ〜。あ、ママっちこの鮭焼き加減最高っス」
「そんなこと言ってくれるの黄瀬くんだけよ?名前もパパも何も言ってくれないんだから」
「パパはいつも美味しいって思いながら食べてるぞ?」
「え〜本当かな〜?」
「パパっち、ちゃんと感謝の気持ちは口にして伝えないとダメっス」
「そっかそっか、黄瀬くんが言うならそうしよう」

なんだこいつ…。コミュ力高すぎて明日には本当に家族になってそうで怖いんだが。

イケメン好きの母はすっかりデレデレだし、父でさえも息子のように可愛がっている様子が伺える。学校に行くのも憂鬱だが帰ってから黄瀬のことを根掘り葉掘り聞かれると思うと帰るのも憂鬱になってくる…どうしてくれんだ黄瀬の野郎。

朝食諸々を済ませ黄瀬と私の部屋にふたり。私の支度が終わるまで待っていてもらう。黄瀬は女の部屋なんて見慣れているだろうに、初めてなのかと聞きたくなるくらいきょろきょろ見回している。

「いや、見過ぎでしょ。来るってわかってたらもっと綺麗にしといたのに…」
「いいんスいいんス。へぇ、ここが名前っちの部屋か〜。ここで普段生活してるんスね〜ふぅ〜ん…」

…だからなんなんだ。きもい。

「あんまり色々漁んないでね、勝手なことしたら殴るから」
「そんな怖いこと言わなくてもわかってるって〜」

さっきから全然説得力ないんだよ。しっぽ振ってる犬みたいに部屋中うろうろしてはベッドに座って私がメイクするの眺め、またうろうろして引き出しやらクローゼット開けてはベッドに座って私を眺めの繰り返し。

「もう、鬱陶しい!黄瀬、ハウス!」

そう言うとある程度満足したらしい黄瀬は大人しくベッドに寝転び、メイクが終わる頃にはすやすや眠っていた。でっかい子供みたい。でも、やっぱり私を気遣って早起きしてきてくれたのかな…。黄瀬の寝顔を見つめながらそんなことを考えていたら胸がきゅっとなった。

「ありがとね…」

起こさないように頭をよしよしして、制服に着替える。黄瀬寝てるし、このままここで着替えちゃおっと…。

「黄瀬、起きて。行くよ」
「んー…」

こちとらもう部屋を出ようとしているのに、未だ起きそうにない黄瀬を起こしにドスンとベッドに座る。

「行きますよー?」

黄瀬のほっぺたをぎゅーって掴んでそう言うと観念したのか私の手首を掴んでむくりと起き上がった。

「食べてすぐ寝ると牛になるんだよ」
「えー…じゃあ昼休みの後いつも寝てる名前っちはとっくに牛じゃないっスかー」
「うるさい」

その後もしつこく牛だ牛だと揶揄ってくる黄瀬をしばきながら学校までの道を歩いた。

・・・

「つーわけで1時間目と2時間目は文化祭の片付けな。自分とこ終わったら他手伝って必ず終わらせろよ」

昨日の今日で青峰先生の顔を見れずにずっと俯いていた。俯いても耳は機能しているので最後のほうだけは聞き取れた。他は昨日の嫌な記憶が蘇ってたから聞いていないけどまあ大丈夫だろう。

チャイムが鳴り立ち上がると、気を抜いて顔を上げた瞬間青峰先生と目が合ってしまった。というか、自意識過剰じゃなければ見られていたような…?

咄嗟に目をそらしてしまったが、何となくそんな気がした。

あーもういちいち意識するな!今日から青峰絶ちするんだから!あんなクズ野郎一刻も早く忘れてやる!

フンッと鼻息を荒げて黒板に貼られた片付けの割り振りを見に行く。

…教室か。ラッキー、移動しなくて済むじゃん。何から手をつけようかな、と…んん?

ポケットに入れたスマホが震えた気がして出してみると青峰先生からラインが来ていた。一気に心拍数が上がり、それを静めるよう己に言い聞かせつつとりあえず廊下に出ることにした。

深呼吸をしてもう一度ラインの画面を開いてみる。

「今日あいつ休みだから保健室で寝るわ」

だからなんだ。朝一からサボりおって、自慢かよ。

とりあえず既読ついちゃったし返事送るか。

いや…いっそ既読無視してやるか。

返信を考えていると、せっかちな先生から追いラインがきた。

「お前も来れば」

うっ……なんて奴だ。昨日あの女とヤったであろうベッドに私を呼ぶなんて!ゲスい…ゲスの極みとはまさにあいつのことだ!

まあ、シーツは変えてるだろうけど…ってそういうことじゃなくて!

でも…青峰先生と保健室えっちか。エロい、エロすぎる。しかもみんなが真面目に片付けしてるときに隠れてとか興奮する…て馬鹿野郎!!!

何回目?ねぇお前何回目?青峰先生の色仕掛けにまんまと乗って傷付いての繰り返しで懲りたばっかりでしょうが。そろそろ学習しようよ、いくら超絶タイプの男と理想のシチュエーションが待ってるからって…ダメ!絶対!黄瀬の優しさ思い出せ、無駄にすんな!

もう、この先ずっと青峰先生と触れ合えなくてもいいやって…昨日思ったばっかじゃん…

「来ねーの?」

「オレ寝ちまうけど」

もぉー!!!このせっかち野郎ちょっと黙っててよ!誘惑してくんな!押して引かれると追いたくなるじゃんか!

てか…そういえばなんであの女今日休んでんだろ。昨日のが激しすぎて腰やったとか…?あ〜むりむり考えたくない!よし!

「行っちゃダメっス…!」

行きませんと打とうと思いつつ教室から遠ざかろうとしていた私の腕を後ろから黄瀬に掴まれた。

「き、黄瀬…?どした?わわ、私、トイレ行こうとしてただけなんですけど…?」
「じゃあ、スマホ見せて」

黄瀬は私の腕を掴んだまま冷めた目で「早く渡せ」と訴えかけてくる。

「な、なんで…」
「いいから…!」

黄瀬のすごい剣幕に押されてスマホを無理矢理奪われると青峰先生とのトーク画面を見られてしまった。

「ウソツキ」

黄瀬から放たれたその4文字がグサッと心臓を貫くほど深く刺さった。

「ち、違うよ…?行かないって今送ろうと…」

必死に弁明しようとするもじーーーっと黄瀬に見つめられて息を吸うのがやっとの私は言葉が出てこない。

「怪しい…。だって、名前っちって欲望の塊じゃないっスか」

え、ひど…。まあ、確かにそうなんだけど…今までずっとそう思われていたのかと思うと傷付くんですが。

黄瀬は私のスマホを持ったままドスドスと教室に入っていくと大量のダンボールとゴミ袋を持って戻ってきた。

「今日一日スマホは没収っス。ほら、一緒にごみ捨て行くっスよ」
「一日!?それはいくらなんでも…!」
「え?」
「……どうぞお預かりください」

無理矢理ごみ袋を持たされ、不機嫌な黄瀬に連行される。ああ、牛だなんだと騒いでいた辺りに時間を巻き戻したい。

・・・

「………」
「………」

沈黙がいちばん怖いし気まずい。空気が重すぎて謝らせてもくれない雰囲気だ。

恐る恐るちらりと横を見ると黄瀬が未だに怖い顔をしていたので光の速さで前を向き直した。

「何回泣いたらわかるんスか」

バレていた。お前は草食動物か!常に360度見えてんのか!…などとふざけられる空気では決してなさそう。

「ごめん…」

黄瀬が怒るのは当たり前だ。心のどこかでこの期に及んでまだ少しだけ残念な気持ちを引きずっているどうしようもない私だけれど、引き止めてくれたことに感謝している。

「次は、もう慰めてあげないっス」
「黄瀬、私のこと見捨てんの…?」
「うっ…そんな可愛く言ってもダメ!てか、また青峰っちのとこ行く気だったんスか!もう病気っス、末期っスわ」
「行かないもん…たぶん」
「たぶんとか保険かけてる時点でアウトなんスよ。じゃあもうしょうがない…オレが徹底的に見張るっス」
「は…?徹底的にとは…?」
「放課後もバスケ部強制連行、帰りももちろんオレが送るっス」
「なんでそこまで…てかバスケ部行ったら青峰先生いるじゃん」
「青峰っちなんて気分で部活来てんスから!サボって名前っちとSEXされるより両方監視出来て何倍もいいっスよ!」
「ちょっ…声デカいって…!」
「じゃ、早速今日から始めるから。いい?」
「もう…わかったよ…」

機嫌が直ったはいいが黄瀬が得意げに主導権握ってんのがなんか腹立つ…!スマホも放課後も黄瀬に奪われた私はなすすべを失った。家に帰るまでスマホ触れないとか女子高生には拷問すぎる。

その後も黄瀬と何往復もごみ捨てを繰り返し、保健室の前を通るたびに先生のことが気になったが、その都度黄瀬が私の頭を自分のほうにグイッと向かせてマシンガントークしだすから考える暇もなくなっていった。

そして片付けも無事に終わり普通の授業が始まる。黄瀬から解放されて嬉しいような、授業だるいような。席に着いてそんなことを考えていると今度は教壇から殺気を感じた。そうだ…今は青峰先生の授業だった。

既読無視かました上にお誘いも無視したことになっているのを一瞬忘れていた。いや、でもこれからはこうするんだから、びびるな私!そう言い聞かせるも授業が終わるまで教科書から一切目を離すことが出来なかった。

・・・

「名前っち、ここ座って!」

放課後、体育館に着くなりいつぞやのように椅子を用意され輝くような笑顔でどうぞと促される。

「他の見学者に悪いからいいよ…2階の隅っこにでも行って見てるからお構いなく」
「ダメっス!オレの目の届くところにいて」
「えー…でもー…」
「でもじゃない!いいからハウスしなさい!」

そう言って肩をグイッと下に押され椅子に無理矢理座らされた。その様子を見ていた他の部員達にもケラケラ笑われてすごく恥ずかしい。許せない…!今すぐ怒って帰りたいのにスマホを人質に取られているばっかりに黄瀬の言うことを聞くしかないなんて、屈辱すぎる。

「よしよし」

満足気に私の頭をぽんぽんすると黄瀬は部室へ着替えに行った。そしてそんな黄瀬に怒りで震えながらも私はふと思い出した、今朝のことを。

ハウス、よしよしって…私が朝やったやつだ。偶然か?それとも黄瀬まさかあのとき起きてた…?ちょっと待って、めっちゃ恥ずかしい。それに私黄瀬が寝てるとばかり思ってその場で着替えてたんだけどもしや見られてたなんてこと…

怒りで震えていた身体が今度は悪寒で震え出した。

いや…まさかね。ないないない。やめよう、これ以上このことを考えるのはやめておこう。スマホもなくやることがない私は先に着替え終わって遊んでいるバスケ部員達をぽけーっと眺めていた。

「名前っちー、これ預かってて」

早々に着替え終わった黄瀬が部室から出てくると、タオルを渡してジャージの上を膝掛けのように脚に乗せてきた。

「ん…わかった」
「文化祭の準備始まってから練習出来てなかったからなんか久しぶりっスわー楽しみー」

ほんとバスケ好きだなぁ。なんか無邪気でちょっとかわいい。だが、やはりあのことは事実確認せんといかん…!

「ねぇ、あんた朝もしかして私の着替え見た?」
「えっ!は、はあ?急に何言ってんスかー名前っち自意識過剰ーわーきもーむりー」
「見てないの?本当に?嘘だったら絶交するけど?」
「……一瞬目が覚めたときにぼやーっと…色だけ…水色…でした」

それを言われた瞬間黄瀬以上に自分の顔が真っ赤になっていくのがわかった。違う部屋で着替えればよかった…!!

「で、でもほんと眠くてほぼ見てないし、その場で着替えちゃう名前っちが悪いんスからね?」

わかってるよ…!でも今もその下着着けてるとか知られてると思うとなんかめっちゃ恥ずかしいんだもん…ああ帰りたい帰りたい…

「もう…ごめんって。謝るから…怒んないで?」

うう…そんないきなり優しくイケメンスマイルで謝られるとキュンとしてしまう…もうほんと私の情緒忙しい。

恥ずかしさが拭いきれずコクンと頷くのが精一杯の私を見て黄瀬は柔らかく笑った。

「じゃ、行ってくるっスー」と手を振る黄瀬の背中を見送り、ほどなくして練習が始まる。青峰先生は来なそうだ…よかった。会っても今は気まずさと恐怖しかないのでホッとした。

バスケに関しては無知な私だが、漫画は好きなのでスラ◯ンは知っている。むしろ大好きだ。あのアニソンを聴きながら練習を見ていたい…と思うくらいだ。黄瀬のポジションはどこなんだろう?スラ◯ンだと誰と同じとこなんだろ…帰りに聞いてみよう。プロの試合とかはもっとよくわかんないけど、友達がスポーツやってるの見るのは結構好きかも…なんて思うくらい練習に見入っていた。

「名前っちー、タオルちょーだい」

休憩になった途端私の元へやってくる黄瀬。近くで見ると汗の量やばいな。あれだけ走りまくってたらそりゃそうか…

「ふー。やっぱちょっと休んでただけでも体なまってるわ、体力つけないと」
「十分すごいじゃん。黄瀬でそうなら私どうすんの」
「いや、比べないでほしいっス」
「は?」

せっかく遠回しにフォローしてあげたのに、なんて失礼なことを言うんだ。まあ、その通りだから何も言い返せないんだけど。

「もうすぐ試合だしちゃんと仕上げておかないと」
「へぇ、この時期でも試合あるんだ」
「ウィンターカップってのがあるんスよ。まずはその予選を勝ち進まないと話になんないから、確実に勝つっス」
「そっかそっか…頑張れよ」
「名前っち、応援に来て」
「え、無理」
「どうせ暇なくせに」
「怒った、死んでも行かん」
「来て!」
「やだ!」
「絶対来て!」
「絶対やだ!」

そんなやりとりをしているうちに休憩は終わり、「名前っちの意地っ張り女!」と暴言を吐き捨てて黄瀬は行ってしまった。理不尽すぎる。

休憩が明け、2チームに分かれて試合が始まる。まあむかつく野郎ではあるが他の人知らないしとりあえず黄瀬のチームを応援する。

久しぶりに見たけどやっぱ黄瀬上手いな…。さっきくだらない小競り合いをしていた相手とは思えないくらいバスケをしている黄瀬はかっこいい。黄瀬に3人マーク付いても余裕で躱してるもんなぁ。つい見入っていると最後に黄瀬がガンッとダンクを決めてタイムアップになった。もちろん勝ったのは黄瀬のチーム。流◯親衛隊ならぬ黄瀬親衛隊からは黄色い声援が飛び交っていた。

確かにダンク決めた後こっち見てちょっと微笑んだのとか迂闊にもかっこいいって思っちゃった。…て、いや、試合は行かないよ?行かないからね???


練習が終わり、部室へ行こうとする黄瀬を引き止めた。

「私、外で待ってるから」
「え、なんで?」

黄瀬親衛隊の目が怖いからとは言いづらい。普段から黄瀬と一緒にいるくせに今更かよと思うかもしれないが、放課後部活を見にきて最後までいるってことはファンの中でもなかなかの強火だと思うんだ。私には女の嫉妬の恐ろしさもファンの心理もわかる…女でありオタクだから。なのでみんなが2階から下りてくる前に存在を消したいんです。

「いや、1人でここにいるの心細いんだって…」
「んー…じゃあ外はもう暗いから昇降口のとこで待ってて。すぐ行く」
「うん、別にゆっくりでも大丈夫だからね?」
「はいはい。じゃあ、また後で」


体育館を後にして廊下を歩いていると、何という運命の悪戯か向こうから歩いてくる青峰先生と鉢合わせてしまった。会いたいときはなかなか会えないのに会いたくないってときに限って会っちゃうのなんなんだろう。

「サ、サヨーナラー…」
「…おい」

足早に横を通り過ぎようとするも案の定腕を掴まれ引き止められる。

「昨日一緒にいたときは機嫌良さそうだっただろ。今日になって急にどうしたんだよ」
「………」
「また不貞腐れてんのか?何かあんなら言えって」

前回と同じ理由だなんて言えない。青峰先生を責めたいのに、怒られるのも嫌われるのも怖いって思ってしまって何も言葉が出てこない。

「それとも…またお仕置きされたいわけ?」

もう暗いとはいえ、他の生徒や先生が通るかもしれないのに強気の青峰先生は得意の壁ドンをしながら至近距離でそう呟く。

「ち、ちがっ…」
「とりあえず車乗れ。家でゆっくり話聞く」
「……い、行きません!…それに、もう先生と会うのは…やめます」

緊張と恐怖と悲しみで涙出そう。走馬灯のように先生との思い出が溢れてきて、最後だと思うとどうしようもなく苦しくなった。でも、これでいいんだよね…?間違ってないよね?今もめちゃくちゃつらいけど、またあんな思いするのは耐えられない…

「は…?だから理由を言えって」

それ以上何も言えなくなって、青峰先生の顔が見れなくて俯く。どうしよう…どうしたら…

「はーいストップ。セクハラで訴えますよ?名前っち嫌がってるじゃないっスか」

青峰先生と揉めていると、黄瀬が現れて私を掴む青峰先生の手を払った。

「名前っちはオレと帰る約束してるんで。邪魔、しないでもらえます?行こ、名前っち」

青峰先生の顔を一瞬見たけど、何も言えずに目をそらして私は差し出された黄瀬の手を握った。

青峰先生の視界から消えるまで、頑張って平気なフリをする。必死に堪えていたのに、「名前っち、よく頑張ったっスね」とか黄瀬が言うから私の涙腺は完全に崩壊した。

昇降口で一度離れたものの、またすぐに繋がれた手の温もりに何だか安心感のようなものを感じた。その後、特に言葉を交わすこともないまま私の家まで黄瀬と並んで歩く。ぼーっとしていたからか、黄瀬と離れるのが寂しいからか、家までの道のりが朝と同じ距離なのにすごく早く感じた。

「名前っち、大丈夫?」

家の前で心配そうに聞いてくる黄瀬にぎゅっ…と抱きついて首を横に振る。平気なフリをする余裕が今日はない。黄瀬にまだ行かないでほしいというのが本音だった。

でも明日も学校あるし、これ以上黄瀬を引き止めるのも気が引ける。そう思う気持ちもあって言葉には出せずに黄瀬の胸に顔を埋める。

そんな私の気持ちを悟ってか、黄瀬は優しく抱きしめ返してくれた。ああ、もう何も考えずにこの温かさだけ感じて死ねたらいいのに…そう思っているとガチャリと音がして「名前?」とお母さんが家から現れる。思わず硬直する私と黄瀬。当の母は「あらっ」なんて語尾にハートを付けたような言い方をしてにやにやしている。色んな意味でやっぱさっきのタイミングで死んでおきたかったと思った。

「黄瀬くんが送ってくれたの?ありがとねぇ。よかったらうちでご飯食べて行かない?」

そう言う母と私の状態もあってか黄瀬は「じゃあ、お言葉に甘えて…」と家に上がっていくことになった。

私の様子を見て何かを察したらしい母は部屋に夕飯を持ってきて、食べ終わったら廊下に出しておけば片付けるからといつになく気を利かせてくれた。

「部活で疲れてんのに、なんか色々ごめん」

少し落ち着きを取り戻しそう言うと黄瀬は笑った。

「謝んなくていいんスよ。むしろご馳走になっちゃってラッキーっていうか」
「うん…ありがと」
「なんていうか…今が一番つらいっスよね。でも、名前っちが一歩踏み出してくれてオレは嬉しかった」

黄瀬にそう言われて、自分の選択は間違っていなかったんだと肯定してもらえたようで安心した。

もう遅いからと黄瀬は泊まっていくことになり、母がベッドの横に布団を敷いてくれた。明日の朝、車で黄瀬を家に送り届けてもくれるらしい。なんて理解のある母なんだと見直しているとラインが来た。

「母、黄瀬くん気に入った。黄瀬くんを息子に欲しい。がんばれ」

がんばれって何を…

「ライン…青峰っちから?」
「あ、ううん。お母さんが、黄瀬くんいい子だねって…なんか気に入っちゃったみたい」

そう言うと黄瀬はすごい嬉しそうにしていた。そういえば、青峰先生から連絡ないな…。いや、あっても困るだけだしいいんだけど。最後に見た青峰先生の顔を思い出すとまた胸が締め付けられそうになった。

お互い順番にシャワーを浴びて、私の部屋で寝ることに。当たり前だが黄瀬は母が敷いてくれた布団に入り、私は自分のベッドに入って電気を消す。

……寂しい。

前に青峰先生の家から脱走したとき黄瀬が一緒に寝てくれたからそれをどこかで期待してしまっているずるい自分がいる。

でも一緒に寝たいなんて恥ずかしすぎて言えないし、青峰先生とダメになったからってすぐ黄瀬に行くような尻軽だって思われるのも嫌だ。まあ、もう十分甘えちゃってはいるんだけども…。

目を閉じると青峰先生のことをまた考えてしまって、じわ…っと涙が出てくる。黄瀬にバレないように拭うものの止まらない。一度トイレに行って涙を止めてこようと起き上がると、「名前っち…?」と黄瀬に気付かれてしまった。

「あ、ごめん…ちょっと眠れなくて」

そう言って誤魔化すと、黄瀬は布団から出てベッドに座る。

「また、泣いてんスか」

俯いて何も言えずにいると、黄瀬がベッドに入ってくる。手を引かれて、同じ布団の中で黄瀬に抱きしめられた。

「オレが忘れさせる…」

そう言って腕に力を込める黄瀬に心臓の鼓動が早くなった。それってどう言う意味…?深い意味はないの…?それとも、私のこと好きなの…?目を閉じて頭の中でぐるぐる黄瀬の言葉の意味を考えているうちにいつの間にか眠ってしまっていた。