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舗装されていない道路というものがこんなにも足裏に響くのだと、初めて知った。薄っぺらなサンダルだとただの小石でもかなり痛い。刈り取られていない背の高い草が足首に傷を作ってくるのも、ただただ痛くて。
少し歩いただけでも何度も転びかけた。そのたびにマルコさんが手を掴んでくれたおかけで今のところ、私にはかすり傷以外に怪我という怪我は負ってはいないけれど。
私の世界がどれほど私に甘かったのか痛感させられる。
──── それでも。
それでも、地面が揺れていない。
ふらつくこともなく、波を気にせずに、しっかりと歩くことができる。そんな些細なことが痛みより遥かに感動してしばらく立ち尽くした。
「──── なまえ?」
「……あ、うん。今いく」
痺れを切らしたようにマルコさんが名を呼んだ。
──── 有人島 “ヤズタウン” 。
夏島の航路に位置する島ゆえか、ヤシの木が等間隔に設置されている。側にはハイビスカスと思しき花が咲き乱れ、上半身裸の海賊たちでもまったく浮いていない。……まあ傍らにあるものがサーフボードやサングラスではなく銃刀であることが果たして浮いていないのかという疑問に関しては、私が異世界人であるが故だということにして気にしないこととする。考えるだけ無駄なのだ。
ようこそと書かれた大きな看板を抜ければ、目前に広がるのは大理石で造られた白い噴水で涼しげだ。
青水色や、あるいは純白に塗り揃えられた壁が建ち並ぶ街並み。そんな家と家の細い通路から蒸し暑い夏の風が吹き抜けていく。
太陽のめくるめくような日差しが海辺の街を照らし、そして私の皮膚を焼いていくのを感じながら小さな一歩を踏み出した。
初の有人島で、私は初の買い物日和を謳歌する手筈なのである。
◇
「どうする? とりあえず観光は後にして、必要なもんだけあらかた取り揃えるか?」
「うーん……そうね、観光とかするなら荷物とか置いて身軽な状態でしたいし」
小さな声で呟かれた、「なまえは荷物取られそうだしねィ」という言葉に関してあいにく否定できる材料を持っていない。
無法地帯世界での治安の悪さを舐めるべからず。余所者の女ひとりが大荷物を持って観光なんかしていたら格好の的になるのである。そして悲しいかな、海軍は警察とは違って小さなスリ程度で動いてくれるほど暇ではないのだ。まして助けを求める女が海賊団に属しているとなればなおさら、今の私にとって海軍はけっして無条件に庇護してくれる相手ではない。
これ以上ないほどマルコさんに近寄って歩いているのもそれが理由だ。虫除けならぬ犯罪者避け。なんなら腕でも組んでやろうかと思案したところで再びマルコさんから問いかけられた。
「先にどこ回りたい? 案内する」
「とりあえず……下着屋さんってある?」
「あァー……悪ィ、ナースたちからも先に寄れって言われてたな……。こっちだよい」
現状、私はなにもかも手ぶらの状態で船に落ちたことから衣食住のすべてをお世話になっている肩身の狭い居候なのである。そのため、当然ながら今の私が着用できているものはぜんぶ──── そう、下着なども含め“すべて”ナースのお姉さまたちからお借りというか、お譲りいただいたものだ。下はまだしもブラジャーとなるとカップ数の違いから身につけることは叶わず、妥協案としてカップ付きのキャミソールを何十着ともらっているわけで。
美容にあれだけ熱を入れているナースたちに及ばずとも、さすがに身体に沿ったブラくらいは欲しい。お気に入りのコスメだとかそんな贅沢を言うつもりは毛頭ないけれど、ブラは。胸の形を整えるあれだけはきちんとしたものを身につけたい。年齢的にも、是が非でもほしい。
欲を言うならナイトブラも。更に言うなればノンワイヤーのやつも何着か。
──── そんな逸る気持ちを全面に出しながら小走りで辿り着いた先は、
「いらっしゃいませ。本日はなにをお探しでしょうか?」
かなり高価そうな下着屋……もとい、ランジェリーショップである。
三体並んだマネキンにはそれぞれスリップの入ったスッケスケのよく見るキャミソールがあしらわれており、隣のマネキンにはこれまたよく見るビビットピンク・赤といったセクシーなレースブラジャーとショーツのセット。
そんなマネキンたちの間に置かれている黒バラと白バラの入り乱れた大きな花瓶。頭上にはシャンデリアがとにかく明るく照らしていて。
すべてが煌びやかに装飾された店内に、豊満な体を惜しげも無く晒す店員さんが深く一礼しながらのお出迎えに目が遠くなった気がした。
「ねえ、マルコさん。これ、片方だけで9千え──── ベル、するんだけど」
「あ? 何言ってんだ。下着なんてそんなもんだろい?」
「うっそでしょ」
ぼんぼんかよ。そんなツッコミは心の中に留めた。今度こそ目が遠くなる。実際には海賊という立場なのは痛いほど理解しているが、これが価値観の差なのか、性差なのか。いやむしろ異世界差?
「……ランジェリーショップじゃなくてなんかこう、ぽつんとあるような適当な下着屋さんでいいんだけど」
それこそ某大型ショッピングモールの中にある、3枚セットの売り出しセール品とか。そんなもので充分なんだけど。カップ数さえ合っていればもはや気にしない。
芸能人でもあるまいに、勝負下着でもない普段使い用の下着にそんな高い金払うわけもない。ナイトブラは別だが。
それに胸元のリボンだとか洗濯しづらいレース品だとか、そんなものよりも圧倒的に無地のノンワイヤーブラの方が楽である。健康診断も気にせず行けるし。
「この店が一番、品数の取り扱いが多い。気になる点はそこのアインスに言やァ要望に応じたモンを持ってきてくれる。数十着買うことは既に伝えてんだ、気にせず選べばいいよい」
「ここでぜんぶの下着買う気……!? いくらになるかわかってる……!?」
消費税こそ付かないものの、たった1着で約1万。それが数十ともなれば悠に2桁は超える。このあとも日用品や服を買う予定なのはマルコさんがよく知っているだろうに。買い物計画を立てたのはほかでもないマルコさんなのだから。
そして何より、マルコさんのお世話係というお遊びのような仕事で稼いだお金はかなり少ない。そこに上乗せとして白ひげさんが息子を救ってくれたお礼と称して施してくれたために、安い品物であればそれなりに揃えられる金額にはなったが、こんな高い下着を買ってしまえば底をつくどころか借金である。
「……なまえ、まさかとは思うが。今日の買い物、お前が出す気とか言わねェよな」
「まさかもなにも、そのためにもらったお金だけど?」
眉をしかめて答える私にマルコさんが大きなため息を吐き出す。
「そのためにやった金なわけねェだろい。なにかあった時の緊急用の金であって、お前のものはぜんぶおれが払うに決まってんだろい」
「いや……っいやいや! 出せるものは私が出すに決まってるでしょ」
「おれには施しといて、自分の番になったら受け取れねェってか? 海賊のこのおれが、女に施されたままで許すと本気で思ってんのかよい」
「それ、は……」
「たしか──── ……」とぼやいてマルコさんは訥々と言葉を紡いでいく。
部屋、3食のご飯、新品の服。専門書などの娯楽品。テーマパークなどの娯楽施設。
「お前は軽く思いだす限りでも、これだけのモンを惜しまず出したんだ。見ず知らずのおれに。なら、おれがお前に出さねェ理由はねェよい。ましてなまえは見ず知らずの女じゃねェ」
「でも、マルコさんはあのとき働いてないじゃない」
働けなかったマルコさんと、お情けとはいえ仕事を与えられた私では訳が違う。なにより、実際にこうやってお金をもらっているのだからと反論すれば、マルコさんは私を一瞥するだけですぐに店員さんに身振りだけで指示を飛ばす。そして片手間に口を開いた。
「隊長・隊員に限らず書類仕事しようが武器整備しようが、給料なんてもんは出ねェよい。やるのが当たり前だからな。つまりその金は本来無いもんだ。無いものは出せねェよい。だからお前は出さなくていい」
それは暴論では? そんな私の反論が口には出ずとも視線に移して抗議すれば、正しく受け取ったマルコさんだが折れる気はないようで。「うるせェ」と一蹴された。
その間にも目眩がするほどの下着の量が積まれており、さすがの私とてここで彼女に「持ち合わせがないので」とは口に出せない。
「……わかった。じゃあもう、目一杯利用させてもらうわ。覚悟しておいてね」
「ハッ、望むところだよい」
だれかが言っていたとある言葉を、私は脳内で反芻する。
『人の金で食う焼肉ほど美味いものはない』
手始めにとりあえず──── クソ高いナイトブラを5着ほど、ねだってみることとする。