生への渇望


「(…ここは…どこだ…?)」


 目が覚めたら、真っ白な山にいた。
 空から深々と降る雪があたり一面を白く染め上げ、生き物の気配も感じられない。

 ただただ、静かな山だ。


「(わたしは…誰だ…?)」


 自分は誰なのか。なぜ山にいるのか。
 寒空の下。一生懸命考えても、頭を埋め尽くす霞が邪魔をして思い出せなかった。
 分かるのは、力尽きた自分が雪に埋もれているという状況だけ。

 スッと息を吸い込めば、途端に肺が悲鳴をあげた。
 強く咳き込んだせいで喉が切れ、口いっぱいに血の味が広がっていく。


「(…くるしい…)」


 喉が切れる初めての経験に、寒さと苦しさと己の弱さに涙が落ちた。


「(どうして…)」


 自分の置かれるあまりにも理不尽な状況に沸々と湧き起こるのは、どうしようもない怒り。そして…。


「(死にたく…ない)」


 ――生への渇望だった。

 死にたくない。こんな所で死にたくない。
 だってようやくこの世界に戻って来られたのに…。


「(戻って来られた…?)」


 一瞬でも頭を過った言葉に疑問を抱く。
 “戻って来られた”なんてまるで−−ここが自分の生きる場所だと、分かっているみたいだ。


 そんなはずない。自分がこんな死に直面するような場所を望むわけがないと考えを改めている間にも、雪は止むことを知らず。燦々と私の背中に積もる雪の重みもどんどんと増していく。

 徐々に失われていく体温。
 ぼんやりと霞みを増していく視界。
 耳鳴りの止まない聴覚に、寒いと痛みすら感じなくなった肌。

 目の前に迫りくる死の影が見えた。


 ――その時だった。
 霞んで役割を果たせていない視界に2本の足が映ったのは。


「…生きているか」


 その声はひどく嗄れた温度のない声だった。
 人はこれほど無感情になれるのかと思えてしまうほど平坦な声。

 その声がもう一度問うた。
 私に「生きたいか?」と。


「……たい…」


 振り絞った声はとても小さく、掠れていた。
 深い雪に吸われて相手の耳に届かないほど小さく弱弱しい声。
 けれど目の前の人はそんな消えそうな声を聞き取ってくれたらしい。「そうか」という呟きが聞こえた次の瞬間に、体は宙を浮いていた。

 腹部に感じる圧迫感。一歩進むたびに揺れる体。
 自分が米俵のように抱えられたのだと理解したとき、なんとか繋ぎ止めていた意識は糸が切れたように深い暗闇の中へと落ちていった。


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