納得いかない 01
二週間前、大嫌いだと思われている筈の桜木に好きだと言われた。
聞き間違いかと思い振り向けば、アイツは目を見開き両手で自分の口を塞いで硬直していた。
そのマヌケな姿を馬鹿に出来なかったのは、オレも奴に負けないくらい動揺していたせいだ。
二人きりの部室の温度が急激に上がり、引いた筈の汗が再び全身に浮かび始めていく。
喉の奥が震えて言葉が一つも出てこねぇ。
それでも何とか、頷くことだけは出来た。
また夢でも見てんのかと思ったが、いきなり背中に回された腕の力強さや押し当てられた胸の圧迫感、何より唇にぶつかってきた生々しい感触がオレに現実感を与えてくる。
唇が離れて視線が合った瞬間、もっと触っていたいという思いが湧き出てきて、どうにかなっちまいそうな自分を落ち着かせるために俯くしかなかった。
いや……これからは遠慮などする必要はない。
そう気付いたから、今まで我慢していた分を取り返してやるつもりだった。
しかし現状は、以前より不満が倍増したと言ってもいい。
桜木が自意識過剰な男だってことは知っていた。
ただ、ここまで他人の視線を気にするとは思わなかった。
あれほど非常識な奴が、人が見ていると言っては接触を拒む。
ほんの少し腕が当たっただけで大袈裟に慌ててオレを遠ざけようとしやがる。
何だってんだ。
別に男同士でも頭に手を置いたり肩を組んだり、そんくれー普通にすんだろ。
てめーもよく水戸達や先輩達とじゃれ合ってるじゃねーか。
いちいち気にしすぎなんだよ、どあほうが。
そういった態度を取られる度にだんだんと腹が立ってきて、わざと何人もの生徒が行き交う廊下でキスをしてやるフリをした。
逆効果だと分かっていたが、どうにもヤケクソな気分だった。
「バ……バカモノォ!」
思った通り、アイツは悲鳴をあげながら逃げて行く。
突き飛ばされた肩が痛ェ。
ムカついて猛ダッシュで後を追い掛ると、桜木はそんなオレを見ていきなり笑い出しやがった。
「ぶっ! はっはっ」
何がおかしい。
「笑ってんじゃねェ……!」
オレは思いきり奴の尻を蹴り上げた。
派手な音が廊下中に響き渡る。
勢いよく壁に激突した桜木を一瞥すると、オレは踵を返して教室に戻る廊下を歩き始めた。
乱れた呼吸が落ち着くと同時に、後頭部から怒りがスーッと冷めていくのが分かる。
代わりに身体中に風穴が空いたような虚しさを覚えた。
桜木は……オレとの関係を誰にも知られたくねェんだろう。
オレだってわざわざ公言する気はねェし、面倒なことになるのも避けたいが、バレたらバレた時だと思う。
こんな関係を続ける以上はどんな障害も覚悟の上だ。
でも、アイツは……。
「……チッ」
桜木への想いを閉じ込めていた頃とはもう違う。
一度外れたストッパーはもう役立たずで、表に飛び出した気持ちは制御不能だった。
* * * * *
「好きだ」
……また始まった。
「なぁ、好きだって言ってんだろー。お前も何か言わねーかコラ」
「うぜー……」
「ぬ!? ウゼーとは何だウゼーとは!!」
決して照れ隠しではなく、オレは心底うんざりしていた。
最初の頃はオレも同じ言葉を返してやろうとしたのだが、その隙を与えないほどにこのどあほうは好きだと好きだと言い続けてくる。
あまりにしつこく繰り返しやがるから、その言葉が軽く聞こえるようになってきた。コイツはまた口先だけなんじゃねーのかって気がするほど。
大言壮語男なだけに、あまり信用ならねぇ。
何より今、こんな人目につかねーような体育館裏でコソコソしてることが気持ち悪ィ。
オレはオレで必要以上に桜木の態度に肚を立てているのかもしれねーが、どうしても納得いかない。
そんなにオレ達の関係は後ろめたいものなのか。
「ホレ」
突き出た壁の影に座り込みブツブツと不満の言葉らしきものを呟いていた桜木が不意に手を握ってきた。
熱でもあんじゃねのーかってくらいアチィ。
オレがこの体温を望んでることを、コイツは知っている。
──ごちゃごちゃ言ってねーで黙ってこうしてりゃ良いんだ。
(……あれ?)
オレは急に意識の空白に気付いた。どうやら眠っていたらしい。
「ふわぁ……今、何時だ……?」
何かスゲー気持ち良かった。
もう少しこうしていたいが、とりあえず次の授業には出るつもりでいた。
「昼休みが終わったところだ」
「じゃあ、教室に戻る」
「そうか」
桜木が手をほどいて立ち上がった。
……駄目だ。やっぱり全然足りねー。
「コラ。もうイイだろ。手ェ離せ!」
「イヤダ」
体育館裏を出る寸前、前を歩く桜木の手を掴むと当然のように抵抗された。
心地良さの余韻が一瞬で吹き飛んでいく。
桜木はオレとの繋がりをほどこうと必死に抗うが、オレはその手を握り潰してやるくらいのつもりで掌に力を込めた。
「だから! 他の奴らに見られたらどうすんだってんだ! さっさと離さねーか!」
「うるせー。この臆病モン」
「誰が臆病だと!?」
「おめーだ、どあほう」
人目を気にして縮こまったてめーなんか見たくねーってんだ。
いつもの傲岸不遜な態度はどうした。
手を離す離さないで暫く互いの腕に血管が浮くほどのマヌケな格闘を続けていたが、ふと桜木の背中が大きく跳ねた。
「桜木くーん!」
遠くからコイツの名前を呼ぶ奴がいる。
「もうすぐ次の授業が始まっちゃうよー!」
あの声は聞き覚えがある気がする。誰だっけ……。
「は、はいっ!」
桜木は顔を青くしたり赤くしたりと大いに焦りながら、向こうへ手を振っていた。
壁に遮られてオレからは全く向こうの様子は見えないが、別にどうでもいい。
意識が逸れたせいで桜木の手から力が抜け、オレもフッと脱力した。
しかし。
「あ!? ハルコさん!!」
一瞬で桜木の姿が目の前から消えた。
振り払われた手と走り出す寸前に奴が口にした名前によって凍り付きそうな体をゆっくり動かすと……オレの存在を忘れた背中が見えた。
その向こうでは、怪我でもしたのかマネージャーの女がへたり込んでいた。
会話は聞こえないが桜木は全身で女を心配しているように見える。
ここからそんなに離れた距離でもないのに、妙に遠く感じた。
桜木がマネージャーに手を貸そうとしていることが分かり、オレはもうそれ以上は見たくなくて黙ってその場を立ち去った。
強く握り締めたせいでアイツの感触が残っている自分の手が、忌々しかった。
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